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ホラー映画から恐怖漫画までコミュの★「テキサス・チェーンソーマサカー・ビギニング」を観る★

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1974年に封切られたオリジナル版「テキサス・チェーンソーマサカー(邦題:悪魔のいけにえ)」を僕が初めて観たのは、確か20代半ばの頃(1980年代後半)だったと思う。当時街にちらほらと出来始めたレンタルビデオ店で借りて観たのであるが、まさに阿鼻叫喚という文字面がピッタリのその異常な映像とストーリーに戦慄し、愕然とした。見終わった後の、何とも言えないイヤーな気分は今でもよく覚えている。こんなクソ、二度と観ねーよ、と憤ったものだ。

しかし、それから僕は何度もこの映画をレンタルし、観た。ヘンな言い方だが節目フシメに観たくなる。そうすると最初のイヤーな後味の悪さは次第に薄れ、細部の造り込みや演出の凄さに目が行くようになる。いやいいや、これは革新的なホラーだ、いや、革新的な映画だ、と次第に心酔し始める…。

さて、多くの子供達がそうであるように、僕も物心ついた頃から怖いマンガやホラー映画が大好きだった。マンガの方は小学校高学年の頃のクラスでいわゆる“怖いマンガブーム”が巻き起こり、毎日誰かが、どこかの本屋で買ってきた怖いマンガを学校に持って来て次々に回し読みしていたので、この頃一気にまとめて、多くの作品と出会うことが出来た。

我が国のホラーコミックの帝王・楳図かずおの「おろち」「恐怖」「怪」「ミイラ先生」「のろいの館」「半魚人」、エコエコアザラクで一世を風靡する前の古賀新一の「ばけもの屋敷」「呪いの顔がチチチとまた呼ぶ」「いもむし」、今や世界的なカルト作家となった日野日出志の「原色の孤島」「地獄の子守歌」、つのだじろうの「うしろの百太郎」「恐怖新聞」「亡霊学級」などなど。 そのラインナップは今思えば豪華絢爛であり、現代へと続くJ-ホラーコミックの基本的なコンテンツをすでに網羅していたと言えよう。

この種のマンガの出版社は楳図かずおを抱えた“秋田書店”、古賀新一をスター作家とした“ひばり書房”が中心であった。特に“ひばり書房”出版の一連の“ヒバリコミック”は、ページを開くと独特の饐えたインク臭(安物のインク?)が漂って来て、それがより一層恐怖心を煽っていたような気がする。

以上のように僕の子供時代は、怖いマンガには事欠かなかったが、ことホラー映画となると段違いに情報が乏しく、それを観る機会も少なかったように思う。何せ行動範囲が極端に狭く、お金もないガキのことだ。

おまけに、現在のようにビデオやDVDなど存在しないご時世、せいぜい大昔のハマーやユニヴァーサルの正統派ホラー映画が、金曜ロードショーや日曜洋画劇場などにTV落ちして来たのを運よく新聞のTV欄で見つけるしか術がない。自分からは選べず、状況はまったく受動的なものであった。

その場合、ホラー映画と言っても大抵はゴールデンタイム、お茶の間で流れるに絶える内容であることを前提としているので、残酷度の高いものや常軌を逸した作品はその時点で外されたはずだ。思い出そうとしても古典的な「吸血鬼ドラキュラ」や「ミイラ男」位しか覚えていない。特に「ドラキュラ(最後は落雷に打たれて死ぬやつ)」は何度も観た気がするが、異国の古城を舞台に夜の闇の中で陰湿に進行するストーリー、いかにもゴチック的な作風には気品さえ感じられたにしろ、子供心にも大して怖いものではなかった。だってあんなの、日本にいそうじゃないもん。

前置きが長くなったが、てな具合に本格的にホラー映画慣れしていなかった僕にとって、それを観た時には既に20代半ばだったとは言え、オリジナル版「テキサス・チェーンソーマサカー」は相当に異質、いや余りにも常軌を逸した映画であった。この映画を撮ったスタッフは全員狂ってる、と思い、それを観てしまった自分までもが、何かオカシイヒトの仲間入りをしてしまったような息苦しささえ覚えた。

「この映画が好き」などと言おうものなら精神異常者呼ばわりされるかもという強迫観念は近年、この作品に対する再評価がそこかしこで高まるまで長い間続いた、それ程異様な映画だったのである。

何せすべてに因果関係がない、それがまず空恐ろしかったのだろう。茫漠たるトウモロコシ畑や森に、地平線まで覆われたテキサスの片田舎。そこにたまたま(因果関係とは無縁に)迷い込んだ若者達を襲う、余りにも無目的な狂気。なぜ彼らが“悪魔のいけにえ”として選ばれたのか、なぜ執拗に追い掛け回されるのか、なぜ残虐に殺戮されるのか、なぜ顔の皮を剥ぎ取られるのか、なぜ鉄のカギに引っかけられるのか、なぜチェーンソーなのか、それらを関連づけ、説明する一切の因果関係が、この映画には見当たらない。

それまで僕が知っていた怖い話の根底には、そうなるべくしてそうなった、という因果関係があった。つまりドラキュラは美女の血を吸わなければ死んでしまうので美女の血を吸い、太陽の光に当たると灰になってしまうので夜行性となり、ミイラ男は墓を暴かれたが故に怒り、伊衛門はお岩さんを自分の出世の犠牲にして理不尽な死に追いやったが故に呪われ、タクシーに乗り込む女の幽霊が全身びしょ濡れなのは、雰囲気作りのためでなく、近くの池に入水自殺したなごりである。

あのジェイソンですら、その殺戮には、不注意で自らを溺れ死にさせた森の遊泳場の監視員に対する恨みというレッキとした(?)理由、原因と結果がちゃんとあるのだ。

また、先述したような、僕が通読して来た一連の怖いマンガにさえ、原因が結果を呼ぶという因果関係はハッキリとあったはずだ。そもそも原因と結果がなければ、起承転結を基本とするストーリーづくりさえままならないではないか。

オリジナル版「テキサス・チェーンソーマサカー」にはそれがなかったのである。なぜ?どうして??…という、この映画最大の疑問に決着を付けるとすれば、全てはあの変態一家の“単なる趣味”である、と言うしかない。これほどフザケタ話ってなくね?

さらに、ホラー映画らしからぬスピード感にも圧倒された。この映画はおそらく、遊園地で言えばお化け屋敷の湿った“ヒヤヒヤさせられる”感情的な恐怖と、ジェットコースターのスピードに満ちた“身体が振り回される”衝動的な恐怖を高密度で融合させた、ホラー映画史上初の作品であった。つまり恐怖の2つの側面を見事に兼ね備えていたのである。

あの「サイコ」や「羊たちの沈黙」の元ネタにもなったという、アメリカで実際に起こった猟奇殺人事件「エド・ゲイン事件」をモチーフに、1974年にトビー・フーパーの初監督作品として制作されたオリジナル版「テキサス・チェーンソーマサカー=悪魔のいけにえ」は、以降、1986年の同監督による「〜いけにえ2」、1989年のジェフ・バー監督による「〜いけにえ3/レザーフェイスの逆襲」へと続く。さらに1995年には、オリジナルで脚本を担当したキム・ヘンケルが監督を務めた「レジェンド・オブ・レザーフェイス」が封切られた。ここまでを便宜的に旧シリーズと読んでもいいだろう。

もちろん、僕は以降の3本もビデオで観たが、2作目はあのデニス・ホッパーが主演して変態一家と対決し、チェーンソーでチャンチャンバラバラやらかしたり、3作目には人肉面の制作現場が出てきたりと、それぞれ見所はあるにしろ、やはりオリジナル版の後味悪さ、ホンモノの“イヤ〜な感じ”には到底(マジ到底)及ばねーなつーのが正直なところであった。

で、新世紀に入った2003年、シリーズは最新の映像技術を採り入れつつ再度スクリーン復帰を果たす。タイトルはシンプルに「テキサス・チェーンソー」。「悪魔のいけにえ5」てな邦題は付けず、マサカー(=殺人)というワードさえ省略されているが、スタッフとしては心機一転、新たなテキサスチェーンソー伝説を創りたかったのだろう。この作品から、レザーフェイスのキャラ設定が初期とは微妙に変わり始め、それに伴って映画全編を覆うイメージも違って来ることとなる。

初期レザーフェイス(トビー・フーパー監督の2作目までの)は、変態一家の最年少で、図体はデカく、怒らせると凶暴極まりないが、普段は大人しく、ちょっとお間抜けなイメージが色濃かった。例えば、被害者となる若者が仲間を捜しに屋敷に近づくと、その見慣れぬ訪問者にとまどい、デカい体を縮こまらせ、二階に隠れて様子を伺い、あせって頭を抱えたりと、ビクビクと落ち着かない。トレードマークとなったチェーンソーを振りかざして襲いかかるその狂気は、追い詰められて初めて炸裂するのだ。いわば、学校でイジメられ、追いつめられた子供が机を持ち上げ投げつける、アレである。そこには、窮鼠猫を噛む的な愛嬌があったし、図体に似合わぬチキンぶりが陰惨一辺倒なストーリーに微妙な陰影を与えていた気がする。

しかし、一旦炸裂するとその狂気はまさにエンジンの掛かったチェーンソーさながらに、延々収まらない。森の中を、闇の中を、唯ひたすら獲物を追って奔走するシーンは、いわゆる“狩り”のようで、どこか健康的ですらあった。何故か。その衝動に恨みや憎しみが見当たらず、ただひたすらに享楽的、無思考的に見えたからであろう。

初期レザーフェイスの存在は、その姿は、その走りは、陰惨極まりないストーリーの渦中にあって唯一の救いでさえあったと思う。

さて、3年前の2003年に公開された「テキサス・チェーンソー」に出てくる新生レザーフェイスはまず、ルックスからして違う。体型がシェイプアップされ、デブというよりはガッチリ型に。顔も小さくなり、全体的にスタイルが良くなった(初めてトビー・フーパー以外の監督が撮った3作目でもややシェイプアップされていた)。また、ここに来て、レザーフェイスが人を殺して顔の皮を剥ぎ、人肉面を作って被るのは、幼年期に煩った病気で醜く崩れた顔へのコンプレックスであることが意識的に仄めかされ、オリジナルで感じられた追い詰められたが故の反撃、または享楽的、無思考的殺人というのイメージよりも、自らの出生の不幸さ、醜さを呪い、それをアザ笑う輩への復讐に燃える殺人マシーンとしての性格が強められる。つまり、超ウェットな因果関係の導入だ。それじゃ、そもそものこのシリーズの面白さが半減するじゃん。

そして、そのレザーフェイスの変更されたキャラ設定を、さらに徹底させたのが今回のジョナサン・リーベスマン監督による「テキサス・チェンソーマサカー・ビギニング」である。ふう、やっと辿り着いたよ。

イントロダクションにはオリジナル版へのオマージュも感じられるが、ここでのレザーフェイスは一転、冷徹な殺人鬼として描かれている。確信犯的な猟奇性を持ち、クールであり、そのモチベーションは世間への憎しみのみである。前作で辛うじて見せていた最小限のお間抜け度、例えばまちぶせしていた女に反撃され、斧で腕を切り落とされるような場面も一切ない。

さらに、変態一家のイカレオヤジも、オリジナル版の役者の方がニヤニヤと弱々しく、その分変態っぽくて不気味であった。前作と「〜ビギニング」の2作ではマッチョというか、体育会系っぽ過ぎてシラケル。ベトナム戦争への徴兵に逃げ腰の若いのを、それを理由に痛めつける軍隊的なナショナリストぶりは、相当病的に描かれているとはいえ、理屈が通っていて面白くも何ともない。だって、戦争も国もまったく関係のない、時代からも社会からも全く隔絶された土地の大いなる閉鎖感、違和感こそがこの破綻したシリーズの不気味さの源泉のはずなんだし。

あと、僕が旧シリーズで最も気に入ってる変態一家の長、ヨイヨイのジイサンであるが、これに当たる新生ジイサンも普通過ぎていただけない。オリジナルの設定ではこのジイサン、昔は精肉工場でハンマーをふるい、膨大な数の牛豚をアノ世に送って来たが、今や座っているだけでは生きてるんだか死体なんだか判別不能。ピクリとも動かない。顔は金玉の如く皺だらけ。で、「昔取った杵柄」とばかりにヨイヨイの手にハンマーを握らされ、いけにえとなった女の後頭部目掛けてそれを降り降ろそうとするのだが、ヨイヨイ過ぎて手元が狂い、ハンマーは女の頭をかすめ、何度もガラ〜ンと血受けのバケツの中へと落っこってしまう。それを拾い上げ、何度もジイサンに握らせるニヤニヤ変態オヤジ。これ程壮絶なブラックユーモアを、僕は他に知らない。

また、2003年以降のニュー・バージョンは、惨殺現場となる地下室にビシャビシャ水が滴っていたり、釣り針などの小物がネバネバしていたり、糸引いてたりと(こーゆー演出ってエイリアンからの系譜?)、やたら湿ったイメージで作られているが、オリジナルはどちらかと言うと、ストーリー自体は陰惨ではあるものの、風景やモノはホコリっぽく、乾いていたように思う。

映画ショッパナの、半ば燻製化した数々の盗掘死体やアルマジロの礫死体、レザーフェイスが被っている人肉面の乾いた質感、先のヨイヨイジイサンのシワシワ、カラカラの皮膚もそんな感じだし、屋敷を逃げ回る女が入り込んだ“骨の間”なんぞは彼女がもんどり打って倒れ込むと、砂塵ならぬ骨塵が舞い上がってたしねー。

「〜ビギニング(始まり)」と冠されているだけあって、今回のシリーズ最新作は一応、時期を遡って2003年公開の「テキサス・チェーンソー」の前フリとして制作されたようである。冒頭からレザーフェイスの“異常かつ可愛そうな”生い立ちが語られ、惨劇の舞台となる、ヒューイット家と名づけられた変態一家の棲む館にも同じ建物が使われているし、前作で電動車椅子に乗って登場する、両脚が膝下から無いエロ爺がなぜそんな姿になったのかも明かされる。また、仲間の超デブ女等、登場する脇役にもやや連動性がある。

しかし、それにしては「〜ビギニング」では結局生存者はいなかったはずなのに、前作のイントロは一家から逃げ切ったらしい女が惨劇の口火を切り、「〜ビギニング」では閉鎖されたはずの精肉工場が前作ではまだ稼働していたりと、辻褄の合わない部分も多い。

というか、シリーズ制作の時系列と、物語自体の時系列が逆になっているので、上記の説明は甚だ分かりにくいかも知れない。まあ、物語の順番としては今回の「〜ビギニング」を観て、で、レンタルショップで前作の「テキサス・チェーンソー」を借りれば分かり易いよ。

さて、僕が思うに、今回の「テキサス・チェーンソーマサカー・ビギニング」最大の難点は、前作にもそのキライがあったが、B級映画たり得ていないこと、これに尽きる。てなことを言うとB級映画の定義とは何かつー話になるが、ひとことで言えば、それはヒリヒリとした緊迫感と鬩ぎ合う大いなる脱力感、一種の胡散臭さ、綻び(ほころび)を伴う映画である、と言えるかも知れない。

そう、B級であればこそ、作品のあちこちに綻びが見え、たくさん穴の空いたバケツの如く、いっぱいいっぱいになった感情を流し去る水路が見出される。逃走線と言ってもいい。「〜ビギニング」にはそれがなく、全てが溜め込まれ、停滞する。微細にまで行き届いた映像や、重い感情に裏打ちされた逃げ場の無い感覚が、この作品から、オリジナルが持っていた一種爽やかな風通しを奪っているのである。何せ“クソ真面目”に過ぎる、と僕には思えるのだ。

もちろん、穴のないバケツで成功するホラーもある。キューブリックの「シャイニング(原作者のスティーブン・キングは気に入らなかったらしいが)」などが良い例であるが、あれはあの設定、あのテーマなればこそで、このチェーンソーシリーズが“クソ真面目”では余りに救いがない。唯一B級であること…それがこのシリーズの妙味であったはずである。思えば、子供の頃に好きだった怖いマンガやホラー映画も大抵はB級感覚に満ちていて、がゆえに惹かれていたような気さえするのだ。

オリジナル版撮影時に比べると、映像や編集等の技術は格段に進化したが、それを編集・コントロールする監督の力量が不足している分、グロさ、エグさのみが変に浮き上がってしまい、観る者に感動のない“単なる不快”を与えてしまうのだろう。

全てはオリジナル版のイントロで、フラッシュに浮かぶ死体の断片と、渦を巻く太陽のコロナの軌跡を並列的に見せた、若きトビー・フーパー監督の天才的なB級編集感覚の賜物であった。この陰惨過ぎる近代の寓話がそれを失した時、自ずとその結末は見えいたのではないか。

ここまでどうにか唸りを上げるチェーンソーとそれに絶叫する悲鳴の相乗効果が生む、ホラーらしからぬスピード感で乗り切ってきたが、このシリーズもそろそろ限界に来たようである。

第一作目のラストで、夜明けの暗雲の隙間から輝き始めた朝陽をバックに、レザーフェイスがチェーンソー片手に踊り狂うシーン、そのコントラストは一種、芸術的でさえあった。最後のフィルムのブチ切れ感も素晴らしい。

余談だが、僕は最初オリジナル版のレザーフェイスを観た瞬間、ストーンズのキース・リチャーズを思い出したが、それから間もなく小気味良い16ビートの楽曲“アンダー・カバー・オブ・ザ・ナイト”のビデオクリップで、キースがチェンソーを振り回しているのを観て笑った。さすがキース、分かってるぅ〜。

さらに、余談。隔絶された土地ゆえの閉鎖性、土着的な盲信、それによって起こる陰惨な事件…。ランドスケープ的なスケールこそ違え、僕は一連の「テキサス・チェーンソーマサカー」シリーズと我が国の横溝正史シリーズには、類似性があると思う。ジャンジャン。
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■PS/

ところ、で僕はなんでこれ程ホラーが好きなのか?

この「テキサス・チェーンソー」シリーズを始め、観終わった後“イヤ〜な気分”にさせられる場合が多々あるホラー映画を、何故に好むのか?

答えはカンタン。このジャンルは登場人物に特に感情移入しなくても、変な奴が出てきたり、デカイ音響が突然鳴り響くだけでお手軽に、水準以上の感動が得られるからである。感動とは良きにつけ悪しきにつけ、気持ちが大きく揺れ動くこと。そう、恐怖する気持ちとは感動なのだ。ゾッとしたり、ギョッとしてりするその瞬間、全身の細胞が活性化する。その辺、音楽で言えばパンクに似ているかも知れない。

これは私見だが、心あたたまる感動巨編が、それを観た人に何がしかのプラスの効果を与えるのでは?というイメージは単なる妄想である。登場人物に感情移入し、思わず涙するよりも、ホラーのドキドキの方がカンフル剤の如き効果を持つのでは、と僕は思っている。

(ウッディー:06-11/27)

コメント(1)

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