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SONGSコミュの第253回 辻井伸行

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    語り:守本アナウンサー>辻井伸行さん。2009年、アメリカで開かれた世界有数
    のピアノコンクールで日本人として初優勝。ピアニストとしてそして作曲家として
    国際的に活躍しています。盲目というハンディを乗り越え世界の辻井へ。
    奇跡は家族の絆によって生まれました。
  
    岩手県大船渡市。地元の高校生との共有で伝えたかった思いとは。

握手してもいいですか。
はいよろしくお願いします。
    そして、EXILE ATSUSHIさんとのコラボレーションで新たな復興支援ソングが
    生まれました。

こんばんは 辻井伸行です。
僕はピアノを弾くのも作曲するのも大好きです。
「SONGS」今日は僕の世界をたっぷりとお楽しみください。

    去年の紅白歌合戦。辻井さんはNHK復興支援ソング「花は咲く」のピアノ演奏を
    担当しました。東日本大震災以降音楽家に何ができるかを問い続けています。
♪花は咲く(紅白歌合戦 映像)

    去年11月、まだ震災の爪痕が残る岩手県大船渡市を辻井さんは訪れました。
    大船渡高校から、生徒たちの心を音楽で励ましてほしいと頼まれボランティアで
    応じたのです。
♪月の光(ドビュッシー)

もちろん普段のコンサートも全力でやっていますが、やはり被災地で弾くっていうのは
特別な思いっていうのもあります。

♪別れの曲(ショパン)

    辻井さんは客席に一人の少女を招待していました。大船渡高校吹奏楽部の卒業生
    佐々木瑠璃さん。辻井さんはある新聞記事をきっかけに彼女のことを知りました。
    津波で流された自宅の後に立つ佐々木さん。祖母、母、おば、いとこをなくし、
    祖父が行方不明。佐々木さんは祖母に買ってもらったトランペット海に向かって
    吹きました。曲は母が好きだった「負けないで」
  佐々木さん>自分の気持ちに負けたくないなっっていう自分を励ます気持ちと、
  母に「私はこうやってちゃんと生きて、なんかいろいろ気持ちの面ではつらいことも
  たくさんあるけど元気でいるよ」ってことを伝えたくて・・吹きました。

  初めまして佐々木です。
はじめましてどうも。今日はありがとうございました。
  感動しました。ありがとうございました。
いろいろ話しを聞いて記事を読んですごく感動してしまって、ぜひ聴いていただきたいと
思いご招待しました。 
  本当に感動しました。
今日はありがとうございました。
  こちらこそありがとうございました。

    辻井さんは最後に「花は咲く」を全校生徒と共演しました。
♪花は咲く(全校生徒千人の大合唱)

やはり音楽家として自分が何ができるか非常に考えさせられました。まだまだたぶん大変
ですけれども、少しでも早く復興に向けて皆様、諦めないでいただきたいなとってそういう
思いはやっぱりありますね。

    聴く人に優しく寄り添い、励ます。そんな音楽の力を信じる辻井さんの思いを込
    めて。

るんるん花は咲く

    1988年東京に生まれた辻井伸行さん。生まれつき目が見ませんでした。
(♪おもちゃのチャチャチャ を弾く辻井さん 2歳)
    天才ピアニストの片鱗を見せたのは、母の歌に合わせておもちゃのピアノで伴奏
    をつけたのです。
  母・いつ子さん>いやぁびっくりしましたよ。ほんとに教えてないのに、耳から音を
  拾って弾けたっていうことに対して、まぁほんとに驚きと。しゃべるのも遅かったし
  歩くのも遅い、そういう中で、この子にこんな能力というか、こんなことができるん
  だっていうことで余計うれしかったですね。
  
    5歳の時、旅先で何気なく弾いたピアノ。演奏が終わると通行人が拍手喝采。ピア
    ノで人を楽しませる喜びを初めて知りました。
    7歳で全国コンクールに出場。
♪マズルカ(ドビュッシー)
    コンクール初挑戦で優勝。才能がが開花します。

母と僕はもうハイテンションになっちゃって「今度は国際コンクールとかで優勝しちゃうん
じゃないの」って言ってたら、父は冷静になって、リトルリーグで優勝しても上には上がた
くさんいるからピアノ以外のこともして、勉強しなきゃだめだよって。

     父の心配をよそに8歳でモスクワに遠征。このコンサートきっかけで世界的な
    音楽家との絆が生まれました。
(映像:モスクワ 演奏前三枝さんと手をつないで)
ちょっと緊張して。でも大丈夫。
    作曲家三枝成彰さん。10歳の辻井さんにオーケストラと初めて共演するチャンスを
    与えました。三枝さんは辻井少年に世界的ピアニストの素質をみだし経験の場を与
    えてくれたのです。

(映像:佐渡裕さんとのレッスン)
    さらに指揮者の佐渡裕さんは彼のピアノを聴いて号泣。その才能才能を絶賛。
    こうして辻さんはプロの道を1歩ずつ歩んでいきました。

    彼の目として相談相手としていつも付き添っていたのが母、いつ子さんです。
    子供興味のある事は何でも経験させるという教育方針で辻井さんの感性を育てまし
    た。
  母>彼がすごい音楽家になって大成するっていうことも大事だと思うんですけど、それ
  以前に、やっぱり心豊かに育って欲しいってそういう思いが強かったんですね。

    父親で産婦人科医の孝さん。ピアニストの夢を追う息子に現実の厳しさを教え
    てきました。しかし辻井さんにとってその言葉は夢に水をさすようにしか聞こえま
    せんでした。
一時中学生くらいの時は反発して、口きくのもいやだったこともあったし、部屋に入ってこ
られるのも嫌だったこともありました。
  父・孝さん>どうしても視覚のことがあるから、就ける職業にも限りがありますから
  なんとか仕事を得て、一人前の社会人として働いてくれればいいという希望のほうが
  強かったかな。

    2005年ポーランドの首都ワルシャワ。世界最高峰のピアノコンクールと言われる
    ショパンコンクールに挑戦しました。辻井さんは最年少17歳になったばかりでした。
(映像:ショパンコンクール 拍手
    辻井さんはこの大舞台で批評家賞を受賞しました。
  母>よくやったねー。よくやった!もう一生忘れられない。
一生忘れられないね!

    帰国して高校卒業後の進路を話し合うことになりました。
    「このまま夢を追いかけて一生食べていけるのか。」激論の末に父孝さんが涙を
    浮かべて口を開きました。
「親が先に死んじゃうんだから早く自立して自分で稼いだお金で大好物の寿司とかそういう
のを食べてもらいたい」そういうことを父が言ってたのを聞いて、僕は「すごくいい父親だ
な」ってその時思いました。

    父はこれまでもずっと自分の将来を本気で心配してくれていた。父の真意がわかっ
    た時、胸のわだかまりが消えました。

    日本の音楽大学進学した辻井さんは19歳でCDデビュー。そこには父の感謝を込め
    た辻井さん自作の曲が収められていました。「川のささやき」
    父と2人で川沿いを散歩した時に生まれた曲です。
母にはいろんな感謝の気持ちを曲とか誕生日とか母の日に伝える事ができたんですが、父親
には全くそういうことをしていなかったので、そこで感謝の気持ちを含めて、(曲が)できて
良かったなって思いました。

    家族の絆に感謝を込めた曲です。

辻井伸行作曲
るんるん川のささやき

    今年2月、辻井さんとあるアーティストとの初めての共演が実現しました。
    辻井さんの曲「それでも生きてゆく」。
    歌詞を書き下ろし歌うのはEXILEのATSUSHIさん。
  こんにちは
こんにちははじめまして辻井です。
  はじめましてこのたびは。握手してもいいですか。
はい。よろしくお願いします。

    EXILEは震災の後いち早く復興支援に取り組んだアーティストです。
    辻井さんからのオファーを受けたATSUSHIさんは移動中の車の中で曲を聴き一気
    に歌詞を書き上げました。
  ATSUSHIさん>メロディーがいいたいことをたまたま僕が歌詞にしたっていう、心で
  あったりとか風の香りであったりとか音の部分であったりとか、そういった部分でほん
  とうにどれだけ自分が心で伝えられるんだろうとかどれだけ表現できるんだろうとか。
  歌詞で。
より多くの方に聴いていただいて、そして諦めないでいただきたいという思いが、歌、詞が
ついて歌と一緒にやるとさらに思いが伝わるんじゃないかと思いますね。

    東日本大震災から2年、2人が復興への願いを込めた曲です。

るんるんそれでも、生きてゆく

コメント(1)

佐々木瑠璃さん「 トランペット いつか患者さんのために」 朝日新聞 記事
ーーーーー
 午後2時46分。父と弟が暮らす岩手県陸前高田市に戻った佐々木瑠璃さん(19)はそっと手を合わせ、目を閉じ、うつむいた。
 9歳のころ、祖父母にトランペットをねだったこと。欠かさず演奏会に駆けつけてくれた母が「上手ね」と笑うたび、うれしくなったこと。何度も思い出した光景が、また目に浮かんだ。
 青い空に、小雪が舞っている。「2年前と同じだ」。あの日、母の宜子(のりこ)さん(当時43)と祖父母、叔母、いとこを失った。1カ月後、津波にのまれた自宅跡でトランペットを吹いた。曲はZARD(ザード)の「負けないで」。天国に「心配しないで」と伝えたかった。
 幼いころは獣医師にあこがれ、やがて医療の仕事を夢見るようになった瑠璃さんを、母は「すてきな道ね」と応援してくれた。人の命を救いたい。昨年4月、看護師をめざして福島県立医科大学に進学した。
 福島市のアパートでの一人暮らし。運転免許を取り、髪を茶色に染めた。体力をつけようと水泳部にも入った。「毎日が新鮮」。でも、いつも悲しみは背中合わせだった。
 春。心的外傷後ストレス障害(PTSD)などを学ぶ授業で津波の画像が流れた。ずっと避けてきた光景を目の当たりにして教室を抜け出した。「やっぱり怖い」。涙声で父の隆道さん(49)に電話した。「看護師になるなら、いつか乗り越えなきゃいけないんだよ」と父に励まされた。
 夏。帰省すると、母の遺体が見つかった市民会館に、立ち入り禁止なのに忍び込んだ。震災後、一度も夢に出てこないのが寂しくて、「幽霊でもいいから会いたかった」から。
     ◇  ◇
 あの日の午後3時21分、高台の高校にいた瑠璃さんの携帯に母からメールが届いた。「落ち着いて。あなたはそこにいなさい」。それが最後の言葉になった。市の嘱託職員だった母は避難者の世話をしていたという。
 靴やガラスの破片が散乱したままの市民会館の窓から、海が一望できた。「お母さん、どんな気持ちで窓の外を見たんだろう」。大声で泣いた。
 いまも時折、心の栓が抜けてしまうような感覚に襲われる。母が好きだった缶コーヒーをコンビニエンスストアで見つけた時。小さな地震にも肩をこわばらせる自分に気づいた時。涙が止まらなくなる。
 父に電話をかけると「思いっきり泣けばいいよ」と言ってくれる。大学には「瑠璃のつらさはわからないけど」と一緒に涙してくれる友だちもできた。「支えてくれる人がいる私は、まだ幸せ者。ひとしきり泣くと、少しだけ気持ちが楽になる。そうやって、少しずつ前に進んでいくしかないんだって思うんです」
     ◇  ◇
 アパートの部屋には家族写真を飾っている。4年前、東京ディズニーリゾートで撮った一枚。津波にのまれた自宅の2階で、なぜか泥もかぶらず見つかった。
 父と母と弟の証道(しょうどう)君(17)と。家族4人で遠出をしたのは、この時が最後だった。写真の母は、瑠璃さんとおそろいの水玉模様のストールを巻いてほほ笑んでいる。「やると決めたら最後まで頑張って」という母の口癖を思い出す。
 トランペットはクローゼットの奥にしまってある。近所迷惑だから部屋で吹くことはないけれど、月に一度の手入れは欠かさない。
 母とはまだ、夢でも会えない。布で丁寧に磨きながら、願いを込める。看護師になったら、このトランペットで患者さんを和ませたい。「その時、きっと、お母さんは『一人前になれたのね』と夢に出てきてくれるはず」

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