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本居宣長コミュのみんなの宣長との縁(えにし)は?

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どーも、zoeと申します。

なにげなく検索したら
「本居宣長」のコミュがあるではありませんか!
ということでコミュに参加してみました。

みんなはどんな経緯で「宣長」につながったのでしょうか?

私の場合は大学院修士論文でテーマにしたのがきっかけです。
政治思想的視点で彼の「もののあはれ」論を切ってみました。

しかし、彼の思想は昔も今も変わらず通用するものがありますね。

コメント(33)

本居宣長との縁ですか。

昔のことではっきりとは憶えていませんが。
小林秀雄の著書『本居宣長』を読んだことや本居宣長についての講演を聞いたことは、大きなきっかけだったと思いますが。
はじめまして、zoeさん。
専門の方の登場ですね!よろしくお願いします。

私の場合は以前にも書きましたが、たまたま岩波文庫の『玉くしげ・秘本玉くしげ』を読んだのが縁です。その後宣長に興味が出たので岩波文庫の『排蘆小船・石上私淑言』、同『古事記伝』をさらっと読んでます。岩波文庫はどれも品切れ状態みたいなんですが、運良く田舎の書店で入手できました。これも縁といえば縁ですね(笑)

最近、本山幸彦という人の『本居宣長』を読んだのですが、よく出来た入門書で助かりました。次は村岡典嗣の『本居宣長』でも読んでみようかと思ってるところです。

ところで、宣長の「もののあはれ」論を政治思想的な視点から切るというと、どんなことになるのでしょうか。先に挙げた本山氏の入門書にも書いてあるんですが、宣長の政治思想は被支配者の思想であり、つまり、政治的野心に欠いているのが特徴だと思われるんですが、その中核にあるのが彼の「もののあはれ」論として結実している彼の理想とする人間観である、と。そして「もののあはれ」を感じる心は受動的共感的なものであってみれば、そもそも主体的な欲望とは関係がないものであり、欲望とは切り離されたこの「もののあはれ」を感じる心にこそ宣長の倫理的規範が置かれている、と。以上の理解が正しければ宣長の「もののあはれ」論はそもそも主体的に欲望を充足させて行くような形の通常の政治的活動についてはそれ自体を否定も肯定もしないものなのだろうと考えられます(『玉くしげ』でも「今の世におこなふべきほどの事を行なふより外あるべからず」と結んでいます)(とはいえ、当然ながら活動の結果については倫理規範が発動するのでしょうけれども)。これを政治思想的な視点から切るというのはどういうことなのか、ちょっと興味を持ちました。むろん以上述べた宣長理解(たぶんに間違っている可能性を含む素人理解ですが)とzoeさんの宣長理解は一致していない可能性があるのでアレですが。。

うわっ、書き込みが長くなってしまってスミマセン。。

>スエダマさん
小林秀雄の講演を聞いたんですか?!すごいですね!生で聞いたんですか?
phamenさん。

私は、学生時代に、京都で行われた小林秀雄ご自身の講演を聴きました。
それで、本居宣長全集などを購入したのですが、今もって、実際に読んだのは、半分くらいの状態ですが(笑)。
>スエダマさん

うらやましいっ!というか、すごい経験ですね。
学生に全集を買わせてしまうほどの講演!

全集は私もいつか欲しいのですが、そうなんですよね。
全集買っても全部読むことはマレなんです(笑)
phamen; さま

はじめまして。
もしやご存知なければと思い、書き込みますが
小林秀雄の講演は、ちょっと古いですがテープであります。
私は偶々、図書館で借りて聞きました。
「うひやまふみ」等に触れていました。
>スエダマさん
小林秀雄氏の講演を生で聴いたのですか!?
す、すごい・・・うらやましい・・・

>phamenさん
専門というほどの者ではありません(汗)
大学院修了後、普通に就職しましたし。

宣長の政治思想が「被治者の思想」であったことは、phamenさんの言うとおり否定できない事実だと思います。本山氏の宣長論だけでなく、他の研究者もそれは共通でphamenさんの読みは間違ってないと思いますよ。特に丸山真男〜松本三之介のラインの影響は大きいですね。
あの時代に武士階級以外の人間が主体的に政治について語ることは、(当局に睨まれるという現実的な問題からパラダイム認識まで幅広い意味で)かなりの困難を伴ったと思われます。宣長の政治論、といか世界観そのものが「せんかたなし」といった決定論的要素で構成されてますし、「もののあはれ」も事象の価値がアプリオリに存在するという議論ですから。

ちなみに私の修論の骨子は次のような感じです↓
宣長曰く、日本人には古来より「もののあはれ」という共感能力がそもそも備わっており、儒教(朱子学)のような特別な道徳規範は必要がない。その証拠に、人々が共感能力に満ちていた古代の記録『古事記』があり、そこに約束された「天皇統治の永続」が現存している。そして和歌(たをやめぶり)は、日本人の共感能力を証明しまた高めるものとして存在するのだ、と。
丸山−松本が主張するように、宣長が活躍していた時代、朱子学は社会を規定するイデオロギーとしては既に機能不全を起こしており、幕府及び思想界はその対処方法を模索していた。幕府は朱子学以外の教えを否定(異学禁制)という方策をとったが、対処療法であって、根本的な解決にはならない。思想そのものの代替物、パラダイム転換が必要だと宣長は考えたのだと思います。
宣長は極めて現実的な人だったので、当局に睨まれるような言動は極力避けてたので、彼の著作から過激な議論は認められませんけど。乱暴に言えば、『「朱子学などに頼らずとも、日本人は生来の共感能力で共同体を維持できるのであり、それを担保するのが天皇制なのだ」と宣長は主張した』というのが私の結論です。

ちなみに私は飛鳥井雅道氏の宣長論が好きです。(アカデミックな議論に好き嫌いは禁物ですが)『近代日本精神史の研究』(京大出版会)に収録されてます。氏はすでに故人ですが、『近代〜』に収録された宣長論を読むと感動しますよ。氏の宣長論が完成しなかったのは非常に残念です。
あと、子安宣邦氏の宣長論も興味深いですね。
(彼の物言いは好きではないのですが←また好き嫌いかよ!)

私は、近代日本が幕藩体制から近代国家へ移行する幕末期、当時をリードした思想として国学と水戸学を据え、その一つである国学の大家として宣長を取り上げました。当時の私としては、宣長の議論からナショナリティの萌芽を読み取りたかったのですが、残念ながらできませんでした(涙)。
前述の飛鳥井氏も「そもそも宣長は政治を云々する人ではなかった」みたいなことを著作の中で述べてましたが、その通りだと思います。

宣長論はたくさん出てるんでいろいろ読むと楽しいと思いますが、やはり宣長の著作を直接読むのがいいですよ。彼の著作は非常に読みやすいです。古文とか特別な勉強しなくても読めますし。

つらつらと長文すみません。
>片腰さん

はじめまして。テープがあるんですか。・・そう言われれば、昔知り合いが小林秀雄のテープを聞いて面白かったと言っていたような記憶がうっすらと蘇ってきました。あ、でも本居宣長についての講演とは限らないのか。ともかく情報ありがとうございました。「うひやまふみ」は未読ですが読みたいものの一つですね。宣長の学問論。
小林秀雄のテープですが、私は4セット持っています。
この頃は余り聴きませんが、かっては繰り返し聴いて、内容をほとんど覚えています。

テープは、『新潮カセット文庫』といい、それぞれが約2時間のものです。

(1)本居宣長
(2)文学の雑感
(3)現代思想について
(4)信ずることと考えること

の4セットです。
それに、これは私は持っていないのですが、5セット目も出版されたと聞いています。
>zoeさん
な、なるほど!ありがとうございます。
zoeさんの論にたいして現段階で私が言い得ることはもちろんないわけですが、宣長の議論から「ナショナリティ」の萌芽を読み取れないことを確認したというのは大きいのでしょうね。
まずは飛鳥井氏のものを読んでみることにします。じつは私も子安氏の文章を読んだとき「彼の物言いは好きではない」と感じた記憶がありますので(笑)

>かんざきさん
本山氏の本はちょっと古い(奥書に1978年第一刷とあります)ので現代の研究の入門として適切かどうかは門外漢の私にはわかりませんですよ。私が読んだ限りでは入門書として名著だと思いましたが。

>スエダマさん
けっこう出てるんですね。そういえば小林秀雄ってどんな声だったんだろう(笑)
>phamen;さん
あくまで私の読みで「ナショナリティ」の萌芽が発見できなかったということで・・・
上田秋成との論争を追っていくと宣長は近現代でいうところのナショナリストなんですけどね・・・

先日実家に帰って蔵書漁ってたら、百川敬仁を発見。
ちくま新書の『日本のエロティシズム』は手頃でオススメです。
内容は宣長だけってわけではないけれど、
根底に流れるものはやっぱり宣長かな?
同氏の東京大学出版『内なる宣長』も是非御一読を。
>zoeさん
「ナショナリティ」ってじつは概念の意味がよく理解できないので私は基本的にカッコ付けで書くんですが(笑)、私のような者には、宣長に近現代の考え方を発見できない方がむしろ自然だと思えるんですよね。zoeさんの読みが厳密だからこそ見いだせなかったのではないか、と推測してたんですが。どーなんでしょう。。

ところで、『内なる宣長』、アマゾンで20,000円(!)の値がついてますよ(笑)
うーん、カッコ付きは論文で多様されますが、特に意味は・・・あるのかなぁ、やっぱり。
そのくくった用語そのものを浮かび上がらせるというか、概念的なことを強調したい時とか。最近は〈〉も流行りかな。

それはさておき「ナショナリティ」、私の理解では、簡単に言えば、人が「私は○○人だ」と認識すること。
生まれや育ちによる「○○人」の意識は大昔からあるといえば
あるのですが、近現代においてはまた別の意味あいというか深みがあると思われます。

『内なる宣長』がアマゾンで2万円だなんて・・・と思って古書検索したらどこのサイトも全くヒットなし!アマゾンの値付けはあまりアテにならないとどっかで聴いたんですが、重版未定だし、実際に値は上がってるのかな?
カッコの意味は私もとくに研究したわけじゃないですが(と、ちょっと大袈裟な言い方 笑)、大雑把に「引用」と「強調」(←強調の意味の使用例2つ)の二つに大別されるんじゃないでしょうか。上の「ナショナリティ」は引用の意味で使用したわけですね。引用には「自分の言葉ではない」(←このカッコは強調の意になりますかね?)という含意があるので、その意思表示にもなります。
私の場合、よく使われてるけど曖昧だったりよくわかっていない概念はカッコ付きで使用すれば概念を曖昧なまま使用するという悪習に染まるのを避けれるかもしれないというきわめて個人的な足掻きに過ぎないですが(笑)。少なくとも「私はこの概念の曖昧さに懸念をもっておるんじゃっ」という意思表示にはなるかと思ってたんですが、でも概念の厳密な用法や専門性を強調する意味でもカッコを付けたりもするし、そもそも読む人には強調なのか引用なのかを見分けるのは困難なので、むしろ自己満足の行為ですね。。orz

「ナショナリティ」の話ですが、「ナショナリティ」の意味が単純に人が「私は○○人だ」と認識することだとすれば、zoeさんの言うように大昔からあるようにも思われるので、この萌芽は大昔に求めることになるのでしょうね。よくわからんですが、古代中国にも「夷狄」という言葉があるし、古代ギリシアにも「バルバロイ」という言葉があり、日本でも聖徳太子が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云々」と言ったとか言わなかったとかいう話が、ありますよね。
近現代においては(これは私はまったく把握できてないのですが)、欧米の思想的伝統下にローカルに発生した問題意識の下でけっこう特殊な意味で使用されてる感じなので(さらに、日本の場合、欧米のローカルな問題意識に対応した言葉を無理やり輸入しているという事情があって複雑化してそう・・)、把握するのは大変そうだなと思います。で、江戸時代の宣長にそのようなものの萌芽を見つけられなかったというのはむしろ自然かなと。とはいえ見つけたと言われればそれはそれで素直に傾聴しますが(笑)。この辺りはよくわかってない人間の哀しい性ですね。。悶。

でも以前話題に出た飛鳥井雅道氏の著書の第五章「宣長の息づかい」を読むと、飛鳥井氏も宣長に接近する理論や方法論に悩みつつ、宣長をある理論から眺めることそのものに疑いを持っていたりするようなので、宣長のテキストに密着すればするほど近現代の「ナショナリティ」のようなものは見いだしにくくなるというのは、やはりあるような気がするんですが。

ぐだぐだとしたことを長文で失礼しました。。
今日、プラッと書店に行ったら
新書コーナーで『本居宣長とは誰か』を発見。
著者は子安宣邦氏(平凡社新書)。

流石にこれまでの学術書とはだいぶ違うなー。
ものすごく物腰の柔らかい語り口、まぁ一般向けだし。

中身は・・・今から読みます(笑)
minさん、私も宣長の実生活に興味があります。でもフィールドワークまでできていません。なかなかおもしろそうな卒論ですね。宣長の「もののあはれ」の思想には、病気に苦しむ子供たちや、疫病神の気持ちになることも入っていたと思っていました。是非拝読させていただきたいので、下記にメールで貼付して送信願えないでしょうか。
yasui_yutaka@kfd.biglobe.ne.jp

私の宣長論も是非お読みください。「本居宣長の主情主義的人間論ーもののあはれと私有自楽」です。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/motoorinorinaga/mokuji.htm
また宣長論をファンタジーにしたのが「本居宣長の青春」です。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/daiboukenall/10s.htm

中学生の時に社会科の歴史の授業で先生が黒板の中央に太く大きく『本居宣長』の字を書いたのが強烈に印象に残り、すごく偉い人なんだろうなと思ったのがきっかけですぴかぴか(新しい)

その後、故郷を離れ上京した時に神田神保町の古本屋で小林秀雄の『本居宣長』の初版本を見つけましたが高くて手が出ませんでした涙

今はもう亡くなった婆ちゃんが本居姓で、そこから興味を持ちました。

幼稚園のときに、松阪城跡にある鈴屋にいったのがきっかけです。懐かしいなぁ。。
月並みですが、高校の古典の授業。

当時の授業を担当した教師は自虐史観で、ろくでもなかったのを昨日のように覚えております。
愛国心ある先生から薫陶を受けた皆様が誠に羨ましい限り。

現在は本居先生の著書より日本書紀を優先して読もうかなという今日この頃です。
学生時代、ふと手にした講談社学術文庫の『うひやまぶみ』を読んで一気に宣長の学問と人柄に惹かれた。
卒論は宣長の遺言書について執筆した。
日本に相応しい保守主義のあり方を考える端緒となりそうだと思ってコミュに参加させていただきました。

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