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お江戸で遊ぼうコミュの庶民のきもの

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日本に綿の種が渡来したのは799年(延暦18年)、三河に
漂着したインド人青年によるといわれております。

各地で綿の栽培が盛んになったのは室町時代頃からで、江戸
時代にそれまでの麻に替わり、柔らかく温かく、吸湿性に優れ
ている綿が庶民の普段着として用いられるようになりました。

江戸時代なる前にも、堺 ・博多商人の方々の中には、お洒落で
素敵な女性 ・男性がおりました。

家康が日本全土を掌握し、秀忠、家光の3代で基盤が整い、
平和な世が続きますと、ここに初めて一般庶民 がファッションの
世界に登場します。

但し、庶民と云っても 「新興お金持ちの庶民です。」 今風に
いうなら「六本木ヒルズ族の方々」。

友禅染めやら、紬やら、絹のきものを着ていましたが、一般
庶民には高嶺の花。

木綿のきものが一般的で、それも古着屋からリサイクルきものを
購入するのが当たり前でした。

かの有名な明暦三年の振袖火事は、曰く因縁のあるリサイクル
振袖を供養するため焼却しようとしたものが突然舞い上がり
江戸中を焼き払い死者10万人を出しました。

この火事でかの有名な吉原遊郭も炎上、移転を余儀なくされました。
明暦3年6月には大火で焼け出されて仮小屋で営業していた遊女屋は
すべて移転。移転前の場所を元吉原、移転後の場所を新吉原と呼ぶ。

お勧め本
吉原裏同心シリーズ 佐伯泰英 著 光文社文庫
廓の用心棒・神守幹次郎は示現流と居合の達人、吉原で起こる
難事件を解決するなかで吉原のしきたりが学べます。

※当時のファッションは歌舞伎と吉原から広がっていました。

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