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F1大好きコミュのF1史上最も経験豊富なテストドライバー、L.バドエル

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ミハエル・シューマッハがF1復帰を断念したため、負傷欠場のフェリペ・マッサの代役として次戦ヨーロッパGP(8月23日決勝)からフェラーリを駆るルカ・バドエル。現地時間(以下、現地時間)12日、F1の公式サイト『Formula1.com』がその経歴を紹介している。

 ヨーロッパGPで約10年ぶりにF1の実戦に復帰するL.バドエルは、現在38歳でいきなり現役最年長ドライバーとなる。これまでF1では通算49戦出場、ノーポイントと実績を残せていないが、フェラーリのテストドライバーは10年以上に渡って務めてきた。記録によると、L.バドエルがテストに参加した日数は469日、テスト周回数は3万1,375周、テスト走行距離は13万1,943kmであり、F1史上最も経験豊富なテストドライバーである。これらの数字は、現役時代にテスト熱心で知られたM.シューマッハより139日、7,670周、3万km以上も上回っている。

 しかし、実戦での最高成績は1993年サンマリノGPの7位(当時、入賞は6位まで)、予選最高位は1995年ハンガリーGPの12番手と、史上最多の7度のドライバーズタイトルを獲得したM.シューマッハの戦歴には遠く及ばない。

 イタリア・ミラノ出身のL.バドエルのモータースポーツキャリアは、母国イタリアで積み上げられてきた。イタリア・カート選手権でチャンピオンに輝き、4輪転向1年目の1990年にはイタリアF3選手権の最終戦で優勝、翌1991年も引き続きイタリアF3に参戦し、4連勝を飾る。そのうち3勝はその後タイヤ選択違反で剥奪されたが、この活躍が認められ、翌1992年には国際F3000(現GP2)にステップアップ。クリプトンに所属し、ルーベンス・バリチェッロやデビッド・クルサードなどの将来のF1界のスターを相手に、デビューシーズンながらポールポジション5回、優勝4回の活躍でタイトルを獲得した。

 続く1993年、バドエルはスクーデリア・イタリアと契約し、F1デビュー。ローラ製シャーシにフェラーリエンジンを搭載したマシンで活躍が期待されたが、デビュー戦は予選26番手、決勝は20番手を走行中にリタイア。その後もリタイア5回、予選落ち2回、トップ10完走はサンマリノGPの7位とイタリアGPの10位の2回のみで、翌1994年にはF1シートを失う。

 結局、1994年はミナルディのテストドライバーを務め、翌1995年にはミナルディのレギュラーシートを獲得。8位完走2回と自己最高の予選12番手獲得と奮闘するも、リタイアも7回喫した。1996年はフォルティ・コルセに移籍。しかし、予選落ち4回、リタイア4回と苦戦し、結局チームは10戦終了後に財政的な問題のためF1から撤退した。

 1997年はGTレースに転向したが、1998年にはフェラーリのテストドライバーとしてF1界に戻ってくる。1999年にはフェラーリのテストドライバーを続けながら、ミナルディと再契約し、3年ぶりにF1の実戦に復帰。予選最高位は19番手ながら、サンマリノGPでは8位完走、さらにヨーロッパGPでは残り13周でギアボックストラブルのためリタイアするまで、4番手を走行する健闘を見せた。このときは、テレビカメラがマシンを降りたL.バドエルがコースサイドで涙を流す姿を映し出していた。

 また、この年にはイギリスGPでミハエル・シューマッハが右脚を骨折し、6戦欠場をするアクシデントがあったが、フェラーリは代役にL.バドエルではなくミカ・サロを起用。M.サロはこの間、表彰台2度、計10ポイントを獲得した。

 2000年以降、L.バドエルはF1参戦の機会に恵まれず、フェラーリでフルタイムのテストドライバーとして働いてきた。当時はテスト制限がなく、また他チームのテストドライバーのように別カテゴリーのレースに参戦することもほとんどなかったため、多くの距離を走り込んでフェラーリに貢献した。

 現在はテスト機会が厳しく制限されているため、L.バドエルは今季型マシン『F60』をほとんどテストしたことがないが、新たな実戦復帰のチャンスでの初ポイント獲得に意欲を見せている。

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