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ペーター・ホフマン[MIXI出張所]コミュの続、オペラ歌手のレパートリー 

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1976年にバイロイト音楽祭に初出演してからは、ますますワーグナー専門の傾向が強くなるどころか、ワーグナー作品の中でも、特にジークムントの需要が多くなり、シュトゥットガルト歌劇場との専属契約が終わったころには、「ヨーロッパ中の劇場で、一年中ひたすらジークムントを歌った」といった状況になります。

ラインの黄金のローゲ役も頻繁に客演したものの一つだということですが、こちらは、いつの間にか歌わなくなってしまったそうです。ジークムントと、同じころから盛んに要求されたパルジファル、そして、ローエングリンが「彼の役」になります。この三役専門歌手みたいな状況が続いたようです。

歌いたいと言っていたR.シュトラウス「ナクソスのアリアドネ」のバッカスは1979年ハンブルクで歌いました。ワーグナー以外で続けて度々歌ったのはフロレスタン(ベートーベン、フィデリオ)とマックス(ウェーバー、魔弾の射手)ぐらいでしょうが、これもワーグナーのあの三つの役に比べれば、歌っていないも同然かもしれません。

ワーグナーの役でも、ジークフリートとタンホイザーは舞台で演じないまま終わりました。1975年シュトゥットガルト歌劇場との5年契約が決まったころ、インタビューに次のようにこたえています。

「今は、ジークフリート、あるいはタンホイザーを歌うことはないでしょう。理由はできないと思うからです。たとえば、ジークフリートとかを、ひょっとしたら、八年ぐらいのうちに、できればいいのですが、どうでしょう。ジークムントは、今、歌えます。自分の声のことは分かっていますから、危険を感じればすぐに止めます。ですから、それはつまり活動を控えめにするということです。公演を減らします。技術的な過誤に気がついたら、為すべきことはひとつしかありません。つまり、即座に修正することです」(Opernwelt 1975年4月号)

ジークフリートは1988年、レヴァインと、メトロポリタン歌劇場の新演出出演の準備が進んでいたそうですが、酷い気管支炎のためキャンセルせざるをえなかったということです。同時に「神々の黄昏」のジークフリート・デビューも、「ジークフリート」のジークフリートの後にするべきだという判断をしたそうです。

1984年から、本格的にポピュラー活動を始めたことも、オペラの舞台に立つ回数が減った理由のひとつでしょう。ヴォルフガング・ワーグナーによれば、量的には、2対1、つまり、クラシックの仕事は全体の三分の一になったということです。

ワーグナーの役は、超頻繁に求められ、演じたあの三つの役(ジークムント、パルジファル、ローエングリン)に、1981年1月、バーンスタイン指揮のコンサート形式がデビューだったトリスタン、1984年12月、チューリッヒ歌劇場でデビューしたワルター・フォン・シュトルツィング(ニュルンベルクのマイスタージンガー)が加わります。

歌手自身は、ワルター・フォン・シュトルツィング役が一番好きだということです。大好きなワルター・フォン・シュトルツィングを1988年のバイロイト音楽祭で歌えて、とてもうれしかったと述懐しています。
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写真1)ジークムント バイロイト音楽祭1976-80年
写真2)パルジファル バイロイト音楽祭1982-85年
写真3)ローエングリン バイロイト音楽祭1979-82年 エルザはカラン・アームストロング

コメント(3)

>タンホイザーは歌わなかった
残念ながら.....間に合わなかったということでしょう。 
あの病気になったのでなければ、きっと、いつか歌ったでしょう。

ミュンヘンのルネ・コロのタンホイザーをみても、この役、
相当、年配の設定でも似合いますしね^^;

アリア集に入っている、ローマ語り、魅力的です。
1979年ハンブルクでのバッカス 「ナクソス島のアリアドネ」R.シュトラウス作曲の舞台写真です。

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