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世界の家コミュのSanta Feスタイル

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◆ニューメキシコ州、サンタフェスタイルについて◆


何年も前に映画で見たサンタフェの建物の、独特の丸みを帯びたフォルムや優しい土素材の質感に惹かれ、それ以来すっかりサンタフェスタイルに魅せられていましたが、せっかくなので、アメリカの中で独特の佇まいをもって多くの人々を惹きつけているこの街の歴史について話したいと思います。

知ってる方も多いと思いますが、ニューメキシコ州、サンタフェは1607年にスペイン人の入植者によって創られた街で、アメリカに現存する都市としてはフロリダ州セントオーガスティンに次いで2番目に古いだそうです。
サンタフェという街の名前は入植したスペイン人がつけたもので、スペイン語で“聖なる信仰”を意味します。古くからこの地に住むアメリカインディアンプエブロ民族は、アメリカ先住民では唯一、トウモロコシなどほぼ農業のみで自活する民族でした。しかしスペイン人の入植でプエブロ人たちは古くから信じた宗教を禁じられた上に、多くのアメリカインディアンと同じように、迫害や誹謗を受け、伝統的な経済も混乱をきたし、やむを得ずスペイン人入植者の支配下で強制労働や鉱山の労働などに従事しました。

とはいえスペイン人も彼らに新しい農耕道具を与え、プエブロ人を長い間悩ませ続けたナバホやコマンチ、アパッチなどの他部族の略奪や襲撃から守ることを約束に、1598年時点のニューメキシコ領地の北部では、相対的に平和に暮らすことができていました。しかし1670年代、この辺りを干ばつが襲い、人々に飢饉をもたらすと、同時にヨーロッパ人が持ち込んだ新しい疫病が先住民を荒廃させ、プエブロ人の人口を大きく減少させました。そして他部族からの襲撃や略奪もさらに増え、この襲撃はスペイン人兵士でも防御することができなかったそうです。

プエブロ人たちはこの災いに対して、スペイン王朝やカトリック教会の神は何の救いもくれないと感じて、もともとの古い神々への信仰に戻っていきました。これに激怒したフランシスコ会の宣教師たちがプエブロ人の呪術師を魔術を使ったとして裁判にかけ、絞首刑による死刑宣告や鞭打ちの刑などを行いました。宗教的リーダーであったポペはこれに深い侮辱を感じ、プエブロの反乱を計画し指揮しました。プエブロ人の多くは、入植者たちに古くからの信仰や自由な生き方を奪われ、スペイン人に対しては、潜在的な敵意を抱いていたのだそうです。

プエブロ人は、この反乱でスペイン人の入植が始まってわずか12年間の間(1680〜92年)ではありますが、サンタフェの街から完全にスペイン人支配を締め出すことができました。そしてその後も、リオグランデ川流域を囲む砂漠へは、19世紀半ばまでヨーロッパ人の大規模な侵入を許しませんでした。その結果、スペイン伝道所のカトリックへの強制的な改宗が行われたにもかかわらず、プエブロインディアンたちは現在のサンタフェ建築や彼ら伝統のライフスタイルを維持することができました。

プエブロの反乱の後、スペインの占領下1912年にニューメキシコが州に昇格すると、この歴史あるサンタフェが「アメリカのどこにでもある街」になってしまうのではないか、という危惧が生まれました。そこで、歴史的な建物を修復し、プエブロ族が何世紀にもわたって住む建造物※アドビに倣い、市内の建物の外観をすべてアドビ風に統一することになりました。(※アドビとは、砂、砂質粘土と藁、または他の有機素材で構成された天然建材。この素材でできた構造物は、大変耐久性に優れ、地球上に現存している最古の建造物によく使われている。アドビの建造物は、熱を吸収すると非常にゆっくりと放出するため、建築物の内部は涼しいままに保たれ、暑くて乾いた気候に適している。)

1930年頃になるとサンタフェの街には、白い壁や切妻屋根といった植民地時代の様式にならった建物が建ち並ぶようになり、その後、建物の新築・改築の際はスペイン植民地時代スタイルか、またはプエブロ族のアドビスタイルに統一するという条例が定められました。こうして現在のサンタフェは、アメリカの中で一際異彩を放つ、独特な景観の街になりました。サンタフェスタイルの建物がもつ優しいフォルムと土素材の温かい色合いに、不思議な魅力を感じていましが、そこには、アメリカインディアンの人々の誇り高い生き方と、ヨーロッパ人の侵略によって強いられた苦難の歴史が根づいていると知り、感慨深い思いがします。

プエブロ先住民の少数の人たちは、今もなお何世紀も続くアドビの集落に昔ながらのスタイルで住み続けているそうです。遥か昔からアメリカ大陸に生きたアメリカインディアンの1000万人のうち実に95%の人々が入植者の虐殺や彼らが持ち込んだ疫病で命を奪われました。そしてわずかに生き残ったぞれぞれの部族も、本来の生き方や自由は奪われ今では定められた居留地や自治区でひっそりと生きています。


古くから内外の多くの芸術家に愛されたサンタフェの街は、アメリカ人に“住んでみたい街は?”と訊ねると今でも一番多く挙げられる街だそうです。彼らから豊かな大地を根こそぎ奪い、急速に繁栄を遂げたアメリカ人にとっても、特別な磁力のような力を秘めた街なのかもしれません。
本来戦いを好まず、穏やかにひとつ場所に定住して生きたプエブロの人々の、その豊かで気高い精神性や生き方、そして何世紀にも渡って色褪せることなく受けけ継がれるその独特の文化や建築スタイルが、せめて長くアメリカの地に根づき生き続けてくれることを願わずにはいられません。



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