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イングリッド・ベタンクールコミュのコロンビアを知る2E-2:暴力の50年 PART.5

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(PART.5からの続き)

1988年3月4日夜、アンティオキア州ウラバで、武装した一団が、ラ・オンジュラス農場の17名の労働者を虐殺し、さらに、隣接するラ・ネグラ農場の3名を殺害した。犠牲者はみな、その地のバナナ労働者組合の組合員だった。ヒューマンライツ・ウォッチによると、その後の虐殺に対する調べで、「その前の数週間に、軍が犠牲者となる人々の何人かを逮捕し、写真を撮り、また、別の人々を拘束して情報を提供させるために拷問を加えた。この情報は殺人者たちに伝えられた。虐殺のまえに、殺人者たちは、第10旅団の諜報部に属するルイス・ベセラ少佐によりメデジン・ホテルに集められた。そこでベセラは、自分のダイナーズクラブのクレジットカードで賃金を支払った」[15]。

1988年9月、マーサ・ルシア・ゴンサレス判事がベセラの逮捕状を発行した。この逮捕状は、「彼が中佐に昇進するために必要なコースを受講するために米国にいて、コロンビアにはいない」ために執行されなかった [16]。マーサ・ルシア・ゴンサレス判事は殺害の脅迫を受け、国外に逃れた。ベセラへの告訴が取り下げられて間もなくの1993年10月5日、ベセラは、今度はリオフリオで、軍と準軍組織による13名の虐殺に関与した。リオフリオ虐殺により、ベセラは軍命令で退役させられた。彼への逮捕状が発行されたにも関わらず、彼は自由に暮らしている。

ラ・オンジュラスとラ・ネグラ虐殺に関与していたとして、準軍組織ACCUの司令官フィデル・カスタニョにも逮捕状が出た。カスタニョは不在裁判で有罪となり20年の禁固刑を宣言されたが、逮捕されていない。カスタニョは、1988年から1990年の間にさらに4つの虐殺に関与していたとされ、また、「カスタニョ自身が、1990年の愛国同盟大統領候補ベルナルド・ハラミヨ暗殺計画に参加していたことを認めている」[17]。

多くの準軍組織の結成と活動に軍が関与しているにも関わらず、いつも軍が準軍組織を統制しているわけではない。1989年までに、麻薬土地所有者は、準軍組織を使ってゲリラや地方の農民を標的とするのみでなく、麻薬商人の米国引き渡しを支持する政治家や判事などの政府関係者をも標的とし始めた。メデジン・カルテルの首領パブロ・エスコバルに率いられた麻薬商人の一団は自らを「引き渡されうるものたち」と呼び、政府による米国への身柄引き渡しを止めさせるためにコロンビアの諸都市で爆弾作戦を行なった。

準軍組織はまた、それと戦おうとする勇気ある政府職員をも標的とした。1989年1月18日、準軍組織による一連の殺害を調査していた2名の判事と10名の調査員が、準軍組織による虐殺の犠牲となった。政府は、この恐ろしい統計をもはや無視することが難しくなった。1970年代に1053件だった政治的殺害は、1980年代には12859件に跳ね上がった。1988年1年だけで108の虐殺があったのである [18]。けれども、政治家にとってもっと重要だったのは、おそらく、準軍組織がますます多くの政府職員を標的とし出したことであった。

その結果、ビルジリオ・バルコ大統領は1989年4月の声明で準軍組織を批判した。「実際には、彼らの犠牲者の大多数はゲリラではない。犠牲者は、体制に対して武器を取ってはいなかった男性、女性そして子供なのだ。これらの人々は平和的なコロンビア人である」[19]。1989年5月25日、コロンビア最高裁は法律第48を違憲であると裁定し、その翌月にはバルコ大統領が大統領令第1194を発布して、文民や軍人が「自衛」団を作ったり援助したりそれに参加することを違法とした。

当然、準軍組織を違法としたからといって、その活動や軍との共謀が終わるわけではない。ヒラルド神父は、法律第48が廃止され大統領令1194が発布されてから1年もたたない1990年3月に起きたトルヒーヨ虐殺の場にいた軍への密告者の目撃証言を記述している。「31日の深夜より少し前、軍と準軍組織の連合が家から多くのカンペシノを引きずり出し、よく知られた麻薬商人のアシエンダに連れていって、拷問し、チェーンソーで手足を切断した。軍の少佐は、最も残忍な拷問を自らの手で行なった」[20]。

この虐殺の容疑者にコロンビア法廷は有罪判決を下さなかった。それゆえ、ヒラルド神父と彼の組織は、63名の犠牲者のために、訴訟を、米州機構の汎米人権委員会に持ち込むことを決めた。

2年間の議論の末、コロンビア政府は、政府と非政府の代表からなる超法規的な委員会の創設に合意した。この新たな委員会は、トルヒーヨ虐殺に参加していた軍人の行為につき政府の責任を認め、犠牲者の遺族に賠償が支払われた。けれども、虐殺に関わったものは、その前にコロンビア法廷で放免されていたため、処罰をうけることはなかった [21]。

注・参考文献
15. Human Rights Watch/Americas, Colombia's Killer Networks: The Military-Paramilitary Partnership and the United States, 23.
16. Ibid., 74.
17. Ibid., 75.
18. Ibid., 25.
19. Ibid., 23-24.
20. Javier Giraldo S.J., Colombia: The Genocidal Democracy, 49.
21. Ibid., 51.

続く→
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