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ペーター・ホフマン[MIXI出張所]コミュのマリオ・デル・モナコとペーター・ホフマン

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この二人に個人的なつながりがあるなんて、想像もしませんでした。(写真はマリオ・デル・モナコの息子、演出家のジャンカルロ・デル・モナコ)

どちらもテノールで、マリオ・デル・モナコもローエングリンで舞台に立ったことがあるらしいとか、ジークムントを歌った録音もあるみたいとかは、何かでちらっと読んだ事があります。ローエングリンは何時間も直立不動の姿勢でいなくてはならないのはとても大変だと言ったとか。

ホフマンは 「クラシック歌唱に興味を持つようになったとき、レコードを買った。まずは歌手の名前でそろえていった。最初に買ったのはマリオ・デル・モナコで、イタリア語のすばらしいアリア集だった。私はこのアリアをまねして歌おうとした」そうです。

かなり前ですが、ある翻訳本(オペラへの招待、ジョン・ルイス・ディガエターニ著 細川晶訳 新書館1994年)に次のような記述を見つけました。

「歌手活動を終えた後、デル・モナコは高名な声楽教師となりましたが、彼の門下生でいちばん名前を知られるのがテノールのペーター・ホフマンです。イタリア・テノールの教師がヘルデン・テノールを育てられたということは、デル・モナコの芸の幅と見識の広さを示すものです。」

その後、日本人の音楽評論家による本の中でも、似たような記述を目にしましたが、おそらくこの原本、あるいはこの訳本が出典なのでしょう。原本は1986年発行。私は原本は読んでいません。

この原本の著者の情報入手源はわかりませんが、1983年のホフマンの伝記の可能性もなくはないと思います。だとすると、かなり拡大解釈のような気もしないではありません。

歌手は1974/75年のシーズンは、ヴッパータール歌劇場の専属でした。デビューしたリューベック歌劇場に二シーズン留まった後、ここに移ったわけです。この歌劇場で演出家、ジャンカルロ・デル・モナコ(1943年12月27生)に出会います。ペーター・ホフマンは1944年8月22日生ですから、ほぼ同い年ですね。

ヴッパータールではジャンカルロ・デル・モナコ演出の「魔弾の射手」にマックス役で出演。ジャンカルロ・デル・モナコとの仕事はとてもおもしろかったし、お互いに非常によく理解し合えて、ヴッパータール時代のあともときどき会っていました。そのことを通じて、うれしいことに、ある日、彼の父である偉大なマリオ・デル・モナコを訪問することが可能になったわけです。

「デル・モナコは、ヴェネチアの近くのプールとぶどう園付きの宮殿のような家に住んでいた。デル・モナコと個人的に知り合ったわけだが、私たちは初対面からお互いに好感をもった。

彼は病気で、1973年に舞台から引退し、ここの自宅に引っ込んでいた。週に二度人工透析をしなければならなかったが、病院に行きたくないので、自宅の一室に必要な器具を備えていた。そのような治療のあとでは、彼はいつもエネルギーにあふれていた。だから、私が訪問したときも元気いっぱいだった。

彼は歌って、変わらぬ偉大な声を披露してくれたし、自然だが、好ましくない音をたてることによって、その声をいかにほとんど乱暴とも言えるやり方で訓練したかを見せてくれた。彼は母音を形をととのえてはっきりと叫んだ。音域を変えて、また同じことをした。彼は私に、本来、訓練できるのは、声帯そのものではなく、その周辺の筋肉だけであると説明した。試してみるとしたら、この苦痛のあとは、まずはまた声帯を休めなければならなかったから、公演の直前はだめだ。デル・モナコの監督の下、1週間やってみたが、私の声は前と同じだった。

 デル・モナコは、私と一緒に歌うのを楽しんだ。例えば、私たちは彼の友だちのところで一緒にプッチーニの『西部の娘』のアリアで、力いっぱい高いBを響かせたりしたものだ。この時ばかりは、人々は私を『マエストロ』と呼んだということは、相当の大声だったにもかかわらず、おそらく美しかったようだ。

彼が大きな帽子をかぶり、白いスカーフをして、白のロールスロイス・カブリオレに乗って、町を行くと、まるで絵から抜け出たように見えたし、人々は彼をまるで『王様』のように扱った。人々は彼に遠くから手を振ってあいさつしたが、あいさつを返すのは彼の沽券にかかわることだった。

一度オテロの怒りの発作に遭遇した。何が問題だったのかわからないが、彼が大声で周囲に怒鳴り散らすのが聞こえた。そのあと、彼は高級な庭の備品をプールに投げ込んだ。そういうときは、しばらく近付かないほうがいい。彼はオテロのようにふるまったのではない。彼はオテロなのだ。

時には、晴れた空から力強い高音を雷のようにとどろかせたが、その力と物凄い音量にもかかわらず、その音色は美しかった。

彼はそのきわめて健康的な自負心を、あるイタリアのテレビ放送で証明している。そこで『弱音では歌えないというのは本当ですか』と尋ねられて、『ミケランジェロもミニアチュールで有名になたのではありません』とこたえ、また、『ライバルはいますか』という質問に対しては、『みんな死にました』と断固言い放った。デル・モナコ訪問は、非常に感銘深い体験だった。」

マリオ・デル・モナコ(Mario Del Monaco) 1915.07.27-1982.10.16 [イタリア]

コメント(2)

どこかで読んだ話、
「王様」がシャンドール・コニヤに、
「お前よくあれだけ長いこと突っ立ったまんま歌えるな。
俺ぁご免だ!」
コニヤが何と答えたか返事は載っていませんでしたが、
きっと絶句していたのでしょう(笑)
そんなの考えたこともなかったんじゃないでしょうか?

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