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失われた植物の思い出☆コミュの僕の心の支えだった植物がほとんど全滅した

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 初めまして。僕は石川県に住んでいて、元は七尾市に住んでいました。20歳過ぎて、僕は、いつも家にいるニートだったんですが、家で植物を育てたり、山に植物を探しに行ったり、キノコ栽培の趣味もありました。現在僕は35歳になり、その僕の心の支えだった植物は、悲しいことにほとんど全滅させてしまったのですが、その経緯を書かせてください。
 僕の住んでいた七尾市の家には、昔畑だった広い地面があり、僕は鉢植えの植物を大事にしていて、ずいぶんいろいろな種類のものに手を出して集めていました。15年以上は育てていた大きなローズマリーがありました。デンドロビウムは、丈夫で、僕がちゃんと世話をしたときは、ちゃんと大きくなり、花を咲かせていました。他にも、サボテン多種類、多肉植物もエケベリアと、リトープスも少し、センテッドゼラニウムや、バラも少し集めていました。クロマツの鉢植えや、ピナスピネア、アジサイ、ゴールドクレスト、他にもたくさんの植物を集めたと思います。
畑には、果樹を植えたり、シャクヤクを育てたりしました。

27歳頃になり、ニートの僕の状態を、両親も僕も危惧して、植物に関心があるならということで、東京農業大学短期大学部に進学することにしました。
大事な鉢植えの植物の水やりを、母親に任せて行くことにしました。
物珍しい東京生活で体験できたこともあったのですが、僕は、何をやったらいいのか分からず、楽しみも見出せませんでした。
今になって、学校の敷地内にあった温室で、学生がやっていた、植物の水やりや、管理に参加しておけばよかったかなと思います。

家に残した植物は、最初は母親は、熱心に面倒を見てくれ、青々と育っていました。

そして、世田谷で初めて通ったメンタルクリニックで、僕は、広汎性発達障害の診断を受けました。
就職先も何もなかった僕は、卒業式が終わって実家に帰りました。
僕の心の支えだった植物は、まだたくさん残っていたと思います。

僕は、精神障碍者認定を受け、障碍者年金を受給しました。

そして、再び植物の世話を母親に任せて、発達障碍者訓練校に入る等の経緯があり、その後、実家から100キロほど離れた小松市の障碍者就労施設に入り、アパートで独り暮らしをすることになりました。

僕が再び家を出てから、母親は仕事が忙しいという理由で、だんだんと植物に目を向けなくなり、僕が実家に帰るたびに櫛の歯が欠けたように少しづつ何かが枯れていて、2年ほどたって実家に帰ったある時、ほとんど全滅したのを目にしました。

僕は、当たり前にあると思っていたものが、こうも簡単になくなるものかと落胆しました。

今でも、植物が僕の一番のこころの支えだったと思いますが、裕福なニートでもない限り、お金や、時間、栽培場所などは確保できないのかなと思いますが、あきらめきれないでいます。














コメント(1)

このコミュニティも、全滅寸前だったのに、新しい芽が芽生えていようとは…心の花さんよろしくお願いします。植物は、動物以上にとっても素直に愛情に答えてくれます。特に鉢植えの植物は私たちに命をゆだねていますから、ほんとに私たち次第なんですよね。私も、去年はほんとに忙しくて鉢植え達を一冬ほったらかしにしてしまいましたが、春になって見ると人知れず満開の桃。天からのもらい水でがんばっていたようです。ま、来年の花芽はほとんどついてませんけど…反省して、とにかく必要最低限だけでもと面倒を見るようになったら、みんな元気を取り戻して生き生きしています。去年枯れてしまったラベンダーが(これは寿命だったようです)他の鉢から芽を出して、居候で花を咲かせたのには驚きました。これは、一冬ほったらかした怪我の功名でした冷や汗また育ててくださいな。小さなサボテンを窓辺に置くだけでいいじゃないですか。生き物がそばにいると、心が和みますもの。

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