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SONGSコミュの第254回 イルカ

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    語り:守本アナウンサー>「なごり雪」は旅立ちの季節を象徴する曲として
    愛されてきました。デビューは20歳。女性フォークシンガーとして40年以上
    歌い続けています。
    イルカさんを見いだしたのは学生時代巡り合った神部和夫さん。夫そしてプロ
    デューサーとしてイルカさんを支え続けてきた神部さんは2007年に他界。
    今年3月、7回忌を迎えます。

こんばんは。イルカです。夫と私はイルカと言う名のもとに歌の世界そして家庭を一緒に
築いててきました。
「SONGS」今夜は二人三脚で歩んできたイルカ物語のお話ししたいと思います。


    東京生まれのイルカさん。サックスプレイヤーの父の影響で音楽に囲まれて育ち
    ました。小さな頃から歌を作ったりを絵を描いたり物づくりが大好きでした。
    イルカさんの母校女子美術大学大学。陶芸を学ぼうと美大に進学したイルカさん。
    しかし掲示板に貼られた1枚のポスターが人生を変えました。

    仲間とフォークグループを結成したイルカさん。音楽にのめり込んでいきました。
    フォークソング同好会の部室。当時と同じ名前で今も残っています。

当時はPPMとかアメリカンバンドをコピーしている人が多かったわけ。なので先輩とか3人
くらいで「Puff〜とかかわいらしい感じで歌ってたので、「ほ〜」とか思ってたんだけど、
わりとそういう中でも洋楽的なものこコピーしてやってましたね。私なんか。ボブディラン
とかやってました。

    18歳、イルカさんは運命の人と出会います。 3歳年上の神部和夫さん。早稲田大学
    からギターの指導に来ていました。神部さんはフォークグループ「シュリークス」
    で既にレコードデビュー。学生バンド界のスターでした。

僕たちもビートルズが世界を変えたように「フォークソングで時代を変えていこうぜ」みた
いな。かっこいいお兄さんたちがいっぱいいつもわいわいやってるところで私はなんかポコ
ンと「へーそうなんだ」「かっこいいんだ」なんて言いながらいつもくっついてましたね。

    フォークを通して2人は意気投合。程なく交際を始めます。
向こうに行くとあそこ、もう校舎壊されてるけど、あの校舎の裏で夫とよく待ち合わせをし
たの。で彼はね小さい車を持っていたので、その車の中にちょこんと待っててくれて、それ
で一緒に帰ったりしました。私もそんなことがあったのよ。私にだって(笑

    出会ってから1年「卒業したらいっしょに歌おう」 2人は将来の約束を交わします。
    1971年、イルカさんの卒業と同時に新生「シュリークス」として2人でデビュー。
    72年に結婚。公私ともにパートナーとなりました。そして神部さんは大きな決断を
    します。「イルカの才能を育てたい。」自分は歌手を引退しプロデューサーとなっ
    たのです。

急に厳しくなりましたね。毎日叱られっぱなし。嫌だった。
でも私は一度決めちゃうと迷わないんですよ。で夫がそうか私に一生懸けると言ってくれて
るんだったら、じゃわかりました。そんなにやりたいんだったら、ああだこだいつまでも言
ってないで私も覚悟を決めて一生懸命やる。じゃ私を素材として差し上げます。どうぞ使っ
てください。それだけ。シンプル

    74年ソロデビュー。
    さらに神部さんはイルカさんの親しみやすいキャラクターが生かせる仕事を見い出
    します。それは当時絶大な人気を誇っていたラジオの深夜放送。若者の怒りを代弁
    する「バカヤローコーナー」でたちまち人気者になりました。

「ふと前の男の人を見るとズボンのチャックが半開きになっていた。僕はおじさんの近くへ
行って「チャックが半分開いてますよ」と知らせてあげた。おじさんは真っ赤な顔で僕に、
お礼を言いました。 あ〜かわいいオジサンですね。「ありがとう。でもあなたは全部開い
ていてますよ。」バカヤロー!

    ラジオで人気を得た75年、この曲に出会います。「なごり雪」
    かぐや姫ファンの間でもコンサートで特に人気のあった曲です。「なごり雪」を
    イルカのあたたかみのある声で歌わせたい。神部さんはかぐや姫のメンバーに粘り
    強く交渉します。かぐや姫にとってイルカさんは一緒にコンサートに出演していた
    仲間。彼女が歌うことに賛成しました。しかし、1人拒んだがイルカさんでした。
    「なごり雪」はかぐや姫のファンにとって宝物のような1曲。自分がそれを奪って
    はいけないと思ったからです。
だってそんなことしたらダメでしょう。これはもうかぐや姫の歌だから、そんな大それた事
をしてはいけませんっていう思いが一番でしたね。

    迷いを断ち切ったのは「なごり雪」の作者伊勢正三さんでした。レコーディングス
    タジオに現れイルカさんに声をかけました。
大切な楽曲だから私が歌っちゃいけないって思ってるんだって言ったら、そういうような事
は一切考えないで好きな歌だったら僕はイルカが歌ってくれる僕の歌を聴くのは好きだよ。
だったらいいんじゃないって、ほんとに二言くらいなんですけど、そこですっと肩に力が抜
けたので「じゃ歌おうかな」って思った時にはもうすっかり目のk前にあった雲がすっかりな
くなってて、気持ちがパンと切り替わってましたね。

「なごり雪」との出会いのおかげでイルカは大海原にこぎ出すことができました。
旅立ちの季節すべての人にこの歌を送ります。

るんるんなごり雪

    1977年アルバム「植物誌」が音楽チャートで一位を獲得。年間に行うコンサート
    は200本以上を数えました。心身ともに疲れ果てたイルカさんはコンサート活動の
    休止を発表します。この時期、イルカさんは夢だった絵本を制作するなど音楽以外
    の新たなことに挑戦しました。

ものすごく楽しくて有意義な時でした。創作活動を一人でするのが好きですから、絵本も描
けたし、それからあとの一年はお腹中心の暮らしでしたから、毎日献立まで立てて、もう本
当にパーフェクトな一日を過ごしてましたから、そのことはものすごく充実していて、だか
ら復帰への焦りとか全くなかったですね。

    そして長男を出産。母となり幸せな日々を過ごしていました。母としてこの中で、
    このまま家族のために生きていこうとしていたイルカさん。子供を育てながら歌う
    ことなどできないと考えていました。そんな時神部さんの一言が再び歌へと向かわ
    せます。
女性で結婚していて歌っているって人が、ほんとに今から見たらものすごい少ない時代でし
たから、だとしたらほんとに少しでも先を歩いてる立場の人間として道を切り開いていく、
そういう責任があるって事を夫はよく言ってましたね。

どうもありがとう(復帰コンサート)

    2年後、歌声を待ち望んでいた大勢のファンに迎えられたイルカさん。
    復帰した翌年の80年、女性シンガーソングライターとして初めての武道館公演を行
    いました。多くの人に支えられ新たな気持ちで歩み出したイルカさん。歌い続ける
    決意をこめて発表した曲です。

るんるん海岸通

    1987年、夫の神部さんを突然の病が襲います。パーキンソン病。体の動きが不自
    由になる症状などを引き起こす病気です。音楽の現場から離れざるをえなくなりま
    した。このまま歌手活動を続けていいのだろうか。イルカさんは悩みます。

    ステージにはイルカさんの姿がありました。「イルカの半分は僕」そういつも言っ
    ていた神部さん。きっと夫は歌うことを望むはず。イルカさんは歌うことへの思い
    を強くしました。
    手足が動かなくなり体の機能が少しずつ失われていく。そんな神部さんの心にいつ
    もあったのはイルカさんの音楽活動のことでした。

うちへ帰るとどうだったって目で訴えてますから「今回もお客さん超満員ですごいあれだ
ったよ」って話しをしてあげると、夫はうれしそうに「うんうん、そうだね、よかった、よ
かった」ってすっごく満足そうな顔をしてもううれしそうに笑うからね、あーやっぱr夫に
とっての何よりもの薬はやっぱり私がいい仕事をしてこうだったよああだったよって報告し
てあげることなんだなっていう事に尽きましたね。

    20年に及ぶ闘病生活。イルカさんはファンの前では決して病気の事を語りませんで
    した。
    2007年、神部和夫さん永眠。神部さんが亡くなった1ヶ月後に開かれた送る会。
    この時イルカさんは集まった人と一緒にある曲を歌いました。
   「まあるいいのち」
    命の大切さをテーマに歌う書いてほしいという神部さんの願いから生まれた曲です。

「命の大切さ」それをね子供たちにも歌えるような、ほんとに誰が聴いてもすぐ歌えるよう
なそういう楽曲に仕上げたものができないかな

    シンプルで歌いやすい歌詞とメロディー。イルカさんにとってかけがえのない一曲
    となりました。現在、国際自然保護連合の親善大使を務めるイルカさん。世界中の
    人々にこの歌を届けています。

これはね私にとって大きな財産ですね。ですから夫は天国で「ほーら僕の言った通り作って
良かったでしょ」って言われているようでなんか悔しいんですけど、でもね「ありがとね」
って感じですね。ほんとに。

    ずっと二人三脚で歩いてきたイルカという道。病と共に生き、命の限り歌と向かい
    合ってきました。「命のぬくもりを伝えたい。」
    イルカさんは生涯をかけて歌い続けます。

るんるんまあるいいのち

コメント(4)

現在視聴なう!
まるで〜風NOオンパレードで嬉しい限りです^^(二曲ですがww)

さぁ〜次は・・・何?
>>[1]
 以前から変わらずのふわーっとして語り口で、とっても和みました(^^

 3曲目は「まあるいいのち」でしたね。 
 この曲もよく聞く曲ですが、神部さんと逸話は初めて知りました。
 そのことを話すイルカさん、変わらずに柔らかな口調で
 とても優しさが伝わってきました。
>>[2]
神部さんと逸話ですが・・・
晩年?のもようが・・3?4年前にTVで放映されたのを覚えています。
イルカさん&家族?の献身的な看病には感動しました。

現在の若者が始めて聴いても?感動と・・逆に新しい音楽と?捉えてもらえそうなくらい完成している・・
世界のよーに感じました。
私にとっての青春の1ページですね!

特に!海岸通 は好きでした。風もイルカさんも☆
>>[3]
 その当時に、放送されていたのですね。ちょっと情報不足、勉強不足でした。
 ほんとうに二人で、家族みんなでずっと歩んできたわけですからね。
 イルカさんの口調は昔からずっと変わらずで、聞いていてもとてもあったかいものを
 感じます(^^

 青春の1ページ・・いいですね!(^^ 
 自分もイルカさんはじめその頃の曲はリアルタイムで聴いたので、いろいろと思い出が
 つきません(^^
 あの当時の曲は、今でも全く色あせないですよね(^^

 

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