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アール・ヌーヴォーコミュの【人物】アルフォンス・ミュシャ

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このトピックはアルフォンス・ミュシャの作品や人物像といったことの知をシェアする為のものです。
皆さんのミュシャに関する知を書き込んでください。
多くの知が集まり、皆さんのミュシャとアール・ヌーヴォーへの造詣が深まることを期待しています。

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アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha, 1860年7月14日 モラヴィア・アイベンシュッツ(イヴァンチツェ) - 1939年7月14日)は、アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。「ミュシャ」という表記はフランス語の発音によるものだが、チェコ語の発音では「ムハ」となる。

多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。代表作として『ジスモンダ』、『黄道12宮』、『4芸術(詩、ダンス、絵画、音楽)』等があげられる。



【プロフィール】

チェコに生まれたミュシャは、ミュンヘン、パリにて美術を学んだ。彼の出世作は1885年、舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した「ジスモンダ」のポスターである。威厳に満ちた人物と、細部にわたる繊細な装飾からなるこの作品は、当時のパリにおいて大評判となり、一夜にして、彼のグラフィックデザイナーとしての地位を不動のものとした。またサラ・ベルナールにとっても、この「ジスモンダ」が、フランス演劇界の女王として君臨するきっかけとなった。その後もミュシャは「椿姫」、「メディア」、「ラ・プリュム」、「トスカ」など、サラ・ベルナールのポスターを制作している。

サラ・ベルナールの他、多くのポスターの制作をおこなっている。煙草用巻紙(JOB社)、シャンパン(モエ・エ・シャンドン社)、自転車(ウェイバリー自転車)などのポスターである。これらは女性と様式化された装飾の組み合わせが特徴的である。

ポスターに並び、装飾パネルも数多く手がけている。2点ないし4点のセットの連作が多く、いずれも女性の姿を用いて様々な寓意を表現している。代表的な作品には以下のようなものがある。

* 『ビザンティン風の頭部』-「ブルネット」、「ブロンド」;(1897年)
* 『四芸術』-「詩」、「ダンス」、「絵画」、「音楽」;(1898年)
* 『四つの宝石』-「アメジスト」、「エメラルド」、「トパーズ」、「ルビー」;(1900年)
* 『四つの星』-「明けの明星」、「北極星」、「宵の明星」、「月」;(1902年)


また、忘れてはならないのが挿画本分野の作品である。

パリでの初期苦闘時代、ミュシャは雑誌の挿絵によって生計を立てていたが、次第に認められ、パリの大出版社、アルマン・コランの挿画家として活躍するようになる。最も評価の高い挿画本のひとつで、東洋的な情景をドラマチックに描いた「白い象の伝説」、 33点の木版画が挿入され、「白い象の伝説」と共に名高い「ドイツ歴史の諸場面とエピソード」も、同社から出版された作品である。代表的な作品には、年代順に以下のようなものがある。

* 『白い象の伝説』(1894年) 木版画
* 『ドイツ歴史の諸場面とエピソード』(1896年)木版画
* 『トリポリの姫君イルゼ』(1897年) リトグラフ
* 『アダミテ』(1897年) 木版画/フォトレリーフプリント
* 『ラマ』(1898年) リトグラフ
* 『主の祈り』(1899年) リトグラフ/版画集
* 『クリオ』(1900年) リトグラフ
* 『UTOK MORE』(1922年) プリント
* 『ANDELICEK Z BAROKU』(1929年) プリント/サイン入200部有

宗教的思想に裏付けられた文学的解釈、それを美へと昇華する芸術力。挿画本分野において、ミュシャは独自の、そして輝かしい業績を残している。

商業的に成功をおさめ、財政的な心配のなくなったミュシャは1910年、故国であるチェコに帰国し、20点の絵画から成る連作「スラブ叙事詩」を制作する。この一連の作品はスラブ民族の歴史を描いたものである。スメタナの組曲『わが祖国』を聴いたことで、構想を抱いたといわれ、完成まで20年を要している。また、この時期にはチェコ人の愛国心を喚起する多くの作品群やプラハ市庁舎のホール装飾等を手がけている。1918年にハプスブルク家が支配するオーストリア帝国が崩壊し、チェコスロバキア共和国が成立すると、新国家のために紙幣や切手、国章などのデザインを行った。



【出典】

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/
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【関連コミュニティ】

[ミャシャ ムハ ミュシャ ムシャ]
http://mixi.jp/view_community.pl?id=382
[アルフォンス・ミュシャ]
http://mixi.jp/view_community.pl?id=31747
[アルフォンス・ミュシャ]
http://mixi.jp/view_community.pl?id=60940
[ミュッシャ]
http://mixi.jp/view_community.pl?id=280009
[アルフォンス・ミュシャの挿画本]
http://mixi.jp/view_community.pl?id=266794
[与謝野晶子『みだれ髪』]
http://mixi.jp/view_community.pl?id=53218

コメント(15)

MYUMYUさん!!
ありがとうございます!!

そのようなところがあるのですね!!
調べたところによると、他では観られないような大型の作品も展示されているとか。
興味深いです!!

与謝野晶子とミュシャは同時代を生きてますね。
与謝野晶子の『みだれ髪』の挿絵はミュシャの影響がみられます。
その関係で与謝野晶子館とミュシャ館が併設されているのでしょうかね??
堺市のミュシャ作品は、カメラのドイの
社長さん(故人)が集めたコレクションが
寄贈されたものです。

社長さんは信州の伊那にミュシャの美術館を作る予定
でしたが、急死されたために美術館建設は中止となり
コレクションが堺市に贈られたと聞いております。

粒の揃った収集で、ドイ・コレクション時代に
展覧会に出品されたものもございますね。
はじめまして。私は2年前くらいにミュシャ館に行きました。
実物みて圧巻でした。
それまではポスターとか本とかでじゅうぶん好きだったのに、
何色も色を重ねた絶妙な色具合などは、当たり前のことですが
今まで愛していたマイ・コレクションとは比べものに
なりません。。。
こんな素敵な絵がメニューやポスターに使われていたなんて。
こんな贅沢な時代に生まれたかったなぁ。

与謝野晶子とミュシャの関係は、明星(だったかなぁ)の
表紙にミュシャの絵を使用していたそうです、確か。
晶子さんは堺市の出身なので、それもあって両館が併設
されているのではないでしょうか。。。
アナスタシアさん!!
いつもナイスな情報を提供していただき、ありがとうございます!!


青い鳥さん!!
はじめまして!!
おお!!ミュシャ館に行かれたのですね!!


ミュシャ館と与謝野晶子館との関係ですが、
これは特に意図して併設されたものではないようですね。
土居氏のご夫人が、新婚時代を堺の浜寺で過ごされた良き思い出から、
1993年に堺市に寄贈したもののようです。
因みにミュシャ専門の美術館・常設展示施設は
世界的にもこの堺市のミュシャ館だけのようです。
はじめまして。
クリムトのコミュニティで僕のHPが紹介されていて、その縁でmixyにご招待いただいたのですが、元来BBSが苦手で、書き込むのは初めてです。
ちょっと緊張気味ですが、堺市のミュシャ館のことが書かれていたので、思わず・・・

家が近いこともあって、ミュシャ館にはときどき行きます。
ミュシャ館併設の経緯はぼやぢさんのおっしゃる通りなのですが、やはり明星との関連展示が多く、面白いです。
リトグラフはもちろん、下絵などの展示もあって、それに大物ではウミロフミラーなど、とても充実した内容です。
あのミラーを見たときには、感動でした!

地元、大阪にミュシャ展がやってくるのは、11月・・・待ち遠しいです。
先々月だったかな・・・ルノワールの《ブージヴァルのダンス》を観に、名古屋ボストン美術館に行ったのですが、その時、ミュシャ展は名古屋で開かれていたんですよね。
でも時間が無くて、涙を飲んだのです・・・とほほ

実は僕のHPで、世界の名画を元にPC用デスクトップ壁紙を週替りで作って掲載しているのですが、今週までミュシャ特集です。
興味&お時間がありましたら、ご覧ください。
Stephanさん!!
初めまして!!
書込ありがとうございます!!

ふむふむ。なんか益々興味をそそられます!!
(しかし、堺は遠いな・・・。)

おお!!サイト、隅から隅まで見させていただきましたよ!!
素敵なサイトです!!
(サイト・・・心打たれて、ちょっと泪が零れてしまいました。)
ありがとうございます。
早速いらしてくださったんですね。
あのコーナーは、HPを作るきっかけになって、最初に作った部分なんですよ。
あまりに個人的なことばかり書き連ねていますので、はずかしいです。

ミュシャは、リトグラフよりも、後期の油彩やテンペラに惹かれます。
でもやっぱり、主流はポスターや装飾パネルなんでしょうね (^_^;)
初めまして。MIXIに参加したばかりのManyaです。
こんな素敵なサイトがあったんですね。感激です。

19〜20世紀初頭は、ヨーロッパのアジア諸国植民地支配の時代で、ヨーロッパの文化人の目がアジアに向けられており、そのような環境があの独特の文化芸術を創り上げたのでは、と思っています。

チェコにある教会や美術館の天井画は、ミュシャの手によるものでほーと感動しながらみていましたが、パリ時代の装飾ポスターの方が魅力的に感じました。あのイメージが強いせいでしょうね。きっと。
初めまして。ミコと申します。

アルフォンス・ミュシャの美術館は故郷のチェコ、プラハにもありますよ。http://www.mucha.cz/ 

Manyaさんがおっしゃるように、パリからチェコに戻ってからのミュシャは建築の装飾も手がけていて、特に市民会館の壁画には圧倒されます。コンサートのチケット自体が安いのですが、更に安い天井座席を買って、演奏中に一人上を見上げて首を痛くしていたのは、たぶん私だけだったと思います。

ただ美術史的にいえば、1848年のヨーロッパでの反ナポレオン革命以降は、国民国家の建国運動や民族運動が各地で高まり、これまでは王族や中央の嗜好が多いに反映されていた美術や建築様式にも、『自分たち民族の独自性』が追求されるようになります。これがいわゆるナショナル・ロマンティシズムで、ミュシャがスラブ神話や民族衣装をモチーフに選んだり、私の住んでいるスウェーデンでも北欧神話や伝統行事をカール・ラーション(この人はミュシャの路線そのものです)が作品に使ったりという現象が見られます。

この時期にブルジョア階級が台頭してくると、王侯貴族とは一線を画した、自分たちの好みにあったスタイルを求めるようになり、それがアール・ヌーヴォーを支える経済力にも繋がったと聞きました。アール・ヌーヴォーはヨーロッパの周辺地域、特に東欧や北欧などでは、ナショナルロマンティシズム運動と結びついて、ベルギーなどのいわゆる正統派とは一線を画していて面白いですよ。建築に関していえば、モチーフや建材も地元のものが使われています。プラハでは筋金入り正統派のアール・ヌーヴォーが見られましたが、ミュシャがそこにパリ的な絵を持ち込むのではなくて、自民族を讃える壁画を描いているのが当時を物語っていて、私は面白いと思います。当時彼はこの壁画について、あまりにもモチーフが暗いので酷評されたそうですが。

新参者なのに長く書いてしまってすみません。
初めまして
わたsunです。
結構前になるのですが、上野のミュシャ展行ってきました。上野にあんなに人がいたの見たの久々でした。出店数も結構あって面白かったです。やっぱジスモダンのポスターよかったです。生でみたの初めてだったんで感激しました。
やっぱりジャポニズムの影響ってすごかったんですね。
こんなに世界の芸術の姿を変えちゃったんだと思うと鳥肌もんです。ジャポニズムの黒線がミュシャを作り、それがいま漫画という形に反映されて世界中に愛される…やっぱり凄い!
ミュシャは今の世の中に愛されているのは、今の美的感覚とよく噛み合ってるからであると私は思います。
例えばピカソは美術史を分かってる人か、何となく好きっていう人か、波長のあう人でないと好まれなかったり、分からなかったりするのに対し、芸術を全く知らない人でもミュシャだけは好きという人が沢山いる。それがいい証拠なんじゃないかしらん…
アールヌーヴォーにおいて、当時から出てきだしたポスターは、漫画には劣るけども、エンターテイメントに長けているものであり、その分芸術が市民により近くなった時代でもありました。
つまり伝わりやすく低価格で大量生産が可能だったため、町中にそのポスターが張り出されました。知ってると思いますがロートレックなんかが有名で、当時は張り出されたポスターが盗まれたりしたそうです。ミュシャはどうだったんですかねw
文字の他にエンターテイメント性をよりだすには、描かれた物の見え方であり、表情であり、構成であり芸術性というより、いかに物が売れるデザインであるか、というのが重要になってきました。
その中でミュシャは幾何学模様、植物を巧みに使い、抜群の表現力でそれをこなしてきました。
そのパッと見の分かりやすさや、思わせぶりな美女たちの美しさが、見る人の心を掴んで離さないのだとおもいます。
それこそが今のデザインの考え方の根源とよく結びついているので、古さを伴わない内から差す光のような美しさを私たちに感じさせるのではないのでしょうか。
よくわからないですがそんな気がします。。。
  長くなっちゃってすいません↓
教えてください。堺市のミュシャ館はお休みの日とかあるのですか?一度数年前に遠くまでいってみた所、何かの都合で臨時休館日でした。もしこの質問が以前にあったのならごめんなさい。最近このコミュニティーを発見して参加したもので・・・。
☆まいまい☆さん、初めまして。
コミュニティに参加ありがとうございます。

堺市立文化館の休館日は堺市文化振興財団のHPによると以下の通りです。
◆第2・第4月曜日
◆年末年始
◆展示替え等で臨時休館になることもある

堺市立文化館に関するトピックは以下に。
[堺市立文化館]
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2505844
ぼやぢさん、教えていただいてありがとうございます。今はロンドンに住んでいるので、今度帰国した時に必ず行ってみたいと思います♪
はじめまして!
ミュシャの描く女性の肌をめざした石鹸を販売してます。

http://uluru-sato.jp/mucha.html

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