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SONGSコミュの第195回 ザ・ビートルズ

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語り:鈴木京香さん>1966年、羽田空港は熱狂に包まれました。
当時世界一の人気を誇っていたザ・ビールトスがついに来日を果たし
たからです。

彼らの放つジョークやしぐらの一つ一つまで大きなニュースになりました。
ビートルズは、なぜ世界中の人の心を捉えたのでしょうか。
来年デビュー50周年を迎える彼らの軌跡を追います。
「SONGS」ザ・ビートルズ。
1曲目は貴重な日本武道館での映像をご覧ください。

るんるんロック・アンド・ロール・ミュージック(Rock and Roll Music)

ビートルズは愛を歌いました。当時の誰よりも刺激的に、誰よりも深く
愛を歌いました。ビートルズのラブソングにはどんな背景があったので
しょうか。「SONGS」は彼ら自身の愛の軌跡に注目します。

1960年生まれのジョン・レノンは、幼い頃、両親に捨てられ、伯母のミミに
育てられました。近所の孤児院ストロベリー・フィールズで孤独な時間を
過ごすことが多かったジョンは、母の代わりを求めるように女の子たちに
恋をしました。
ジョンは女性たちとつき会う度に母に捨てられた悲しみをぶちまけたと
言います。しかし、彼の孤独な叫びはビートルズの歌に輝きを与えました。
そこには、人の心を揺さぶる何かがあったからです。

デビューを前にした1962年の夏、ジョンは美術学校時代のガールフレンド、
シンシアから妊娠を告げられ21歳で結婚。
それから2ケ月してデビューシングル「ラブ・ミー・ドゥ」は発売されま
した。その後はヒットチャートを独占する快進撃。
愛を叫び、恋を夢見て、リバプールを飛び出した4人の少年たち。
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴはたちまちイギリスを代表するアーティ
ストになったのです。

1963年、BBCの音楽番組にビートルズが出演した時、会場にいたのが、
当時イギリスで人気だった17歳のアイドル女優、ジェーン・アッシャー。
すぐにポール・マッカートニーと恋に落ちました。そして、半年もたたない
うちに同棲。場所は高級住宅街にある彼女の実家でした。
14歳で母を亡くし苦しい生活の中で育ったポールが初めて味わう満たされ
た暮らし。そのアッシャー邸の地下室がビートルズの作業場となりました。
いつも一緒に作曲をしていたジョン・レノンを招いて地下室で共作を始めま
した。

ジョンが思いついた歌詞の一節を叫び、ポールがピアノをたたいて続ける。
そうやって、次々に不滅の名曲が生まれていったのです。
ジェーン・アッシャ−の兄ピーターによると、名曲「抱きしめたい」も
ジョンがオルガンを弾き、ポールがピアノをが弾いて出来上がったといいま
す。1963年にリリースされ、全米7週連続ナンバー1。
アメリカでの人気を不動のもにしました。
「抱きしめたい」エド・サリバン・ショーの貴重な映像でご覧ください。

るんるん抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)

その後も快進撃は続き、ビートルズ旋風は世界に吹き荒れる事となりました。
1964年7月、彼らが主演の映画「ハード・デイズ・ナイト」を
マーガレット王女もご覧になり、劇場には1万2000人もの群衆が押し寄せる
騒ぎとなりました。

ビートルズは自らのあまりの人気に少し辟易するようになっていたのです。
人々の熱狂を避けるためにはジョンはウェイブリッジという郊外の街に大き
な屋敷を買いました。
妻のシンシアは内気な性格で、静かな生活をの望んでいたからです。両親に
捨てられたジョン・レノンが初めて手に入れた家庭という幸せ。
そのウェイブリッジの自宅にポールを招いて作曲したのが「ヘルプ!」です。
幸せな暮らしで太りすぎた自分に対して「これでいのか」という不満を持っ
ていたジョン。「幸せもまた不安だ」という気持ちをこの歌に込めました。

るんるんhelp!

その頃、ポールは恋人ジェーンとうまくいかない事を悩んでいました。
女優として人気だった彼女はロンドンから離れた場所の舞台でも、迷わず仕事
に行くタイプだったのです。すれ違う気持ちをポールは歌にしました。

 人生なんて短いものさ
 いがみ合うなんて馬鹿げてる
 僕ならなんとかできるよ
 We can work it out.

るんるん恋を抱きしめよう(We Can Work It Out)

ビートルズの残り二人。ジョージとリンゴも恋する青年でした。
ジョージは映画「ハード・デイズ・ナイト」の中でビートルズを追いかける
少女に恋しました。それがモデルのパティ・ボイド。
二人はすぐに同棲。ポールの立ち会いのもと結婚式を挙げます。
そんなジョージがパティのために書いたのが「アイ・ニード・ユー」
このパティが当時はまっていたのがインド文化。マハシ・ヨギの講習会に
ビートルズを連れたいったもパティです。後にインド音楽の影響が彼らの曲に
表れたのはパティあってこそ。

一方、リンゴは16歳の少女と恋をしました。まだビートルズがデビューする
前のリバプールのライブハウス、キャバンクラブで知り合ったのが当時16歳の
モーリン・コックス。二人はビートルズがデビューし熱狂のさなか交際を続け、
モーリンが18歳になるを待ってゴールイン。ホワイトアルバムの中でコーラ
スで参加しているのはモーリンです。

リンゴが結婚した翌年1966年、ジョンにも新たな恋が訪れました。
前衛芸術のアーティスト、オノ・ヨーコとの出会いです。
ロンドンの画廊で開かれたヨーコの個展を見て、もともと美術学校でアートを
学んでいたジョンは新しい表現の世界に目を見張ります。
多くの前衛芸術家と親交の深かったヨーコは、ジョンをアートの最前線に誘い
ました。ビートルズ後期の前衛的な楽曲は彼女に負うところも多かったのです。
 しかし、ジョンとヨーコの仲はジョンの妻シンシアに知られるところとなり
離婚手続きが始まります。
そんな時、ジョンの息子ジュリアンに同情したのは、ポ−ルでした。以前から
自分の息子ようにかわいがっていたポールはジュリアンを勇気づけようと車の
中である曲を思いつきます。
それが「ヘイ・ジュード」ジュリアンという名を歌いやすく変化させたのが
ジュードと言われています。そこにはジョンの妻子まで家族のように愛した
ポールの優しさが込められています。

るんるんヘイ・ジュード(Hey Jude)

1968年、すれ違いが続いていたポールとジェーンは破局。
その頃はポールは女性カメラマンと出会っていました。アメリカ生まれの
リンダ・イーストマンです。彼女はロックミュージシャンの写真を撮るカメラ
マンとして有名でした。このジミ・ヘンドリックスのアルバムのジャケット
写真もリンダの作品です。
ビートルズの取材で知り合った二人は半年の同棲生活を経て、1969年の春、
ロンドンで結婚する事となりました。
こうしてポールはやっと落ち着いた家庭を手に入れたのです。

ジョンとポールが破局と結婚を繰り返す間、妻パティと幸せな日々を過ごして
いたジョージは、満ち足りた愛をテーマに名曲を作りました。
ジョージ・ハリスン初のA面のシングル「サムシング」です。
そのプロモーション映像にはビートルズの4組のカップルが仲良く映っています。

るんるんサムシング(Something)

4人の結婚生活が順調な中、皮肉な事にバンドとしてのビートルズは破綻を迎え
ようとしていました。メンバーそれぞれの不仲。
映画「レット・イット・ビー」も久々のライブの盛り上がりを描くはずが、メン
バーのいがみ合いをドキュメントする事となりました。そんな時ポールが書いた
のが、「レット・イット・ビー」バンドが絶望感から救いを求める内容。
それぞれが家庭を持ったビートルズは、何も持たなかった若者の頃には、もう
戻れない。なんとかならないものか。バンドを思うポールの切ない思いが込めら
ています。

るんるんLet It Be

ビートルズは、恋を歌って世界一のバンドになりました。しかし、彼らは恋を
歌う中で、LOVEという言葉の持つもっと深い意味に気づきます。
それは、男女の愛を超えた、人類への愛です。
1967年に放送された全世界を結ぶ人類初の衛星生中継番組「アワ・ワールド」。
スペシャル番組としてそんな人類愛を描いた名曲が作られました。
人類が本当に今必要なのは、深く広い愛だけ。メッセージソングの元祖ともいえ
る曲「愛こそはすべて」を最後にお聴きください。

るんるん愛こそはすべて(All You Need Is Love)

コメント(2)

ビートルズに関しては、30分で語る…表現するって、難しいことですよね?

かくいう僕は…1965年生まれ。
ビートルズ世代ではなく…ビリー・ジョエル世代…( ^_^)

ビートルズは完全に後追いで。
ジョンのソロ作やポールのバンド「Wings」等から親しみ、遡って聴いていった感じです。

今回のSONGSは、音楽的なことよりも、彼らの恋愛遍歴?…^^;…人間性に重きを置いて、それはそれで興味深いものでしたね。

個人的には、学生時代にもコピーをしていたり、今でもカラオケで良く歌ったりする「We Can Work It Out」好みですわーい(嬉しい顔)
on-the-roadさん 
 確かにビートルズを30分、1回でというのは難しい事ですね。
 それでも、今回はおっしゃる通り、彼らの恋愛や人間性などに着目して
 よくぞ30分でまとめてくれました!という感じがしています(^^

 ビートルズの歌は知っているけど、彼らがどんな人たち、どんなグループ
 だったのかという点に興味を持っている人たちがご覧になっていたとすれば
 それはそれで新しい発見のある内容になっていたのではないかと思います。

 かく言う自分も、help!は、そういうことだったのか、へ〜!っという感じ
 でした。あるいは、みんな知ってる有名な逸話だったのかもしれませんが(^^;

 Wingsでとっても印象に残っているのは、やはり007の主題歌でしょうか。
 まぁ「浅く広く&さらにもっと浅く!?」の自分ですので、それ以外の曲は 
 あまり知らないということもあるのですが(^^;
 Live and Let Die ・・・結構はまって聴いていました。映画館の大音量で
 しかも確か結構格好イイ場面で流れてきましたので印象に残っています。
 今のようにエンディングで流れるという事ではなかったと記憶しています。
 今度、映画のDVDでも借りて、確認してみたいと思います。

 We Can Work It Out・・・カラオケとは凄いです!(^^

 SONGSらしい切り口で「ビートルズ、Part2」があることを期待します。

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