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我(オレ)の話を聴け!!コミュの永遠の闘争が必要か

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今回初めてトピックを作成させてもらいます。


僕が話す内容は人間にとって闘争というのは必要かというものです。

私は闘争によって発展した技術によって我々の生活が豊かになったと考えています。身近な例を挙げますと情報システムがそうでしょう。あれは軍用技術から生まれた副産物であり、闘争がなければ今のようにあれほど小型かつ正確な情報は入手できなかったでしょう。
また人間の精神面を見てますとはるかに現代の若者より昔の若者の方が格段に優れている能力や才能を持っている人が多い。
これは闘争の中でいかにして自分が生きていくかという常に日々考えて生きていたから人間的に素晴らしい人物が数多く出てきたのだと思う。

今の若者でニートなどと呼ばれる便所のゴキブリの糞以下の人間がゴロゴロいるのは平和になりすぎて、なにも考えなくても生きていけるからであると思われる。

そこで、人間が日々成長していくには常に闘争のある世界の中で生きていかなくてはと思うときがあるのですが、皆さんはどうでしょうか?


ちなみに僕は戦争賛成者ではありませんが、反対者でもありません。

コメント(4)

考えがうまくまとまらん感じですが明日札幌に帰るのでしばらくレスできません。
あっちでネット環境整い次第レスします。
携帯ではやらないんであしからず。

とだけ断っておきます。
闘争、競争がある中で人が成長したり、技術が成長するというのは正しいと思います。ただ、戦争と闘争は違うと私は感じます。ニートなどが生まれてきたのは、平和で、衣食住に困らずなにも考えなくても生きていけるからだと思います。ただ現代のすべての日本人がそういった人間でない以上平和だから怠けた人間ができるわけではないと思います。やはり常に何か目標を見つけそれに向かって努力している人、つまりは自ら自身を闘争のある世界の中においている人は成長すると思います。ですから人間が日々成長していくには常に闘争のある世界の中で生きていかなくてはという意見には賛成です。
あとニートは確かに問題です。ただ今私たちはそれだけ幸せな環境におかれている思うんです。先ほど平和だからニートが生まれたと書きましたがそれに付け加えたいと思います。ニートになってしまったりフリーターになってしまったりするのには現在将来どのような道に進むかの選択肢がたくさんあるためだと思います。多すぎる選択肢に驚き、そのどれにも進めないのだと思います。それは平和であるから起こることです。そしてこのようなことは二ート、フリーターだけに言えるわけではないと思います。増える医学部志望、法学部志望これらにも当てはめれると思います。たくさんの選択肢から選べずとりあえず医学部や法学部を志望する。つまりは私たちはとても幸せで自由な環境にいる一方、その分無数にある生き方のうちひとつを選ばなければならない責任もあるということです。ですから何も環境が戦争などの闘争状態にある必要などはないのだと思います。いかに自分を律し、奮い立たせ、これだと決めたことに邁進できるかで、内なる闘争が成長へとつながると思います。

まとまりのない文章すいません。あと改行面倒なのでしませんでしたこれもまたすいません。




ご無沙汰しております。
では私見ですが。

確かに科学技術、だけでなくそもそも発展というものは戦争について回ったというのは過言ではないと私も思います。

しかしこれは、あくまで「一般社会に浸透した」という意味で使わせてもらいます。

軍事技術からの転用で生活を豊かにした技術は事実数知れない。日常生活がその恩恵を受けていることは疑いようもないと思います。

しかし今回の議題(まずは技術面について)では「軍事技術がそもそも軍事目的に開発されたものであるかどうか」まで話を掘り下げねばならない気がします。

ご存知のとおり中世のイギリスにおいて今の生活の基盤を作り出したともいえる「産業革命」が起こり、そこで多くの技術が生まれ、軍事に利用されました。

ここでは主に日常生活を目的とした開発であり、内燃機関のどの軍事利用はむしろ後であったと聞いています。

更にかの有名なノーベルも軍事目的でダイナマイトを開発したわけではない。炭鉱での利用が目的だったようです。

さて、そう考えると戦争が「技術の開発に多大な貢献をしてきた」とは言い難い。「発展の一部を担ってきた」というところではないでしょうか。

かといって戦争期の発展は無視できるものではありません。

ここで闘争と精神の関係について言及したいと思います。

軍事技術から始まり日常に浸透している技術は確かにあり、また、当時の発展の速度は目を見張るものがあります。

これは今と違って「やらなければ生きていけない」という状況下で生きていたからではないでしょうか。

ぶっちゃけ今はこれ以上技術開発しなくても生きていけるわけです。みなが現状で満足すればそれで。

しかし当時はそうはいかない。
敵国より強力な装備を開発し軍事力を強化しなければ文字通り国としても個人としても「死」が待っています。技術者だって使えなければ首になるのですから。
彼らは生きるためにがむしゃらに技術の開発に取り組んだんですね。
その結果、大いなる発展を遂げた。

あくまで私は、発展は戦争というイベントに直接つながるのではなく、当時の人々の精神状態に起因していたのではないかと思います。

現在は確かにずいぶん平和になり「腑抜け」他人も多くいるのでしょう。

予断ですが、先進国は途上国より、金持ちは貧乏人より自殺者が多いという話を聞きます。これは「生きることが目的」とするそれぞれの後者に対し、前者は目的を失ってしまっているからだといいます。

そこで次は「どのように人生を捉え、生きていくか」と考える人たちが富裕層から出現しました。私は彼らをこそ哲学者と呼んでいます。

事実彼らの多くは恵まれた環境で育ち、生活苦などはおそらく考えたこともなかったでしょう。
だからこそ逆に「人生とは何なのか」を考える機会を与えられたのではないでしょうか。

つまり、現代人は「生きることに悩む」ことから「生き方に悩む」過渡期を生きている。
平和だから怠惰に見える、だけれども平和だからこそ生き方を真面目に考えることができる。

いつまでも怠惰に見える人は、実際怠惰なだけでありそれこそシロちゃんの言ったとおりのニートなのかもしれませんが、そのような人が現れたのは必然かもしれません。
しかしその中にあって、物事をよく考え人生について思いに耽り、そしてやがて行動に移せる人、ちょっとニュアンスは変わるかもしれませんがモアイさんの言葉を借りると自分を律し、奮い立たせ、これだと決めたことに邁進できる人がこの先の時代を引っ張っていく人になるのではないでしょうか。

わかりずらい文章になりました。これはおかしいよ、とかこれどういうこと?みたいな意見質問があればお願いします。
今更ながら、私も軽く意見を。

闘争が発展の原動力の一つになっているのは事実でしょう。
それは闘争の中においてもっと優れた物をという意識があるからと思います。
つまり発展の主な理由はそれに当たるわけです。
ただ、目的の方が肝要と思います。
ただ純粋にいい物を作りたいのか、
競争意識の中で急かされるのか。
江戸時代の文化というのは主に前者だったでしょうが、
今日では後者となっているように思われます。
勝ち負けの二元論が浸透している今日は個人的に危うい気がします。

概ね御二方の意見と同じかと。
失礼しました。

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