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とにかく頭にくる話。コミュの高校時代の部活の話

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初投稿です&かなり長文です…なので時間があってヒマな方だけ読んでいただけたらと思いますm(_ _)m

また、「頭にくる」部分に行くまでの前置きがかなり長いですが…それでも良いと言ってくれる人だけ読んでください(笑)

何度か読み返して確認しましたが誤字・脱字等がございましたら申し訳ございません(^^;)





私は高校時代、バレー部に所属していました。

私と同じ中学校から来た子が同じクラスに男子が1人しかいなかったというのもあり、また、面倒くさがりで自分から友達を作ろうとしなかった私は、唯一気楽に話せて笑い合える部活仲間とその先輩達が大好きで、部活が休みならその日高校に行く意味がないと言って良い程部活に熱中していました。

先輩達は、その1つ上の先輩方が少し厳しい方だったらしく、私達後輩に凄く優しく接してくれて、敬語こそ使っていましたがまるで同い年の友達のような付き合いでした。

楽しくて楽しくてあっという間に1年が過ぎ、3年生になった先輩達の最後の試合・総体が終わって帰る車の中で、もう先輩方と一緒にバレーが出来ないんだと思うと涙が溢れて止まらなくて、家に着くまで泣いていたのを覚えています。

今まで一度も人前で泣かなかった私が顔を覆って泣きじゃくるのを、一緒に乗っていた先輩や同級生の仲間がびっくりした様子でずっと慰めてくれてました。



その後、誰が次のキャプテンをやるか話し合いました。

私達の顧問をしてくれていたO先生は「お前達のキャプテンだ、お前達で決めろ」と、私達に託しました。

私の学年のバレー部員は私を合わせて5人しかいませんでした。

その中の2人が小学校のスポ少と中学校の部活で全国大会に行く程強いチームに所属していて、実際ずば抜けて上手でした。

なので、私を含めた他の3人は入部してスグの頃からもうこの2人のどっちかがキャプテンでどっちかが副キャプテンなのだろうとずっと思っていました。

しかしいざ5人で話し合ったら、なんと全員一致で私を推薦するではありませんか。

私はスポ少でこそ2年ちょっとバレーをやっていましたが私が通っていた中学校にはバレー部がなかったため、高校でもう一度始めたバレーも最初から「中学3年間バレーをしていなかった」というブランク付きで始めました。

そのため体が慣れるのに誰よりも時間がかかり、時間が経っても最初よりは上達しましたが5人中一番下手と言っても過言ではないほど実力的には下でした。

なのでキャプテンに推薦された時に「なぜ私!?」という疑問が消えませんでした。

「いやいやいやムリだよ絶対、私みんなを引っ張ってなんか行けないよ!!」

2日間4人にそれを言い続けました。

しかし他の子達の答えは

「いくみが一番声が出てる。一番やる気がある。実力面では私達がカバーするから!!キャプテンはいくみが一番合ってると思う!」

私達を教えてくれていたバレー部のO先生は 、以前国体に出た事がある程の実力者で、教え方も凄く上手でした。

その先生がよく言っていました…「お前ら何やってんだ!!そのくらいの玉落とすんじゃねー!!!もっと頑張れ!!! …お前らもそのくらいコートに立ってるやつらに言ってやれ! 取れるハズのボールを落としたり、こんなトコでこんなミスしないだろうって思うような失敗をしたら、怒れ!! あいつらはお前らの代表としてコートに立ってるんだ、そんな試合すんなら私と代われ!!!って言え! 自分が先輩達より下手だからって何でもかんでも『大丈夫大丈夫、次頑張ろう』で済ますのは優しさじゃねぇ、ただの甘やかしだ。 それは、チームを弱くさせてんのと同じだ、チームが弱くなっても良いと思うならそう言い続ければ良い、でも強くさせたいなら甘い事言うな。 『何やってんだ!!!』のひとつくらい言ってやれ!!!」

私は、実力は、ホントにありませんでした。

早いスパイクはどんなに頑張っても反射的に怖さで顔をそむけてしまったり、身長も高い方ではなかったのでブロックも強い攻撃も出来ず、反射神経も決して良い方ではなかった。。。

それなら何が出来るだろうと考えて、思いついたのが「声」でした。

声だけなら誰にも負けないくらいに出してやろう…やる気だけは、他の誰にも負けてなるものか…ッ!!!

だから私は声の大きさと頑張る事だけは誰よりも頑張ったつもりでした。

毎日部活のラスト30分くらいは、いつも試合に出るレギュラーチーム対私達ベンチチーム+O先生で試合をしました。

その時に滅多に褒めない先生が「こいつは誰よりも声が出てる!!」と私の肩を叩いてくれた時、泣きそうなくらい嬉しかったです。

ベンチにいながら先輩達に「そんな玉落とすな!!! 拾え拾えーッ!!!」と言っていたのも、私だけでした。

ムカつくだろうなー私が逆の立場で後輩からそんな事言われたらムカつくもんなぁ(笑)なんて思いながら、それでも言うのをやめませんでした。

だって、私にはそれしか出来なかったから。

でも、同級生は私に言いました、それを出来たのがいくみだけだったから、お前をキャプテンに選んだんだって。

2日間「No」と言い続けた私に、4人も引き下がらず…前代未聞の「副キャプをあんた達2人(全国大会に行ったという2人)がやってくれるなら」という条件を彼女達はのんで、私はキャプテンになりました。

遅くなりましたが、一応私が副キャプに選んだ2人をA・B、他の2人をC・Dとしておきます。

「私は実力で後輩を引っ張って行く事は出来ない(悲しい事に後輩の方が上手だったから)、それならば、先頭をあの2人に引っ張っていってもらって、私は後ろから彼女達を押せるキャプテンになろう! 先輩達が、私がどんなに下手でも見捨てないでいてくれたように、頑張れって背中を押してくれたように」

それが、目標でした。

絶対「え!? お前が!?」ってびっくりするだろうな〜と思っていたO先生は、一言「そうか、頑張れよ」と言って笑いました。

「チームはピラミッドと一緒だ。後輩が一番下にいてお前らを支えて、真ん中にいるお前らが頂上にいるキャプテンを支える。でもキャプテンは一番上にいるけど下が支えてくれていて初めて上にいられる…いくみがキャプテンになったけど、お前ら1人1人がキャプテンのつもりでやれよ!!」

私がキャプテンになったと部活内で初めて報告した時に、先生がみんなに言ってくれました。

頑張ろうって、思いました。

選ばれたからには、自分でやると決めたからには、出来る限りの事をしようと。



だけどその数週間後、O先生から話があるとみんなを集めました。

「国からの指示で、辞める事になった」

最初は何を言ってるのかが分かりませんでした。

2005年に開かれた東京フィギュアスケート…その会場作りとして、以前国体に出場した事があるO先生も国から呼ばれたとの事でした。

最初はその年の4月に声がかかったのを、「あと1年待って欲しい」と何度も訴え、でも叶わず、7月で私達の高校を去る事が確定したとの事でした。

「せめて来年の3月まで、お前達に色々教えたかったんだけど…悪いな」

泣いて謝る先生…泣いてる周りの子達・後輩…私は1人で腕に爪をたてて涙をこらえ、話が終わってもまだ沈んでるみんなに「ほら部活行くよ!泣いてるヒマなんかないよ!!」と体育館に引っ張って行きました。

あの時ほど部活で「私がみんなを支えるんだ」と思った事はありません。



私達には、コーチがいました。

コーチは、学校関係者ではありませんでしたが、何やらO先生の昔からの友達?同じ国体に出た仲間?らしく、土日はよく私達の部活に来ては指導をしてくれていました。

しかし私とコーチは入部当時から面白いくらいウマが合わなかった…というか、ナゼか物凄く目の敵にされてました。

他の人との態度なんて歴然…アンダーレシーブの練習の時なんか、わざと顔を狙って打たれた事もありました。

O先生が辞めたあと、「なんであんな実力も伴わないヤツをキャプテンにしたんだ!?」と私の同級生に何度も質問し、土日で部活に来る度来る度「いいか、お前なんかいらないの」とみんなの前で私を指さして言い放ちました。

O先生が辞めたあとに任された副顧問の学校のM先生(当時28歳くらいの女性の事務職員)は、中学か高校時代にバレー部だったらしく「私は何も教えられないからコーチに聞いて!」と言い、いつも体育館の端っこにちょこんと座って見ているだけでした。

私が何を言われても見ているだけ…O先生がいる時は絶対言わないようなひどい罵声をコーチから浴びせられても、特に何もしてくれませんでした。

「どうしてお前達のどっちかがキャプテンにならなかったんだ、どうしてあんなヤツを!!!」

コーチのその言葉に

「私達は実力で彼女を選んだんじゃない、一番やる気があって声が出てたから…」

そう返したAとBもかなりいろいろ言われたとあとで聞きました。

それでも私はキャプテンを続けました。

実力がない自分が悔しくて、先生も誰も助けてくれないのが悲しくて、でも誰かに当たる事も親に言う事も出来なくて…リストカットがクセになったのはその頃でした。

(当然ですが今はもうやっていません!!)



夏になると毎年バレー部で合宿をします、学校の隣にある合宿場で寝泊まりして。

朝ご飯と夜ご飯は親達が来て作ってくれたりするのですが、昼だけは、夏休みなのにも関わらず学食の方が作ってくれました。

サラダうどん?みたいなモノだったのですが、1人1人の量が半端ない。。。

しかもその日に限って、練習試合で他の学校のバレー部の方も何組か私達の高校に来ていました。

ご飯を食べ終わると試合前に他の学校の子達はみんな体を動かしてるのですが、コーチから「もったいないからお前ら絶…ッ対に残すなよ」と言われてムリしてでも完食した私達は、とても動ける状態ではなく。。。

「とりあえず、動ける子だけ準備運動して」と言ったは良いものの、やはりというか誰も動きませんでした。

みんなとにかく苦しそうで、試合中に吐いたりしても困るし、それなら試合前に少しでも休ませた方がと思いムリに立たせようとはしませんでした。

それについてもその後散々言われ…「準備運動してなかったのはウチだけだった、お前がキャプテンなんかやってるからだ!!!」って。

「いやいや、ムリして食べさせたのは誰ですか」

と言い返したらまた「お前なんかいらない」の嵐で…いい加減腹が立った私は「私もコーチなんかいりません」と言い放ちました。

「そうか!いらないか!じゃー帰るわ!!」

そう言って帰るコーチを見て、M先生が「いくみ謝って!!!」と腕を引っ張ってきました。
生徒があれだけ言われても何も行動しなかった人が、自分の立場が危うくなった途端立ち上がった…と正直驚きました。

絶対謝るもんか、というかナゼ私だけが悪者なんだ!?

不満タラタラでした…結局謝らなかった気がしますが(すみません、この辺はうろ覚えです)、土日になるとまたコーチはいつも通り体育館に来ていました。



また別の日に、今度は私達が練習試合で違う高校に行きました。

私達は、私達と後輩を合わせて10人近くいましたがその時は確か何人か来れなくて、8人しかいませんでした。

私と私の同級生Dは特別コーチから嫌われていた2人で、実力もないという理由もあり、後輩を試合に出させて私達はラインズマンや得点係をやったりしていました。

昼頃になった時、後輩の1人が足を痛めてしまい、バレーは6人でやるので私かDどちらかと交代しなければならないという状況に。

しかしコーチが言った言葉は

「おい、帰るぞ」

…は?と顔を見合わせる私達。

「Dを出させてやってください、何で帰るんですか」

と私が言うと

「そいつを出すと負ける」

あり得ないと思いました。これが指導者の言う言葉か!?と。

「じゃー何のために今日Dはここに来たんですかッ!?」

と反論すると

「あのね、オレの息子は今日少年野球の練習試合だったの、だけどお前ら方に付き合ってあげたの。だけど負けると分かってる試合に付き合っている程オレはヒマじゃないの」

もし自分の息子がそんな言葉を少年野球の監督から投げかけられたらあなたはどう思うのか、親になってそんな事も分からないのか、と思いました。

そんな言葉を投げかける人に全てを任していて、尚何も言わないで帰ろうとするM先生も信じられなかった。

キャプテンなのにも関わらずチカラが及ばなくて、Dを出させてあげられなくて、「ごめん」と私はDを抱きしめながら泣きました。

7月から11月までの4ヶ月間、腐るほど練習試合をしましたが一度も私とDがコートに立つ事はありませんでした。

高校最後のインターハイまでに練習試合に出させてもらえた数は片手で足りる程度だったと思われます。



お前なんかいらない。

会う度に言われた言葉。

その場で直接かばってくれる人もいない。

10月頃になると、土日で部活があるたびに、体育館に小さなカッターを持って行ってました。

「次に『お前なんかいらない』って言われたら目の前で手首を切ってやろう。その言葉にどれだけ人を傷付ける力があるか、思い知らせてやろう」

だけど、言われる度にやろうとしても出来なかった…O先生がこれを見たら、「自分がここを離れたせいで」って責めるんじゃないかと思って。

O先生は、私がキャプテンになった時、怒りも驚きもしなかった。

頑張れって。

肩を叩いてくれた。

「誰よりも声が出てる」って、私がたった一つ誰にも負けないようにと頑張っていた事を、見抜いて褒めてくれた。

まだ大丈夫。

まだ頑張れる。

せっかく選んでもらえたんだから。

頑張らなきゃ。



11月末、AとBが私のトコにきました。

「私がキャプテンになる、Bはそのまま副キャプで…」

いくみが可哀想で、見てられない。私達がキャプテンにしたせいで…ごめん。

泣いて、そう言われました。

お前らのどっちかがキャプテンになれ!!!と散々言われてきた2人。

それを拒み続けて、私への風当たりがもっと強くなってしまった。

相当悩んだと思います。

コーチにも何度も「実力でキャプテンを選んだんじゃない」と言ったらしいのですが、聞き入れてもらえず。

もちろんM先生は我関せず。

2人が謝る事じゃないのに、泣いて、ごめんと繰り返しました。

私がもっとバレーうまければ、こんな風に2人を泣かす事もなかっただろうに。

せっかく選んでくれたのに。

護れなかった…仲間なのに。

私も、ごめんと繰り返して泣きました。



とある練習試合の最中、コーチが言いました。

「お前なんか声だけだ、実力もないのによくそんな事が言えるな」

同じ指導者として、どうしてこうも言う言葉が違うのか。

O先生、私キャプテン続けられなかった…ごめんなさい。



「私がキャプテン失格なら、お前は人間失格だ」

部活が終わる時、最後にコーチに会った時に言ってやろうとずっと心に決めていたセリフでした。

でも親に「お前がそれを言う事で後輩の子達がイヤな思いをさせらるんじゃない?」と言われ、結局言えず仕舞い…言葉も思いも涙も全部飲み込んだ高3でした。



コーチは、生まれて初めて出会った「殺したいほど憎い人」です。

今でも気持ちは変わりません。

きっと彼が死んでも私は泣きもしないでしょう。

大好きだった部活を大嫌いに変えた…あんなに人を憎んで恨んだのは、初めてです。

私の心の底の、真っ黒な部分です。

今でも思うのは、お前なんかいらないと言われたあの時に私が手首を切っていたら、2階(体育館は2階でした)から飛び降りていたら、会う度にその言葉を投げつけられた私の苦しみをあの人は少しでも分かっただろうか、法はあの人の言葉と態度を裁いてくれただろうか、という事。

やらなくて良かったという気持ちが半分・やっておけば良かったという後悔が半分。



いろんな人の「とにかく頭にくる話」を読んで、私が頭にきたのってなんだろうと思って瞬時に思い出したのが、コーチとの話でした。

なんか日記&愚痴みたいになってしまってすみません(笑)

こんな事よくある・こんな小さな事でそんなに悩むなんて、と思われる方は多いと思います、でもまだ社会を知らない高校時代に長期(約1年間)に渡ってこの態度を身近な大人に取られると…精神的には本当に耐えられなかったです、私にとっては。

10年経った今でさえ、言葉も態度も鮮明に思い出せます。

10年経っても、大嫌いです。

こんな無駄に長い駄文を読んでくださった方、ありがとうございました。

コメント(17)

教育者で特に運動部関係は何故かそういう教師が多い…
桜ノ宮のバスケ部もそうだけど教師やコーチのせいでスポーツが嫌いになった人はたくさんいると思う。
俺も野球が嫌いになった…。
>>[1]

コメントありがとうございます(*^^*)
私達を教えてくれていたO先生は教え方も人間性も物凄く良い先生でした♡
ただコーチが…(笑)
多いんですね、そういう方が。。。
私と同じような苦しみをされた方が少しでも少ない事を祈ります':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'
あ、ややこしくてごめんなさい、「大好きだった部活を大嫌いに変えた」この文章はバレーが嫌いになったのではなくて「コーチに会うから行きたくなくなった」って意味です(>_<)
私は今でもバレーが大好きです(╹◡╹)
拝読しました。

人間関係の織り成す光と闇。日常に溢れる毒。愛と憎悪。

まず思った事はその憎きコーチの前で手首を切るという復讐を思いとどまった事・・・正解です手(チョキ)

この復讐はある意味インパクトは強いのだけれどあくまでも相手が善性傾向もしくはスキャンダルを嫌う家柄の人だけよほっとした顔あっ電球あと祟りを信じるオカルト傾向の人もウッシッシ

私ならもっといい復讐しちゃうな揺れるハートグッド(上向き矢印)(笑)

まあ軽口はさておき世の中このテの負の人間関係って 沢山ありますよねもうやだ〜(悲しい顔)中には社会人となり、逃げられない状況下でそのような者と出逢ってしまうケースもありますげっそりそれを考えれば不幸中の幸いかとウインクほっとした顔

>>[3]

コメントありがとうございます(*^^*)
私も、「高校時代に体験出来て良かった、こんなのが社会人になってからじゃーたまったもんじゃない」と思った事が何度かあります(笑)
相手が善性傾向もしくはスキャンダルを嫌う家柄の人だけ・あと祟りを信じるオカルト傾向の人 → ダメですね、まったく当てはまりません♡
ちなみに同じ部活の同級生だったCがコーチと家が近所らしく、ご近所の噂によると、コーチの家にいる当時少年野球に通っていた1人息子は、その少年野球のコーチor監督から、私がコーチから受けていたのとまったく同じような仕打ちを受けていたらしく、「だからいくみに八つ当たりで同じような態度取ってるんだよ」って言ってました…そんな理由を聞いたところで「だから何だ」とまったく受け入れられませんでしたが(笑)
そのコーチも厭なヤローだねー(長音記号1)ー(長音記号1)ー(長音記号1)むかっ(怒り)むかっ(怒り)ちっ(怒った顔)
(ブラック企業の中間管理に居そうだがまん顔)

馬鹿、グズ、キモい、変態(俺?ウッシッシ)、臭い、汚いなどなど他人の悪口雑言は沢山あるけど「お前はいらない」とゆう存在価値すら否定するこの台詞はトップクラスじゃない?むかっ(怒り)
良く堪えた手(グー)

おそらく多少のトラウマを抱えてしまっているのでしょうが、このコミュを上手く利用して発散するのはいい方法だよ指でOK


そのコーチ・・・愛しているであろう子供や奥さんの口から是非ともその台詞を聞かせてあげたいものです(笑)


↑の人と同意ですほっとした顔

自殺なんて駄目駄目泣き顔
下手するとただのサイコ扱いされちゃう可能性有りがまん顔涙

>>[5]

コメントありがとうございます(*^^*)
多少のトラウマもありましたが、おかげさまで「ダメな大人」の良い例を見れた気がします(笑)
「私は絶対にこんな人間にはならない♪」というポジティブな考えをするしかないです(^^;)
良い事も悪い事も、めぐりめぐっていつかは本人に返って来るモノ…返って来るのが心底楽しみです♡ ← (邪悪な考え)
話はかなり飛びますが、良い名前ですねハート
私もアンダーテイカー大好きでした(笑)
>>[6]

コメントありがとうございます(*^^*)
ホントにそうですよね(笑)
でも、どうすればあの苦しみがあの人に分かるだろう、どうすれば「もう二度とそんな言葉誰にも言わない」って気持ちになってくれるだろうって考えた時に、どれだけその言葉に傷つくかを直接目で見て知ってもらった方がって考えちゃったんです(o´Д`)=з
今も昔も、私は弱いです(^^;)
でも、出来れば弱くても良いから、優しい人でありたいです':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'
拝読させていただきました。
…ひどいですね。
人生で一度しか高校生活は送れないのに、指導者の指導、方針ひとつで生徒の才能ややる気を摘んでしまうという事はあってはいけないと思う。

今withさんがお元気だということが何よりだと思います。よく、最悪の事態を招かずにいてくれました。

「この経験を活かして」という言い方はおかしいですが、少しでも思いやりのある人間が増えてくれたらと思いますm(__)m
>>[9]

コメントありがとうございます(*^^*)
ほんと、よく高校生相手にあれだけ言えたと思いますよ(笑)
今の時代学校問題に対してスグに親が出てくるし、今の子達なんて簡単に手首切っちゃうんだから(私みたいに)普通あとの事が怖くて言えないですよね〜(*´-ω-`)=3
「いや〜ダメな大人だった、私の両親があんな人じゃなくて本当に良かった♪」って心底思いました(σ・з・)σ
大丈夫、「良い事も悪い事も、全部未来を培う糧となる」が私の座右の銘なので、これを読んだ誰かが少しでも「こんな人にはなりたくないな」って思ってもらえたらいいなと思っています゚+.(ノ*・ω・)ノ*.☆゚・:*☆
辛い部活でしたね よく耐えられました

私の子供も高校でバレーをしています こんな目にあわされたら と思うと怒り心頭です

だけど

でも親に「お前がそれを言う事で後輩の子達がイヤな思いをさせらるんじゃない?」と言われ、結局言えず仕舞い

ここが負に落ちません

親なら娘を助けてあげてほしかったと思います
そんなコーチではチームが強くはなれません すぐに辞めさせて新しいコーチを入れるべきだど思います 言葉の体罰を繰り返す人間は学校と言う場に居てはいけません お父さん、お母さんに貴女の為に立ち上がり戦ってほしかった
口でゆわれるだけやしまだマシでしょ( ・∇・)
口でゆわれるだけやしまだマシでしょ( ・∇・)
私の場合はその逆。技術センスを重視してた先生から、ガッツやる気を重視する先生へ交代。
いきなりレギュラーナンバーとられましたよ。
8年続けてた野球に対して特に思い入れはなかったけど、いきなりやる気なくなりました。
けど、もしずっとレギュラーだったらその後も続けて今とはまた違う人生だったんだろうなーって思います。
いろんな事ありますよね。
>>[11]

コメントありがとうございます(*^^*)
それと、返事が年単位で遅くなってしまった事をお詫び申し上げます。。。

最初キャプテンを辞めてすぐに言おうとした私を止めたのが親でした、「今言っても来年の5月の総体までずっとギクシャクしたまま続けるの?それなら辞める時に言えばいいぢゃん」って。
そしていざ総体の1週間前になって「コーチに言う言葉を考えたんだ、やっと来週自分の本心を言える」って言った時に、「(上記の理由で)言うのゎやめた方が良い」って言われて・・・その後ゎ散々親と喧嘩しました。「ぢゃーなんであたしがキャプテン辞めさせられた時にそんな事を言ったのexclamation & questionあたしのこの怒りゎどこにぶつけたらいい訳exclamation & question」って。
今思えば、あたしが先輩から優しくしてもらったようにあたしも自分の後輩達を凄く大切にしていて、その子達が傷つけられる可能性があったからそう言って止めたのかもしれません・・・が、やはり今でも腑に落ちないなと思う時があります(笑)

mokurenさんのお子さんがあたしみたいな思いをしないで、今でもバレーを好きでいてくれるといいなって思います(*^^*)
>>[12]

コメントありがとうございます(*^^*)
それと、返事が年単位で遅くなってしまった事をお詫び申し上げます。。。

そうですね、でも逆に暴力ふるってくれたなら一発で教育委員会まで持ち越せるのにって思いました。
そーすれば法で裁けるのにって。二度と私達の部活に顔を出せなくなるのにって。
>>[14]

コメントありがとうございます(*^^*)
それと、返事が年単位で遅くなってしまった事をお詫び申し上げます。。。

そのやり方もかなり強引でひどいですねたらーっ(汗)
そうですね、野球続けてたらきっと違う人生や出会いもあったと思います。でも逆にその後出来た今の友達や仲間と会えてなかった可能性もあるので、結果オーライだといいなって思います♪

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