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SONGSコミュの第40回 さだまさし

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(映像:NHKの通路。スタジオに向かうさださん。)
こんばんは。さだまさしです。(以下、S:)
早いもので、僕は今年35周年を迎えました。
今まで作った歌は、およそ480曲。
それぞれに歌の中に、様々なドラマや物語をつづってきたつもりです。
「SONGS」今日は、そんな僕が今たどりついた世界を歌と共に
お届けします。

るんるんパンプキン・パイとシナモン・ティー

語り:高橋美鈴アナウンサー(以下、T:)
さだまさしさんは、2001年、49歳の時、小説家としてデビューし
ました。
今年2月には、700枚を超える新作の小説「茨の木」を書き上げました。

S;農夫に道を聞いたりするシーンは、いらないって事?
K:そのシーンを取っても、最後はどんどん、どんどん。
S:追い込んでいったほうがいい?
K:そういうふうな所で、全体を通して・・・。

T:さださんが、小説を書き始めたのは、編集者、見城徹さん(K:)と
 の出会いがきっかけでした。

S:今日はありがとうございます。
K:こちらこそ、僕でいいのかなって。

T:出版社の社長でもある見城さんは、さださんの全ての小説を出版して
 います。
 見城さんは、坂本龍一や、尾崎豊など、ミュージシャンの才能をいち早く
 見抜き、文学の世界に導いていきました。
 さださんの小説は、いずれもベストセラーになり映画化され、さだまさしの
 新たな世界を切り開いてきました。
 最初の小説は「精霊流し」さださんの曲をモチーフにした自伝的な小説です。
 2作目の「解夏」は、病気で視力を失う男性の苦しみを描きました。
 そして、「眉山」では、余命いくばくもない母親の人生をたどり、その思いを
 知る娘の姿を描きました。
 今夜は、編集者の見城徹さんが作家・さだまさしの創作の世界に迫ります。

K:僕はね、「関白宣言」から入ったんですよ。嫌な歌だなと思ったんですよ。
 それで、さだまさしさんを拒絶してしちゃたんです。
 どころが、小説を一緒にやることになって、ちゃんとさださんの曲をもう一回
 ちゃんと聴いてみようというというか、初めて聴いたんですよ。
 僕はびっくりしましたね。
S:何に、びっくりされたんですか?
K:こんなに人の生きる営みをきちっとすくいとっている歌は、ないだろうと。
 聴いているうちに涙が止まらなくなっちゃたんですよ。
 これは、すごいと、僕は本当に反省をして、さだまささしって世界を、俺は何
 で知らなかったんだと。
 これは確信を持ったんです。
 さださんが書く小説というのは、間違いなく「生きる」という太い幹のどこか
 にきちっと触ったものが、出きるだろうと確信をしたんです。
S:小説は、僕は憧れですから、死ぬまでに小説は、いっぱい書きたいとは思っ
 ていたんですが、いつ書き始めていいか、きっかけに困っていたんですよ。
 タイミングがすごく合ったと思うんですよね。

T:続いての曲は、「るんるんpineapple hill」
 さださんが、実際に訪れたハワイのレストランを舞台に物語を紡ぎだした曲
 です。

K:タイトルもうまいと思うんですよ。「精霊流し」でしょ。
S:これは、歌の自伝的なものを書けって言われましたんでね。
K:それは、自伝的なものを書くのが最初は一番書きやすいだろうという、
 つまらない編集者の思いやりだったんですよ。
 ところが、軽々とクリアされて、この人は既にしてすごい小説家だと思いまし
 たよ。それで、どんどんうんまくなっている思うんですけど、
 「精霊流し」も、おびただしい死というのがテーマとしてあるわけで、本当に
 誠実に生きて、無名のままひそやかに生きて、ひそやかに死んでいった人たち
 に対しての敬意というか、その人たちに寄せる心情みたいなものが、しっかり と書けていると思うんですよ。

S:今おっしゃった言葉で「おびただしい死」とおっしゃんたんですけど、
 生きるってことは、おびただしい死と向き合ってるわけです。
 それにかかわりあった人間の死というものは、実は自分の体の中には体温が
 まだ残っているんですよね。
 その体温をどういうふうに、すくい上げるのかというのが、表現のような気が
 するんですよ。
K:やっぱり、小説・物語の根本がよく分かってる人だなって。

S:僕、昔から小説を書きたかったんですよね。歌い手になりたかったかどう
 かは、分からないんですよ。でもね、小説化にはなりたなかったんですよ。
 だから、きっと、歌も物語性のあるものの方が好きなんですね。
 たとえば、「無縁坂」なんかは、僕、高校時代に小説いっぱい書いてるんです
 ね。その頃に書いたものの冒頭の一行なんです。
 「母が、まだ若い頃、僕の手を引いて、
    この坂を登るたび、いつもため息をついた」
 ため息をつくだけでいいと、後ろ振り返っちゃいけないんだって。
 それは、歌詞になってからなんですけど、小説では、その次の一行が
 「坂の上に父の家があった」という行がつながっていくんですよ。
K:父って、しかも事情のある父?
S:事情があるんでしょうね、きっと。そういう小説を書いて、あの冒頭の一行
 というのが、そのまま歌詞になって・・・・。父がいるとややこしんですよ。
 訳ありの父が歌に出てくると。訳ありの父まで説明しなきゃいけなくなるんで
 母にしぼってその凝縮したのが、メロディーになっていくんですね。
 メロディーがすごく暗くて切ないもので、歌詞の中には、母は苦労したなんて
 一行も書いてないないんですよ。でも、すごく苦労したかのような歌になって
 いるんですよ。
K:詞はあれで、いいと思うんですよ。後ろを振り返らない。ため息をつく。
 それだけで、皆そうしてきたと思うんですよ。それだけでいいと。
 だけど、小説ではそれじゃ、すまないから、訳ありの父が出てこないと駄目な
 んですよね。

T:1975年、23歳の時に発表した「るんるん無縁坂」。
 青春時代に書いた短編小説から生まれた名曲です。

T:さださんは、今55歳。
 これまでの歌作りの秘密を語りました。

S:17歳の時にノイローゼになって、ちょうどクラシック・バイオリンから挫
 折して、目標もなくて、その時に先投げしたんですよ。要するに、自分が何者
 だか分からなくて、今、苦しんでるって事に、気づいちゃたんですね。
 分かるわけねぇじゃんって、思ったんですよ。それで、45歳って丸投げした
 んですよ。45歳になるまでは、全部借り。借りて借りて、面白い事、今思う
 ことだけやって45歳になって清算しようと。
 だから、僕のグレープ時代からのものというのは、そこから、僕は歌作りを
 始めてますから、開き直ってから、全部45歳の自分にあてた手紙だったん
 ですね。

K:俺ね、あんなに若い時に「無縁坂」とか「秋桜(コスモス)」とか
 「主人公」と書けるというのは。。。
S:嫌なヤツですよね。
K:分かったよ。45歳に向けてるわけね。45歳の自分に恥ずかしくないもの
 って書いてるわけね。
S:それで、45歳の時に、もう一つのテーマが生まれて、17歳の自分に返事
 を書かなきゃって思い始めて。
K:すごいね。すごい複雑だね。
S:そうなんですよ。17歳の自分に対する返事も、アルバムの中には必ず1曲
 は入れる。「かささぎ」なんて、その頃に対する返事ですよ。
 お前、恋なんて、そんなもんだよ・・という。

るんるんかささぎ

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感想をご自由に どうそ(^^

コメント(2)

Rayさん
 最近、NHKの深夜放送とか、ジョークまじりに話す姿しか目に
 とめていなかったので、マジで語っている姿は、久しぶりでした。
 それだけに、45歳の自分に向けてとか、17歳の自分への返事など・・・
 今までに聞いたことない話が聴けてとても、印象的でした。
 ・・・印象的というより。。そうですね、Rayさんがおっしゃる通り
 衝撃的って言葉に同感です。
 そんなふうに考えながら詞を書いているアーティスト・・他に聴いた
 ことありません。やはり深いですね。

 セット。。なるほど! 明るすぎるくらいのホワイト!
 以前のSONGSで鮮明な記憶では、高橋真梨子さんの回も確か
 今回のような明るいホワイトでした。確かにとても見やすいですね(^^

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