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日々こぼれ落ちる歌たち(童話)コミュの赤い砂糖壺

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珈琲のいい香りが漂うここは、喫茶「ルカ」という店。店内はカウンター五席と、二人がけのテーブルが二つだけ。

観葉植物がところせましと置かれ、ねじで回さないと止まってしまう時計が飾ってある。

シュガーポットの色は、朱に近いホーローの赤。
中の角砂糖は星の形をしていて、白砂糖と黒砂糖が混ざって入っている。

テーブルはよく使い込まれた木製で、椅子は座ると心地よい。体がすっぽりなじんでしまい、椅子と一つになってしまう。

小さな小さなこのお店は、まだ若いマスターと奥さんの二人でやっている。

外は雨だ。
窓際の席に座ったので、窓が曇っているのがわかる。
手で曇りをとると、外がよく見える。

わたしは、珈琲を飲みながらぼんやりと外を見ていた。
赤の花柄のワンピースに、赤のハイヒール。
紅い口紅。

胸元まであるカールされた黒髪。

今日のわたしは赤づくし。

アツヤはまだ来ない。

仕方ないので、黒い皮のハンドバックから煙草を取り出し、一本抜き出すと、ゆっくり火をつけて吸った。

吐き出すと白い煙がゆらゆらと天井に舞い上がり、とたんに悲しくなってしまった。

「そうですね。煙草を吸う女の人ってあんまり好きじゃないかな」

あの日わたしがアツヤと話している時、アツヤはそう言った。別にわたしを嫌いだと言ったわけじゃない。何気なく会話の一端として出ただけだ。だけど、その言葉はわたしにずしんとのしかかった。

アツヤはハイヒールよりもスニーカー、胸元の開いたカットソーより、Tシャツ着た女の子が好き。

わたしはアツヤの好みの女の子ではない。大体女の子、という年でもない。さすがにおばさんではないだろうが。
それが、悲しかった。

わたしは、とある会社の社長をしている。学歴がないわたしは、父の残した保険金で会社を興した。仕事は楽しいが、寄ってくる男はみなわたしの財産にしか興味がない。

毎日のような食事の誘いの裏に秘められた男達の財欲に疲れ果てた頃、たまたまこの店に入ったら、そこにアツヤがいた。


アツヤはこの店の近くにある大学生で、清潔な黒髪と、たくましい日に焼けた腕を持っていた。

「ねえ、君。」
その時私は、大学ノートに必死になって何かを書き付けているアツヤに声をかけた。

アツヤは無言で顔をあげると、不審そうな顔をしてわたしをじろりと見た。

「なんの勉強、しているの?わたしは中卒だったから、あんまり勉強ってしたことないのよ」
わたしが聞くと、アツヤは警戒しつつぼそりと答えた。

「歴史。」
「歴史?どんなことをやるの?」
「僕が研究しているのは、国の歴史じゃなくて、個人の歴史です。それも著名な人のいわゆる伝記とは違い、まったく無名の人の一生を自分で調べて伝記を作るというものです。」
「へえ、それって面白そうね。」

わたしは心底驚いて感嘆の声を出した。するとアツヤは少し頬を紅くして、いえ別に、などと言う。
「どうして無名の人の歴史を調べているの?」
「一人の人間が一生の間にどれほど頑張って生きたかを証明したいんです。その人がどこで生まれ、どんな幼少時代を過ごしたか、どんな境遇で一生を過ごしたか、そしてどんな風に死んだのか、それを発掘していくと、地味だけどすごいドラマがある。それがおもしろいんです。この世界は何も金持ちと政治家と天才のためにあるわけじゃなく、名もない一人一人が支えていることがわかると、自分自身の救いにもなるんです。」

アツヤは熱心に語った。
「すごい。」
わたしはそう言った。こんな風に一生懸命にがんばっている子がいるなんて。

アツヤはなんだか照れているようで、ちょっと決まり悪そうな顔をしていた。

わたしは立ち上がって名刺をアツヤのテーブルに置いた。
「叶幸(サチ)です。良かったら今度会社に遊びに来て。」
「日野敦也です。へえ、社長さんなんですね。かっこいいな。」
アツヤはそう言って、その日初めて少年の顔で笑った。

それから、アツヤは本当に会社に遊びに来た。
もうすぐ仕事が終わるという午後、デスクで部下と話していると秘書が面会ですと言ってきた。
「誰?アポのない人は通さないでって言ってるでしょ?」
「はい、申し訳ありません。その…日野様と名乗っておりますが」

わたしは動揺を周囲に悟られまいと、一瞬の内に嘘をついた。
「ああ、甥だわ。就職のことで相談に乗る約束をしていたのよ。すっかり忘れていたわ。下の部屋で待たせて。あと十五分で行くわ。」

仕事を大急ぎで済ませると、わたしは飛び跳ねるようにエレベーターに乗った。

アツヤは、ソファに腰掛けてやや緊張した面持ちで手を肘掛に乗せていた。
わたしが現れると、ほっとしたように笑った。
「ああ、良かった。追い返されたらどうしようかと。」
「そんなことするわけないじゃない。来てくれて嬉しいわ。」
「急に来て迷惑じゃなかったですか?」
「そうね、迷惑ではないけど、今度から連絡を入れて来てくれると待たせなくて済むと思うわ。」

「わかりました。」
アツヤは真面目にうなずく。
今日のわたしは黒のスーツに、黒のハイヒールを合わせていた。

「わたしも仕事があがりなの、良かったら一緒にご飯を食べましょう。」
「じゃあ美味しいところがあるので、そこに行きましょう。」

アツヤが連れて行ってくれたのは、小さな飲み屋だった。学生や、仕事帰りのサラリーマンがいる。メニューはビールや焼き鳥、おでんが並ぶ。
わたしはわくわくした。小さい頃、のん兵衛の父はこんな店で一杯やっていたのだろうか。
「最初、叶さんが声をかけてきた時、正直なんて派手な女の人だろうって思いました。」
ビールを飲んで、ちくわぶをつつきながらアツヤはそう言った。
「でも、僕の勉強にあんなに興味を示してくれて嬉しかった。みんなあんまり興味を持ってくれなくて。」

そしてしばらくした後、
「僕が研究にのめりこんだのは、母を事故で亡くしていたからなんです。僕が小学生の頃でした。母の一生はとてもちっぽけで、そんな母が死んだことで、世界が変わったのは、やっぱりちっぽけな僕と親父の生活でした。でも他人には、それが見えない。母の存在ってなんだったんだ。とても料理がうまくて働き者の優しい人だったのにって。」
わたしは驚く。
「わたしは父を事故で亡くしているわ。会社はその保険金を元に作ったの。」
「ああ。」

アツヤはなるほど、とつぶやく。

「それで、あなたがむしょうに気になったのかもしれない。」
「じゃあ、我々の亡き父母に」
わたしはそう言って、日本酒のお猪口をあげた。アツヤもジョッキをあげた。

奇妙なことだったが、現実だった。
わたしとアツヤは子供の頃に片親を事故で亡くしていた。その喪失を埋めるために、一人は会社を興し、一人は研究に没頭していたのだ。

アツヤは少し、泣いていたようだった。



だいぶ出来上がって帰る道々、夜空にぽっかりと満月が出ていた。
「アツヤ君、見て。月が出てるわよ。」
「ああ、ほんとだ。きれいですね。」

わたしたちはしばらく月を眺めた。
お互いに亡き、父を、母を思い出していた。


「会いたいね。」
「そうですね。」


わたしとアツヤは交互につぶやく。誰に、と言わなくてもわかる。この空気がたまらなく好きだ、とわたしは思った。

お父さんに会いたい。
お母さんに会いたい。



叶わなくても願ってしまう、切ない祈り。


どうかもう、わたしたちのように淋しい思いをする人間が、一人でも減ればいいのに。そう、一人でも多く。

そう思っていたらアツヤが言った。

「僕はだいたいルカで勉強してますから、来てください。」
と言って笑った。

「じゃあ、今度はもっと派手な格好していこうかしら。そうね、赤づくしで。」

冗談とも本気ともつかない勢いで言うと、アツヤはまた笑った。
今度の笑顔は、いとおしい者を見る目だった。

少し切なくなって月を見上げると、いつの間にか涙がこぼれていた。
それは、悲しいからではなかった。

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