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軽い気持ちで重い都市伝説コミュの連赤3 個人攻撃

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夜、全体会議が行われ、一人一人自己紹介と決意表明を行った。

その際、革命左派にとって、赤軍派の中に一人だけいた女性の遠山の態度が鼻についた。

他の者が発言している時に、寝そべったり、髪をとかしたり、唇にニベアクリーム(青いふたの付いている缶入りの物)を塗ったりしていた。

そして警察に知られているものと同じ指輪もしていた。

決意表明も「革命戦士になる。今はそれしか言えない」と言っただけだった。

遠山は獄中にいるTの実質的な妻であり、特別扱いされていた。

森も遠山に対し強く言えない関係だった。

以前、森が永田に「すごいのがいる」と、ある赤軍派の女性を褒めていたことがあった。

永田は、赤軍派のその「すごい」女性に対し期待を持っていた。

その女性が遠山だった。

会議が終わり眠ることになったが、赤軍派はストーブの周りを囲むようにどんどん布団を敷いて眠ってしまった。

仕方がないと、革命左派は部屋の隅にシュラフを置き、かたまって寝ることにした。

その時、革命左派の女性が「期待していたのに(遠山に)失望した」と言い、全員でうなづいた。

翌4日、射撃訓練が行われた。

森は永田を呼び「赤軍派は全員革命戦士としてやっていける。

そして銃による殲滅戦を闘い抜く」と言い銃の要請をした。

永田は銃の件は保留にし、「革命戦士としてやっていけるというが、遠山さんのあの態度や指輪は何なのだ」と批判した。

それに対する森の答えは「気付かなかった」

永田が「そんなことは許されない」と言うと「分かった」と言った。

5日、射撃訓練と天気が悪いため室内で運動をした。

まだ指輪を外していない遠山に対し、永田が「何故取らないの?」と批判したが、遠山は指輪を外さなかった。

その後、革命左派から「合法の時と同じ髪型、同じペンネームだ」と批判された。

これに対し、赤軍派の森・山田・坂東は長時間話し合っていた。

6日、赤軍派だけで討論を行った。

討論終了後、森は革命左派に「(遠山に対する)批判を受け入れる。我々は責任を持って遠山さんを総括させ、作風・規律問題として解決していく」と言った。

そして「総括出来るまで山を降ろさない。山を降りるものは殺すと確認している」と宣言した。

そして射撃訓練が行われたが、遠山は射撃する際に誤って腹を打ち、小屋に戻ってしまった。

ちょうど小屋には永田がいた。

遠山は「お腹を打った」と言ったがシュラフに入らず、ストーブにあたって永田と会話を続けようとした。

そこで永田が遠山を批判した。

夜、射撃訓練の総括が行われたが、その時に遠山の話が出た。

そして革命左派だけではなく、赤軍派からも遠山に対する批判、追及が行われた。

遠山が腹を打った際「小屋まで送っていく」と心配した行方までも、森に批判され総括を求められた。

革命左派が帰った後、進藤も批判された。

「諸君!この日を忘れるな!」と誰かが言い、革命左派の寺岡の提案で、その場で立ち上がり腕を組んで「インターナショナル」が歌われた。

その時のことを著書の中で、植垣と坂口が語っている。

「小屋に戻ると、ただちに共同軍事訓練の総括会議が開かれた。一人ひとりが意見を述べたが、感激した意見が続き、全体に団結の雰囲気が盛り上がった。最後に、全員でインターナショナルを唄って、共同軍事訓練を終えた。」
植垣康博、回想

「森君はこの後、自分の生い立ちを語り、さらにブントの総括も行った。かなり長い時間立て板に水の調子で演説していたが、突然調子が乱れ跡切れ跡切れになった。何事が起きたのか、と思って見ると、涙を流し、胸を震わせているではないか。全員シーンと静まり返り、やがて誰かが貰い泣きをした。すると釣られて何人かのメンバーもすすり泣きした。私も胸がジーンと熱くなってしまった。」
坂口弘、回想

その一方で、永田と坂東は冷めた目線で語っている。

「(森が)途中から泣き出した。私は何か変だ、変だと思って下を向いていたので、泣き出したのを聞いて妙に気はずかしくなりよけいに下を向いて考えていた。」
永田洋子、回想

そうした中で、森同志が最後に発言し、泣き出しました。

それにつられて、自分以外の全同志が感激して泣いていたように思いました。

私の方は何故、森同志が泣いているのかわからず、逆に何か変な方向にいっているとシラーッとした気持ちになったり、泣かない自分の感性が悪いのではないかと思ったりしました。

誰かが、「諸君、この日を忘れるな!」というのが何か芝居じみていて、妙に恥ずかしくなりました。寺岡同志が「皆でインターナショナルをうたおう」と提起したあと全員で立ち上がって、腕をくんで歌い出したときも、とても歌う気ににならず、声も出なかったような状況でした。」
坂東國男、回想

胸がジーンと熱くなった”坂口は、この森が泣いた理由を「銃と人との結合による共産主義化論”の創造によって自分の過去を総括できると思ったのではないだろうか。」と判断している。

また違和感を感じた永田と坂東はその理由を「泣いて感激するほど団結したとは思えない(肝心な何かが抜けている)。

まだ問題は山積みなのにと思った」からだった。

1971年春から山岳を拠点にベースを作り生活をしていた革命左派だったが、メンバーの相次ぐ離脱や逮捕により、ベース地を転々としていた。

そして11月中旬に新しい候補地調査を行った結果、次のベース地として群馬県の榛名山が選ばれた。

榛名山は、 群馬県群馬郡榛名町にある。夏はハイキングやボートが楽しめ、冬は榛名湖でのワカサギ釣りやスケートが楽しめる。

主に夏がメインの観光地のため、冬場は閑散としている。

都心からそう遠くはないし、観光地のため交通の便が比較的よかった。

ベース予定地は榛名富士の裏側にあたり(北群馬郡伊香保町)、更に山林の奥にあったから人に見付かる危険性が少なかった。

付近には川が流れ、生活に必要な水も確保出来た。

そこには潰れた温泉旅館(鉱泉 「白雲荘」)もあり、一冬越すことも可能な場所だった。

そして予定地からさほど離れていない場所に、半年程前に起こった「大久保清事件」で殺害された女性被害者が埋められていた場所があった。(当時は掘り返した大きな穴が開いていて、ロープで囲ってある状態だった)革命左派は、そういう場所なら人が近付くことも少ないだろうと考え、最終的に新しいベース地が榛名に決められた。

越冬出来るようにと、本格的な山小屋の建設が計画されていた。

建設時、温泉旅館の扉やタンス、長テーブル、ストーブなども運ばれ使用された。風呂もそこを利用した。

12月15日、革命左派は立派な山小屋を完成させた。


◆暴力と言う名の
 リーダーシップ
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