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ペーター・ホフマン[MIXI出張所]コミュのちょっとおもしろい話[6] ど忘れ!

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もう十年以上前ですけど、あちらの投稿サイトで、ペーター・ホフマンはよく歌詞を忘れるというのを読んだことがあります。伝記を読んで思いました。さあて、この投稿者は自らの体験を書いたのか、それとも、ネタは伝記? 

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ど忘れ!(1)
(デビュー前、ウィーンでのコンクールでのことです。1971年か72年)

 第二部は、声楽についてかなり詳しいウィーンの聴衆を前にしての公開だった。シューベルトの「水車小屋の娘」からの「あらゆる木々に刻みたい」で始まる「いらだち」がまず最初の曲だった。

その第三節で(有節歌曲とは、なんと残酷なものだろうか)歌詞が思い出せないという事態に陥ったのだ。後で、みんなほとんど気がつかなかったそうだと教えてくれた人がいたが、その瞬間は、私には永遠だった。

度々ヘルマン・プライの伴奏もしているレオンハルト・ホカンソンが親切に前奏をつけてくれて、出だしの言葉を小声で教えてくれた。お陰で再び続けることができた。このピアニストは、なんと優雅でこまやかな人物だったことだろうか。私の中には、「最悪だ」という思いしかなかった。

この音域が高い歌曲のあとは、「ワルキューレ」から音域の低い「冬の嵐」だ。この選曲は私が提出したリストから審査委員会によって、難度的に対照的な二曲が、適当に抜き出されていた。

マイクで歌の題が告げられたとたん、会場にざわめきが広がった。この若者が一体どうするか、まあ見てやろうじゃないかというわけだ。ごく自然な成功だった。アメリカ人たちが「スタンディング・オベーション」と言うと、みんなが立ち上がって、拍手し、ブラボーと叫んだ。

その時すでに私はこのコンクールの優勝者と見なされていた。結果が発表されたが、私は入っていなかった。会場は喧噪の渦だった。聴衆は本当に憤慨していた。評論家のカール・レーベルは、当時、ウィーンの新聞にこう書いている。『将来のためにいくつかの名前を覚えておくべきである。最終審査から除外されたシルビア・シャシュ、ソーナ・ガザリアン、ペーター・ホフマンである。殊にペーター・ホフマンは正当に認められるべきだった』

 それでも、私としては、このコンクールは、記録すべき大成功だったと思っている。私は、このコンクールで、将来の成功への確かな展望をつかんだ。そうは言っても、「冬の嵐」は独立して歌われる場合、歌手にそれほど多くを要求するものではない。

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ど忘れ!(2)

『イドメネオ』のタイトルロールで、両腕を広げた王様然とした姿勢で舞台に立って、『クレタよ、なんと輝かしく明るく喜びに満ちた未来があることか』と、歌うべきところだった。ところが、そのフレーズがいっこうに思い浮かばないどころか、頭の中が真っ白な状態なのだ。頭がからっぽになった。要するに歌詞が出てこなくて立ち往生というものだ。オーケストラ・ピットでは指揮者が冷や汗をかきながら、導入部の和音をチェンバロで何度も繰返し演奏して、私に何度も出だしを示していたし、プロンプターはプロンプター・ボックスから腰まで身体を突き出していたが、私だけが完全に何もわからない状態だったのだ。ところが、突然、私の頭の封鎖が解けて歌詞が戻ってきて、先へ進むことができた。そして、不思議なことに、数人の同僚しか、一体どうしたのかとは尋ねなかった。客席にはほとんど気がつかれなかったようだった。(1972/73年 リューベック 写真)

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ど忘れ!(3)

ハンブルクでは、まさにローゲとして、自分に一杯食わせてしまったことがある。アルベリッヒの呪いの歌のあと、ローゲは『彼は放免ですか』と尋ねなければならない。そして、ヴォータンは『縄目を解いてやれ』と命令する。ヴォータンはハンス・ゾーティンが歌った。客演の歌手がアルベリッヒだった。私はアルベリッヒに関心を集中して聴き入ってしまった。舞台のそこに立っている、そして眺めている、そして・・歌詞を忘れている。どうして静かになったのかと、まずは思う。大変だ。アルベリッヒがまだぐずぐずとそこにいるじゃないか。と同時に私は先に進まなくなる。プロンプターも、身を乗り出している、歌詞をささやきながら、プロンプターボックスから上半身を半分突き出している。アルベリッヒが私のことを、かわいそうに、ここから先はわからないんだと気の毒がっている。ヴォータンももちろん私抜きでは、次を歌うことはできないところだ。しかし、このような時には、全てが麻痺状態に陥っていて、だれもその後にアドリブを入れるなんてことにはならないのだ。そして、一番哀れな奴の私はその間中、ひたすら、どうやって先に進むべきかということだけを考えていた・・・
  そのとき昔からの確実なやり方で、指揮台のホルスト・シュタインが急場を救うべく自身で歌ってくれる。そして、私はうなずく。あやうく「彼は放免されました」と歌うところだった。恐ろしかったが、同時に、わくわくした。(ワーグナー ラインの黄金 いつのことかは不明ですが、1975年以後、1982年より前であることは間違いないでしょう)

コメント(3)

藤原義江が歌詞を忘れた時、
あの立派な声で、
「なんだったっけぇぇぇ〜〜〜、なーーーーんだったーーーーっけ〜〜〜〜」と歌いつづけていたそうです。
どこからも文句は出なかったそうですよ(笑)
この話、私もどこかで聞いたことがあります^^; 藤原義江さんは、中学生だったか高校生だったか忘れましたが、私たちの学校に来てくださったことがあります。何を歌ってくださったのかも忘れましたけど、良い声とかっこよさは覚えてます。

一度も歌詞や、もしかしたら、メロディーも、ど忘れしたことのない歌手って存在するかしら?? たしかスカラ座の「エルナーニ」だったと思いますけど、カルロ5世役のブルゾンが、もごもごとハミングしてる部分があるとか.....?

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