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ペーター・ホフマン[MIXI出張所]コミュのオペラ歌手としてデビューする

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本邦のバス歌手、1966年から1979年まで、ドイツ語圏の歌劇場の専属歌手だった岡村喬生氏(1931年-)の著書「ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ」は、ヨーロッパでのオペラ歌手の雇用事情を、垣間みることができます。オペラ歌手自身の体験に基づいているところが、特に興味深いです。氏はソリストとして、奥様は合唱団員として、同じ歌劇場で共働きでした。

劇場の専属歌手にも、様々な雇用形態があるようですが、とりあえず、通常の専属契約なら、契約期間中は、一般公務員並みの給料は確保でき、生活が成り立つということらしいです。ただし、ソリストの契約は通常2、3年、長くて5年で、専属歌手を続けるには、何度も契約更新をしなければならず、これは相当胃の痛くなることだということです。

岡村喬生氏のホームページ:http://www.takao-okamura.com/index1.htm

ペーター・ホフマンは、エージェントが提示したものから、リューベック市立歌劇場のタミーノ役のオーディションを受けることに決めます。1972年のことで、28歳でした。
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古いフォルクスワーゲンが故障して、相当区間をヒッチハイクでたどりついたリューベックには、すでに8人のアメリカ人がオーディションのために来ていたそうです。リューベック歌劇場は、通常の初心者用契約ではなく、主役級の契約を提示、まずはタミーノ(モーツァルト作曲、魔笛)の単発契約ということで、採用されます。28歳でした。森の中のまるで魔女の家のようなよしぶき屋根の家を借りて、家族を呼び、この劇場に2シーズン、1974年前半まで留まります。

ここで、タミーノを皮切りに、ネロ(モンテヴェルディ作曲、ポッペアの戴冠)、ファウスト(グノー作曲、ファウスト)、イドメネオ(モーツァルト作曲、イドメネオ)、アルフレート(J.シュトラウス作曲、こうもり)などを歌います。

そして、すでにこのころから、客演の依頼も多く、たとえば、ルートヴィッヒベルク音楽祭でのタミーノやフロレスタン(ベートーベン作曲、フィデリオ)、オペラ・ファンだった父に見てもらえた唯一の舞台となった、バーゼルでの鼓手長(ベルク作曲、ヴォツェック)などに出演します。


「私もついに最初に契約を得て、喉の具合を気にして咳払いをする時代が始まった。ほとんど慢性化した気管支炎を抱えて、葬式の日みたいに駆け回り、キャベツみたいに青ざめていた。そして、常に大役担当だった。........あのころは、泳ぎ方の本を手に握らせられて、水の中に放り込まれたような感じだった。浮かび上がるか、それとも浮かび上がらないかの、どちらかしかない。私は浮かび上がった。」(ペーター・ホフマン)

「私の歌手生活一年目は、病気の連続で、決して最高のコンディションではなかった。私はいつも閉じこもっていた。とにかく、これを克服したのだ。タミーノとしての最初のプレミエが間近に迫っていたときのことだ。気管支炎になった。まるで喉にカエルがいるみたいに、絶えず咳払いばかりして、ひっきりなしの軽い咳のせいで、声もほとんどしゃがれ声だった。プレミエの前のこのつらい夜。私の声は傷み、そして、私はその声に苦しみ、さらに妻は私に同情して共に苦しんだ。咳、咳払い、喉のつかえ、そしてこれを、朝まで、はじめから同じように繰り返す。気管の病気は、まさに気管支の粘膜が心身症的に引き起こすことをいつの日か私は理解したのだった。「理解した」というのは、自覚したということだ。なぜなら、精神面同様身体的にも、スムーズに把握できるようになることが、それらをコントロールできるようになるための最大必要条件だからだ。」(ペーター・ホフマン)
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写真1)リューベック市立歌劇場(ヴァラリンさん撮影)

写真2)岡村喬生著「ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410345301X/qid=1119684414/sr=1-9/ref=sr_1_8_9/249-7236216-3925101

写真3)よく見えないけど、タミーノのホフマン 1972/3年 リューベック

コメント(2)

ほんとにそう思います。

ホフマンは、「歌手になる前に、風邪をひいたことを思い出せない。インフルエンザにかかっても、気にしたことがない」そうです。それが、歌手になってからの自分はいったい何なんだと思ったんですね。ウィルス性のものでないかぎり、一種の神経症としか考えられないということのようです。

「軍隊では、毎朝、雨だろうが、雪だろうが、どんな天気でも、上半身裸で、体操をしなければならなかったが、風邪をひいた者はいなかった。(雪の中を転げ回っている半裸の歌手を今までに見たことがあるだろうか)それでは、歌手になってからの私は一体何なんだろうか。」ですって。

「これを理解し、把握し、コントロールする」というのは、一種の慣れとも言えるのではないかしら。歌手ほどのことはないのですが、私も一応「声」を使う仕事なんですが、やはり本格的に仕事をはじめて数年は、喉の調子が悪い事が多かったです。風邪というと、かならず喉に来るという感じでした。咳にも悩まされました。

歌手の場合も1983年の伝記が書かれたころには、「最近は、公演後、声がかれることは全くない。風邪を引いて、熱も多少あるのに、衰弱した感じもなく歌っていることさえある。」ということで、やはり、次第に慣れて、つまり、自然にコントロールがきくようになるということではないかしら。

ウィルス性、細菌性の本物の病気の場合は、もちろん、だめだと歌手も言ってます。

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