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書いてほしい本のネタコミュの侵略宇宙人がもし…

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宇宙人が地球を侵略するというのは、実に古典的なSFテーマですが、ウェルズの火星人を始め、エイリアン、インディペンデンスデイ、プレデターと非常に恐怖心をあおるような醜さにあふれた姿で書かれています。
しかし、もしも、侵略してきた宇宙人が、なんとも(キリスト教徒の白人の基準で)神々しいばかりの美しさにあふれ、キリスト教の天使と見紛うばかりの姿であったらどうなのでしょう。
人間の基準では超絶的な超能力を備えていても、つまり地球人為紛れ込んでひそかに入り込んで行く分には有利でも、意外に地球の軍事的武器には弱いとしたら、どんな侵略戦記が成立するのでしょう。ちゃんと哀れげに「助けて!」と懇願しながら死ぬのです。
キリスト教徒はちゃんと闘えるのでしょうか。
地球人同士が「彼らは天使だ」とする派と「侵略者に過ぎない姿も紛い物だ」とする派とに分かれて、宗教対立が地球人の同士討ちを誘うかもしれません。
そんな奇妙な宇宙人侵略SFを書いていただけませんか。

すでにあるなら教えてくださっても結構です。

コメント(39)

出だしは、ミスユニバース(エイリアンだから宇宙一の美人)にイスラエル人の女性が選ばれることから始まる。
まさに「地上に降りた天使」と評される圧倒的な美と、多国語を流暢に話し、科学から社会問題、芸術にいたる深い教養。何よりも人に畏敬の念を起こさせる高貴なオーラ。
彼女は一躍地球上でもっとも有名な女性となる。特にキリスト教徒の間では「聖女=神格」を与えられそうな動きまであった。
ところが、やがて同じような異常ともいえる美しさを持った男女が相当数地球上にいることがわかってくる。
…そんなある日、突如、赤道上静止軌道の通信衛星、GPS衛星、軍事偵察衛星が次々と機能停止していくという事態が発生する。あわてる世界の国々。
気がつくと、その美しき人々はローマバチカンに集合していて、地球の領有を宣言する。
同時に世界の主要都市の上空に現れるUFO群。
彼らは宇宙からの侵略エイリアンだったのだ。
騒然となる各国政府と国連、宗教界。最後の審判の日が来たと狂信的に支持する人々。
姿に惑わされることなくエイリアンの地球侵略として、すでに軌道衛星を破壊されたことは地球防衛のための軍事力の行使をすべきという主張が紛糾する。
しかしなぜ、彼らは地球人のふりをしたまま、各国の政治を支配することをしなかったのか。
彼らにはごく近い距離ならテレパシーによる他人の精神の支配能力があることがわかる。
政治家や民衆をその能力で操り、地球人が誰も気付かぬまま、それどころか、喜びさえ感じさせながら支配することが可能なのにそうしなかった理由は何か。
実は彼らは物理的な暴力にかなり無力。精神操作及ばぬ遠方からの狙撃で殺すことが可能です。UFOや彼らの築いた基地内における防御は完璧で打ち破ることは難しく、攻撃兵器もかなり強力です。

しかし、テロないしゲリラ戦でかなり容易に殺し、排除することができるかもしれない彼らに対する、キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒などの宗教の信仰者、一見宗教とは無縁の科学技術・政治・軍事万能主義者がそれぞれどのような態度を取るかという地球人類の葛藤を描いてほしいのです。

ちなみに殺したエイリアンを解剖しても醜い所見はまったくなく、「全き御姿」であり、変身しているわけでもテレパシーによって幻覚を生じさせているわけではないことが明らかになります。

一番動揺するのがキリスト教徒です。尊き姿はキリストの再来を前にした「天使」の降臨だという噂が一気に信者の心に広がります。
またエイリアンの主戦略も人間の宗教心を揺さぶること(軍事的に強いとはいえないし、人類を滅ぼすのではなく支配するのが目的のため)です。
果たしてキリスト教徒は「天使」と戦えるのか?
ちなみに彼らは、自身のクローン再生のための組織を保存(バックアップ)していて、何年か後には、死んだはずのものが「復活」するという芸当ももっています。

偶像を否定するイスラム教徒はこれこそ「真のジハード」だといって戦うのか。あるいは、キリスト教徒による陰謀だとして人間同士の「ジハード」へ傾くのか。

以外にもエイリアンの一番の難敵は仏教徒かもしれませんし、「拝金、拝権力」丸出しの、無宗教を標榜する人々は、エイリアンの懐柔策にもろいというところがあるかもしれません。

美しいエイリアンは、恐怖に満ちた醜い姿のエイリアンより手ごわいのです。
テレビで放映予告している「スピーシーズ」があるではないか。
との意見もあるでしょうが、あれは外見は美女でも、正体はイカの足に「エイリアン」の頭を持った醜い(地球人とりわけヨーロッパ人にとって)姿です。
こいつを殺すことには人間にとって何のためらいもないどころか、中国人なら、きっと一度は死体を食って見るでしょう。美味ければその増殖力を利用して新しい中華食材として売り出すかもしれません。
亭主が問題とするのは、ここでは信仰の偶像的イメージの崩壊に人間はどう対処するのかということです。
それと、侵略してきたエイリアンだから武力で戦って倒すということの正当性が人間社会特に信仰心との間で葛藤を起こすということです。
偶像崇拝的信仰のもろさと同時に、人間が視覚的イメージに強く支配されることの不可避性を問うことです。
ヨーロッパのカトリック信者や神秘主義者たちはあっさりエイリアン側につくことを決める可能性もあります。
その場合、偶像否定のムスリム(イスラム教徒)との間には激しい人間同士うちがあるでしょう。
出だしがミスユニバースの会場とは、華やかでワクワクしますね。

美しさについて。
>まさに「地上に降りた天使」と評される圧倒的な美と、多国語を流暢に話し、科学から社会問題、芸術にいたる深い教養。何よりも人に畏敬の念を起こさせる高貴なオーラ。

なるほど、そういう人は宇宙まで探さずとも地球上にいそうですが、
「天使」とも思えるほどなんですよね?ヨーロッパ的な美しさが好きな人はそういう視覚イメージに影響されそうですね。

ここでちょっと思ったのですが、視覚イメージ以上にそのエイリアンたちが
地球の領有を宣言するまでに行うことの方も教えてくださいー。

外見の美しさは確かに皆ひきつけられますが、結局美しさは千差万別。
全ての人が殺したくないと思うほどの美しさがあるといいのだけど。
ひきつけられるのは例えば「天使」と思うほどの善行、性格的弱さなど。

すばらしい善行を行ったマザーテレサ(もう故ですが)を殺したいと思う人がいたらショックですが、ミスユニバースにそう思う人がいても別に気になりません。

まずはじめに天使のような行いがあって、さらに美しい人、守ってあげたくなるような弱さを併せ持つ人がいれば、まさしく天使が舞い降りたと思うでしょう。
ストーリーからはあまり重要でないことですが、何となくそう感じました。

でもこんなエイリアンなら侵略大賛成!?
実は前振り(彼らの領有宣言までの行い)はまったくなし、いつの間にか来ていて、いきなり領有宣言というのが面白いと思っているのです。
キリスト教という、もとは偶像否定のユダヤ教から「世界宗教」となる過程で認めた偶像によるイメージが、固定観念化されたことに起因する、一つの宗教的イメージの崩壊と、他宗教(イスラムや仏教)との違いを絡めて「信仰」の意味を考えたいのが一つ。ですから「宣言」はバチカンであるべきです。
よくある俗説の「神」=「エイリアン」という図式が、現実のものとして突きつけられたときの人間社会のシミュレーションが二つ目。その中には、ゆけいさんの言うとおり、進んで支配を望むことも入ります。逆にエイリアンの支配はいかなる理由があろうとも認めない、暴力に訴えてでも排除するという「人類至上主義」も懐疑的な目で見たいと思います。
3番目は、軍事的(暴力手段)が貧弱なエイリアンの侵略はなしうるのか。そもそも侵略といえるのか。それらの生命体に対する地球人の暴力は許されるのか、という問題。当然友好関係にもってゆこうとする、国連を中心とした政治的な駆け引きもあるでしょう。
しかし恒星間飛行を可能にしたくらいのテクノロジー差、人類からは奇跡と思われる知識差、ゆけいさんの言うとおり「善行」を行うこともありますが、領有宣言後です。それを人類が受け入れるかというと別問題だと思います。支配確立のための方便と受け取る人もいるでしょう。
しかし一方では限定つきながらも人間精神操作能力もあるのですから、ゆっくり時間をかけて、それこそ姿に似合うような「善行」や「奇跡」を行いつつ、じわじわ支配するということも可能で、むしろそれが最も有効な手段だと思います。が、それを省略したのはなぜかという謎を残すのも、筋立てのうえでは面白いと思うのです。
そう、宇宙戦艦ヤマトで、ガミラスのドメルの代わりに、イスカンダルのスターシアが地球を領有するとするとしたときを思えばよいかと思います。
これまでのSFで、人類一丸となって闘うと単純化されていたエイリアン侵略問題が、一挙に複雑化するのです。
まあ「亭主さんのSFでは教えてくれないそこんところ」なんですねえ。

バチカンでの領有宣言の直後にあるいは最中に、遠距離からのスナイパーの放った銃弾でエイリアンの女性が死ぬという場面もショッキングでよいと思います。
彼らの「再生医療」による死んだと思われた人の復活も、キリスト教徒には衝撃であると思います。
非常に微妙(宗教がらみ)で難しい話ですが、ぜひ誰かが挑戦してほしいと思っています。
バチカンに集合したのですから、もちろんカトリックの法王は精神操作を受けています。
「彼らこそ神の栄光の証」と法王がミサを開いて宣言し、あまつさえ膝を屈して彼らの「御手」に接吻までするのです。
こうしてまず世界人口の多くを占めるカトリック教徒と、その他のキリスト教徒を一気に占領してしまうのがまずかれらの手段でした。
さらに、なんと彼らは「コーラン」にも精通し、古代ヘブライ語にも精通していたのです。
偶像を認めないムスリムたちは騙されまいと警戒を発しますが、しかしすでに多くのイスラム指導者・律法学者や王族たちが彼らの手に落ちていたのです。
まさに宗教的侵略というのは厄介なものだといえます。
エイリアンたちの意図は地球人類の多数が信仰する「一神教」というものの危うさを訴えることになると思うのです。
地球の武力からの防御システムは持ちながら、攻撃兵器らしい物はほとんどなく、超絶的な医療技術や、精神操作能力によるある種の精神セラピーを行うことなど、地球領有宣言後の彼らの行動は、いったい何のために地球に来たのかという深い疑いを人類に投げかけることでしょう。
一番の問題は、彼らが人類と交渉をしないことです。つまり彼らは「たかびー」なのです。

う〜んう〜ん、宗教にはちょっとウルサイ私にとって、こちらも充分に魅力的な構想ではあるのですが・・・。
でもやはり、

>いったい何のために地球に来たのかという深い疑いを人類に投げかけることでしょう。

この「動機」の部分が謎なんですよね。
ここをどうするかによって、成否が決まってくるようにも思います。

ちなみに、ここまで読みながら永井豪さんの「デビルマン」や諸星大二郎さんの「暗黒神話」を連想してしまった私はヘンでしょうか?(笑)
確かに動機は謎です。
しかしいつも亭主が思っているのは、今日の奇妙な殺人事件で、犯人の動機が云々されることへの疑問です。人を殺したという行為が裁かれるべきではないのか、どんな事情があるのかは、やむにやまれぬ情状酌量を求める場合に弁護側が主張するべきで、検察側は冷徹に殺したという事実のみで罪を告発し刑の執行を求めるのでいいのではないかということです。
動機は、言い換えれば容疑者の「言い訳」です。
職業上の理由(暗殺、殺し屋)として殺しました、出所すればまたもとの職業に戻ります、というのか。
何となく気持ちが高ぶって殺しました、次にもやるかもしれません、あたりは量刑を決めることに理由を与えるでしょうが、被疑者がどんな生活・信条の背景で殺したのかは、果たしてゴシップ記事的興味以外に重要でしょうか。

美しくもある意味善行にあふれた「天使的」エイリアンの地球領有の動機も、地球人的には追及したくなるでしょうが、地球人の思考や感覚で捉えるのは困難な、ある意味人間精神とは異質な精神構造によるものかもしれません。それを開明し、地球人的な「動機」の解釈に落ちつくことは、一種の「神の人間化=偶像崇拝」といえるのではないでしょうか。
彼らの新の動機は判らず仕舞いというのが、よろしいのではないでしょうか。むしろその動機をあれこれ推察する人間を描くことに描写を集中させたほうが、読み物として成立しそうな気がします。エイリアンの動機を明らかにしてしまうことは「皮相」な筋立てとなる可能性があります。

どうしても動機というならば、そこに知的生物世界があり、自分たちの支配が可能なら支配し統治するというのが、エイリアンたちにはあまりにも自明なことで疑いを持たないということでもよいと思います。「そこに山があるからさ」と同じ理由です。求めるのは自分たちの統治方針に従うことのみで、略奪も破壊も上前のピンはねもありません。地球人は地球人として暮らし、ただ自分たちはその上位種族として君臨する、それが動機だとするのはいかがでしょう。

亭主は、これからイスラームも関係書物、ユダヤ−キリスト−イスラームに関する書物を読もうと思っています。すでに仏教関係の書物や自ら仏教徒であるとの自覚から少しは知識や信仰心があるのですが、それとこの「美しきエイリアン」の地球領有への関与は、態度が決まらないままです。

ちなみに以前職場の若い衆が「正義の味方は、あくまで味方をしているだけで、いわば《正義サポーター》であり、自らは正義とは限らないない」というテーゼを持ちこんで面白い思ったことがありました。
もう一つ、ル・グインの「エクーメン=ハイン人」も視界に入ってきます。
なるほど。
おっしゃる通り、動機は謎のまま、という方が面白いのではという気がしてきました。
一節だけでも、書いてみたいと思います。
この「人類とは異質な、理解不能な精神」はスタニスワフ・レムの「ソラリスの陽のもとに」や「砂漠の惑星」の鮮烈な記憶がもとになっています。
人類にとって「異形な異星人」は、異質さを感覚的にでも把握することができるでしょうが、そっくりどころか理想化された人間型異星人の持つ精神的異質さは非常に不気味です。
古代人が異星人を見て「神」として祭ったとか、「O・パーツ」=異星人の産物などという素朴で皮相な見解にはうんざりしていて、もっとしっかりと異星人に対する人類の限界を明らかにした読み物が欲しいと思うのであります。
正面切っての軍事作戦では撃退不可能、しかも反撃は一切なし、暗殺は可能だが「再生=復活」する種族。
しかも交渉はしない「たかびー」でありながら人類に慈悲ないし施しをする。一方、知識や技術移転は絶対に行わない。
いったい彼らをどのように考えるのか、この難しい、しかしSF好きなら興味があっても勇気がない読み物、それが、ここでの「書いてほしいネタ」なのであります。
なお、一神教すべてを敵に回し、過激な「原理主義者」ないしは「狂信的信者」に命を狙われるかもしれません。
ぜひともタブーを打ち破ってください
ユダヤ教を先祖とする一神教の神は、人間が地上にへばりついていた時代は、地上と人間と天を作ったことが、これ以上の偉大さがないと断言するのに何の違和感もありませんでした。
しかし宇宙空間に進出し、嫌でも地球が宇宙の無数の天体の一つに過ぎないことを知ってしまった現代人には、神が、その下僕としての人間と住処である地球を作っただけなのか、広大無辺の宇宙を作ったのかという疑問を持たざるを得ません。
まことに、エデンの園で「知恵の実」を食ってしまった原初の「ギャルそね」の罪は重大といわざるを得ません。
さて、宇宙そのものを創造したのなら、この宇宙(宇宙だって一つとは限らないと最近の宇宙物理学は示唆しています)に無数にある天体の中に、地球人より神が愛した種族が居ない保障はなくなります。
地球人が一番だなどというのは、ある意味「神の無限の偉大さ」を第一原理とするなら「冒涜」以外の何物でもありません。人間は神の創造物の中の「出来損ない」であるかもしれないのです。そう解釈すれば、「旧約」聖書にある神の人間に対する理不尽な振る舞いも納得がいきますが…。

コーランにあるように(最近新書でにわか仕込した知識ですが)、預言者はムハンマドをもって最後とするということも保障できなくなります。さらに、シーア派の言う「お隠れのイマーム」が、この完璧な美しさを持つエイリアンだと暗示することも可能なのです。
ムスリムたちは、他の宗教に対しては非常に寛大ですが、イラク・イランを見て解かるとおり、スンニ派とシーア派のあいだでは血で血を洗う争いを行っているのです。

したがって、対エイリアン対策の前に地球人同士が殺しあうという事態が起きるというのが妥当な推測です。エイリアンたちはまったくこのことに関心を示しません。自分たちよりある意味下等な地球人が何人死のうと、それは、ゴンドウ鯨がニシンを丸呑みし、ジンベイ鮫がプランクトンを億単位で食らうのと同じ程度なのかもしれません。
そう、人類は始めて家畜の気持ちがわかるというものです。
どうして、何によって、人類はその尊厳を保つのでしょうか。宇宙的な規模で人類の存在意義を問うというのがこの書物の究極の、終わることのないテーマだといえます。
なるほど。
誰だったかのクローン人間の話で、ちょっと似たようなのがあったのを思い出しました。
それは、高等種族がそうでない人間たちを家畜のようにクローン化して「生産」し、使役するというものでしたが・・・結末はたぶん、クーデターか何かによって支配関係が逆転するのだったように思います。
まあでもその場合、人類自体の存在意義を問われることはありませんよね。
なので、亭主さんの構想の方がずっと面白いと思います!
彼らの最初の占領地は、バチカン、メッカ、メディナ、エルサレム、イスタンブール、など一神教の「聖地」と呼ばれる土地です。そこに強固な防御機構(作動原理はまったくの不可知)を備えた橋頭堡を作ります。
そこは外からは中の景色がはっきり見えるのに、エイリアンがある距離に近づくとすっと姿が消えてしまうというものです。地球人が近づけば地上にいつもと変わらぬ「聖地」の建物があるばかり。
しかし攻撃を受けるとあらゆる物体もエネルギーも、ただすり抜けてしまいます。武装した兵士が行けば境界の中に踏み入った瞬間、聖なる建物の中心を結ぶ反対側へ出てしまいます。
何事もなかったように、エイリアンたちは丸腰で地上を闊歩し始めるのです。

ね、厄介でしょう。「人類に超能力者を出して」などという安易な解決法はお断りです。ただしいわゆる「霊能者」が集められてこっけいな「精神戦」を挑む場面はありです。

結末は?悲劇にしましょうか、それともまたある日突然、エイリアンが全員地球から姿を消しましょうか、その場合最後の文章は、遠い未来、今や全世界で数100万人となった人類の生き残りの白髪白髭の老人が、「昔、神々が地上を歩いておられたころ…」と語り始めるところになるのはいかがでしょう。
これはちょっとA・C・クラークの「モノリス」っぽすぎますか。
少しこの物語の本筋からは外れますが、永らく疑問に思っていたことがあります。
神が全知全能なら、なぜ「最後の審判」までの、永遠と思われる時間と手間をかけて人間を救済しようとするかということです。
この影響は、たとえば「ネシャンサーガ」では「裁き司」を7人も送り、しかも苦心惨憺させてやっと救いをもたらしたり、「ナルニア」でもアスランは自ら作ったナルニア世界で、散々ほったらかしにして住民に苦難をなめさせた挙句、まさに「いいとこ取り」をして救うのです。
そもそもアダムとイブを創造したときに「知恵の実」というタブーという、まるで「撒き餌」のような、ある意味卑怯な手を使って「楽園追放」を行っています。
しかし、今年一人でスキーに行くという閑な時間がたくさんある環境でふと思いつきました。
「人間の永遠は、神の一瞬である」
「人間は時間に縛られるが、神は時間から自由である」
この二つの命題は、物理的な3次元空間存在より高次の物理空間的存在であることを神に認めることになります。
逆に言うと、神が一瞬に成し遂げたことも、人間の次元では長い時間の物語とならざるを得ないということです、そういう思考法しか人間には与えられていないのです。
しかし人間も精神の奥底では、時間から自由になることがありえます。
眠りの中で見る「夢」に、筋があって同時に筋がない(いろんなことが重なり合って同時に起きる)というということを掘り下げてゆく、あるいは仏教で言う「解脱」も一種の時間に対する自由を獲得したといえるかもしれません。

さて、この物語の本筋に戻りましょう。
この美しきエイリアンも「神」に近いところがあります。彼らもまた時間に対して自由(限定的ながら)なのです。
そうすると、復活の謎も、防御障壁の謎も字間に対する自由によって可能になります。もちろん登場する人間にはその謎は、数学的物理学的解釈として想像されるだけで、現実として3次元空間存在である人類には、手の打ちようのないことです。ただ「そうであるかも知れない」と想像できるだけです。

ここから、もう一つ重要な倫理上の問題が出てきます。
「人間に悪と思われる事柄が神にとって悪とは断じることはできない」
「神には善悪はない」

次回はこのことを考えつめたカトリック神父の告白でも載せましょうか。
この物語アイデアに非常に困難な部分があることがわかりました(いまさら)。天使のごときエイリアンたちの地球人類統治方法です。
かつて日本のSF作家眉村卓が「司政官」というシリーズで人類が上位種族となって他惑星の知的生命を統治する話を書いていましたが、この場合20世紀人類の目線で書かれているので参考にはなりません。
ユダヤ教の「トーラー」やイスラムの「シャリーア」のような「神の律法」でありながら人間の生活の細部まで規定した煩瑣なものないのは明らかです。
しかも前提として「ピンはねなし」の「たかびー」ということを考えています。人類に対し自分たちにああしろこうしろと言うことはないのです。しいて言えば、おとなしく「地球という牧場」で彼らの邪魔をせずに草を食んでいてくれればいいというところなのでしょう。
実際問題、人類や地球が彼らにできるものは何もないのです。へつらっても逆らっても無駄なのです。
しかもそれに反したからといって人類に「神罰」を下すことはないのです。
そこでエイリアンの統治とはどういうことになるのかで、はたと亭主は行き詰ったのです。
どなたか想像してみてくれませんか。
エイリアンと人類の問答(問いは人類から答えはエイリアン)

問い;最後の審判はあるのか。
答え;すでに始まっている
問い;人類になすべきことはないのか
答え;人類がなすべきと思ったとおりのことを行えばよい
問い;あなた方は人類の言う『天使』なのか
答え;無益な問いである
問い;あなた方の『律法』はあるのか
答え;人類に対しては答えるすべがない
問い;過去あなた方は地球を訪れたことがあるのか
答え;無益な問いである
問い;最後の審判が始まっているなら人類は生き延びることを許されるのか
答え;無益な問いである
問い;あなた方種族と人類が新たな関係、契約を結ぶことはあるのか
答え;人類次第である、わが種族から言い出す事柄ではない
問い;あなた方は平和を愛するのか
答え;人類の考える平和とは異なる
問い;あなた方は神をどのように思われる
答え;人類の概念に属する神はわが種族には無関係である
問い;それは異なる神が存在するということか
答え;そのような問いは無益である
問い;あなた方の人類に対する統治方針は何か
答え;あなた方が地球というこの惑星系に対し管理観察し我々が自由であるということだ
問い;人類の自由は保障されるのか
答え;人類は自由の意味を知らない
問い;あなた方は仏陀とその教えをどのように考えるか
答え;仏陀とその認識の内容は知っている
問い;仏教とは共存できるのか
答え;我々は仏陀を人類よりも知っている
問い;仏陀の解脱は人類に普遍的に開かれているのか
答え;それは人類が決めることだ

交渉はしないエイリアンですが、「記者会見」はしてくれるかもしれません。でも「たかびー」ですから、答えてくれないことも多いのです。答えようにも実際に人類に理解できるように低次にレベルダウンし得ない事柄もあるからです。3次元立体をいかに2次元平面に投影しても、立体の実像を理解することができないのと同じです。
最後の方の問答で仏教に触れましたが、仏教徒である亭主の贔屓が少々入り込んでいることはご愛嬌というものです。
そうそう、イエスの言葉として有名な「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」ということの意味を一神教の人々は、もう一度よーく考えるほうが良いように思います。
最近知ったことですが、今は「天使遭遇ブーム」なんだそうです。
世界中で「羽根のある伝統的天使、ないし形はなく光の塊としての天使」と遭遇したという報告があり相当数の「教団=セクト」があるというのです。
もちろん負の天使としての悪魔信仰も盛んです(デーモン閣下とは別次元で)。
そもそも天使の存在は一神教と相容れないものであると思うのですが、偶像否定で厳密な一神教を自称するイスラームのなかでも、預言者ムハンマドにクルアーン(コーラン)を伝えた(預言した)のは天使ガブリエルのアラビア読み「ジブリール」です。
キリスト教を父と子と精霊の三位一体で三神教になり、さらにマリア被昇天で四神教になったと非難する、イスラームのなかでも、天使をどう解釈するのかは不思議の感を免れません。天使は神自身ではもちろんなく、人間の霊的存在よりはるかに神に寄り添った存在です。あるいは神の言葉そのもので。ただ人間の知覚のなかでは天使という形としてしか捉えられなかったとすることは可能でしょう。(「人間の永遠は神の一瞬」の延長線)
天使の存在は、仏教における如来の三身と同じく、巨大なダムにあいた小さな穴であるとしか思えません。
ここで、このネタは、天使の四次元性を扱ったハードSFにすることも、天使を仲立ちとして一神教あるいは人類の信仰間について書く「宗教的メタファー小説」にするかという2本の道に分かれることになります。
皆さんはどちらがお好みですか。
では、バチカンで領有宣言するシーンを;

バチカンに集まった男女は、法王を従えて円陣を組んで進み出た。一人の男性が一歩進み出た。バチカンの広場を埋め尽くした人々は彫像のように立ち尽くしていた。男性は濃い茶色の少しウェーブのかかった髪を肩の手前まで伸ばしていた。目鼻立ちの彫りは深く、ある人はギリシアのアポローン神の彫刻を、多くのイタリア人はミケランジェロのダビデ像を、思い起こした。しかし男性の肌の色は浅黒く、眉は黒くくっきりと引かれ、瞳はある人は金色だと証言したが、多くのテレビ視聴者は、褐色であったと思った。
女性(そのなかにはミスユニバースも含まれていた)が13人男性が15人という人々は、一様に古代ローマの白いトーガに似た衣装に身を包んでいた。
やがて浅黒い肌だが歴史上のどの彫刻家も達しえない美しさを持った男性が静かに語りだした。不思議なほどその声は広場の一番後方まで確かに聞こえたのである。
「我々は人類ではない、他の星系から来たエクストラテラトリアン。そして今日ここに地球と人類が太陽系と呼ぶ星系の領有を宣言する。以後の地球とその星系の統治権は我々の手に移る。このことに一切の例外はない。しかし我々は同時に人類がこれまでの生活と政治を行うことの自由を認める。我々による統治とは我々の行動の自由を阻害ず干渉しないこと。つまりこの星系において自由であることである。なお人類の宇宙空間へに進出は制限される。通信衛星のうち軍事的用途のものが存在を否定されてことはその始まりに過ぎない。
今後地球人が何をなすべきか何をなしてはならぬかは、人類の言葉で言えば『ケースバイケース』である」
別の女性が進み出て言葉を継いだ。淡い褐色の肩より長い髪を持つ白人であった。そう、あらゆる意味においてその肌の白さを初めとして白人としての容姿の完全さは、ボティッチェリのヴィーナスやミロのヴィーナスの生きたモデルと言ってよかった。
「我々の統治の概念は人類と共通するところが少ないでしょう。人類の思考様式はもちろん、肉体的存在そのものも共通するところは少ないことをここで伝えましょう。したがって我々と「交渉」することは無益です。我々は人類が宗教的指導者としているある種の精神的な状態を保持する人とは、声明を伝えることは可能です。ここにおられるローマカトリックの法王もその一人です。」
「軍事的な、実に人類の得意とする方法は我々にはまったく無力である。暴力による我々の排除は人類の同士討ちとなることを警告する。間もなくその証が現れるであろう」

ナポリの沖に停泊していた1隻の豪華なクルーザーの後甲板から白煙が上がり。1発のミサイルが発射された。クルーザーはかねてよりアラブ人の富豪であり外交官の所有とされていたもので、その豪華さ以外はまったく見慣れた光景であった。
イタリア軍を初め地中海に展開するアメリカ海軍も、NATO軍も驚きあわてるなか、ミサイルは超低空をテヴァレ川をさかのぼり多くのローマ市民が唖然と見上げる上をバチカンに突入した。
それはまるで特殊効果の映画のような光景だった。バチカンの国境線上でミサイルが消えた。あとでビデオを分析するとまるでシャボン玉のように薄い膜に吸収されるように消えていた。そして同時に突入地点の延長線上命中した。
バチカンの男女たちの沈黙を破り、今度は法王が話し出した。
「神のみ使いと神の子らに祝福を!今こそまことの懺悔と神の恩寵が我らに与えられた。私は神と預言者の啓示を信ずるあらゆる人々の一人として、ここにおられる宇宙からの御使いを祝福したいと思う」
「人類よ、先ほどのミサイルの様子を見たであろう。我々はここバチカン以外にも統治評議会をおくが、先ほどの行いを見て悔い改めることなく別の手段、人類の持つ最終兵器である核エネルギーによる攻撃を加えるのは、愚かさの上塗りになる以上に人類自身の生存を脅かすことになる。我々の評議会エリアは、ここバチカン、イスタンブール、マッカ、マディナ、キエフ、エルサレム、サンパウロにある。その後も確保する地域は増えるか移動するであろう」
「しかし、我々から人類に暴力的手段を用いることはありません。先ほどの人類の思うがままにというのはその証です。また人類同士の争いに介入することもありません。人類の暴力に対する性向は我々には関係のないことです」
科学雑誌「Newton」別冊の「次元とは何か」という、多分事務屋のサラリーマンは読まない本を買いました。
その中で3次元人(縦横高さの3つの次元、もっとも数学的には、整数以外の小数点のついた次元も想定可能)である人間には、立体の本当の姿が見えていないと書かれてありました。確かに、4角形や3角形などの平面図形を完全に眺めることは3次元世界の人でしょう(加わった3つめの次元である「上」から見てこそ、その真の姿がわかる)。
そのことを実感したい人は、立体には必ず見えない面が存在することがあり、それを人間を含む3次元生物は脳神経の作用による視覚(=錯視)で補っていることを知らねばなりません。遠近法などは全くの3次元立体の実像を想像するための方便です。

なぜこんな七面倒なことを言うかと言えば、エイリアンの4次元性をどうとらえるかという数学的な興味がお有りな方がいないかと思ってのことです。
エイリアンの防御機構の数学的な推測場面に用いたいのです。
日記に「鳥インフルエンザ」のことを書いたので、新型インフルエンザとこのエイリアンの関係もおおもしろいかと。

彼らは簡単にこのウイルス感染を克服し、一部の人類には「慈善(ボランティアなのか気まぐれなのか計画なのかは不明)」として治療を行います。
これは「奇跡」として一部の「天使信仰者」に熱狂を持って受け止められるでしょう。
しかし、国連軍を始めエイリアン排除派には苦々しい限りです。彼らがその方法論を開示しないのでなおさらです。
どうしたらエイリアンの「奇跡」にあやかれるのか、また人類は右往左往するのです。相変わらず冷ややかで無関心なエイリアンが闊歩する中で。
エイリアン布告1;
人類の残した精神遺産である「聖なるもの」を敬え。その意味を明らかにし自らのものとせよ。

それはいかなる意味かとの声が世界中で上がったが、エイリアンは一切無視した。

「自分たちが聖地を占拠しているから、そう言ったまでさ。武器があるのやらないのやらわからない奴らだが、人類をおびき寄せて一網打尽にするつもりかもしれないぜ」
「捕まえてどうする?奴隷にでもするか」
「意味ないわ、人類が彼らに尽くせるものなんてあるのかしら」
「実験動物じゃないのか」
「お前、それは昔のUFO関係のテレビの見過ぎだろ。俗説過ぎる」
「そうよ、今更人類のからだのどこを調べるというの?解剖してホルマリン漬けにして彼らの母星に標本として送る?何のため?」
「でも奴らは時に何秒の子供や老人を治療しているって言うぜ。人類のからだに興味がないって訳じゃあないだろう」
「そう言えば、この前イタリアの新聞に重い統合失調症の患者を正気に戻したって話があったな」
「奇跡を演出しているのさ、やらせのインチキ手品さ」
「あら、あなたカトリックでしょう、よくそんなことが言えるわね、イエスキリストの奇跡を否定するわけ」
そうエイリアンはたびたび「布告」を出すことにしたいという思いがあって「22」の記事を書きました。
しかしその布告は「禅問答」のように難解で単一の答えが出るものではありません。
もちろん「人類の暴力・戦争」をやめるようにと言うような簡単な布告は出しません。「12」で述べているように人類通しの殺し合いはエイリアンには関わりのないことだからです。「19」で人類の暴力への性向は自分たちには関係のないことだと言っているのもそのためです。
布告が禅問答のようだと感じた地球人は、エイリアンに対する精神正解として仏教に目を向けることになりますが、現代仏教界は、すでにごー弾ブッダの開いた世界や修行からはかけ離れてしまっていて、まったくの無力をさらけ出すことになりそうです。
禅問答のような布告に「禅宗」の僧侶も「南伝仏教」「密教」の僧も答えを出せないのです。
こうして一神教との問題としていた「宗教的侵略」は仏教にも向いていることが示されるのです。
亭主がいかに現代仏教界への対峙観は、「17」の、

>問い;仏陀の解脱は人類に普遍的に開かれているのか
>答え;それは人類が決めることだ

に端的に表れています。
現在読み返し中の、亭主が崇拝するアメリカの偉大な作家U・K・ル・グィンの「言の葉の樹(原題;THE TELLING)2000年作」は、彼女の「アースシー=ゲドシリーズ」と双璧をなすと言っていい宇宙連邦史もの「エクーメンまたはハイニッシュ・ユニヴァース」シリーズの比較的最近の作品です。
ここで亭主のアイデアと重なる部分を見てしまいました。
一神教(本ではユニズムと表記されている)が徹底支配する地球に来た異星人、特にユニズム絶頂期(つまり一神教に反するものをすべて弾圧し破壊し、現代科学そのほか唯一の海に反する知識技術を有するものたちへのジハードを行っていたとき)、エクーメン本部で教育を受けた地球人の使節が、「守のみ使い」の扱いを受けユニズムを自壊に追い込んみ、一方で残存し地下に潜ったユニストが陰険な攻撃「まやかしの神の使い=悪魔」として、使節によって解放された非ユニストおよびその知識の源である大学や研究施設、図書館などがテロ攻撃を受けるということが、主人公の思い出話として語られています。

このユニズム支配の地球に行ったエクーメン使節の、ユニスト・非ユニストの争いに関する非干渉ぶりは、亭主のアイデアともろに重なっています。
まったく油断のならないおばさん(おばあさんかな)ですが、その描写は本当に参考になります。

亭主がこのネタを本に仕立てることができるまで彼女の文庫本が擦りきれないことを願っています。
どうしても侵略動機が欲しいという、人類至上主義者諸氏へ。
エイリアンは超絶文明を持った種族が残したヒューマノイドロボット、従って、発見した他の星系に知的種族が居住していて支配可能なら支配するというプログラムがなされている、とするのはいかがかな。
もっと皮相かつ醜悪にしようと思えば、世にも美しい(変身によって)ターミネーターが宇宙からやてくる、ただしもっとも効率的な人類支配を宗教的な支配に見いだすとすると、たぶん書ける人は大勢いるのではないでしょうか。

ただし亭主はサイン会には並びませんが。
ユダヤ&カトリック
やがてユダヤ教徒のなかに「彼ら」こそユダヤ人とともに、地球を去り「神の国」に導いてくれるという教説が広まる。
「シオニズム」の宇宙版である。

一方キリスト教徒の中では、思慕鬱したと思われたエイリアンが完全な姿で再び現れたことに対する動揺が広がっていた。
統治評議会領地外を歩く一人に、確かにスナイパーの放った銃弾が側頭部と肥大脇腹に命中し、彼は倒れた。驚いたのは、流れ出したのが赤い体液だったということだった。血液だと誰しも思った。しかもすぐに現れると思われたエイリアンのメンバーはあらわれず、エイリアンはローマの病院から更に死亡確認ご派遣市場へ運ばれたのだった。
絵澱案が銃弾で死亡したということ自体、「人類の暴力は無力だ」といっていたことと矛盾すると思われたし、医師たちはその体を犬歯を理由に、医療検査装置と解剖によって調べることにした。
時間はないと誰しも思い、エイリアンの反撃があるかもしれないという恐怖、すぐに引き取りを要求するか手段不明のまま消え失せると思っていた大部分の人間の予想に反し、犬歯は一切のエイリアンの介入なしに、まるで彼の死を知らないかのように粛々と行われた。
医師は驚愕した、消化器系や循環器系の臓器には違いがあった者のその差は人類とほとんど差異がなかったのである。顔面の皮膚も剝がされたが、一部に根強い疑いがあった「変身」の痕跡は見つからなかった。

そして3日後、死体安置所から彼は忽然と消え失せた。

更に7日後には、バチカンの法王から、サンピエトロ広場で重要な話があるというメッセージが全世界に伝えられた。

エイリアン数人が再び法王を囲んで現れた。その中に、死亡した蓮のエイリアンの男性の姿があった。
法王が言った。
見よ、主の復活と同じなることを!


審判の日が近づいたことを感じて悔い改め、正しい信仰によった生活によって審判のときを待とうとする禁欲的あるいは原理的なセクト(教団)が雨後の竹の子のように現れる。
親エイリアン派「天使派」と「反天使派」との宗教的対立。
キリスト教にもユダヤ教にも、ムスリムの中にも起きる。彼らの集散離合と、血で血を洗う争いの中から「最後の審判派」が台頭してくる。
なかなか浮かんでこなかった冒頭の文章

最初から優勝者が決まっているというミスユニバース大会が果して意味があるのかどうか、UFN(ユニバーサル ファッション ネットワーク)の担当編集チームの主任のフレッド・ミンスキーは、今年のユニバース大会に、どれほどのスペースを割くべきか迷っていた。
同時に、その状況にいつもにない興奮を感じている自分や、スタッフがいることも事実であった。
(やる気半分投げたしたい気分半々なんて俺にも焼きが回ってきたか?しかも俺の気分がスタッフにも漏れちまっている)
この1年というもの彼は休むまもなく各国の大会はもちろん、専門の養成塾のあるベネズェラの、未来のミスユニバースを夢見て目指す少女達や、やはり上昇志向の強いアジア諸国も取材してまわった。
しかし、彼の興味は、イスラエル大会でそれまでの取材が急に色あせたばかげたものに思えてきてしまったのだった。
最近国籍を取得したウクライナ、キエフ出身の21歳、イスラエル人ガブリエラ・ウラディーミナ・キエヴェノーヴァの出現だった。
キエフの児童施設で育った孤児である彼女が、故国(と彼女が主張する)へ来て3年しかならないのに、完璧なヘブライ語を話し、テルアビブ大学の物理の学位を2年で取得した。その後すぐに医学生となり現在はひたすら医師を目指しているという。
驚くべきことに彼女はアラビア語にも堪能で、宗教学の学位なら、論文だけですぐに与えられるであろうとの噂だった。
しかし何と言っても彼女はあらゆる基準から言って美しかった。単に顔立ちをプロポーション表情だけではなく、一度見れば一生脳裏から消えることのない何とも言えない美しさだった。たとえるとすれば、ラファエロの聖母像かダヴィンチのモナリザ、ようにの内部から光が差すような、同時に底知れぬ謎がある美しさと言えばいいのだろうか。
「こんな表現しにくい女は初めてだ」とフレッドを悩ませたのはそこだった。
「完璧な美でいいんじゃないの、それとも生きるモナリザ」
「同じ女から見てどうなんだい本当のところ」
「私はコピーには興味がない、ただ彼女をピンぼけにならずに、美しい中でもひときわほかの誰よりいい瞬間で写真にしたいの、それだけよ。こんな瞬間があったんだってカメラマンを悔しがらせたいわ」
「エチエンヌ、きみのその執念は買うけど、少しは助けてくれよ」
「フレッドいい加減にして、あなたのその愚痴とため息はうんざり。ああっ、もう、なんかあなたの頭の上にも光輪が見えてきそう。『書けない』ってぎっしり字で埋まった直径3フィートぐらいでっかいのがね」
「そういうなよ、光輪が見えるといったのは君だぜ」
「あら、そうだったかしら。彼女の髪はきれいだもの、光線の具合でたまたま写真にそう写っただけ。シャンプー、コンディショナーのCMになかった、そういうの」
「わかったもういい。君に聞いた僕がまちがっていた、年中鳥の巣みたいか、フットボール選手みたいにつんつんに短くしてくるしかない君にシャンプーやコンディショナーは無縁だもんな。でも明日の会場では頼むからちゃんとした格好できてくれよ」
「はいはい、思いっきって、おしりが半分見えるまで背中の開いたドレス着ようかしら、それならご満足?じゃ、フレッド明日からの大会よろしく。私は今から鳥の巣から雛のフンを落としてくるから、コンディショナーで」
「シャンプーが先だぞ、泡が出なかったらそいつはコンディショナーだからな、フロントにバスタブから文句言うんじゃぁないぞ」
背中を向けてひょいと左手を挙げ、男でも腰を痛めそうな機材を右肩に担いで出て行く彼女を見送って、フレッド・ミンスキーは今日何回目になるかわからないため息をついた。
天使はしばしば光の集合体として認識されるようで、その線は外せないかもしれません。
防衛境界膜を出るときに光に包まれるとしましょうか。しかもその光の中のエイリアンの姿は、美しくもあり、冷たく得体の知れない恐れを抱かせる光り輝くもの(一瞬ですが)に見え、一神教徒にはますます天使であるとの確信が芽生えます。
もちろん懐疑論者には「演出」と映りより「インチキ」だと非難と憎しみが増すことになります。
まことに人類は「知恵の実」を食ったせいで、懐疑と盲信の両極端で揺れるのです。
それは不毛な極端でしょう。一神教に箱の近づいてはならない極端が存在することを知ってもらいましょう。
領有宣言後の概略:こんな事象が連続するのではないかと。

軍事的対応と政治的交渉の時期
 アメリカに「聖地」がないことからアメリカの軍事的陰謀だとも思わる

一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)内の対立と抗争
 エイリアン(=天使)の代理人と名乗るセクトの林立
 邪教またはアンチキリストだとするセクト
 最後の審判の始まりだとする宗派などが激論を始める

人類が地球の支配種族ではないことが浸透しはじめ、活力が衰退して行く
 人類に新たな進化をもたらしてくれる期待感が否定され緩やかな絶望感へ
 変わる 
 緩やかな敗北感と無気力感が人類に広まる 

人口が減少しはじめ、技術開発が滞り、先進国文明が緩やかに衰退する
 宇宙産業の衰退から始まる

人類の終焉
 食糧問題やエネルギー問題、感染症拡大にエイリアンたちが無関心のため
 人口は加速度的に減少する                                                           人類の勝利(エイリアンが自主退去することも含めて)には終わらない方がリアルではないかと思います。人類の正義はまったく無視され、敗北する。
とんでもないデストピア小説、あるいは新たな「黙示録」
そんな構想では如何でしょうか。                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
書き手として注意しないといけないのは、エイリアンと人類とのコミュニケーションは対等ではないということ。
人類との間に「愛」とか「慈悲」が生まれる隙は全くない。
かといってエイリアンが人類をさげすむこともない。人間が虫をさげすまないように、同時に、虫を殺しても人間が大して罪悪感にさいなまれないようにエイリアンも人類の生死には無関心。
反捕鯨を主張する国々の宗教的背景を見ると、一神教の強力な価値観に洗脳されているのを感じる。
しかしそれを逆手に取ると世界征服は容易、かつ支配力は強力で、人類が自ら進んで自分たちを縛り、支配者に協力する。
どのような叙述にするか?
新聞雑誌の記事として、時々エイリアンとのインタビュー記事、ドキュメンタリーニュースの記述として描いて、読者の想像力でさまざまな具体的シーンを構成してもらうようにする手もある。
恒星感飛行や時間の逆行などから、4次元以上の高次空間との関連がうかがわれるが、示唆(人類の想像)にとどめ、詳しいメカニズムには立ち入らない方が良いだろう。

人間が自分たちの理解を超える技術や物理に対してあれやこれや迷う描写がかえってリアルであるとおもわれる。
古代分明の謎へのアプローチと同じと考えればよい。
ジャーナリストの「私」が見聞きした一人称のほうががリアリティがあるかも知れない。
要は、謎は謎のまま、普通の人間が見た、美しくも高貴な宇宙人の宗教がらみの地球人類支配という不条理さを描かねばならないということだ。

南北アメリカの先住民やオーストラリアアボリジニが、ヨーロッパ白人支配に感じたであろう不条理はまだ人類同士で救いがあったが、暴力を含む抵抗をした者も、支配を受け入れたものもやがて自らのオリジナルなアイデンティティや尊厳性をゆっくりとしかし不可逆に衰退させてゆく、神々の黄昏ならぬ人類の黄昏をもたらす、イライラするような侵略。
トランプ大統領の「エルサレムへのアメリカ大使館移転」発言で改めて、エルサレムにエイリアンが君臨するということの世界に与える衝撃の大きさがわかる。
現在の地球人を屈服させるには、ニューヨークの壊滅ではなく、このような宗教適正値と宗教指導者の陥落であろう。

宗教心が薄いとされている日本人も伊勢神宮と富士山がエイリアンに占領されたら、東京が占領されるよりへこむ。
エイリアンのバリアによって富士山が見えなくなったら、たぶん日本人は戦意を喪失する。
日本で、例えば、伊勢神宮が「評議会」になっても日本人は大して脅威は感じないだろう。このあたりが「多神教」のやっかいなところかも知れない。伊勢神宮のかわりに皇居としても東大寺であっても事情は変わらないだろう。
それゆえ、日本人は、客観的な観察者・評論家としてかかわることにとどめよう。
Eテレ月曜夜10時25分から放送されている「100分de名著」をみるまで、ACクラークの名作「地球幼年期の終り」を読んだことがないという失態に気づいた。
突然やってきて人類を統治するエイリアンは、西洋キリスト教徒替えに描いたサタンそっくりだった、そのことが人類に与えた衝撃が書かれていると言う。
ぬかったわい。
やっと最近「地球幼年期の終り」を読み始める。
んーーーーーー、理性理想主義に傾きすぎるところは気になる。

我らが「天使」たちは、人間同士の戦争には無関心ということにしておこうと思う。戦争が起きれば橋頭堡たる「聖地」に避難する人々がいるだろうが、難民キャンプとして開放せず、防御機構は解除したうえで「天使」たちは姿を隠す。流れ弾が避難民を殺傷して人類はそのことに気づく。
幼年期の終わりは、精神の優越と神秘的ヒエラルキーが偏って平板である気がする。多様性を描くようでいて最終的には唯一の精神の門をくぐって最終的な開放(天国)に至る一神教色が濃い。一番いただけないのは、異星人が喋りすぎて種明かしをしてしまうこと。
デビルマン似の異星人に、最終的には飼いならされ、狼から犬に「変化する」にしても、その過程こそ人間の面白さがあり読む価値がある(だから誰か書いてほしい)

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