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お江戸で遊ぼうコミュの「武士の情け」敦盛最期

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武士道とは武士が戦人であった時代のものであると私は思う。平安時代から戦国時代まで
本物の武士はいた。

江戸時代、武士と言われる人たちは、官僚であり小役人である。

武士が武士らしかった時代の武士の話である。

源頼朝の御家人だった熊谷直実は一の谷の合戦で、立派な甲冑を身に付けた若武者に一騎打ちを挑む。

歴戦の猛者であった直実は、見事にこの若武者を馬上から引きずりおろし、侍らしく名乗りを上げた。

「私は熊谷の直実だ!あなた様はどなたか!?」
しかし、この若武者は取り合わず・・・

「名乗ることはない!首を取って確かめてみれば分かることだ!」
と言ってきかない。

直実が仕方なく兜をはぎ取ると、そこにはちょうどわが子と同じ16歳くらいの少年の顔があった。

驚いた直実はその少年に、即座にその場を立ち去るように促すが・・・
「さっさと首を取れ!」

と、健気にも侍らしく名誉の死を望む少年。

直実はためらうが、自らの背後から味方が押し寄せてくるのに気付き、意を決する。

このままでは自分が打たなくとも誰かに打たれてしまうだろう・・・
それならばいっそ自らの手で・・・と、泣く泣くその少年の首を切り落とした。


後日、その首を確かめてみたところ、平清盛の甥に当たる「平敦盛」で17歳だった。

わが子と同じくらいの少年を自らの手で殺してしまった・・・
直実は戦いの無常さを感じ、出家の意志を強めることとなった。

この物語が後に幸若舞「敦盛」として現代まで伝えられている。

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば・・・」という一節があまりにも有名であるが、織田信長がこよなく愛し、桶狭間出陣の前に舞ったとされている。

武士としての名誉を貫くために死を選ぶ敦盛。

その敦盛を逃がそうとする直実の優しさこそ「武士の情け」、すなわち武士道の【仁】である。

そして名もない誰かに殺されてしまうくらいならと、最後に敦盛の首を取ったのもまた「武士の情け」である。

【仁】とは、優しさ、思いやりのことである。

しかし、ただ優しいだけの「甘さ」とは明らかに違い、時に苛烈なほどの厳しさも併せ持っている。

「優しい」と「甘い」私たちはよくよく勘違いしてしまうが、本当の「優しさ」とは「強さ」でもある。

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