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カマクラ号 ファンクラブコミュの5月3日のミーティング内容

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ルイさんが開いてくれた5/3のミーティング内容をアユさんがまとめてくださいました。ありがとうございます。

ルイさんのお話:

タイガーがホクレアとともに歩む道は、海を愛する心から始まりました。 彼は1998年に日本へ来て、多くの日本人たちと出会い、そしてカヌー・カマクラを造る夢の実現へと動き始めます。 今日この部屋にディスプレイされている品々、写真などから、彼の思いを感じてください。 カヌーに帆を固定するための木製の部品、帆の頂点に付けるプエオ、タイガーが使っていたマロやプーなどがあります。 カヌーの模型はマカリイです。 それらは今でも日本に保管されており、皆さんがタイガーのマナに触れることができます。

今日はまず、初めての人たちのために、タイガーがどのような人だったかを語ることから始めましょう。 彼はシンプルな人間でした。 背が高く、アロハ・スピリットに溢れていました。 弟であるわたしは、タイガーがこの世を去った2005年から、彼の遺したプロジェクトを受け継ぐべく、旅を始めました。 

それでは最近の活動についてお話しましょう。 まず、タイガーがJHCAをスタートしたのは1989年です。 そのJHCAの初代メンバーたちと、タイガーは寝食をともにして、オハナとして過ごしました。 それらの初代メンバーたちが、タイガーとの旅を始めたのです。 彼らの旅立ちは易しいものではありませんでした。 なぜなら、そこには具体的に見えるビジョンがなかったからです。 けれども、ホクレアの航海が世に知れわたった後には、ホクレアの存在そのものが彼のビジョンとして人々に理解されるようになったのです。 

そして、新しいメンバーはタイガーの遺志に突き動かされ、ホクレア号日本航海後のメンバーとして今日ここに集まってくれました。

タイガーはタヒチへ行きました。 彼は自分の心の中に、スピリットとしてのカヌーを造ることが第一に必要だと感じたのです。 そして日本の人々にそのビジョンを理解してもらうよう努力を続けました。 ここに初代JHCAメンバーおよびチャント・グループを紹介しましょう。 

ロバート・ニシボリ、ジュンコ・ニシボリ
ヒロシ・ナカトミ、」ミサ・ナカトミ
ジョージ・カク
ケン・イマダ、マツユキ・クマガイ
チャント・グループ:
サリー・サカマ、セイコ・シミズ、ケイコ・ナカタ、ユカリ・カワムラ

これらのメンバーたちは、今の私たちをここへ導いてくれました。 私たちはまず最初に心の中にカヌーを造るべきです。 そのカヌーがハワイアン・スタイルかどうかは問題ではありません。 ビジョンを持つことが重要であり、ホクレアを見に行った日本の人たちは、すでに心の準備ができていると言えるのです。

つまり、ここにいる私たちは実際にカヌーを造る準備ができたと言えるのです。 これから実際のカヌー建造についてお話しましょう。 最近造られた新しいカヌーにアリンガノ・マイスがあります。 これはホクレアとほぼ同じ大きさのカヌーです。 私は、その半分のサイズのカヌー「コドモ・カマクラ」を造ることから始めるというプランを提案します。

ホクレアサイズのカヌーを造るには、500万ドル(後にこの数字が誤りであり、正しくは、日本円で約5000万円であることが判明)かかります。 ところがハーフ・サイズのコドモ・カマクラであれば、約300万円ほどで造ることができます。 

私は現在ハワイで、いろいろなカヌーの航海やプロジェクトに参加し、日本とハワイとの関係に役立つべく行動しています。 ハワイで造られるカヌーたちの中に、カマクラを仲間入りさせてもらいたいのです。 

仲間の一人であるチャド船長から、日本に運ぶのは双胴およびプラットフォームの部分のみにするとよい、という提案をいただきました。 コドモ・カマクラについては、5年プランを考えており、その5年間には準備やトレーニング、建造、運搬などが含まれます。

資金についてですが、フル・サイズのカヌーを造るための5000万円というお金は商業活動(コマーシャリズム)を抜きには不可能です。 でもタイガーはそれを望んでいません。 私たちが必要としているのは、お金ではなくてコミュニティです。 ホクレアの日本への航海が実現したのは、州観光局、学校、銀行などが後ろ盾となり資金が調達されたためです。

カヌーは私たち皆のものであり、商売の道具ではありません。 コドモ・カマクラによって多くのクルーを教育すること、コミュニティにとっての大切な存在となること、それがタイガーと私が持っている最も大きなビジョンです。


タイガーさんのご存命の時のメンバーお一人お一人のお名前やプロフィールを話され、いらしてくださった方にはご挨拶とお話を頂戴しました。

そのメンバーがいらっしゃらなかったら、今は無いわけですね。
そして、
「彼らは、タイガーとはまるで家族のようだった、そして今は、カマクラ号建造の親であります。」と、ルイさんは話されました。
ホクレア来航後にカマクラ号を応援するようになった私などは、その子供のような存在になります。

・・・そのとおりです!

今日も、最初のメンバーがいらして下さったそうですが、Nさん以外、お名前がわからないままご挨拶もできませんでした。
それが、今日の私の心残りです。

まずは、子供カマクラから。
日本とハワイの融合は、タイガーさんのカマクラ号建造の目的のひとつだったそうです。
だから、カマクラ号の建造もハワイと日本の力を結合する。
日本で作るのが困難なハルとプラットホームはハワイ、その他は日本。
日本古来の船の形ではなく、古代ハワイアンカヌー、双胴カヌーはタイガーさんの遺志です。

何はともあれ、資金集めが大きな問題です。
子供カマクラは、500万円。
5年後を考えていると、ルイさんはおっしゃっていました。

まかしときっ!  って心の中で言いました。

子供カマクラは、いろいろな意味で必要なことも理解できました。
カマクラ号を作るまでの、トレーニングやデモンストレーションになる訳です。
理解者を増やすためにも、勉強の為にも必要です。
それと平行して、スターナビゲーションや、航海術の勉強会を開きクルーを養成する。
指導は、ナイノアさんや、その門下生が教えに来てくれるから問題ないとのことです。
繋げる役目がルイさん自身にあるとおっしゃっていました。

時間切れで、NPO法人の話までいかなかったので後日、もう一度集まることになりました。

通訳をしてくださったDUKEさんに感謝します。

コメント(2)

アユさん、ありがとうございます。

3日のミーティングに参加できなかったので、
JHCAの活動状況など…タイガーさんの思いなど
雑誌やパンフレットなどの情報からしかわかりませんでした。

ホクレアがきてちょうど一年。
あの時の感覚に突き動かされてきた私も、
昨日のミーティングで、私にとってのカマクラ号は一体なんなんだろう?
この活動は私にとってどういう意味があるのか・・
考えるきっかけをもらいました。

うまく言えませんが、これから私の中のカマクラ号も
もっともっとリアリティを帯びてくるのかもしれません。

やることはいっぱいありますね!!
アユです。 最後の部分「タイガーさんのご存命の…」以下は、ショーコさんがミーティング直後にレポートしてくださった部分をペイストしました。 ので、アユ&ショーコさんのレポートということでお願いします。
 
ルイさんはタイガーさんの遺志を一生懸命にそのまま受け継いでいこう、という思いを私たちへ伝えてくださいました。 ルイさんをはじめタイガーさんのオハナたちから、その子供たちへ、そしてもっとその先の未来へ、カマクラが愛と勇気と夢を運んでくれることを、願ってやみません。

Ha'aha'a, Ha'aheo, Eo KAMAKURA !!
Be Humble, Be Proud, Yes, we are here, KAMAKURA !!
謙虚であれ、気高くあれ、わたしたちはここにいる、カマクラよ !!

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