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沖縄ちんどんや同好会コミュの戦後遺産認定 栄町市場

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私のコミュ「古きよき沖縄を探そう」と、「すきすき栄町市場」にこの「戦後遺産」構想を書き込みました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=7540337&comm_id=152795

あくまで、私が前から練り上げてきた発想を、いまが一番いいタイミングと思いはっぴょうしました。

あくまで
「一アマチュア研究者の私が個人的に提唱している状態」
で、公的機関とはまったく関係のない状態です。

戦後遺産の用語も私の造語であります。
定義に関しては色々考えおりますが、
@戦後できた「未来に残したい沖縄の風景」というのが、いまのところのキャチフレーズ。共同売店ファンクラブとも協力できる部分があるかておもいます。

いまのところ私の発想を「提唱」している段階ですが、
「提唱する」ことにより賛同者や協力者などがあつまる等、なにかがはじまると信じております。
植木屋先生の「共同売店ファンクラブ」
とともに沖ちん同の姉妹活動としてなんとかすすめたいとおもうところです。

まずはちんどん活動を頑張って行きましょう。

コメント(10)

「戦後遺産構想」面白いですね!
戦後に生まれた新しい価値を、再評価すべきものはありそうです。

こまかい選定基準ももちろんだけど、例えば
「ポーク缶は戦後遺産に含めるべきか否か?」
とか具体的な議論することでいろいろ見えてきそうです。
「戦後遺産」構想

っていうのは魅力的ですね。
でも色々難しいでしょうね。

遺産と言っても有形と無形の両方にまたがっているから。
城や寺の建物を保存するのとは違いますからね。
栄町なら栄町で、市場や歓楽街が、
生活の中で生きたものとして残らなければならない。

仮に、本当にひとつの仮定ですが、
経営的に難しいからと言って、
誰かが残すために助成金を出したとしても、
市場自体の本質は変わって、形骸化するだけでしょうし。

日記に書いた国映館なら、金さえあれば、
10年でも1,000年でも建物を修復・保存することはできる。
(それに何の意味があるかは別としてですが。)

ポーク缶は遺産に含めるかどうかは別として、
今でもチャンプルーの具やポークたまごとして生きています。
むつかしいところですが、以前、「旧県議会棟(琉球政府時代の立法院棟)」を保存せよ、という市民運動がありましたが、立法院棟は取り壊し、県庁前にはその場所に記念碑と小公園があります。
建物だけではたしかに意味がないとおもいます。
早いうちに建物を「再利用」するという「ヨーロッパ的」な都市にたいする感覚があれば、「廃墟」にならず「生きた建造物」になるとおもいます。
廃墟に美をもとめるには思想の段階がいくつも 必要だとおもいます。
ポーク缶は終戦直後からの変遷を調査するだけでも大きなテーマだとおもいますよ。まさしく小さな戦後遺産です。
>早いうちに建物を「再利用」するという
>「ヨーロッパ的」な都市にたいする感覚

建物自体の作りと、風土条件が悪いから、
日本ではなかなか難しいんでしょう。

以前に当時帝国ホテルの副支配人だった
犬丸一郎氏とお話する機会があったのですが、
結局ライト館は一部が明治村に移築保存されましたが、
有楽町にあの建物のままでは、
ホテルとして経営していくのは無理の無理だったそうです。
(ライト館の取り壊しの責任者として批判もされる
 お父様の犬丸徹三氏を弁護するという気持ちも
 あったでしょうが。)
今父からヒアリングして終戦直後の今は無いタイプの缶切りの話をききました。
うーん、戦後遺産、すごい細かく、重く、巨大なテーマです。

チャーリー先生、
いまちんどん屋コミュとしては
「いまの街になにができるか?」これがちんどん屋のできる範囲ということでかんがえたいとおもいます。

よろしくお願いします。

戦後遺産はもうすこし後でコミュと、サイトの形で、じっくり議論検討を重ねたいですね。
今日(6/16)の沖縄タイムスの記事です。

沖ちん同の栄町音頭にも触れてますよ。
 >植木屋氏 
 なるほど。迷路な構造になったのはいつからでしょうね。
 当日配布した沖ちん同通信で私は栄町音頭から
 いろいろ分析してみました。
 「衛生設備の市場街」このひとことに尽きるかなと。
 あたりまえの言葉に聞こえるが、
 戦後復興の姿を象徴する言葉と私はおもいます。
 上下水道の整備の上にある市場ということでしょう。
 蛇口があって、水掃除が楽にできて、排水路があって衛生的といえることですね。
 
 
パンチポンチ様

こんなお知らせありましたよ。僕行けそうにないけど行かない?
http://asiaculture.ti-da.net/e895627.html

「沖縄民俗学会7月例会の開催のお知らせ」

題目:「沖縄における神社〜吉田神道との関わりにおいて〜」
発表者:新垣裕之氏(波上宮史編纂委員会事務局)
日時:2006年7月29日(土)4時〜
会場:沖縄県立芸術大学一般教育棟教養103教室(那覇市首里当蔵町1−4)
参加費:会員=無料、非会員=資料代200円
問い合わせ先:沖縄民俗学会事務局(琉球大学法文学部人間科学科 稲村務研究室内)
Tel/Fax 098−895−8190
 これは興味ありです。
 沖縄の神社、もともとウタキだったものがどのように変遷したかは興味があります。

 いま沖縄の街づくりで思うのは「神様」がいないとおもうのですね。
 そこを町おこしのポイントにしたいと私はおもいます。
 
民間の拝所(ウタキ)→琉球王府による統制→本土の神道の伝来(神社神道)→明治大正期の皇民化政策(国家神道)→戦時期の皇民化政策→米軍統治期→復帰後(現在)という感じでしょうか。

本土から入ってくる際は、為政者(首里)が積極的に受け入れる「国家鎮護」的な意味があったようです。
民衆や地方を統治するのに利用したんでしょうか。
大陸から日本に仏教が入ってくるのと似た構図ですね。


波上宮の歴史
http://www.genbu.net/data/ryukyu/naminoue_title.htm

「沖縄の神道」
http://www.shinto.org/isri/jpn/forum/forum8/mybookreview.htm

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