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ヨーロッパ浪漫紀行コミュの【第48話】 バートラガーツ

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1988年5月、スイスの植物性化粧品メーカーとして名高いビオコスマ社との
商談を終えて、4日間の休暇を取りました。
ライン川からモーゼル川に沿って、いわゆる「ワイン街道」をレンタカーで
ドライブする心算でいたら、ライン流域で異常な降雨があって道路が水没し、
いたるところで交通遮断の状況だとTVニュースで知りました。
有名ワインどころを訪ねる心算がパ〜になり、この際「最高級」の宿に
泊まってやろうと思って、ホテル・リストから Quellennhof 
という五つ星を見つけだしました。
楽しみにしていた「ワイン街道」の代替だからと、奮発したのです。

チューリッヒのホテルから2泊の予約を入れて、列車で行きました。
5月27日のことで、その日からサマータイムが始まり、それも朝のTVニュースで
知って、いささか慌てて出発したことを覚えています。
Quellenhof があるところは、Bad Ragaz という
保養地として高名な町で、ハイジ(アルプスの少女)で有名な
Marienfeld の隣町にあたります。
チューリッヒ中央駅を 11:10 出発の急行に乗り 12:24 に
 Bad Ragaz に到着しましたから、そんなに遠いところじゃありません。

タクシーを降りてフロントに向かったら、貴族の雰囲気を漂わせた、
それは上品な年配の女性に応接されました。電話で予約した旨を伝えたら
「伺っております」で、チェックインをすませた。
この時「日本大使館の方ですか」と訊ねられたけど、あのホテルは
外交官クラスでもないと泊まっちゃいけなかったんでしょうか。

驚いたことに、いったんチェックインして部屋に案内されたら、
ホテルの全従業員がボク等夫婦の名前を覚えてしまったこと。廊下にいる掃除婦も玄関番も、ミスターまたはミセスコバヤシと名前をつけて挨拶をするのです。
ボクの人生で経験した最高のホテルはと問われたら、躊躇無く Quellenhof と答えます。素晴らしいホテルでした。

悔やまれるのは、荷物の大半をチューリッヒ中央駅に預けて、

手荷物だけの身軽で行ったことで、着衣もフォーマルなものではなく、
もちろんネクタイはしていたが、ジャケットとスラックスでしたから、
正式なディナー・ルームには入ることが出来なかったことでしょうか。
ちなみに、このホテルは朝夕二食付の料金制度で、その点からも
日本の高級旅館といった趣がありました。

案内されたグリルで充分だった。アスパラガスのポタージュ、ビーフシチュー、
ノイシャテルの白ワインで満腹し、食後のコーヒーも吟味されたものでした。

翌朝目を覚まして驚いた。ホテルの周りは一面真っ白。
サマータイム二日目にして雪が積もったのです。
リヒテンシュタイン公国まで20kmほどの近距離だから、そこへ
行くつもりでいたのに、この雪じゃ外出しようもないと、午前中は
ホテルのロビイで本を読んだり、付設のスポーツジムを覗いたりして過ごし、
毎回ホテルの食事では重過ぎるので、昼はぶらっと町に出て、これは
徹底的に庶民的な店に入って、軽〜くすませました。

この日(28日)は日曜日で、closed の店が多く window
shopping のみ。
その中で、見たこともない綺麗な腕時計がペアで飾ってあるのを見つけ、
どうしても欲しくなり、翌朝早く行って購入してしまいました。
それがセンチュリー製のサファイヤの時計で、ボクは当時センチュリーという
ブランドを知りませんでした。
(後日ハワイのハレクラニ・ホテルにある、カパルア・バタフライの店で
指摘され、はじめて有名ブランドと知ったのです)

話を戻し、28日の午後。雪がやみ天候が急回復してリヒテンシュタインに
行ける状況になったので、タクシーを呼んでもらった。
首都 Faduz にはラインの急流に架かる橋を渡って入国します。
パスコントロールも何もありません。
切手で有名な国だから、先ず郵便局に行く。あとはコレというものもなく、
木製の人形やエハガキを買い、コーヒーを飲んだらすることが無くなった。
待ってもらっていたタクシーでホテルに帰りました。タクシー代を払おうとしたら、
片道料金の79フランで良いといいます。「待ってもらったんだし」
「いえ、皆さんどうせ同じ道をお帰りになりますから、それはサービスで」と、
えらい良心的な運転手さんで、100フランを無理やり受け取ってもらいました。
Bad Ragaz はなんともステキな人たちの居る町でした。

Quellenhof 朝夕付き2泊の料金は、相応に結構なモノで、
1000フラン近くを支払いました。この頃のスイス・フランは高くて、
レートは100円以上していました。

                    
                     パパゲーノ

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