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関ヶ原の戦い(西軍派)コミュの東軍で好きな(許せる)武将は!?

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西軍派コミュですから、
なくて当たり前かも知れませんが、西軍の嫌いな武将トピがある以上、ないのは公平ではない…と思い立ててみました…。

敵ながら天晴れexclamation ×2
もしくは、まあ…許してもいいかなexclamation & question
と思える東軍武将が居たらお教えください。

宜しくお願い致します。

コメント(5)

僭越ながら自分から…。

自分は小出秀家です。

秀吉の親戚筋ですから
本来許すべきではないのかも知れませんが…父と兄が大阪城に居て、自分の兵はわずか300しか居ないのに東軍に参加し、家康からその活躍ぶりを認められたのは、他の成り行き裏切り武将とは違い、並々ならぬ決意だったと思います。

家康のその後の豊臣縁の大名たちの取り込みに 秀吉の血筋が必要だった!?から利用された…と言うのもあるかも知れませんが…父や兄までお咎めなし…とするのは、やはり小出秀家の器量を認めての事だと思います。
加藤清正と浅野長政・幸長父子。
長政は晩年まで豊臣家の恩顧を忘れず、秀頼の将来を思っていたと言いますし、清正と幸長は二条城の会見、当時の徳川豊臣両家の力関係を考えると、いかにリスクを伴っていたか。

前田利長
私のHNですが、司馬遼太郎小説を読んだ時は地元の恥さらし!と思いましたが、色々な文献を読んでいきますと最後まで豊家の将来を憂い、彼の死を待って家康が豊臣討滅に動き始めた事、死因は両家の間に挟まり、悩んだ末
の服毒自殺とも言われています。
>>[002]

前田利長は加賀征伐の際 実はバリバリの交戦派だったみたいですね…。

この時豊臣方も呼応して動いて入れば…また違う…かなり西軍に有利な関ヶ原があったと思います。
藤堂 高刑ですね。
約束を守り、大谷吉継の首の場所は殺されても言わないという逸話に漢気を感じました。
>>[3]
初めて読んだ書物から抱いた先入観と言うか自分に与えた影響はすごく大きかったですね。
例えば司馬遼太郎氏の「関ヶ原」や「城塞」のみを読んだ人と山岡荘八氏の「徳川家康」のみを読んだ人の家康観は180度とは言わなくても120度くらいは全く違うものになると思います。

NHKでは大河ドラマ「徳川家康」を放送した手前、真田太平記や葵三代では家康の豊臣家の扱いには苦心していましたね。

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