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ハッピータイランドコミュの灼熱の思いは野に消えて・・・スラム街の少女 

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灼熱の思いは野に消えて・・・スラム街の少女            
(一)
一九九八年七月十四日。
木村譲(きむらゆずる)の乗った飛行機はタイ王国の国際空港ドンムワン空港に着陸した。日本を夕方発って現地時間の夜九時過ぎに到着した。機内からタラップに立った木村を熱帯のムッとする大気が包む。温度は夜にも拘らず三十度を超えていた。
「熱い・・・・・・」木村がタイに着いてつい出た最初の言葉だった。
木村は急いでタラップを降りて空港施設へ移動するバスに乗り込んだ。バスの中は冷房が良く効いていた。バスは五分くらい走って空港施設に到着した。
木村はネクタイを緩めた。空港施設内を他の乗客の流れに乗ってイミグレーションに向かって進んだ。軽装な観光客の中で彼の地味なダークグレーのスーツにネクタイ姿はかえって目立った。身長は一メーター七七センチで日本人の中では大きいほうだ。
イミグレーションに向かう途中で見つけた喫煙室に彼は迷わず入った。そこは機内で煙草を我慢していた連中の煙ですでにもうもうとしていた。
木村はラークを取り出し愛用の銀のジッポーで火をつけた。彼は煙草に火を点ける時はオイルライターと決めている。ライターの蓋を開けた時のカチンという音、オイルのボッと燃える臭いが百円ライターと違っていいと思っている。
煙を吐き出し、切れ長の眼に安堵が広がる。実は木村は飛行機がかなり苦手だ。成田を出て直ぐに飛行機は台風の影響でかなり揺れた。
機体がジェットコースターの様に一瞬急下降した。木村は「ギャー」と声高の悲鳴をあげ、隣の見ず知らずのおやじの手を握ってしまった。
そのあと隣のおやじがそっと手を握り返したので、また木村は悲鳴をあげそうになってしまった。
木村は、飛んでいる飛行機の中でどうせ落ちるならタイ生活をエンジョイした帰りにして下さいと隣のおやじに気づかれないよう少女のように手を合わせて神様に祈った。

ふふ、微笑みの国タイか、いよいよタイの駐在員生活の始まりだな・・・・・・木村は煙草を吸いながら、会社の仲間が開いてくれた壮行会を思いだした。バンコクに駐在経験のある先輩が酔って話してくれた。
「ドンムワン空港は涙のドンムワン空港と言われているのを知っとるか木村。いろんなことがあの空港では起こるんだ。いろんな涙があの床に落ちているそうだ。
こんなことがあったそうだ。三年程住んでいた独身の駐在員が帰国するのをタイのクラブに勤めていた恋人が一緒に送ってきたそうだ。出発の時間が近づいてきてその男が最後の別れを告げてイミグレーションに向かおうとしたら彼女がちょっとパスポートを見せてって言ったそうだ。パスポートを手にした彼女はどうしたと思う。鞄に隠してあった鋏を取り出して帰らないでってパスポートを泣きながら切り出したそうだ、その男、パスポートを八つ裂きにされて帰国が二週間遅れたってさ」
先輩は大きな声で笑い出した。
「その男って先輩のことじゃあないすか。先輩の帰国が遅れたって誰か言っていましたよ」
すかさず木村は言ったが先輩は笑いながら続けた。
「こんなこともあったそうだ。帰国する時に付き合っていたタイの女の子には一年につき、十万バーツの手切れ金を渡していくのが常識なんだ。木村、お前、よく覚えておけよ。ある男が手切れ金を渡さず女に内緒で帰国しようとしたんだ。女は店に飲みに来た駐在員仲間からその男の帰国情報を聞いたらしい。空港で女はその男を待伏せしてなんと背中を刺したそうだ。恐いだろう。
まあ、たいていは、空港には帰国する日本人駐在員とその家族を送るために集まった人達の輪があって、柱の影にはその輪に入れないタイ人の恋人がいる。そっと送る彼女の目から幾筋の涙が頬に伝わる。というわけで涙のドンムワン空港ってとこだ」
「先輩、がらにもなくきれいにまとめましたね。どこの国も同じですね。女性には気をつけますよ」
「それにしても木村をタイの駐在員にするなんて虎を野に放つようだよな。うちの人事は何もわかっていないよな」
「うちの人事わかっていないですよね。先輩もタイに駐在したことだし」
木村は先輩の言葉を思い出しながら思わずニヤッと笑い、煙草を消してイミグレーションに向かった。
数年後、木村が帰国する時のドンムワン空港が涙の大合唱になるとは今は知る由もない木村であった。

学生の夏休み前のせいかイミグレーションはほとんど並んでいなかった。イミグレーションを通って直ぐ前のエレベーターを降りると機内に預けた荷物を受け取るターンテーブルが幾つも並んでいた。
飛行機から出てきた木村の大きめの黒のスーツケースは、日本の機名が表示されているターンテーブルをすでに回っていた。
スーツケースには当面、必要なシャツや下着などが入っている。本格的な生活に必要なものは後から船便でアパートに着く。スーツケースを引きながら税関を無事に通過した。税関の職員は木村にはまったく無関心だった。
空港の出口に向かう途中に両替所が並んでいた。木村は綺麗な子のいる両替所を選んだ。両替所で木村は百万円の束が入った封筒を無造作にスーツの内ポケットから出した。手だけが入る半円の窓から札束をガラスの向こうの若い女性に差し出した。
女性の大きな目がさらに大きく見開かれた。百万円はタイ通貨のバーツで約三十三万バーツになる(当時一バーツ=約三円)。最高紙幣の千バーツ札で三百三十枚の札束になる。両替所で働く女性の一か月の給料は一万バーツ前後だ。自分の給料の何十倍もの金を無造作に受け取る男に女性は微笑んで英語で言った。
「ビーケアフル」(注意してね)
「コックンカップ」(ありがとう)
木村は日本で九十時間、タイ語を学習してきた。簡単なタイ語は話せる。初めて使ったタイ語だ。木村は三十枚ほどの千バーツ紙幣をポケットから出したお気に入りのカルチエのマネークリップにはさみ、残りをスーツケースに押し込んだ。両替所から三十メーターほど右手に歩くと空港の出迎えのスポットがある。
そこには木村と交代で二週間後に日本に帰る前任者が待っていた。
「木村待っていたぞ」
「すまんな、しかしお前真っ黒だな。ゴルフばっかりやってたんじゃあないのか」
木村は、同期入社の前任者の佐々木と挨拶を交わした。

(二)

前任者の佐々木は、一緒にいたタイ人の運転手に木村の荷物を持てとあごで命じた。運転手はスーツケースを持ち先頭に立って歩きはじめた。タイ人にしては身体が大きく木村とほぼ変わらぬ身長でガッチリした身体をしている。浅黒い顔が精悍そうだ。
車は空港の地下の駐車場に停めてあった。車はグリーンのドイツ車のボルボだった。
「この車が、木村が駐在中に使える車で運転手はムエタイのヘビー級元チャンピオンのプラモート。 彼は元軍人でもあり射撃はかなりの腕前、運転席の下には軍払い下げの銃がおいてあるよ。運転手兼用心棒ってわけさ」佐々木は木村に得意そうに言った。

空港から木村が宿泊するバンコク中心街のホテルまで五十分はかかる。ホテルは日本からの荷物がアパートに着くまでの仮住まいだ。
その時はまだ空港までの高速道路は開通されていなかった。工事中の高速道路の下を走って行った。 その年、バンコクでアジア大会が開催され、現在の空港までの高速道路が開通された。熱帯夜の帳の中、四十分ほど一般道を走りバンコクの中心街に近づいた。
大都市バンコクは、高級ホテルやショッピング・センター等の近代的なビル群が立ち並ぶ。その中に華麗さと荘厳さを兼ね重い歴史を漂わす王宮と多数の寺院がある。又、露天市場と無数の屋台が割拠していて活気と頽廃、繁栄と衰退が渾然一体となり実にわけのわからない魅惑的な様相を呈している。
バンコクの中心街で赤信号で木村の乗っていたボルボは止まった。すると十歳くらいの裸足の男の子が七歳くらいのこれまた裸足の妹の手を引いて車の窓をたたいた。
男の子の手には小さな白い花輪がいくつかあった。男の子は木村の目をジーッと見て花輪を買ってと目で訴えた。
木村はかわいらしい妹の目と力強い兄の眼光を交互に見た。妹の手には白いゴムまりが握られていた。

木村は車の窓を開けて男の子から小さな白い花輪をひとつもらい、マネークリップから紙幣を一枚出して男の子の手に握らせた。
男の子はもらった紙幣を見てびっくりして何か言おうとした。
木村は、佐々木に通訳させた。
「妹とお前の靴を買いな。お前も大きくなったら同じことを誰かにしてやりな。それと妹の手はしっかり握っていろよ」
妹は懐かしそうに微笑み、男の子は目を輝かせ「うん」と大きく頷いた。木村はウィンドウーを上げ、ボルボはスタートした。
「千バーツ(当時一バーツ=三円)やるなんてお前はアホか。相場は十バーツか二十バーツだよ。道路でわずかな金が稼げるから貧しい子供達が道路で働く。そして、ここでは子供達の傷ましい交通事故が絶えない」佐々木は木村に言った。
「わかった、わかった」木村は適当に答えた。
「木村、俺の注意をよく聞かないとタイで苦労するぞ」
うるさい奴だ。まあ二週間後には頼もしくもあり、うっとうしくもある前任者とはおさらばだと木村は思った。佐々木と木村の引継ぎは二週間だ。

木村はボルボの革張りのシートに深く身体を沈ませ目をつぶった。木村の脳裏に忘れられないあのシーンが蘇った。
仙台の西の空はダークブルーを茜色に染めていた。右手は親父の好きな豆腐の入ったスーパーの袋を持っていた。左手は、みさきの小さな手が俺の手を握っていた。握られた小さな手の感触がまだ残っている気がしてならない。手を繋いで妹と一緒に唄って歩いていた。
ギン ギン 
ギラ ギラ
夕日が沈む・・・・・・
その時、お気に入りの白いゴムまりがみさきのもう片方の手から外れて車道に転がって行った。するっと俺の手から小さなみさきの手が抜けて行った。車道に出た白いゴムまりをみさきは追った。そこは見通しの悪いカーブの車道だった・・・・・・。

木村は仙台駅から地下鉄で約二十分程離れた泉中央というところで生まれ育った。父親は大手電気メーカーの工場で働き、母親は駅近くの大型スーパーでパートとして働いていた。
兄と弟と妹がいた。六人家族だった。
高校卒業後、木村は父の勤める工場にコネで就職したが一年も続かなかった。高校時代、番長を張っていた木村には毎日コツコツと真面目に働く工場は物足りなかった。
その後、仙台駅に近い有名な歓楽街の国分町で何か面白いことがあるだろうとクラブのボーイとして勤めた。クラブには綺麗な女性がいるし、好きなお酒もたっぷり飲めそうだし工場で働くより自分に合っていると思った。
ところがそうはいかなかった。クラブでは酒は飲めない、綺麗な女性には鼻もひっかけてもらえない。ほとんど毎日、終電で帰る木村はくたくたであった。

金曜日の夜は時々、終電で帰ったあとに泉中央駅の近くのローズというバーに寄って帰った。そこは彼の癒しの場所だった。カウンター席が十席、ボックスが二テーブルの小さなバーであった。
彼はカウンターに座る常連の女性に憧れていた。憧れていたが口は聞いたことはない。その女性は髪をショートカットにしていて、やさしげで愛らしかった。真由子というその女性は東北の有名国立大学を出ているらしい。彼女はカウンタ―に一人で座り、まず外国のライトビールを飲み、次にウォッカベースの酒を飲み始める。
ある時、酔って彼女はマスタ―に言った。
「うちの会社の営業男子、なかなかいけ面で顔はタイプなのだけどね。付き合って欲しいって言われたのさ。連れて歩くのはいいんだけどね、でも結婚はねぇ。その男、大学出ていないからねぇ」

なにが大学出ていないからねぇ・・・・・・だと思ったがその翌年、木村は大学に行くことにした。彼は翌年に地元の国立大学によく似た名前の私立大学を受験して何とか合格した。奨学金をもらいながらいろいろなバイトをして大学を卒業し、二十四歳で海外調査専門の大手商社の子会社にこれまた何とか就職した。大学を出てもう三十二歳になる木村だがいまだに独身だ。
翌朝九時、木村は勤務する事務所からすぐの宿泊先のリージェントホテルから初出勤した。事務所は、ワールドトレードセンター、伊勢丹デパートなどがあるバンコクビジネス街の中心から徒歩五分圏内のラジャダムリ通りにある。事務所は、ビルの七階に会議室と事務室の二部屋を借りていて、地下には有名な日本レストランがある。木村の仕事は、もっぱら日本からのお客の送迎、接待ゴルフ、接待飲食、接待マッサージで時折、現地の経済・社会状況の調査・報告だ。
事務所には現地採用の秘書がいる。秘書の名前は、通称名アップン。現地の人は老若男女を問わず通称名を持っていてこれで一生呼び合う。通称名は、だいたい食物、動物、昆虫、植物の名前がついている。赤ちゃんの時に悪い霊からさらわれないようにそんな名前で呼び合うそうだ。アップンはりんごと言う意味で、受付から電話の応対、まともな部分の駐在員業務、駐在員に代わって本部への報告書作成で日本語と英語がたんのうな名門タニサート大学出の才女だ。 彼女は、勤続八年でこれまで二人の駐在員に仕えたというよりは駐在員の面倒をみてきた。すこぶる美人ではないが辞書を見ないで骨董品と漢字で書ける。木村はいつもこっとう品と書いていた。
電話がなった。ついとってしまった電話を木村はしばらく聞いて、秘書のアップンに代わってもらった。
「タイ語だ、アップン代わってくれ」
アップンは、しばらく流暢な発音で受け答えをして、
「所長、今の内容は工業団地の分譲セールスの面談申し込みでしたので、断っておきました。それと今の電話は・・・・・・タイ語ではなく英語です」
「アジアンイングリッシュは発音がちょっと違うね」木村は笑って言った。
「アメリカ人のキャサリンって言っていましたよ」
「・・・・・・」

木村は、来タイして一週間後に仮住まいだったホテルから高級デパートがあるスクンビット二十四通りのサービスアパートに移った。サービスアパートは部屋の清掃とベッドのシーツは取り替えてくれる。アパートには日本からの生活用品が届いていた。
スクンビット通りは別名コンファラン(外人) 通りとも呼ばれ白人などの外人が多く住み、高級アパートが立ち並んでいる。 スクンビット道路に交差している通りをソイと言い、中心街に向かって右側が奇数、左側が偶数の番号が付けられていてソイは百以上ある。
スクンビット通りに四季はない。
暑い、暑い、もっと暑い、すごく暑いだけである。
渋滞で込み合ったスクンビット道路の風景は一年を通じて共通だ。夜になると中心街に近いスクンビット道路の両サイドにはギッシリと夜店と屋台が並び、ソイにはカラオケバー、ストリップバー、ゴーゴーバーの赤やピンクの色鮮やかなネオンが点き、なまめかしい色が目に入る。

佐々木から木村への引継ぎは、昼間の引継ぎは秘書が替わらないのでほとんどなかった。昼間の引継ぎに比較し、夜の引継ぎは超ハードであった。バンコクの商業・ビジネス街の中心のシーロム通りとスリオン通りをつないでいる約二百メートルほどの通りがある。
タニヤ通りという。
在タイ日本人では知らない人はいない日本人向けの歓楽街である。タニヤ通りの一帯には会員性高級クラブから大衆カラオケ屋まで百以上はあるだろう。現在は観光客相手の大衆店が増えているが当時は駐在員が接待する高級店が多かった。
ここに勤める女性ホステスとやがては帰国する日本人駐在員の間でいくつもの疑似恋愛が生まれるそうだ。

佐々木は引継期間の間、毎晩二〜三軒このタニヤ通りの店に木村を案内した。佐々木は、接待用に五軒以上の店に自分のキープボトルを入れていた。昼間の佐々木からは想像できない熱心な仕事ぶりだ。
木村もまた、引継手帳にこまめに店の名前、店の特徴、かわいいホステスの名札番号を書きとめ、昼間の引継ぎよりも熱心にこなした。
タニヤに勤めるホステスの女の子は、基本的には連れ出し、すなわちホテルへのお持ち帰りができる。女の子は番号が書かれている赤や青や黄色の名札をつけていて赤は宿泊が可能、青はショートタイムが可能、黄色は一緒に飲むだけという具合に名札の色でお持ち帰りが可能か不可能かわかる店が多い。

二週間の引継ぎ期間は長いようで短い。ビジネスの引継ぎの他に、病院、銀行、郵便局、デパートなどの生活周りの案内などで引継ぎ期間はあっという間に過ぎた。

木村が待ちに待った佐々木を空港まで送る日が来た。こうるさいこいつを送り出したら自由だ。送り出したら空港のラウンジでお祝いにビールでも飲むか。木村は佐々木に悟られないように神妙な顔つきの奥で思った。
イミグレーションに向かう佐々木と木村は堅い握手を交わした。
「木村、タニヤの女にはまるなよ」
「そういうことは人を見て言えよ」
「だから言ったんだよ」
「じゃあな」
「おー、元気でな」
空港で人を送り出すのは、駐在員の大切な仕事のひとつだ。一人残された駐在員はちょっとした達成感とわずかな淋しさが残る。

空港からの帰り道、木村の乗った車は中心街に入り二週間前と同じ信号で止まった。一度止まるとバンコクではなかなか信号が変わらない。長い時は十分もかかることがある。木村は幼い兄妹から小さな白い花輪をここで買ったのを思い出した。
その朝には信号の近くに幼い兄妹はいなかった。木村は、ふと信号の近くの路肩に小さな白い花と線香がおいてあるのを見た。
ここで事故があったのだろうか。佐々木の言った言葉を思い出し、木村はいやな予感がした。
運転手のプラモートに小さな白い花輪と線香のある路肩に車を寄せさせた。
木村はプラモートに命じて近くで同じ小さな花輪を売っている男の子に幼い兄妹のことを聞いてもらった。プラモートは車に戻ってきて運転席に座り、前を見たまま英語を交えながらゆっくりと木村にしゃべった。
不思議とその内容は間違えることなく言葉を介して木村の心に伝わっていった。
「昨晩、交通事故で幼い兄妹の兄が死んだようです。幼い兄妹はグリーンの車に近づいて行って転び、兄が近くを通過したバイクに跳ねられたそうです。妹は軽傷で近くの病院で手当てを受けているそうです」
グリーンの車にあの子を近づけたのは、俺か・・・・・・。
かわいい妹を残してどうするんだよ。大きくなって同じことができなくなっちゃったな。
木村の胸の奥でやるせない悲しみがゆっくりと広がっていった。

「プラモート、妹がどこの病院にいるか聞いてこいよ」
「了解です」

(三)

事故現場から五百メートル程離れた場所に総合病院がある。おそらくそこに運ばれたのだろうということだった。木村とプラモートは現場からさほど離れていないその病院に向かった。
病院の受付で昨日事故にあった子供のことを聞くとすぐにわかって、担当の医者に案内された。医者は、三十代の前半くらいだろうか童顔で目がやさしい。
その医者はいきなり日本語で
「ご家族じゃあないですよね」と木村に聞いてきた。
この病院の医者は日本の医大卒が多く、日本語がしゃべれる医者が多い。木村は、その医者の質問にうまい答えが見つからず、
「えーと、関係者です」と答えた。
「まあ、いいでしょう。家族が迎えに来ないので困っていました」
医者の説明によると兄妹は同じ病院に搬入されたが病院に着いた時、兄はすでに手遅れだったそうだ。
「男の子は、バイクに跳ねられた上に後続の車に轢かれたようです。兄は妹のことが心配だったのでしょう。妹の手を握り、一生懸命に最後の言葉を話していました。残念ながら内臓破裂で我々は何も処置できませんでした。間もなく男の子は息を引き取りましたが、女の子は足に擦り傷の軽傷です。患者の身請けと死体引き取りの二通の書類にサインをお願いします」
木村は、その書類がタイ語で書かれていてなんだかよくわからなかったが医者の笑顔に押されてサインをした。
「支払いは?」
「たぶん事故現場に居合わせた人でしょう。子供を車に乗せて連れて来た人が払って行きました」
タイの病院では救急でも医療費が払えない患者は診てもらえない。金を持ち合わせた人がいて良かった。木村は親切な誰かに感謝した。看護婦が新しい白い運動靴を履いた女の子の手をつないで連れて来た。
女の子は木村の顔を覚えていた。小さな手を胸の前で合わせて、白い新しい靴を指差し、
「サワディー、カー」(こんにちわ)と微笑んだ。
黒い瞳の大きな目、鼻筋の通った形のよい鼻とかわいらしい口元、母親はさぞかし美人だろうと木村は思った。
「チュウ アライ カップ?」(名前は?)
「プン(蜜蜂) カー」(プンだよ)
「バーン、ユ ティーナイ カップ」(家 どこ?)
「クロントイ  カイカイ ニー カー」(この近くのクロントイ)
「ポー メー ユ クロントイ?」(両親はクロントイに?)
「ポー タイ レーウ」(おとうさんは死んだ)
プラモートが日本語の通訳を混えながら女の子に質問を始めた。なかなか気の利く運転手だ、今日はチップをはずもうと木村は思った。
木村は男の子をもうしばらく病院で安置してもらえるよう看護婦に頼み、チップを握らせた。看護婦が何か言ったが急いで女の子の手を引いて木村は病院を出て行った。

プンは、木村に手を引かれながら微笑んでいる。木村にとって懐かしい手の温もりだった。お兄ちゃんが死んだことを知っているのだろうか、木村は哀れに思った。
木村とプンはすぐそこのクロントイのスラム街に向かった。もちろん用心棒のプラモートも一緒だ。

(続きはあっしの日記を見てね)

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