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看護師を守るコミュの緩和ケア

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日本ホスピス、在宅ケアの大会に行きました。
まとめたので乗せておこうと思いました。
参考になれば…


第16回日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大会IN千葉
H18.7.12山崎章郎講演

スピリチュアルとは
「人間の存在を構成する要素」今までは…

精神的、身体的、社会的、スピリチュアルが同レベルと思っていましたが…



それでは、スピリチュアルとは?

スピリチュアルとはについて書かれた書物の紹介
村田久行 「正常な人間は、神、霊を考えない。死に直面すると、神・霊の存在を考える。」
藤井美和 「人間は生きる意味を考える。スピリチュアリティは人間を構成する要素。」
窪寺俊之 「人間は意味や目的を見出そうとする。」
Baldacchino,Draper 「スピリチュアリティは、新しい価値観を勝ち取る、肉体に支配されない。」

スピリチュアリティとは身体的、精神的、社会的と、同レベルではなく、人間の根源であるとの考え方に変わっていくと考えられる。通常の人間はスピリチュアルはかんがえていない。すなわち、すなわち、
死に直面した患者は死までの生きる時間の意味や目的が見出せず苦しむことになる。
そうなると、人間の根源であるスピリチュアリティーが働き出し、死までの生きる時間の生きる意味、目的(=新しい価値観)を見出せるようになるのではないか?

患者の「つらい。死にたい。」との訴えは、生きる意味や目的がわからなくなり、新しい価値観を見出したいという表れ。⇒スピリチュアリティが働き始めたと捕らえられる。

ケアをするものはスピリチュアルが働き出すようにかかわりを持つことが大事!



コミュニケーションの方法
傾聴、共感、具体的にケアを行い継続する⇒「一緒に生きていく」ことになる。
傾聴の方法
(1) サインをメッセージとして受け取る
(2) メッセージを言語化する
言語化したメッセージを返す(反復する。反復することは患者の言語の確認となる。)
周像恒之 コミュニケーションカウンセリング理論
患者「死にたい」…ケアする者「本当に死にたいよね」
患者「つらい」…ケアする者「つらいよね」

(3) そこで成立した満足、安心、信頼関係を基礎にして…
信頼関係が築けると「ケアしているものの姿が患者自身の鏡となる」(ミラーリング)
ケアしている者の姿から生きる意味を見出すことができるようになる。
(4) 相手の思いを明確化する。

また、
患者は最期が近いことを悟ったときに「死にたい」というのではなく、失禁したときや、オムツになったとき(スピリチュアルペイン=自分らしさがなくなり、生きる意味を感じ取れなくなったとき)終わりにしたい「死にたい」と思うそうです。


関り方のPOINT
「人は死んだらどうなるか?」
日本人は「あの世」
クリスチャンは「生まれ代わり」「別の世界」
というように死んだ後のことを自然に考えている。
「死」に近い多くの人が「あの世があるような気がする」と話しているそうです。
⇒ケアをする者が死んだ後のことをタブーとしないように心がけることは必要で、
死んだ後のことを話す患者に対して
「そんな事言わないで」は×
あの世に対して自分の率直な意見を返事が大事。誰も死んだ後のことはわからないので、死に近い患者は知らない世界にいくことに恐怖を抱くため、恐怖の対する関りとして心を開かせるように関れたら最高!

家族ケア
生命の最期の、息の仕方、顔色、体温、目の動きなど、生命の最期を家族が受け入れられるようにオリエンテーションすることは大事なのではないか?




コメント(11)

スピリチュアルが働き出すような看護。

どうしたらいいか?ってずっと考えていました。
そうしたら、フッと思い浮かんだのが「悦び」という言葉。

それも出生時に周りが抱く悦び。
それは「トイレでうんちができた」とか「ご飯を食べた」とか夜泣きしていた赤ちゃんが「寝た」とかそういうのって人間の根源で感じる「悦び」

その悦びを援助するケアがスピリチュアルが働き出すケアではないかと気がつきました。
例えば、泣く子を母親がトントンして寝かせることとか、痛いところをさすってあげるとか、そういうケアがスピリチュアルが活動し始めるケアのような気がします。
いま、実行中です。
また、何か感じたら記録してきます。


>患者は最期が近いことを悟ったときに「死にたい」というのではなく、失禁したときや、オムツになったとき(スピリチュアルペイン=自分らしさがなくなり、生きる意味を感じ取れなくなったとき)終わりにしたい「死にたい」と思うそうです。

残すところ、あと、何日か?
そういう状態の患者さんがいて、トイレに行くのもフラフラで、一日中そばについているご主人がいる。
朝の引継ぎで、バルンを入れたほうがいいのではないか?とのことだった。

瞬時に私は入れたくないと思った。
そこで、日中、排泄をどうするか?本人とご主人に相談した。

バルンを入れること、オムツを当てること、今のままトイレに行かせてあげること、ご本人らしい手段を選びたいと伝えた。

ご本人は、もうろうとしていて返答できず、ご主人の意向を聞かせてほしい。と聞いたところ、
「できるなら、尿の管は入れてほしくないんです。私は大丈夫ですから、手伝っていただけるなら、最期までトイレに行かせてあげたい。多分、妻もそう思っていると思います。」

そう!そう!
自然体がいい。いい。
最期までトイレに行きましょう!
お手伝いさせていただきます。

尿意を感じてからトイレに行くと間に合わないので、一日に2回、トイレ誘導の時間を作り、ベットでトイレまで搬送し、そこでトイレへトランスする計画を立てた。

最期まで、人間らしく。
最期まで、その人らしく。

事故がありませんように。




最期までトイレ!を望んでその希望をかなえようとして、そして結果失禁させてしまった。

失禁なんて、医療者側から見れば簡単に始末できることだけど、個人で考えればどんなに恥ずかしくてどんなにやるせなかったことだろう…
申し訳なかった。

尿とりパットだけでも当ててあげるべきだったと思った。
私の患者さんが他界されました。

意識が朦朧としてくる中、身の置き所がなく座ったり寝たりを繰り返しフラフラとしていた時、ご主人が患者さんのベットに座り、座椅子代わりとなり、夜な夜な足をさすって寝かせ、いよいよ体が動かなくなると、ベットの隣に自分のソファーベットを寄せ、手をつないで寝て…
そうやって過ごした日々は約2週間。
途中、ひげもそらず疲れた表情を見せたご主人。
それでも、笑顔で私たちに「ありがとう」といってくれる。

最期のとき、私は不在で、ご主人も私も、最期が近いことを意識していて、前日の夜中「これで帰ります」と挨拶をすると、「ありがとう」と握手してくれた。
両手で握り返して、わたしも「ありがとう」と言った。

息も絶え絶えの奥様の傍らにいつも寄り添うご主人は「看病もできたし、妻もこんなに頑張ってくれたから良かったです」と、笑顔を見せてくれた。

とても素敵な最期だった。
素敵なご夫婦に出会えた悦びは、緩和ケアに居続ける私にとって最高の経験だった。

この事例で、家族ケアは重要であると意識付けられました。
緩和ケアの定義を載せておきます。

緩和ケアとは
緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関して、きちんとした評価を行ない、それが障害とならないように予防したり、対処することで、 クオリティ・オブ・ライフを改善するためのアプローチである

緩和ケアは…
・ 痛みやそのほかの苦痛な症状から解放する
・ 生命を尊重し、死を自然の過程と認める
・ 死を早めたり、引き延ばしたりしない
・ 患者のためにケアの心理的、霊的側面を統合する
・ 死を迎えるまで患者が人生を積極的に生きてゆけるように支える
・ 家族が患者の病気や死別後の生活に適応できるように支える
・ 患者と家族-死別後のカウンセリングを含む-のニーズを満たすためにチームアプローチを適用する
・ QOLを高めて、病気の過程に良い影響を与える
・ 病気の早い段階にも適用する
・ 延命を目指すそのほかの治療-化学療法、放射線療法-とも結びつく
・ それによる苦痛な合併症をより良く理解し、管理する必要性を含んでいる
「期待」「希望」「大丈夫」
緩和ケアに入ってから、ずっとこの言葉が引っかかっていた。
ナチスドイツに強制収用された人々は、希望を胸に抱きながら最期の時を待ったそうだ。
希望がなければ生きていけない。と色んなものに書いてあった。
ユダヤ人は何に希望をもっていたのか。

期待、希望を調べると、同じような意味が書いてある。
でも、使い方は違う。

使い方を考えると期待は結構具体的で自分の思いが入っていることが多い、希望は期待より大枠の抽象的な使い方をするように思う。
例えば、「うちの子の将来に期待する。」⇒将来、こんな職業についてほしい。とか、優しい人とか。
「うちの子に希望する」とは余り使わない。

また希望は、
生きる希望を持つ。のように何に希望をもつか具体的にはわからないような使い方をすることが多い気がする。

死を悟った人に希望を持たせるとき、何に希望を?と具体化するのはとても難しいと思っていて、本人も何をしたいのかわからないんだとおもう。だから「貴方らしい生き方ができる」と希望を持たせ、「大丈夫」と貴方らしい生き方ができることを保証してあげることが大事だと、今日結論がでた。
(また変わるかもしれないけど)

大丈夫とは、とても曖昧でいい加減な感じがして使いにくかったんだけど、大丈夫と言ってもらった人は強い気がする。

「貴方らしく生きられるように私が支えます。大丈夫だよ。」
と言ってあげるのは、大事なようにおもう。
今日は病棟のミニコンサートでした。

マンダリンと、ギターの奏者がボランティアで約40分弾いてくれました。
患者さんたちは目をつぶって聴いていました。
患者さんのご家族も患者さんの横に座り、同じように目をつぶって聴いていました。
テンポの早い曲や、知っている曲になると、ハミングしたり、一緒に歌う人もでてきて、
最期にリクエストに答えます!と奏者が言うと、
一人の患者さんが「ハイ!」と手を挙げて懐かしの映画音楽をリクエストしました。
奏者の人は聞いた事がある程度の曲だったようですが、即興でナントカ弾き終わり、
場は和やかなムードに包まれました。

病を抱え、死に向き合わなければならない患者さんたちが、一瞬その苦しみから解放された瞬間でした。

一瞬でもいいから、病や死や治療の副作用から開放できる手段は一つに音楽があると思いました。
このコンサートにあたり、友人がポスター作成を快く引き受けてくださいました。
1枚はポスターで、もう1枚は奏者紹介のもの。壁に貼るのとは別に小さく両面に印刷した、コンサートのポスターを何十枚か作り、レク室において置いたら、患者さん達が自室に持ち帰ったようで、コンサートの時は、入場券のようにそれをみんな手にして集まってくださいました。

沢山の方々に支えられながら、毎月綱渡り状態でコンサートを開催しています。
演奏してくれる人を探すのも一苦労。沢山の批判もあって、何であたしが!って思いになることも。

だけど、ありきたりだけど、患者さんの笑顔を見るだけで頑張れちゃうのが看護師の宿命でしょうか。
来月もコンサート、ナントカ開催しないと。
意気消沈。
看護師としてターミナル患者とその家族にかかわらなければならない。それはわかっているけど、どうしても患者やその家族の一員と錯覚するほど同じ気持ちになってしまいます。
一緒に悔やみ悲しみそして意気消沈する。
精神が持たない。

そんなに患者さんの気持ちになったら疲れるでしょう?
私ならそうはしない

そう、別の看護師に言われた。
私も、看護師の立場で接することができたら。
看護師になり10年は過ぎているけど、いまだに死は慣れない。


患者やその家族と別の立場から全体を看ることが少し出来るようになったような気がします。

家に帰りたい患者
家に帰りたいけど家族に迷惑をかけたくないから家に帰らないという患者
家につれて帰りたい家族
家につれて帰っても何もしてあげられないと連れて帰れない患者

答えは一つではないし、どんな方法を見出しても最期に死がくると悔やみが残る。
それでも、いつか私たちと出会えてよかったと思ってもらえる時がくるのであれば
やってよかったのかなと思う。





6/18東京で行われた緩和ケアの学会に出席しました。

私が最近経験した事例で…
肺がんの67歳男性、化学療法を繰り返していましたが、いよいよ症状コントロールが不良になり、
麻酔科ではなく呼吸器内科で入院。
飲めないって行っているのにいつまでも内服のオピオイドが指示されていた。
飲めないもんだから余計につらい症状は悪化しているのに、懸命に付き添う妻の前で治療をあきらめる訳にはいかず「先生、お願いだよ。もう少し生かしてくれよ。治療してくれよ」と話す。
妻には「もう、治療の出来る段階ではありません。週単位で悪くなっていくでしょう」と話されていた。
妻はそんな先生の話と、夫の生かしてくれ…の間でどうしていいかわからず…
医療者からみれば、即座に緩和ケアを重視すべきところなのに、本人をうまく納得させられず
症状緩和が進まないで時ばかり過ぎた。
受け持ちの看護師が「先生が治療は出来ないって患者に言わないからあきらめられないだ!」って
言うけど治療が出来ないって言って患者さんは治療が出来ないことをあきらめられるのだろうか?って
感じていて、どうしたらスムーズに緩和ケアを遂行できるのか悩んでいる。そんな事例がありました。

今回学会で千葉県がんセンターの緩和ケア外来医師 坂下先生という方の口演を偶然聞くことが出来て一挙解決したので忘れないうちに明記しておきます。

緩和ケア外来に来る患者には
・支持的な環境を与えること
・今までの闘病生活でつらかった時期を過ごしてきた事に配慮する
・情緒的サポートに心がけ今後の生活に対し安心感を持たせ保障する
事を念頭に話を始める。

そして具体的には
1、二つの目標を患者に提案する
実際には治療が出来ないけかもしれないけど「治療もがんばりつつ、今の生活をもっと楽にすることも考えてみませんか」と化学療法の中止は宣言せず、まず今の痛み、だるさ、不眠などなどの症状緩和が可能な事を伝える。
2、最善なことを期待しつつ思うようにならなかったとき(最悪)のことも考え始めてみませんか。と提案する。
3、絶対に私たちはあなたを見捨てません。と保障する

また、積極的治療をしている多くの医療者が緩和を最期の科、治療をがんばってきた人に対して最悪な状態になったら行く科というイメージを患者に与えることがいまだに多い。
確かにそう捉えられても仕方ないけど
坂下先生は「普通の生活が出来ることを目標にするために回る科」と緩和をポジティブに患者に伝えているとの事。
私の事例では、緩和への移行が困難だったけど治療をあきらめられない患者に対して
化学療法をがんばってきたことを認め、薬の使い方によって今はもう少し日々楽に過ごせることを
目標にすることを提案してあげればよかったんだと思う。

彼は十分な症状コントロールが付かないまま、ケア中に心停止となりました。
癌で苦しませない方法があるのに、まだまだ十分なコントロールをしてあげられず最期を迎える人が
多いように思います。

死にたい

という言葉。
身近にいる人やこれからまだ、先のある私たちにとってとってもつらい一言を聞いてしまったような…
でも、やっと最近わかってきて

そうだよね。ずっとがんばってきたんだもの。
つらかったよね。そう(死にたい)も思うよね。その思い、ずっと言わずに一人で耐えてきたんだね。

私はマラソンをしてますが…
走りきりたい。あそこまで走れば終わるってわかるから、そこまでがんばれる。
だけどターミナルの人たちはどこが終わりだかわからない。
ながく苦しい闘病生活のうちに心身ともに疲れ果てて
もう終わりにしたい。死にたい。と思うんだろう。

死にたいと言ったその人に「そんなこといわないで」なんて
まだ、苦しみ続けろといわんばかりの一言なんじゃないかって最近思うようになった。
死んでほしくない。そんな思いで言う言葉だけど、
いままでがんばってきたから、もういいでしょ?と心の叫びを話してくれるそんな
言葉のような気がします。

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