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SONGSコミュの第251回 サンタナ

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インタビュー部分など追記 校正のちほどです。
ーーー

    語り:守本アナウンサー>サンタナ。情熱的なラテンのリズム。そして官能的に
    むせび泣くカルロス・サンタナ。彼に影響を受けたミュージシャンも数知れませ
    ん。「ブラック・マジック・ウーマン」そして「哀愁のヨーロッパ」ロックの歴
    史に輝く数々の名曲を残してきました。作品の総売上は全世界で1億枚を超えます。
    80年代、移り変わりの激しいポップス界で行き場を失いかけるも見事に復活。再
    び世界の音楽シーンから注目を浴びる存在となったサンタナ。
    2000年にグラミー賞史上最多の9部門を獲得。大きな話題となりました。
    そんなサンタナが初来日を果たしたのは1973年。このときの演奏はライブ盤にも
    なり、伝説のステージと言われました。今回その初来日の貴重映像を公開。
    初めての来日から40周年の今年。伝説のステージが蘇ります。
   「SONGS」サンタナ。彼の音楽はなぜ日本人に愛されるのか。その魅力に迫ります。

   「Jingo」サンタナの1969年のデビューアルバムに収録された初期の代表曲。当時多
    くのロックファンにとってサンタナのサウンドは初めて体験する衝撃的なものでし
    た。ロック、ジャズ、ソウル、アフリカ音楽。様々な音楽が融合されているサンタ
    ナの音楽。中でもブルースとラテン音楽は最も重要な要素です。
    カルロス・サンタナは1947年メキシコに生まれました。父は大衆音楽マリアッチの
    バイオリン奏者。幼い頃から父にバイオリンを学びます。ラジオでアメリカの音楽
    に触れて次第にカルロスはギターに夢中になっていきます。
    1963年、アメリカのサンフランシスコに移住。十代の多感な時期にヒッピー文化の
    洗礼を受けました。ミュージシャンが新しい音楽を次々と送り出す時代。カルロス
    もブルースバンドを結成します。成功するためには他のバンドと違う個性が必要で
    した。カルロスは自らのルーツに目を向けます。ブルースにラテンのリズムを加え
    これまでにない新たな音楽を引き出していくのです。

    1969年、三日間で40万人を集めた伝説のウッドストックフェスティバル。
    ジミ・ヘンドリックス、ザ・フー 数々のビックアーティストが名を連らねる中、
    当時全く無名のサンタナもステージに上がりました。

るんるんSOUL SACRIFICE ソウル・サクリファイス
    激しいパーカッションのリズムにほえるギター。これまで体験したことない音楽に
    戸惑っていた観客の反応もやがて熱狂変わっていきました。
    まだレコードデビュー前、彼らを知る者もほとんどいない状況の中での熱演。この
    時カルロス 22歳。サンタナはこの大舞台で一躍スーパースターになったのです。
    ウッドストックのステージから数日後レコードデビュー。その斬新なサウンドは
   「ラテンロック」と呼ばれ広く社会に衝撃を与えました。
    翌年「天の守護神」を発表。「ブラック・マジック・ウーマン」の収録されたこの
    アルバムはヒットチャートナンバー1を獲得。日本でも大ヒットを記録しています。

    このセカンドアルバムでサンタナがカバーしているのが「OYE COMO VA」「僕の
    リズムを聞いとくれ」ラテンの王様と言われたパーカッション奏者ライト・プエン
    テの曲です。メキシコでの少年時代、初めてこの曲を聴いたカルロスはそのままレ
    コード店に走り込んだといいます。幼い日の思い出とアメリカで学んだロック魂が
    見事に融合した代表曲の1つです。
♪OYE COMO VA

    野口五郎さん。アイドルとして活躍していた頃からギタリストとしても高く評価さ
    れています。2000年、サンタナのヒット曲「SMOOTH」をカバーしました。
    中学生の時「ブラック・マジック・ウーマン」を聴いてショックを受けたと言う
    野口さん。以来サンタナはずっと憧れの存在でした。

    1973年、サンタナがついに日本にやってきました。デビューから4年。ようやく実
    現したサンタナの来日はまさに「最後の大物」と言う表現がふさわしいファン待望
    のものでした。7都市12公演、毎晩3時間に及ぶ熱演が繰り広げられました。
    アイドルとして多忙な日々を過ごしていた野口さんも日本武道館の公演に駆けつけ
    ました。

    日本でのサンタナブームに火をつけた「BLACK MAGIC WOMAN」初来日公演の
    貴重な映像です。

るんるんBLACK MAGIC WOMAN

    この公演は録音されライブアルバムとしてリリースされました。 22面にもわたる
    ジャケットに描かれた神々、そして宇宙。完成したジャケット見てカルロスは無言
    で手を合わせたと言います。
    この大作のデザインを手がけたのは画家の横尾忠則さんでした。

    この仕事をきっかけにカルロスと横尾さんは意気投合。カルロスは横尾さんを
   「魂の兄弟」と呼び、二人の関係はこの後も続いていきます。

    この頃からサンタナは精神世界へと深く傾倒していきました。ジャズミュージシャ
    ンとの共演が増え、サウンドもこれまでの激しいリズムは影を潜めていきました。
    新しい音楽を追求する一方で、難解な内容に離れていくファンも少なくありません
    でした。

    1980年代は新しいポップスターたちが次々と現れました。若く実力とルックスを
    兼ね備えた彼らは瞬く間にヒットチャートを独占していきます。
    80年代、そして90年代、ヒットチャートからサンタナの名前は消えました。
    サンタナを過去の人ととらえる人もいました。契約に縛られ満足な活動もできない
    日々。カルロスの心を動かしたのは二人の娘の言葉でした。
   「お父さんの曲をラジオで聴きたい」もっと多くの人たちに自分の音楽を知ってもら
    おう。カルロスはかつての友人に電話をかけました。
    クライブ・デイビス、ボブ・ディランからホイットニー・ヒューストンに至るまで
    数々のビッグアーティストを見いだし、育ててきたプロデューサーです。
    1968年、レコード会社の社長としてサンタナと契約したのも彼でした。

    サンタナ復活をかけ、クライブは若手人気アーディティスたちを集めました。この
    世代を超えたコラボレーションは、これまでサンタナを知らなかった若い層にも支
    持され、アルバム「スーパーナチュラル」は全世界で2500万枚ものセールスを記録。
    28年ぶりに全米チャート1位に輝きました。グラミー賞も歴代最多の9部門を獲得。
    サンタナの復活劇は全米で社会現象となりました。

    かつてアメリカの人気バンド「メガデス」で活躍。現在は日本を拠点に活躍するギ
    タリスト、マーティ・フリードマン。アマチュア時代には同じタイプのギターを使
    っていたほどカルロスを尊敬していたと言います。

    サンタナの健在を世界にアピールした大ヒット曲「SMOOTH」
    2000年の日本公演からの映像です。

るんるんSMOOTH

    人生を奏でる「泣きのギター」。その長く澄んだ音色はバイオリンの影響だとカル
    ロスは言います。幼い頃から父親のバイオリンを聴いて育ったカルロス。彼の奏で
    る音色には遠い故郷への郷愁が込められているのかもしれません。
    そんな「泣きのギター」の真骨頂。「哀愁のヨーロッパ」渡辺貞夫さんと共演です。

るんるん哀愁のヨーロッパ

コメント(4)

今日は、聴き入ってます^^
カッコイイ!

高中さんも久しぶりに聴きたくなった〜ww
かるあきさん、ご無沙汰しております。
テレビ「SONGS 」も、しばらくご無沙汰していましたが…m(__)m
今回は、録画して観てみました。


「時にはギターから離れて色々な人生経験をするんだ。そうしたら、ギターの音はただの『ドレミ』ではなく人生そのものになる」
という言葉がとても印象に残りましたね。

かつて、ジョン・レノンは息子に「パパはビートルズだったの?」と言われ、しばらく休んでいた音楽活動を再開した…。

サンタナも、二人の娘たちから、「パパの曲をラジオから聴きたい」と言われ、復活を果たした…なんて…^_^


「メキシコからサンフランシスコに移住して、好きなブルースの演奏を始めた。」
「自分よりも上手な人たちばかりだった。」

「まるで満員のエレベーターに乗ったような感じだった…。」

「何か人とは違うことをしなくては、と感じた」

サンタナのOne & Onlyなギターの音色は、そんなところから奏でられているのでしょうね。


ウッドストックや初来日の武道館の映像。
野口五郎さんやマーティ・フリードマン氏のインタビュー。
復活への架け橋となった偉大なプロデューサー:クライブ・ディヴィス氏の尽力。
とてもワクワクし、楽しい30分でした(^^♪


僕は、リアル「哀愁のヨーロッパ」「ブラック・マジック・ウーマン」世代ではないので…^^;
まず、耳を奪われたサンタナ・サウンドは、こんな曲でしたね…(^^♪

http://www.youtube.com/watch?v=q1TFWYsS5HE
PVは、当て振りのミュージシャンで…^^
レコードでは間奏のギターソロをサンタナが弾いていました。

http://www.youtube.com/watch?v=hcH-qRUvGlQ
番組でも、少し流れましたが、大好きな曲です。
「哀愁のヨーロッパ」「哀愁のボレロ」の流れから、サンタナの哀愁シリーズ。
「哀愁の旅路」って邦題がついてました…^^
ふーとさん
 自分にとっては「懐かしい〜」という思いも感じながら見ていました。
 今も当然現役ばりばりで活躍なさってるわけですけど、自分が洋楽から遠ざかって
 かなり長い間になるので、よく聴いていた70年代、80年代の曲に触れて、懐かしい〜
 という言葉が出てくるのです。まぁ「よき青春時代?!」と言えなくもない感じで(^^;

 高中さん!・・確かに!(^^
 もう随分前ですけど、友達の車に乗せてもらっていて、突然ラジオから
 高中さんの「ブルーラグーン」が流れてきたのです。
 「おっ!ブルーラグーンだ」とすぐに自分が反応したら、その友人は多少驚いて・・
「えっ?知ってるの?」・・と(^^
 自分はと言えば、Yumingとかオダカズとかチャゲアスとか、JPOPしか聴かないと思われ
 ていたのです(^^;
 「そりゃ知ってるよ!」・・と、しばし高中さんの話しに花が咲いたのを、今でもはっき
 り思い出されます(^^
on-the-roadさん
 ここのところ、インタビュー部分は、なかなか更新できずにいますm(__)m
 インタビュー部分は、テロップが表示されるだけで、文字放送にならないので、
 音声入力しきれないのです(^^; (ちょっと意味不明かもしれませんが(^^;;; )

 子供に・・というのは、大きいんでしょうね。
 お正月(だったかな?)にぼーっとTVを見ていたら、特番で、清原選手が、子供に自分
 のホームランを打つ姿を見せたい・・と、トレーニングに励んで、
 ピッチャー:桑田真澄・・という・・この二人しかいないという絶好のシチュエーション
 で、ホームランを打って見せるというシーンを思い出しました。
 なかなかスタンドインできずにいたのですが、最後の最後、見事にホームランをかっとば
 しました! 「桑田が最後ホームランを打ちやすいところに投げてくれた」と盟友に感謝
 していましたが、子供の目の前でホームランを見せる事ができてとてもいいシーンでした。
 ジャンルは全く違いますけど、気持ち的には、通ずるように思います(^^

 ウッドストックが初出演というのも初めて知りました。もう伝説のライブですもんね。
 自分はギリギリ??リアル世代ではありませんが・・(^^;;
 
 ゴローさんが登場したのも、そしてカバーしていたのも初めて知りました。
 さらに、グラミー賞を9部門というのも、今回初めて知りました(^^;
 (しばらく洋楽から遠ざかっていたので全く知りませんでした。
  単純にラジオを聴く機会がなくなったのですね。新しい曲、情報に触れなくなった。
 「ブラック・マジック・ウーマン」のあたりは、オールナイトニッポン・糸居五郎さん!
 などをばりばり聴いていたので、その頃の洋楽だけは知っているのです(^^;

 リンクの「You Can Have Me Anytime」 は ぎりぎり知っています(^^;
 自分にとっては、↓この曲がリアル世代?でしょうか(^^
 http://www.youtube.com/watch?v=3jELdHlPj58
 まぁ超有名な曲ですが・・

 「シルク・ディグリーズ」と「ヒッツ」はレコード(not CD..(^^; を買った覚えがあります。

 とにもかくにも、初めて知ることが多く・・横尾さんのジャケットにしても・・
 とっても見応えのある30分間でした(^^



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