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SONGSコミュのスベシャル(12/28) 高橋真梨子

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更新のちほどです。誤字脱字、編集これからです。

ーーー
語り:萬田久子
ジョニィへの伝言
桃色吐息
for you..
五番街のマリーへ


高橋真梨子さん。今年デビュー40周年を迎えました。飾らない歌声に彩られた名曲。
世代を超えて愛されるロングヒットの数々 。
これまでに2700回以上の公演で650万人の観客を魅了してきました。なぜ彼女の歌声は
心の強く揺さぶるのか。今回真梨子さんの全国ツアーに密着。ふるさとをめぐる中で見え
てきたのは苦難を歌で乗り越えてきた壮絶な人生でした。
過酷な病と闘った末亡くなった父との悲しい別れ。母の愛人から受けた仕打ち。
そして母への憎しみ。苦しみ抜いた真梨子さんが手にしたのは歌の一途な思い。
そして悲しみをまとった歌声でした。
今夜真梨子さんがその全てを初めて語ります。
さらに高橋真梨子を歌の世界に導いたペドロ&カプリシャス。
当時のメンバーが35年ぶりに集まりました。
歌声に秘められた深い悲しみと愛の物語です。

今年10月。高橋真梨子さんはコンサートツアーで福岡にやってきました。
会場に入ると真梨子さんはステージに向かいます。会場の空間、客席の配置によって
大きく変わる音の響き。真梨子さんはステージがどう見えるのか観客の目線で確認します。
リハーサル直後、真梨子さん自身から修正が伝えられます。
そして本番。真梨子さんの歌声を待ち焦がれた観客でいっぱいです。心込めて歌を届ける。
真梨子さんは客席の笑顔を見ることで歌い続ける力をもらっているといいます。
公演終了後は厳しく接したスタッフに出演者全員で挨拶。真梨子さんの一日が終ります。

高校1年までのここ福岡で暮らした真梨子さん。根っからの博多っ子です。
歌が大好きだった真梨子さんは幼い頃から歌手を目指します。
16歳で上京し歌のコンテストで優勝するなど経験を積んでいきます。その後スクールメイ
ツの一員としてテレビにも出演。しかし歌手志望の真梨子さんはアイドルの仕事に違和感
を覚えていました。
スクールメイツを辞め福岡戻った真梨子さんは米軍キャンプやキャバレーで歌い続けます。
23歳の時、歌声に惚れ込んだ1人のミュージシャンが彼女をスカウトにやってきます。
ペドロ&カプリシャスのリーダー、ペドロ梅村さん。デビュー曲「別れの朝」が60万枚の
大ヒットを記録しました。しかしボーカル前野曜子さんが突然脱退。ボーカルを探してい
ました。再び上京した真梨子さんはペドロ&カプリシャスの2代目ボーカルとして歌い始め
ます。真梨子さんが参加して初めて発表した「ジョニィへの伝言」は50万枚を超える大
ヒット。紅白歌合戦にも初出場。
ペドロ&カプリシャスはボーカリスト高橋真梨子を迎えて息を吹き返したのです。
その後もラテンサウンド生かした楽曲「陽かげりの街」で人気を博します。
しかし、音楽性の違いなどが原因でメンバーが次々と脱退。個人で活動するようになり
ます。高橋真梨子さんはメンバーのヘンリー広瀬さんとともにバンドを離れ、ソロ活動を
始めました。
1982年「for you…」が東京音楽祭で金賞受賞。さらに「桃色吐息」のヒットで、1988年
にはソロの歌手として紅白に初出場。
アメリカ・カーネギーホール、イギリス・ロイヤルアルバートホールでのコンサートを成功
させるなど順調にキャリアを積み重ねていきました。
真梨子さんがペドロ&カプリシャスでデビューして40年。10月。ヘンリーさんの呼びかけで
当時のメンバーが久しぶりに集まることになりました。
真梨子さんがバンドを離れて35年が経ちます。
相変わらず元気そう?うん。元気だった。
なんだっけアフロの。
ペドロ&カプリシャスを率いてきたリーダー、ペドロ梅村さん。メンバー脱退後も1人、
バンドに残り今もペドロ&カプリシャスとして活動を続けています。 3年前に脳梗塞を患い
ましたがリハビリを続け演奏ができるまで回復しました。
これが動かなかったの。やっと。
ドラマの鈴木ウータン正夫さん。プロデューサーとして今も音楽に携わっています。
そしてギターの古城マサミさんはフリーのミュージシャンとして活動を続けています。
どこまでできるかね
初めは硬くなっていたメンバーも次第に35年前の感覚を取り戻していきます。

今日はホントありがとうね。
こちらこそ本当にもう。
なんだよ。ジジイ扱いかよ。
真梨子さんを音楽の世界に導いたペドロ&カプリシャス。
当時のメンバー35年ぶりの共演です。


ペドロ&カプリシャスから一緒に脱退して35年。
ヘンリー広瀬さんは真梨子さんをいつもそばで支えてきました。プロデューサーとして
音楽面をサポート。その後2人は1993年に結婚します。ヘンリーさんは真梨子さんにとって
欠かせない存在となっていました。
1996年、コンサートで全国を回っていた真梨子さんに異変が起こります。声が出ない、
めまいや手足のしびれ、更年期障害も症状でした。翌年18年間続けてきたコンサート延期
します。このまま歌えなくなってしまうかもしれない。真梨子さんは完全に自信を失って
いました。うつ状態の真梨子さんに夫としてできることは何か。悩んだヘンリーさんは
真梨子さんをできるだけ外に連れ出すようにします。
ヘンリーさんの献身的なサポートにより真梨子さんの体調は無事回復。半年後には香港で
コンサートを行えるまでになりました。真梨子さんの歌声は家族の絆が支えていたのです。

広島。真梨子さんの両親の故郷です。真梨子さんも幼い頃からこの町によく来ていました。
父、月夫さんはジャズバンドでサックスプレーヤーとして活躍。真梨子さんはその姿に憧れ
て歌手を志すようになったといいます。
1945年8月、原爆投下。
真梨子さんの両親はここ広島で暮らしていました。真梨子さんは父月夫さんが被曝の後遺症
に苦しむ姿を幼い頃から見てきました。血管に血が通わなくなる腐っていく病気、脱疽。
真梨子さんが小学生になる頃、月夫さんは両足を失います。
それはモルヒネ?
看病と仕事で疲れ果てる母。心の行き違いで両親は離婚。真梨子さんは福岡で暮らす母に
ひき取られます。学校が休みになると真梨子さんは広島で療養している月夫さんの元を訪ね
音楽を習いました。
真梨子さんが高校2年生のとき父月夫さんが突然亡くなります。 37歳の若さでした。
真梨子さんは広島に来ると必ず墓参りに行きます。父と一緒に暮らせなかったこと、父の死
に立ち会えなかったこと、真梨子さんは今も夢の中でお父さんに語りかけています。
父親と別れ、母親と2人、福岡で暮らした真梨子さん。母親は夜の繁華街で働き家計を支えて
いました。母親がかつて働いていた場所を14年ぶりに訪ねました。
すごい!
病気で苦しむ父親を捨てた母千鶴子さん。更に千鶴子さんは働いていた店で出会った妻子あ
る男性と連れ添うようになります。音楽を教えてくれた優しい父はもういない。母はだらし
のない男に夢中。真梨子さんは絶望していました。
悲しみに暮れた真梨子さんがすがったもの・・それは歌。
「あの忌まわしい出来事だけは許せない。」母との間には深い溝がありました。
でも女手一つで必死に生きた母の気持ちはわかる。相反する思い。真梨子さんは苦しみまし
た。真梨子さんがコンサートで福岡に来ると必ず立ち寄る場所があります。
地元のイタリア料理店。
お母さんが長年通い続けたお気に入りの店です。
いつもありがとうございます。
コンサートの後、近く住むお母さんが真梨子さんとヘンリーさんをいつも招いてくれました。

お母さんいただきます。
いただきます。
おいちい。
よくあるんですよ。
よくあるんですよ。
「好きになりたいけど許せない」。複雑な関係でした。
そんな中、千鶴子さんが癌に冒されていることが発覚します。余命半年。
病気が発覚する直前千鶴子さんは自宅前に柿の木を植えました。 8年で育つと言われる柿の
木。真梨子さんと一緒に見るのを楽しみにしていました。母千鶴子さんが最後に暮らしてい
た福岡の公団住宅。今は誰も住んでいない母の部屋。真梨子さんもたびたびここを訪ねまし
た。時にはけんかをすることも。病気が発覚してからは、できるだけ母のそばで看病するよ
うにしました。たった1人のお母さん。もう憎しみや迷いはありませんでした。

真梨子さんは病気で歩けなくなった千鶴子さんを何度も自分のコンサートに連れて行きます。
車椅子姿で娘のステージに見入っていた母千鶴子サン。
彼女がいちばん好きだった歌が「フレンズ」。
千鶴子さんはこの曲を聴くたび1人目に涙を浮かべていたといいます。
1998年12月31日母は娘に看守られながら静かに息を引き取りました。

行ったらちょうどご臨終ですっていう時だったんで、もうつらかったろう…みたいな
感じだったんですね。
あんまり思い出させないでくださいよ。こんなところ来て。

母千鶴子さんが亡くなって2ヶ月後、歌手高橋真梨子は再びステージに立ちました。

歌は歌なんですよ。その中に思い入れを入れたら高橋真梨子ではなくなるんです。
だから私の歌は別個のものなんです。だから、絶対に泣きながら歌わないんです。私は。
どんなに悲しい歌でも、その思い入れが違うところにあるので、歌は仕事として歌う。
それで自分の思い入れは違うところにあるので、歌じゃないところにあるんですよ。
だからいくら母が好きだった「フレンズ」であっても、歌う時は「フレンズ」なんです。
歌の「フレンズ」
 真梨子さん強いですね
強くないですよ。めちゃくちゃ弱い。
だけど母のすごい強い気持ちは、引き継いでるところあるかもしれないですね。

高橋真梨子の歌声、それはきらびやかな世界への憧れから生まれ、深い悲しみによって
独特の輝きを放つようになりました。
高橋真梨子、彼女は歌に生きているのです。

るんるんフレンズ

コメント(1)

更新乙で〜っす!
前半のP&C復活?・・感動ものでした。

後半の振り返り〜フレンズ・・リアルタイムで鑑賞したのに・・
フレンズしか記憶に残らないくらい入り込んでしまいました。ww

もう一回録画したのを観ますね〜・・・

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