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日本のブルースコミュの【ヤング720】にようこそ!

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日本中の少年少女たちに絶大なる影響を与えた【ヤング720】

この番組を見るために学校を遅刻した青少年は数知れず。
日本のロック、ひいては、日本のブルースにも影響を与えた(かもしれない)、我らが【ヤング720】について語り尽くそう!

コメント(45)

お。そのサム&デイヴ、金子のマリさんが
「来日公演、あたしは見にいったよ!」と、
先日、我がイベントにて言ってらした(笑)

720を見て学校に出かけてた子供です。
はちみつぱいが出たのは覚えてます。
知ったわりと直後だったので、覚えてるんだな。
でも71年で終了ってことは71年、ギリギリなのか。
ジャックス、
高田渡
休みの国
なんかも出てました。

泉谷が出た記憶があったんだけれど
それは違う番組なんだなあ、71年じゃムリだ。
なんに出て来たんだろう。
黒いカバン持ってきて(まるで寅さんみたいだった/笑)
『黒いカバン』歌ったんだけど。
でも黒いカバンってこと自体、ずいぶん新しいか。
ああ、そのままコータローさんの番組にひきつがれてたのかもしれませんね、そういう歌のコーナー自体が。

リブヤングは日曜日でした。
キャロルの登場は覚えてます。
後、アリス・クーパーが出て来たのも(わははは)
蛇くびに巻いてたし
「ファック!」って言ってて
「あー、ほんとにアメリカのロックの人はファック、って言うんだー」と妙な感心をしたので鮮明に(笑)……とほほ。
Young720は60年台末は中学が寮でみれず、70年台に入って通学に
なったけど、なにしろ遠かったんで6:30には家から出てたんで
みれず! 楽しみは土曜日の午後のBeatPops と
リブヤング、後者でカルメンマキ&OZ(深町純がシンセで風いれてた)
とかハナカラチョウチンの村八分みたのは憶えてます。あとchickCorea
のリターンToフォーエバー。すみません720みた記憶は学校の先輩が
US帰りでカーボーイハットかぶってでてた時くらいです。
あっ、キャロルは「リヴ・ヤング」だったんだ。
ごっちゃになってる〜、反省!
ミッキー・カーティスが引き連れてきたんですよね。
内田裕也氏も狙っていたらしいが、争奪戦に負けたらしい・・・。
 小川さん、ここでははじめてでしたね。
 ヤング720といえば、1968年(ぼくが中学2年の頃)、
 遠藤賢司を見ました。確か「猫が眠っている」でした。遠藤賢司(エンケン)は、ギターをシタールのようにかき鳴らしながら、髪を振り乱して歌っていました。中学生のぼくには、とても怖かった。「きっと、この人は狂っているんだ!」と思いました。その2年後、遠藤賢司のファーストも聞き、大好きになり、いまも、大ファンです。
ああ、はちみつぱいも出演したのですね。
リヴヤングにあがたさんと共演していたのを見たと思います。その番組、EL&Pも出ていて、かしぶちさんのドラムを褒めていたとの事ですが、この辺記憶がない。

720では、エイプリル・フールが印象にありますね。レッド・ツェッペリンの「Good Times Bad Times」を歌ってました。あとは、エムの”異常なまでのハモの上手さ”に驚きました。曲は、CSN&Y「Everbody I Love You」。まあ、あの頃は、どれだけ上手くコピーできるか!が至上だった時代でしたね。
なんと!ヤング720の音が聞けます!
 http://www.good-weather-studio.com/720/young720.html
驚きました。そして、感激。
僕は生まれる前後の年代なので、もちろんこの番組のことはここで初めて知り、ただただ感心しながら読ませて頂いてましたが、その音を聴くことができるなんて・・
いやはや、、凄いコミュですね。これは。。。
うわあ、すごいものが残ってるんですねえ。
国会図書館クラスに置いてもらいたいモンです。

ところで、始まったのは何年頃でしょうか?

学校に行く前に見てたような気もしますが、1966年・高校卒業なんで、上の資料(?)を見てたら、怪しくなってきました。

キャロルがメジャーデビューのきっかけになったリブ・ヤングって、テレビ神奈川の番組でしたっけ。当時札幌にいて見てなかったですね。
>パンク!ジジイ!さん
これが上の私のところで書いていたものです。
この高田渡のバックは休みの国だと思います。
第五氷河期を歌詞かえてうたっているのもあったはずです。
なぜなら、これは友人の仲間がとっていた当時の録音なので(わははは)。


>DAZSさん
リブ・ヤングはフジテレビではなかったかな?

昨夜、中川イサトさんに
「ヤング720に出てた?」とたずねたところ
「五つの赤い風船のデビュー前に出た」そうです。
ほかにも何度か出たそう。
村上律氏は出た記憶はあるがなんで出たのか分からない、
金森幸介と一緒だった気がするとのこと。

笹さんの資料のように、番組は必ずGSと組み合わせで
イサトさんはゴールデン・カップスと一緒だったと言ってました。演奏曲目は忘れたそうです。
また、出演時の風船は有山じゅんじが参加していたときで
当時の有山さんはまだ中学生だったそうです。すげー(笑)
「ヤング720」は収録ではなく生番組だったので
スタジオ入りが午前2時とか3時。そしてリハーサルがあり、本番となる。
大阪からたいてい車でやってきて、夜中に到着。
ホテルをとってくれていたので、チェックインするけれど
ほとんどいらないような状態だった、と。
かなり体力的にはキツかったとか。
リブ・ヤングは、フジテレビで、テレビ神奈川でやってたのは、ヤング・インパルスではないですか? TVKの70年代後半〜80年代のライブ映像は、ライブ帝国で、DVD化されたりしてますが、それ以前は、残ってないのかなあ・・

GS時代は、ヤング720は、ほとんどビデオ収録だったようですが、使いまわしして消したので、残っていないようです。
>招き猫さん
あー、ヤング・インパルスだ。
TVK70年代前半のものですが
一部の映像は残っているものがあります。
五つの赤い風船の解散ツアー「ゲームは終わり」のドキュメントは全編のこされてます。あれ開局記念番組だったんじゃないだろうか。

夕べの話では720は生放送ゆえに大変だったということだったのですが収録の時期もあったのでしょうか? 
ヤング720当時は幼稚園に通っていましたが、毎朝見てました。
と言っても後期ですし、記憶も曖昧です。
出演者にレオ・ビーツなどの名前がありますね。
リアルタイムで見てみたかった番組の一つです。
もっと早く生まれたかったな。

エリック・バードンとニュー・アニマルズの出演時、
ザ・フーのように暴れたように伝え聞いておりますが、
ご覧になった方はおられますでしょうか?
>はしばしさん
初期の720は、番組を通しで撮っているのでなくて、場面によって録画で演奏部分などは、複数回分撮りダメとかもあったみたいです。複数の元GSや当時の出演者からビデオ録画をしたと聞いたことがあります。この番組の中の「ヤング朝食会(うろ覚え)」の出演者(当時は、学生)の島俊光さんの著書でも録画と書いてあったと思いました。ただオール録画ではなく、生で臨場感も出して録画をはさみこんでいたみたいです。
フォークの人たちが出演するようになった後半は、全部生だったのでしょうか? その辺は、よくわかりません。
>はしばしさん
 「ヤング720の音が聞けます! 」は、はしばしさんが、作られたものだったんですか!ビックリです。

 「ヤング720」の司会が横尾忠則のとき、ゲストが高倉健で、2人とも緊張して、対談なのに、5〜6分、まったくの無言のまま生放送された記憶があります。
  
 
ちがいますよー!(笑)
友人ですよー! 年上の友人の仲間たちががんばってやったんですよ。はい。
どうもカモは書き方がおっちょこちょいなんで、誤解させちゃってごめんなさい。
はしばしさま
そうですか(汗)でも、すごい貴重な音源でびっくりしました!ジャックスと高田渡の大ファンとしては、感激です!
はしばしさま 他皆様 訂正です。
島俊光の本を読み返してみたら、彼が出演していた「ヤング朝食会」の部分は、生放送でした。失礼しました。景山文夫もいっしょにでていたそうです。
 
>招き猫さん
その「ヤング朝食会」なんですけど、(実はトピのタイトルも「ヤング朝食会にようこそ」にしたかったんです)、資料をみても出てこない、ネットで検索してもない、で、勘違いでそんなものはなかったんじゃないかと思っていたところ。

テレビで朝飯をだらだらと食いながら話をするなんて、その当時としてはかなり異色の演出だったんじゃないかと。ともあれ、かなり斬新で、一番すきなコーナーだった。

最初からあったんじゃなく、黒沢久雄時代の中期から始まったような気がするんだけど、どうなんでしょうか?

あと、720で思い出深いのは、高山ナツキの「ふるさとよおまえは」。のちにシングル盤を手にれたときは感激したです。
ヤング朝食会の出演者は、番組周辺にいた大学生などで構成されていたようです。島氏は、当時成城の学生で、小さなスナックのモデルになった店を友達と溜まり場にしていたところ、この歌の作詞者、牧三枝子さんから声がかかって出演することになったとのこと。
 詳しくは、「ビートでジャンプ」 島俊光著 新潮社 
このあと筆者は、ホリプロに入ってジャポップトップ10の司会をやったりしているので、オックスとの秘話とかいろいろ載ってます。
本には、ヤング朝食会は、68年ごろはじまり、(水曜日の放送)、司会は、最初は、誰だったかはっきりしませんが、途中から土井マサルに変わったと書いてあります。
完全に記憶が飛んでいますが、このトピを読んで思い出そう。全国で放送されてましたよねえ?なんか、置いてけぼりみたいで悔しいなあ(笑)
720にでたウォーカー・ブラザースが印象に残っています!
美形、美声(それまでのポップスにない大人の低音の魅力)の星の王子様のスコット・ウォーカーに男でも惚れました!(爆)
ファッション・センスも抜群で、それまでの日本のファッションは周回遅れでしたので、とび抜けてカッコ良く見えました。
ウォーカーズ3人とも細身で、極細パンツが良く似合っていた!
オフクロに「スコットみたいな細いパンツにしてくれよ〜!」と駄々をこね、学生ズボンをすそ幅16cmにしてもらったんだけど、なぜかモモヒキみたいになっちゃいました(汗)

ジョン・ウォーカーが飾り?で持っていたビンテイジのフェンダー・エクスクァイヤー(黒いピックガードの)だったか、ジェフ・ベックに譲ったと聞いています。
ち〜旦 さん TBS系で平日の朝7時20分から8時15分?まで放送されていました。その後は、TBSの朝の連続ドラマでした。
当時は、地方では、複数のキー局の番組をやっていることもあったし、朝の帯番組なので、TBS系列でも、放送していた地域としてなかった地域とあるようです。(銀座ナウと同じ様な感じ)若者向け情報番組ですが、他では、あまり見られないロック系GS、ニューロック、フォークの演奏が聴けました。
>サキツミベイビーさん
ウォーカー・ブラザーズ見ました。
「サマータイム」(1st.アルバムに入ってる)でジャズを初体験、「ダンス天国」はウォーカーズのオリジナルだと思いこんでて、ジャック・ブレルを知ったのもスコットのソロ…という超ミーハーです(苦笑)。
グループ・サウンズに与えた影響も、計り知れないだろうなぁ。遠い目。
欧米のガレージバンドもよくカヴァーしている「ダンス天国」と「サマータイム」ですが、GSの場合は、圧倒的にウォーカーズのヴァージョンのカヴァーのようです。
「ラブ・マイナス・ゼロ」はディランっぽいですね。
「僕の船が入ってくる 」は、When the ship comes in ならディランですが、どうかなあ。
「ラブ・マイナス・ゼロ」はディラン作です.「僕の船が入ってくる」はクレジット見たらディランではありませんでした.「テル・ザ・トゥルース」はドミノスじゃないみたいです。

ウォーカーズの日本盤LPで「ベスト・オブWB]とか「ゴールデン・アルバム」的なアルバムのジャケットに来日時の3人の写真が使われていて、スタジオでの写真がひょっとしたらヤング720出演の物だと思われます!3人ともブレスレットしていて、当時日本では見たことがなかったな〜!

ウォーカーズのLP(アナログ)は写真重視なら日本盤ですが、音質だったらアメリカ・オリジナル盤の音のほうが音圧があって重厚です。「孤独の太陽」などの鐘の音などゴ〜ン!!と言う感じで凄いです。全体的にフィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」に影響を受けた分厚い音です。

スコット・ウォーカーについたPお姐さんは、後のジミー・ペイジにも付いたとか。。(爆)

来日したウォーカーズのバック・バンドでドラムがジェフ・ベック・グループのミック・ウォーラーだったらしいです。
スコット・ウォーカー&ウォーカー・ブラザース実は大好き。

山下達郎さんは『デヴィッド・ゲイツ、ランディ・ニューマン、当時の新旧あらゆる作家の作品を入れて、スタンダードまで入れて、しかもそれをフィル・スペクター・サウンドで再現するというあの着想は、すさまじく素晴らしいと思う、今でも。』と語っています。(渋谷陽一氏との対談集”ロックは語れない)ウォーカーズの制作にあのジャック・ニッチェが深く関わっていたという事も後年知りました。
 ピーター・バラカンさんは、『`60年代のちょっとオタクなポップス少年は、スコット・ウォーカーかニック・ドレイクのどっちかだった』と当時を回想しています。な〜るほどですね。僕は「Joanna」が好き。ジャック・ブレルの作品とばかり思っていましたが、実はトニー・ハッチの作品であったのでした。
笹さん こちらでもどうぞよろしく!

尾城夏人様 ↑のカッコ良いスコットの横顔写真ありがとうございます!

スコット・ウォーカーのヴォーカルのルーツはエディー・フィッシャーじゃないかと思うのですが、、、、この辺は30年経ってから解かったような気がします。ジャズ・ボーカルとか聞いて。

スコットとしては、大人のスタンダードなバラード歌手になりたかったところが、どこかのプロデューサーが「君達ハンサムだから、POPSでも歌ってみたら!?」と言われてウォーカーズになったような気がします!それが大ヒットして大スターになったのですが。POPSを歌ってスターになったのが嫌で嫌で堪らなかったのではないかと思います!
ウォーカーズは、60年代半ばにアメリカで結成されています。ドラムのゲイリーは、その前は、スタンデルズ(後にダーティ・ウォーターが小ヒット、チョコレート ウォッチバンドといっしょに映画「サンフランシスコの暴動」に登場」)に在籍。ウォーカーズが結成後、パッとしなかった時期にゲイリーが、P. J. Probyのバックでイギリスにツアーに行き、戻ってきてからイギリスだったら、成功できるかもしれないと他の二人を誘ってイギリスに渡った模様です。売れたあとに日本でも初期の彼らのレコードが東芝からでてたと思いますが、音は、どんなのか忘れました。
 
しかし今思うとウォーカー・ブラザーズって名前は、叶姉妹みたいなものなのね(爆)

おまけ
日本に来て学生服が気に入って、その姿でステージに立った
スコット
>ウォーカー・ブラザーズ
ウォーカーズ叶姉妹説に爆笑(笑)。
アメリカ生まれながら、英国経由でデビューした経由も、胡散臭くていいし。

未だに現役で音楽に関わってるところがスゴい>Scott Walker
スコットの学生服>浅草・浅草寺に行ったときに、買ったのかな〜!?外タレが来ると大体、浅草か赤坂の日枝神社に案内して写真を撮るケースが多かったですね〜!?(笑)ミュージック・ライフ誌の趣味でしょうか〜!?
日枝神社が多かったのは、神社のすぐ下に当時のヒルトンホテルがあり、坂の更にしたには、某レコード会社があったのも関係してるような気がします。
>サキツミベイビー さま
こちらこそよろしくお願いします。叶姉妹説!大笑いだぁ。鋭すぎる指摘です。`93年の映画『Toxic Affair』(イザベル・アジャーニ主演で”可愛いだけじゃダメかしら”という物凄い邦題がついてます。うん、うん、可愛いだけでイイよ。)メイン・テーマ「Man From Reno」がスコットの新曲でしたね。

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