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ペーター・ホフマン[MIXI出張所]コミュのバイロイトのトリスタン 1986年と87年

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ペーター・ホフマンがトリスタンをはじめて歌ったのは、バーンスタインとおよそ一年かけて、一幕ずつ、ミュンヘンで演奏会形式上演、ライブ録音、テレビ放映を同時やった1981年の企画でした。

オペラの舞台で初めて演じたのは1986年のバイロイト音楽祭。1981年、ジャン・ピエール・ポネル新演出の再演です。1983年の上演がテレビ放送用に収録され、レーザーディスクが発売されていました。現在、国内版DVDが出ています。バレンボイム指揮、トリスタン:ルネ・コロ、イゾルデ:ヨハンナ・マイヤー ほか

1984年と85年にはトリスタンの上演はなかったので、久しぶりの再演への期待は大きかったということです。1981年の演出に手を入れ、より洗練されての再演でした。初日のイゾルデはジャニーヌ・アルトマイヤーでしたが、二回目は58歳の大ベテラン、イングリッド・ビョーナー、後はカタリーナ・リゲンツァに変わったとか。

この1986年の公演については、年刊ワーグナー1987 日本ワーグナー協会編 音楽之友社 にかなり詳しい記述があります。

ところで、このころ、歌手はすでにポピュラー音楽の分野でも積極的な活動を展開し、成功をおさめてました。ヴォルフガング・ワーグナー氏は「個人的に、ホフマンに、クラシック以外の音楽とのかかわりに対して警告したことも忠告したこともない。常に陰から、彼のポップスへの寄り道を擁護して」いました。氏によれば「このレコード(ロック・クラシック1983年)の成功の波は、ホフマンを突然、3分の2のポップス活動へとひっさらっていき、専門分野であるクラシック活動は3分の1になったが、時期的にうまく配分すれば、問題はなかった」ということです。

しかし、クラシック歌手がポップスをやることを問題視する人の間では、そのこと自体に対する非難に加えて、歌手の「声」に関する「懸念」も大きかったようです。しかし、歌手の調子は良く、バイロイトでの初トリスタンは成功で、観客もそれを喜び、満足したのでした。作曲家の三枝成彰氏も友人とともに、1986年か87年か不明ですが、この上演を観て、休憩時間にもすぐには立てないほど感動したとか。週刊朝日の連載で読みました(この連載、単行本になっています)

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以下、伝記からの引用です。

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.........1986年5月には、ヴィスバーデンの五月祭でジークムントを歌った。その後、ニューヨークでローエングリン、それから、ジャニーヌ・アルトマイヤーのイゾルデ、ダニエル・バレンボイム指揮の『トリスタンとイゾルデ』の練習のために、バイロイトへ行った。これは、ジャン・ピエール・ポネルによる1981年の演出に手を入れ、より洗練されての再演というものだった。

 「プレミエ以前にすでにいくつかの混乱があった。爆破予告があったため祝祭劇場の警備が強化されていたし、私の事務所には、ロックを歌ったという理由で、私に容赦ないブーイングを浴びせるという脅迫があった。陰鬱な『トリスタン』をやるには、全然ふさわしいとは言えないにぎやかな状況だった。

 ポネルの演出にはまえまえからとても興味があった。評論家は、ポネルの演出は確かに『イメージに耽溺しすぎている』し、心理的洞察より視覚的表現のほうを、演劇的な感覚より美しいイメージを追求していると、非難していたが、しかし、トリスタンの死に際して、イゾルデの幻覚だけが現れるというのは、それでもワーグナーの意図に近いものは保たれており、舞台上でもとりあえず表現されていた。私としてはそれなりに魅力的な演出だった。あとで公演の写真を見たとき、想像した通り、トリスタンの放心状態、高熱による幻覚が同じようにはっきりと伝わってきた。私としては大きな満足感を味わった上演だった」(ペーター・ホフマン)

 ペーター・ホフマンは声の調子も良かった。ミュンヘンの新聞は次のように書いた。
 「ペーター・ホフマンは、あらゆる悲観的な予測にもかかわらず、上演の夜を粉砕しかねないほどに懸念された役を、驚嘆に値する調子の良さで乗り切った。彼は実に美しく叙情的な方向を示しており、三幕における安定した声には、唖然とさせられた」

 それでも、観客の中の、あの一派はペーター・ホフマンがポップスをやるという「逸脱行為」を断念しようとしないことで、気分を害していることを表明した。

 「二、三人がブーイングをした。それよりもたくさんの、足を踏みならし『ブラボー』と叫んでの拍手喝采がそれに応じたが、例のグループは、脅迫をやめなかった。ロック・ミュージックが好きじゃない人は、それを聴く必要はないのだが、脅しによって、私に何か強制しようという試みは、どう見積もっても私に対しては逆効果でしかないと思う。

『ブーイング』がすばらしい間奏曲になることもありうるのだが、あの時はそうは思えなかった。それは、1987年に、再びバイロイトでトリスタン役を歌ったときのことだが、初日には、胃の具合が相当悪かった。しかし、身体をコントロールすることはスポーツマン時代にすでに重要な事だったし、歌手にとっても不可欠である。私は自分の職業を実際このようにとらえていた。だから、完全に気分の悪い状態だったにもかかわらずトリスタン役をやり通した。とは言え、なかなか良い出来だったと思う。しかし、最後の音が消えたときはさすがにもう我慢できず、何も考えずに舞台から駆け去ったので、終わりのカーテンコールには出なかった。ヴォルフガング・ワーグナーが幕の前に出て、私に代わって観客に謝罪してくれた結果、私には大きな拍手がおくられた。ところが、おそらくその説明を信じなかったのだろうが、ブーイングも多少あった。相当に奇妙なことだった。......」(ペーター・ホフマン)

 一部のマスコミは、言うまでもなく1987年のペーター・ホフマンの初日の不運についてセンセーショナルに報道した。ロックを歌った結果、もうすぐ声がだめになるだろうというせっかちな予測がなされた。彼は何度もこういう主張に基づいたインタビューに直面させられた。かなり挑発的なやり方で行われることも全然めずらしいことではなかった。次の公演で彼が絶好調を示したことには、ゴシップ記者たちはまったく興味を示さなかった。
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ヴォルフガング・ワーグナー談(1987年の出来事に関して)

「 無理解な人間(バイロイト祝祭劇場の聴衆の中にもいた)が、私を非常に怒らせるできごとがあった。ペーター・ホフマンが文字どおり脅迫されたのである。もしポップスをやめなければ、バイロイト音楽祭でひどいブーイングを浴びせてやると予告する手紙がホフマンに届いた。そして、それは実行された。ペーター・ホフマンが、ひどく体調が悪いにもかかわらず、トリスタンを歌ったときのことだ。結局その後1週間治療が必要になった。難しい役を最後の力を振りしぼってやりとおしたが、どうしようもない吐き気のため、カーテンコールに出ることは不可能だった。そこで、私が舞台に出て、事情を説明した。頑張った歌手に対して大きな拍手とブラボーがわきおこったが、少数のブーもあった。このようなブーイングは我慢できないので、その後の上演の前には、バイロイト祝祭劇場にふさわしくない行為を示した文書をドアというドアにはりつけた。このような場合、私は病気の歌手を全面的に支持する。だからこそ、彼は次回のトリスタンでは、なお一層全力を尽くして歌い、大成功をもたらしたのである。」
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 私も、親切な同好の方のおかげで、1987年上演のNHK-FM放送を聴くことができました。NHKの放送はこの「相当体調が悪かった初日」ではなく、別の日の上演だそうです。初日の上演を放送した国もあるという話です。バーンスタインとのトリスタンも大好きですが、これもとても感動的です。実際の舞台の高揚感が伝わってくるようです。トリスタンはより狂おしく、その苦悩の激しさがより強く感じられます。

バレンボイム指揮、トリスタン:ペーター・ホフマン、イゾルデ:カタリーナ・リゲンツァ、クルヴェナル:ボード・ブリンクマン、ブランゲーネ:ハンナ・シュヴァルツ、マルケ王:マッティ・サルミネンほか

コメント(3)

ぴっぽさん
中学生ですか。うらやましいです。
中学生のころには、ワーグナーは全然知りませんでした。

NHK-FMのバイロイト放送は一回限りという契約だそうですね。古いものはCDになっていろいろ店頭にも並んでいますけど、1970年代、80年代は正規盤以外はまず皆無なのが、とても残念です。録音装置も一般家庭ではまだまだ長いオペラを録音するのは相当大変なころだったこともあって、実際にちゃんと保存できている方も多くはないようですし。私もFMは受信が難しくずっと諦めてましたし、ラジオを録音しようなど、思ったこともないです。子育て真っ最中でしたし・・・

>こんなすごい音楽があったのか!
それにしても、私もいい年齢だったにもかかわらず、ワーグナーのオペラに初めて接したときは、やはりもの凄く新鮮な感じで、ある意味、衝撃的でした。
一発で録音できない物かと、(テープの入れ替えとかで中断するし)考えているうちにビデオ・デッキに録音すれば綺麗に全部入るじゃんと思いつき多分87年バイロイトは持ってました。
 が、ソニー信者だったのでベータ・マックスと言う使えない代物を頑なに使ってましたので、ソニーがベータを捨てたとき、そのライブラリはゴミと化し泣く泣く捨てました。
(然し、プレイヤーが無いにも拘らずレコードは捨てられないのが未練タラタラ・・・)

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