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立命館大学大学院国際関係研究科コミュのインターン先のスタッフが語るに…。

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うちがインターンしているNICCOそこではマラウィ・ヨルダン・パレスチナ・イラン・アフガンで国際協力業務をしています。詳細はこちらhttp://www.kyoto-nicco.org/
現地スタッフからメールにて色々な話が送られてくるのですが、今回イランのマシャッド市でITでの職業訓練校の設立、運営を行っているスタッフからの日記を載せようと思います。

久々の休日に私が探していたのは「コーダホテル」。「コーダホテル」とは、日本のバックパッカーには有名な、日本人が集まる宿です。
「コーダ」とは、香田証生さんの名前から取っています。彼の名前を覚えている方も少なくないと思います。数年前イラクに単身乗り込み、殺害されてしまった日本人です。

香田さんは、ヨルダンからイラクに入りました。そして、最後に泊まったホテル(クリフホテル)の従業員であったサーメル氏が、新たにオープンした宿が「コーダホテル」です。サーメル氏は、香田証生さんがイラク入りするバスの手配をした人ですが、その一方で、彼のイラク行きを最後まで止めるよう説得した人でもあります。
そして、止めきれず、彼は、イラクに行き、殺害されてしまいました。サーメル氏は、そのことを悔やみ、「香田」という名前を忘れないように、いつか、自分の経営するホテルを持てるようになったら、「コーダホテル」と名前をつけよう、と。
そして、昨年、そのコーダホテルがオープンしたんです。

サーメル氏は、今30代半ばで、両親はパレスチナ難民です。そのため、彼の生い立ちは、決して幸せなものだったとはいえず、前職のクリフホテルの従業員であったとき、非常に過酷な労働条件で働いていたようです。

NICCOは、今、パレスチナ事業を展開しており、また、イラク避難民に対しても心理社会的ケアを展開しています。「パレスチナ」「イラク」…。サーメル氏の話を聞いてみたいとも思ったし、また、彼に、NICCOのような活動を展開している日本人がいることも知ってもらいたい、そういう気持ちで、サーメル氏に会いに行ったのです。

結果は…サーメル氏が海外旅行中とのことで、会うことは叶いませんでした。残念です。

ただ、サーメル氏を慕って、あるいはうわさを聞きつけてその宿に集まった日本人・・・卒業旅行中の学生、会社を辞め、世界一周旅行中の20代の若者、定年退職後に旅行中の夫婦といった、個性あふれる人たちと会話。イラン・マシャッドにいると、複数の日本人と話す機会などそうそうないので、かなり新鮮でした。

そのサーメル氏の生い立ち等は、次のサイトで読むことができます。ご興味のある方は、どうぞ。http://www.sekaitabee.com/samel_history.html

そして、「ワヒダット難民キャンプ」。難民キャンプの住宅は、アンマンの他の地域と比較し、明らかに、悪質でした。中には、屋根がブルーシートの家も。一方で、キャンプ内には、非常に巨大なスーク(市場)も形成され、最近では、活況があるようです。

難民キャンプ内を歩いていると、家の前に立っていた一人のパレスチナ人が話しかけてきました。話がはずんで、「うちにおいでよ」と誘われたので、お邪魔することに。彼は、30代半ばで、妻と子どもの3人で住んでいました。

今、ヨルダンにはたくさんのパレスチナ人がいますが、その多くはビザ発給上の問題等のため、パレスチナには帰ることができません。お邪魔した彼の家族(親・親戚)は、パレスチナ(ガザ)にいるそうです。彼の兄弟は、イスラエル兵に殺されたのだとか。彼自身、一度、イスラエルに入ったことがあるとのことでしたが、イスラエル兵に捕まり、4ヶ月間ほど拘留されたとのこと。「パレスチナに帰りたいか?」と尋ねると、「パレスチナに帰りたくても、もう無理だ。家族にも、電話はできるが、もう会うことはできない」と。非常に陽気な方でしたが、その話し方には、悲壮感が漂っていました。それでも、彼が見ていたテレビは、ガザ地区のハマスが放映している衛星放送。彼の中には、もう行くことはあきらめた、口に出しつつも、あきらめきれない祖国への思いが残っていると、感じました。

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テロが続き、なかなか安全にならないアフガニスタン。
そのような中で、「アフガニスタンに帰還せよ」と常々アナウンスし、帰還しないアフガン難民に対しても、イランで生活するためのファシリティを十分に提供していると考えているイラン政府。

一方、イランで生まれ育ったのに、イラン人と同様の行政サービスを受けることがまったくできないことに不満を持つアフガン難民。だからといって、前述のパレスチナ人と同様、アフガニスタンでタリバンに家族が殺され、アフガニスタンに帰りたくても躊躇してしまう人だっている。「監獄のようなキャンプ地」で、イラン人から拷問のような扱いを受けた人もおり、イラン人に対する不信の目も強い。

そういった難民たちを相手にするNICCOのイラン人スタッフ。ものすごく親切で、人道的な精神にもあふれているのですが、一方で、どこかに、イラン人として、アフガン難民が不満をもつことが間違いだと思っている節もあり…

そして、NICCO。
NICCOのイラン事業の名目は「アフガン難民の帰還促進」。たとえ、アフガニスタンの治安状況が悪いからといって、この名目は変えられない。アフガン難民が生活に苦しんでいるからといって、その支援を表立ってすることもできない。NICCOがそのようなことをして、イラン政府に目をつけられると、イランでの活動許可がおりず、何もできなくなる・・・

「本音」と「たてまえ」を使い分け、イラン政府の目も、アフガン難民の目も、場合によってはイラン人現地スタッフの目までも気遣い、八方美人で対応しなければならない日々。「本当にアフガン難民のためにしなければならないことは何か?」ということが見えにくくなり、そして本当にそれができているのか、
と自問自答する日々。NICCOの職業訓練校を文化局に移管することだって、現地で100%の運営ができればよい、NICCOが去った後も持続的に運営されることが本当のあるべき姿ではないか、と思いつつも、それは可能なのか?、イラン人スタッフだけでアフガン難民支援をできるのか?、アフガン難民はその場合、職業訓練校を利用しようと思うのか?、NICCOが去り、アフガン難民が職業訓練校を利用しなくなるのであれば、縮小でもNICCOは絡んでいた方が良いのだろうか?、などなど。そして、そのような中で、アフガン難民の不満・要望を十分に受け入れられるのか、利害関係が発生するなかで、難民たちの意見を適正に(客観的に)判断できるのか不安に思い、難民たちとコミュニケーションを避けつつある自分に気づく…

イランに滞在をはじめてから約3ヶ月、正直に言って、最近はかなり精神的に疲れるな、と感じる日々を過ごしてきました。
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パレスチナでの事業にも、同じような状況があると思っています。現在、イスラエルは、パレスチナ域内に分離壁を設置、また、井戸を壊しつつも、新規の井戸開発は認めない、域内外への物流もチェックポイントなどを設けて制限をかける…このような状況で、多くのNGOは「このようなイスラエルの施策はパレスチナへの侵略と同様だ」と厳しい批判。そういった批判をせず、イスラエルの現地団体との協力のもとパレスチナ域内での支援を実施しているNICCOに対して、批判の目をもつ方もいる、と耳にしたこともあります。

一方、パレスチナの経済成長率はマイナス25%を超え、パレスチナ域内の住民は、あきらかに貧困に窮している、あるいはその予備軍です。根本的な問題を「批判」し、世論の意識を喚起し、その改善を図ろうとする取り組みも大事ですし、否定はしません。しかし、「批判」しても、イスラエルが状況を改善させなければ、パレスチナ域内の人たちはどうなるのでしょう。「批判」してもイスラエルが動かないから、といって、貧困に窮するパレスチナ域内の人たちを放っても良いのでしょうか?

NICCOは、ノンポリティカルを理念とするため、イランの政策も、イスラエルの政策も批判しません。これらの国の了解も得つつ、ある種の制限のもとで活動しています。しかし、ノンポリティカルだからこそ、逆に、イランでも、パレスチナでも、他団体では実施できないレベルの事業を遂行可能なのだ、とも思います。実際、イランについては、日本のNGOで活動しているのはNICCOだけです。「困っている人を何とかしたい」、だから、本音を言えば、認めたくはない政策に甘んじながらも、出来うる限りの最大限の支援を続けていく・・・私はそんなNICCOの姿勢が好きです。

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でも、前述のように、いつもいつも、イランやイスラエルによる制限のもと、彼らにも、裨益者であるアフガン難民やパレスチナ人にも気を遣っていかなければならない。「自分のやろうとしていることは正しいのか。本当に大丈夫なのか。」と、本当に気疲れしてしまうことが多い。

だから、「コーダホテル」や、「ワヒダット難民キャンプ」を訪れよう、と思いました。パレスチナの状況に少しでも触れることによって、NICCOのイラン事業の意義を再確認したかった。訪問して、アフガン難民とのコミュニケーションをもっと取らなきゃ、と思いました。

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とはいえ、何だかんだ言って、やっぱり難民なんて出ない方がいい。「何で生まれながらにして不当な扱いを受けなければならないのか?」とやるせない気持ちになることもあります。そういえば、ザルカの事業地を訪問したとき、ワークショップに参加
している子どもから、「あなたの夢は?」と尋ねられました。その日その日の状況に追われて暮らしているため、夢なんてものをあまり考えていませんでしたが、アフガニスタンにも、パレスチナにも行って見たいですね。世界各国が安全になり、自由に行き来できるようになったら、世界を一周する、というのもいいですね

コメント(1)

サーメルさんいい人やよねー☆

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