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[dir]小説・文学・作家コミュの文学談義部屋

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文学について、創作や応募について語りましょう。

文芸誌、単行本、作家、書いている人

なんでも気軽に語り合いませんか〜

過疎っているようなので独り言も連投もおkです。

コメント(402)

>>[362]
そうですね!
僕たち人間の美とは、自然という外的な要因だけでは成り立たない。
(ちなみに、ここで云う自然とは、山川の事だけでは無く、「二度と起こらない様」の事だと、再度言っておきます)
ここに、自然に対峙した人の内的な「反応」を加えなければいけない。

僕らは森を歩き、「自然が語りかけてくる」などという。
またこれを、ほとんどの人が「文字通りには取らず」共感出来る。

なぜ文字通りに取らず、これが理解できるのだろう?
実際のところこれは、自分の心の反応でしか無いのに。

この事実は、人間における美の現れ方を考える時、非常に大きな意味を持っているように思います。

自分の心の反応とは何か。
もちろんこれが「感情」です。

美は外的な要素(自然)と内的な能動(感情)が一つとなって初めて現れる、人間の感情が自然を意識した時起こる反応の事なのだ!と、

つまり二項同立、美の構造とはそうしたもんだと、そうした事を僕は言いたかった次第です。

僕は、ここ最近は詩ばかり書いています。




ジャンキーの愚かさを賛美する詩が多いです。


僕はいつもビートニクとドラッグカルチャーと自然法則が、なんか書くときのテーマですので。

>快のない美というのはどういうのがあります?
私は快のない美はないと思っております
むろん美には快以外のいろいろな感情が存在しますが、快がないわけがないと
あるいはすべての美に快がかならずあるのはあたりまえなのだから重要ではない、というのなら納得できます。
不快な美というのがありえるのでしょうか?

美は快を与えてくれる。これは分かる。必ずとは言わないけれど。

人間の排泄する様を、ありゃ美だ、不快だけど、不快な美なのだ、とか同僚とかに言い出したらちょっとアレな人になっちゃうけど、

世の中にはちょっとアレな人だって居る事を無視は出来ない。
そりゃその人の美と言える場合だってあるんじゃないかな?
僕はバタイユで興奮するんでそれこそちょっとアレな人かもしんないけど(゚Д゚≡゚Д゚)

蜘蛛が、捕まえたバッタを溶かして啜り上げてる様だって、
僕には不快だけど、ナショナルジオグラフィックのカメラマンとかにとっては美なのでは?

つまり、快、不快で美を語ると結局、個人の感性に左右されてしまいます。

すると美という記号の持つ決定不可能性がいよいよクローズアップしていくだけなので、
この方法では割と本気で、「十人十色だよね」などという、拍子抜けするような結論にしか至らないんじゃないかなぁと思うのです。

不快な美はありえるのか

という命題自体が、美を共通に捉える上で最適じゃない、と思う訳です。

まあそれでも、その、敢えて考えてみたとして。

美は必ず快を含む、美=快だ、という部分ですが、

それでは、その美を生みだしたモノとは、何なんでしょう?

快?快が美を生み出すと、言えそうですか?

>>[364]

>美は外的な要素(自然)と内的な能動(感情)が一つとなって初めて現れる、人間の感情が自然を意識した時起こる反応の事なのだ!と、

私もそう思いますし、みすんさん同様にそれを書こうと思っているんですけどね。やはり外に出て書かないといけないのかなと最近おもってます。みんな自宅の部屋で書いているんでしょうかね・・・

>「二度と起こらない様」の事だと、再度言っておきます)

私の知り合いが、「美とは希少性だ」といってたのでそれに通じると思いました。めずらしいものが美って、そんなわけはないだろうと反証をこころみたのですがダメでした。

>僕は、ここ最近は詩ばかり書いています。

奇遇といいますか、私もあまりに自然描写ができないので詩を書いて練習しようかと反省してました。詩を書くなら自然描写は必須ですからね。

>>[365]

>人間の排泄する様を、ありゃ美だ、不快だけど、不快な美なのだ、とか同僚とかに言い出したらちょっとアレな人になっちゃうけど、
>世の中にはちょっとアレな人だって居る事を無視は出来ない。
>そりゃその人の美と言える場合だってあるんじゃないかな?
>僕はバタイユで興奮するんでそれこそちょっとアレな人かもしんないけど(゚Д゚≡゚Д゚)

>蜘蛛が、捕まえたバッタを溶かして啜り上げてる様だって、
>僕には不快だけど、ナショナルジオグラフィックのカメラマンとかにとっては美なのでは?

>つまり、快、不快で美を語ると結局、個人の感性に左右されてしまいます。

>すると美という記号の持つ決定不可能性がいよいよクローズアップしていくだけなので、
>この方法では割と本気で、「十人十色だよね」などという、拍子抜けするような結論にしか至らないんじゃないかなぁと思うのです。

>不快な美はありえるのか

>という命題自体が、美を共通に捉える上で最適じゃない、と思う訳です。


なるほどこれを読んで、みすのさんの美観と私のそれのちがいが分かった気がします。みすのさんは、美が普遍的なものだと思われているのですかね。普遍的な美があるという?

私は美も快と同じように、人それぞれの感性できまるにすぎないと思うのです。なにに美や快をかんじるかは人それぞれだけれども、美や快を感じるあるいは認めるメカニズムは共通なのではないかと思っているのです。
つまり、ウンコでも自然の食物連鎖でもSMでも、それを美だと感じている人にとっては快なのではないかと。もちろん、それを美とみなさない人は快も感じていないと。美と快は、たとえば自然をみたときに沸き起こるときの感情の両面というか2面かなと。

たとえば、モネを美だという人もいればいわない人もいて、モネは美ではないけどルノアールは美だというように、美をかんじる対象は、その人の経験、感性、趣味によって十人十色だけども、対象を美だと認識しているときの感情メカニズムというか、美を美だとみなしうる条件みたいなものは十人一色にできるのではないかと。


>>[365]

>美は必ず快を含む、美=快だ、という部分ですが、
>それでは、その美を生みだしたモノとは、何なんでしょう?

感情でしょうね。そういう意味では、みすのさんの解答が適当に思えますね
例えるなら、自然という精子が感情という卵子にはいって受精して、美という受精卵ができたというか

>快?快が美を生み出すと、言えそうですか?

言えるだろうけど、美が快を生み出したとも言えるので、鶏が先か卵が先かという話になりますかね

「感情が美を生み出した」と私は思うわけですが、みすのさんもそう思われてますかね?

でしたら、私はなぜ感情が美を生み出したのだろう、と考えて、それはやはり前述にあった、人間の根源的な絶望などを救うために人の感情は美を発明したのではないか、などと仮説を唱えたくなるしだいです。
三島由紀夫かぁ、島崎藤村なんかもいいらしいけど
近代を読むなら川端康成かなぁ・・・。
>>[370]

ほほー アイデアはわいてきてますか
「からまー」は出版社どこでよんでます?
>>[372]

1番新しいやつかな、オレンジ色の表紙なやつですよね
「白痴」読み返したいな〜
6月のオール読物むけてがんばってください
>>[374]
始めまして。どうぞよろしくお願いします★

眼球譚はエロ本ですよ!!ww

バタイユの哲学に、僕はそれ程興味が無いです。
けれどあの人は小説も書くんですよね。

そして、眼球譚は確かにバタイユの思想を反映した小説だとは思うんですが、

僕はバタイユが小説を、自分の意見を反映させる為のツールとして使ったとはどうしても思えなくて、まず小説という形式で書かれたのだから、小説として読みたいと思っています。

ちなみに、僕が一番好きなのは「死者」という短編です(^ν^)

僕が好きなのは小説家としてのバタイユです。

けんさんは、何を読んでらっしゃるのですか?

>>[361]
ご覧頂きありがとうございます!

純文学というほど高尚なものではないですが…あとどうしてもリズムや語感で書いていくので、たまに文語や普段しないような言い回しが出てきます。
(意図的に仏教用語を投入することもありますが)

万人受けする作品は最初から諦めてます(笑)
>>[368]


>みすのさんは、美が普遍的なものだと思われているのですかね。普遍的な美があるという?



存在論的に、物事はもともと固有に美を有している、とは僕には思えません。

では美を経験的に考えているのかと考えた時に、考えてみたのですが、、、。

それもよく分からないな。
けれど、美は普遍的なモノだとは思いますよ。
ご指摘のように、カントの云うような認識の方法が、僕の美への対峙の仕方に思えます。

なんていうかトーヤさんのようにコンシャスに、アカデミックに、これを思索してきた訳では無いなぁと今、感じています。

ただとても面白かったので、色々確信として持っている事を聞いてもらいましたが、それもこれも、

僕の中で芸術は美を目的としていない、文学もまた、美を目的とはしていない、

という事を説明しようとする為にです。
「じゃあお前の云う芸術とはなんなんだよ?」
についてはまた追々、話が出来たらと思います。

美についてまた、しばらく考えてみます。
僕の言いたい事を真摯に拾い上げてくださって、ありがとうございます★


詩のコミュニティの賑やかさは、確かに物凄いですね。
僕はアレを見るのが大好きですよ( ^ω^ )
けど、本当にみんな書きっぱなしで、交流は無いんですよね。
みんな、いつも口に出しては言えないような思いを書き込んで、また普段の生活に戻っていく。

そんな寓話があったような。

たまに、ハッとするような文章の方も居て、どうして侮れません( ^ω^ )


>>[378]

>バタイユの哲学に、僕はそれ程興味が無いです。
>けれどあの人は小説も書くんですよね。

私は逆にバタイユの思想には興味あってポトラッチやらを学ぼうかとしてサボってしまって後悔してます。そのときはバタイユの小説になど興味なかったけど、いま書くようになっては読んだほうがいいと思いなおしております・・・。文庫であるんですかね ついでに有名で人気のあるマルキ・ド・サドも読んでないので心残りです。

>僕が好きなのは小説家としてのバタイユです。

私は思想家としてのドストエフスキーが好きかなぁ。小説は、、、読むのが、、、

>「じゃあお前の云う芸術とはなんなんだよ?」

自画像を書きたいとか? ゴッホなど画家が自画像をけっこうかいてますよね。
私は絵で自画像はかきたくないけど、文というか小説では自画像を書こうとしてますな。自分の描写ではないんだけど、自分のなんというか感覚?や思考ですかのう。
>>[378]

>存在論的に、物事はもともと固有に美を有している、とは僕には思えません。
>けれど、美は普遍的なモノだとは思いますよ。
>ご指摘のように、カントの云うような認識の方法が、僕の美への対峙の仕方に思えます。

私の美論の課題もそのへんですなぁ。
普遍的な美というと、カントよりむしろプラトンのイデア論を思い出しますが、美のイデアなどどうです? あれとはまた違いますかね

美は難しくて解答がなかなかでないせいか、あれこれうだうだ考えるには最適なんですよなあ
>>[381]

まさに、美のイデーが感情だと思うんですが、そう思ったまさにその時、、言いましたが、よく分からなくなったんですよね。。



カントと自由のことがでたついでに・・・。哲学系での議論でよく出るテーマの1つに自由とはなにか、いうのがあるが、もしくは自由はあるのか、と。

文学の目的、なぜ書くのか、の問のレスに、「自由になるため」というのがあってもいいように思う。登山家のそこに山があるから、いうんもありだとすれば、ここに自分があるから、いうのもありなんじゃないか。

自由とはなにか、だが、例えば花が美しく咲くこと、などはどうだろう。そのものの本質が実現することをもって自由という。あるいは自己実現とよばれるもの。
本来の自分になっていくのが自由というのはどうだろう。
鳥が飛ぶ、花が咲く、というのはただの本能、プログラミングであって、それに支配されているだけで自由ではない、という意見もあるだろうけど。
よく人間は本質が壊れていて、なんにでもなれるみたいな指摘がされる。人間には、動植物のように決まったありかたや自己実現のありかたがない、みずからの意志で選ばなければならない、という思想だ。
>>[383]


>自由とはなにか、だが、例えば花が美しく咲くこと、などはどうだろう。そのものの本質が実現することをもって自由という。あるいは自己実現とよばれるもの。


「生き物としての」本質を実現する事を自由と言うなら、
男にとっての自由とは、狩猟の為の筋肉の発達や繁殖、
女にとっての自由とは、安全な巣での出産と保育に他ならない。

それ以外の所謂「自己(ニンゲン)の実現」は、因果律の深遠から結局、逃れられないように思う。
神学的なアプローチや自然科学のアプローチ等、面白いとは思うんだけど、、、

自殺がそうじゃないですか?

人間の行える自由は何か、と考えると、。

生物としての本質の実現が、自由という感覚を伴う遺伝子の策略だったとしても、又、選択と代価という因果の円環を自由意志の名の下に断ち切る、唯一の手段としても。

もっとも僕個人の意見としては、何かから完全に自由になれるなんて考えた事も無かったですねぇ!!
>>[383]

>文学の目的、なぜ書くのか、の問のレスに、「自由になるため」というのがあってもいいように思う。

あってもいいと僕も思います。
ただ、自由という概念がそもそもはじめにあって、それが現在失われていて、だからそれを取り戻すのだ、という図式が、僕にはちょっと信じ難いなぁと思うのですが、こういう考えはなんて呼ぶんだろう?

トーヤさんは産まれた時、自由だったのですか?
そうだとしたらまた、一体いつ、不自由になったんですかね?

>>[385]

>「生き物としての」本質を実現する事を自由と言うなら、
>男にとっての自由とは、狩猟の為の筋肉の発達や繁殖、
>女にとっての自由とは、安全な巣での出産と保育に他ならない。

なぜか人間だけは他の生物と隔絶された存在あつかいされますからねぇ。。
本能が壊れているとか、自然界から疎外されているとか、超越しているとか。
理性的存在とか。

で、アリストテレスの「徳(アレテー)」って概念あるじゃないですか。そのものの個性というか固有の優秀性。それを使うことのばすことを自由というのもありかなと思うのです。
例えば世代が少し前になるけど、福原愛(天才卓球少女愛ちゃん)などだと、卓球をする才能があったので卓球をすることが彼女にとっての自由だったとかいってもいいかなと。

>それが現在失われていて、だからそれを取り戻すのだ、

え、自由があったのに、なくしてしまって、それを取り戻そう、ですか? それはどこの意見です?
私はむしろ、赤ちゃんに自由はなく、育っていくにしたがって自由を獲得していくように思っております。愛ちゃんにしろ、4歳のときは親の命令で自分の意思などではなく卓球をはじめて、泣きながら、いやいやかどうかはしらないけど、やっていたけど、思春期になってもう親の意思にしたがわなくてもいいくらいになっても、今度は「自らの意思」で卓球をつづけたわけで。
歴史的にみても、たとえばむかしは、階級社会で結婚も就職も社会的に制限されていたけど、現代はむかしにくらべてずいぶんと自由社会になったなと思います。
なので私は人間個人にせよ社会にせよ、不自由から自由にむかって歩んでいるのではないかと思います。
>>[385]

そういえば、みすのさんは、人間は絶望からのがれられないとかおっしゃっていたし、自由についても否定的というか、そもそも自分や人生についてもネガティブなのですかね? 人生観、暗かったりします?

>もっとも僕個人の意見としては、何かから完全に自由になれるなんて考えた事も無かったですねぇ!!

そもそも自由の定義をどうとるか、完全な自由などというのはありえるのか、あったとしてそれはどういう条件なのか、ですよなぁ。

カントがいうように定言命法をまもるだけで完全自由というのなら可能かもしれませんし、私はカントの自由にはあまり賛成ではないですが。

やりたいことをやるのが、その人の自由なんでしょうけども。それは欲望に支配されているだけ、いう意見もあるけど、私はとりあえず、衣食住の生活条件がじゅうぶんで、やりたいことをするのが自由なのかな、と思いますな。

現実生活的にいうと、かくにしても、遊ぶにしても、生活をしなければならないので、完全な自由というのはないのかもしれませんが、たとえば、かいているときに、自由を感じることは可能なのではないかとは思います。

で、自由の必要条件としては、やはりまた快やエクスタシーなどがともなわれなければならないような気もします。

>カントがいうように定言命法をまもるだけで完全自由というのなら可能かもしれませんし、私はカントの自由にはあまり賛成ではないですが。

本能、欲望、因果からの独立が自由というなら、カントの自由が適当なのかもしれないけど、だとすれば私なんぞ生まれてこのかた自由だったためしがないような・・・。

それはそうと、パソコンが重すぎる だめだなー 不自由をなげいてしまう。

自由があるかないかという議論は、愛や神があるかないかというような、概念の実在論的な議論なのだと思わんでもない。たとえば数字はあるのか、リンゴ1個ならあるが、「1」というものはどこにどうあるのか、頭のなかに観念としてしか存在し得ない、それをあるというのかなど。

自由や愛や神は、あるというひと、ないというひとそれぞれいてもしかたがないんじゃないかと思う。概念をもちいて世界や自分を認識するときどう使うかが大事なのだろう。

自由という言葉=観念はある、ということ。自由意思という観念もあるという。
文学雑誌を読んでいて興味あるのは、311以後の世界の物書きたちのモノ言い。

海外の作家などの率直深淵な見方考え方に対して、自国ニッポンの作家の声が当たり障りなく、低いのか見えないのか・・・、国内の本音は載せにくいのか。

ゲンパツ勢力やセイジ族風が抑制力を利かすのか、モノ述べる人たちの萎縮を感じる。マンガさえも。

いやまて、声は上がっていてもマスメディアが扱わないだけなのかもしれない。ゼニとセイジにゃ勝てはせぬ、か。

そういえば、ジャーナリズムなどの勢いも、NHKはじめニュースの偏りや萎縮を感じる。萎縮などというより、もはや批判精神は限りなくゼロ。

スポーツ界の成果などは、国益国粋型にひねって他国への目線を封じ込めるふうだ。「負けてもおらが国イチバン。勝ってもほかはダメだから知らない」っぽい。

TV業界、地デジ鮮明画像が泣くゼ。4Kが聞いて呆れるワイ。

ニッポン、「1984年」でもあるめいによぉ!

まぁasahi系の新聞・TVに「おう!」というような報道もあるが油断大敵。mainichi・TBSがかろうじてその後に続くか。

戦中の「大本営発表の片棒」マスメディアの反省こそ今、セイジ以上に問われるべきかも。

ほんとはアレが知りたい、あのコトの真実は今どうなってる、の声に一切背を向けているのだから。

もちろん本命である物書きたちの、戦中の「御用物書き」の反省こそ、今社会に要るは言うまでもないハナシ。
そうだよくぞ見ていてくれた書いてくれた、という底辺過半数の共感目線。いわゆる時代の真実をあぶり出すものか。わが国ではこのテの「あっとオドロク」ものは女史が強かったか。

いずれにせよ、いつの時代も物書きやモノ言う者のコトバは、憲兵的視線にとっては影響大だけに、要注意ということか。

そして言い換えれば、あまり触れられたくないコト、がこの国セイジの今には、いろいろとあるということかもしれない。

であれば、言の葉を編める人らは「あなたとわたし、キミとボク、二人の世界」流行歌のようなアイ言葉だけに終始した表現ゴッコをしていようか。

これほど書くべきタネ溢れるニッポンでそれで満足できるなら・・・
カンペキ、廃屋化してきたなぁ
来週からまたプチ旅行だしWだし
6月は公募あるんでがんばらなきゃだし
まあ8月くらいには暇になるんでまたくるだろうけど
居ます!居ますよ!

本業の方でも物書きやってると(社用文書いたりえらいおじさんの挨拶文考えたり)、オフにまで文章考える気にならなくなってしまうので困ります。

なので専ら最近は読むことしかしてません。

1ヶ月ぐらい会社休んでどっか宿に籠もりたいです。
>>[394]

おお、、生き残っておりましたか

なに読んでますん?

ここも細々とやりましょか
>>[395]

京極夏彦です。

わははは、こんな疲れたときに純文なんて読まぬのです。

ほどほどに頭を使ってなおかつすらすら読めるリズムの良い作品、となると京極堂に行き着きます(私は)。

細々と、でいいんじゃないでしょうか。

思い出した頃に誰かが言葉を置きに来る程度でも良いと思いますよ?
最近はサッカーばかりだな〜

ぜんぜん読んでないなあ
>>[391]

あ、はじめまして
文芸とゴシップというのは切っても切り離され得ないものなんですかね
政治や思想性を文芸にいれるかどうかびみょうなところかと思います
音楽や絵画にしたって思想と切り離せるわけじゃないですしのう
>>[399]

あ、おひさっす オール読物にだしました?
私も文學界にいちおう出しました
雨だなー
W杯もあと10日くらいか

すぎゆくなー
流れていくよ

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