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SONGSコミュの第109回 GLAY

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感想などご自由にどうぞ。
誤字等多いです。のちほど校正します。
ーーーーー

TAKURO>お久しぶりです。
 今日はありがとうございます。

YOSHIKI>いえいえ、日本からわざわざ。

こんばんは。GLAYのTAKUROです。
今回11年ぶりに恩人であるYOSHIKIさんと再会することができました。
「SONGS」今夜は僕たちGLAYが15年間歩んできた道のりと音楽への思いを
をお伝えしたいと思います。

まずは、この曲から.
るんるんBE WITH YOU


今回、僕とTERUは、デビュー当時の恩人、YOSHIKIさんに会いにロスアンゼルス
にやってきました。YOSHIKIさんに会うのは実に11年ぶりです。

T>ちょっとワクワクしますね。
デビューして間もない頃、いろいろお世話になって。

会っていなかった10年間が埋まるような対談になればいいなと思います。

久しぶりです。
お久しぶりです。

 今年、復活ライブを行ったロック界のカリスマX JAPANのYOSHIKIさん。
 日本を代表する音楽家として幅広く活躍しています。
 現在ロスアンゼルスで、頚椎手術のリハビリを行っています。

1993年、当時プロを目指して、ライブハウスで活動していた僕たちを
YOSHIKIさんが見に来てくれました。

 Y>最初のデモテープをいろんなハンドのも見てたので、聴いた時にもう
  全然違ったもんね。メロディとかTERUの歌声もそうだったけど。
  えっ、デビューしてないの?うそでしょう?デビューしてるんじゃない
  のって。そのくらい最初のインパクトがあった。覚えてるもん、
  その後にHIDEにすごいバンドがいるって。結構はいしゃいでたの。

  その後に、HIDEさんに朝までめちゃくちゃ怒られたんです。
  お前ら音はいいんだけど、ドラムがしっかりしなきゃいけないとか、
  メンバーをもっと大事にしなきゃダメなんだとかいって。

そして翌年、YOSHiKIさんのプロヂュ−スで僕たちGLAYは念願のデビューを果
たします。

 今年デビュー15周年を迎えたGLAY。
 8月にはスタジアムライブを行い2日間で15万人のファンが集まり、
 改めてその健在ぶりを示しました。

 GLAYは、何なの?って聴かれたら、ようやくライブバンドですって。
 「僕はGLAYのギターのTAKUROで、バンドマンですって。ようやく胸を張って言
 えるようになりました。

 ライブバンドだよね、最初に会ったときにそう思ったもん。
 ステージがかっこよかったから。
 TERUもステージだと明日がないように叫んでない?
 大丈夫なの?っていうくらい。

 T>2Daysの時って、1日目なんか手を抜けないんですね。
 終った後にメンバーが心配して、明日もあるのに大丈夫って。
 でも、そこまで行かないと、自分の勝負に負けてる気がして。
 悔しい思いをするよりは1日1日出し切るとというのありますね。

 Y>そういうの大好き。次の日、仮に声が出なかったとしても、枯れちゃっ
 たとしても毎回全力投球しているのが伝わる。
 高校野球タイプだよね、もう明日がない。今日勝たなければ。

 TERUが、明日の事、関係ないって歌ってる姿は心配だけど、うれしくもあり
 ますね。やっぱりそうじゃないと。

GLAYは僕が高校の頃、幼なじみのTERUを誘ってバンドを結成したことから始まり
ました。当時から、曲はほとんど初めに僕がギターで思いつくメロディをつく
り、それをHISASHIがバンドサウンドに膨らませていくやり方でした。
デビューしてから今まで僕たちのこの曲作りのやり方は少しも変わっていませ
ん。

楽曲へのアプローチはTAKUROと2人間に摩擦が生じて、そこからまた新たなる
エネルギーが生まれるんですけど。ほこりをかぶった原石みたいなものですよ
ね。最初に来るのは。これ本当にダイヤがかなと思うくらいの真っ黒いものな
んだけど、曲より言葉よりTAKUROは気持ちが先に来る人だと思う。
そこをどうちゃんと音符に変えていくかというのが毎回悩みながらも楽しい作業
でしたね。

 1997年、GLAYが発表した「HOWEVER」がミリオンヒットを記録。
 その年の紅白歌合戦に初出場します。しかし、当時HOWEVERのレコーディングは
 たった2日間という過酷なものでした。

めちゃめちゃ忙しかったりもする。コンサートツアーも取材も何もかもが97年
に集中していて、メンバーによってはたった2日間。1日聴いて次に日には、す
ぐレコーディングという人もいたし。おれの中では「HOWEVER」でやってみたい
ことをうまくメンバーに説明できないうちにレコーディングの日が来ちゃった
り。だけど、とにかくやったんです。とにかく何かを信じてやったら、ああ
いった形に。ヒットしてみんなに愛されるようになって。

 そして、99年夏には、日本初となる20万人を動員する野外ライブを行う
 など、GLAYはモンスターバンドとして頂点を極めていきます。
 しかし、デビューから5年。GLAYにとって解散の危機が訪れます。
 メンバーのJIROさんが脱退したいと言い出したのです。

 僕自身挫折しかけた時期があったんですよ。
 その頃はバンドも忙しくて、その流れの早さに自分がついていけなくなった
 瞬間があって。それで、メンバーに弱音を吐いたりもしたんですけど。

 そんな時、リーダーのTAKUROさんからJIROさんに1通の手紙が届けられまし
 た。

 その時はもう独りでホテルの部屋に閉じこもってしまたら気がついたらTAKURO
 からメッセージが入っていて、「そんなきついんならツアーやめよう。大丈夫
 だよ。」と言ってくれたのが、僕の中ではすごく・・・。
 このメンバーを信じて、自分が駄目な時はついていけばいいやと。
 そういうふうにい思えた出来事でした。
 やっぱりその手紙が大きかったですね。

 そして、固いきずなに結ばれてGLAYは年月を重ねて、それまでは気づかなかっ
 た自分たちの曲への思いもより深いものに、変わっていきました。

ここにきて「HOWEVER」で人生が変わりました。とか、「コピーしてました」とい
う声を聴くようになって、素直にいい曲だなと思えるようになったのは、ここ最
近ですよ。一時、ライブでやらない時もありましたけどね。
今はやって言われるのが、うれしいです。

 自分にとって「HOWEVER」というには自分たちの見失ったものを取り返してく
 れた曲という気がします。

この曲を作って10年余り。あの時と同じ変わらぬメンバーでこの歌を多くの人
に届けられる幸せを今実感しています。
聴いてください。僕たちの大切な曲
るんるん「HOWEVER」

GLAYのデビュー曲、「RAIN」は、YOSHIKIさんのプロデュースの下、ロサンゼルス
でレコーディングしました。

 レコーディングの中で一番つらかったのは、一番最初のロサンゼルスですね。
 プレッシャーに押しつぶされそうな中、YOSHIKIさんと2人でピアノ弾き語りで
 「RAIN」の練習をしている時間が・・・声が出なくて・・・あの思い出が今ま
 での自分の歌を支えてくれている気がする。

もともとRAINは、僕が作った「Julia」という曲を土台に、YOSHIKIさんが手を加
えて出来上がった曲です。
この15年間、YOSHIIKIさんのアレンジを超えられないというジレンマからライ
ブでは演奏されることはほとんどありませんでした。

 15年たって、こんなきれいなメロディー、そして歌詞。
 でも、メロディーはもともとTAKUROのメロディーじゃん。
 そういうプライドもあったのか、ほとと敬遠していた部分があった。
 いろんな複雑な感情だったんでしょう。
 「RAIN」がデビュ−曲で本当に良かったです。

 そんな事言ってもらって、照れちゃうけど。
 そういうバンドの自分たちの意思を持っていて、例えばプロデューサーとして
 嫌だとか言われるの結構好き。
 ガンガンいい意味での自己主張。結構大好き。そういうの。
 だから、何年たっても何万人の人がコンサートに来てくれるんじゃない。

15年間でやっと歌えるようになりました。

おれもちゃんと引けるようになたのは最近。

デビューして15年、原点であるこの曲がいつも僕たちGLAYを支え続けてくれた
ので。今夜最後にお届けします。
感謝の気持ちをこめて・・・
「RAIN」

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