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聖書研究 福音派版コミュの「天国」について教えて下さい。

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わたしは福音派の教会に属するものではありませんが、
接点を持ち続けたいと願っている一人のクリスチャンです。

福音派の方の話では、
「人は死んだら天国か地獄に行く」
「人は身体は死ぬけれど魂は不死で天国に上っていく」
というような言い方をされるようなことが多い気がします。

ただ、わたしとしてはその辺がよく理解できないのです。
マタイ福音書における「天国」という言葉は、
「神の国」の言い換えだと理解していますし、
「死んでから行くところ」というニュアンスはないと感じます。

また、聖書には
「人は(まるごと)死んで、終わりの時に復活させられる」
という考え方はあっても、
「魂は不死である」という考え方はないように思います。
むしろ聖書以後にギリシア哲学から受け継いだ
観念なのではないでしょうか。

わたしの思いこみかもしれませんが、
「天国」(あるいは「地獄」)についての
とらえ方について教えて下さい。

コメント(8)

いま、ちょっと長文でのレスはできないですが

>福音派の方の話では、
>「人は死んだら天国か地獄に行く」
>「人は身体は死ぬけれど魂は不死で天国に上っていく」
>というような言い方をされるようなことが多い気がします。

というのは、何かの行き違いがあるように思えますね。
私は、福音派の牧師の子供として生まれ、今も福音派の教会の伝道師として働かせていただいておりますが、天国(天の御国)のことをこうゆう説明をしている福音派の牧師先生にあったことはありません。

まぁ、子供に簡単に教えるためにこうゆう表現をすることもあるかも?しれませんが・・・・。

「魂は不死である」という考え方は、パラダイスと「よみ」いう言葉を調べられるといいと思います。

主イエスは十字架の上で強盗の一人に
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)

ここで言うところのパラダイスは明らかに死後に行くところを指しています。

また、旧約聖書でいうところの「よみ」という言葉も死後に人がいるところを指している場合が多いと多いと思います。

いわゆる。終末の復活までの間にある中間状態といわれている状態のときに魂があるとされているものです。
ただ、具体的にどのような状態で、どういった世界なのかというのは、聖書にそれほど多くの記述がないので、限定はできないと思います。

死後に行く世界(終末後の世界も含む)として言われている聖書の言葉として
「よみ」「アブラハムのふところ」「パラダイス」「ゲヘナ」「ハデス」などなどありまして、そのうちのいくつかは明らかに旧約的な概念を引き継いでのものですから、一概にギリシャ哲学の影響とはいえないでしょうね。

「神の国」という用語は結構幅が広くて、確かにこの世の中でも味わうことのできる。「神の支配」という意味もありますが、死後・・・特に終末における神の国という概念も強いです。まぁ、終末における神の国 というのも大抵の場合は、死後に経験するものですから、「クリスチャンは死んだら天国へいける」というのも、簡単な説明としては使われる言い方でしょうね。

ただ、言葉の額面通りの意味合いとして福音派の先生がたが理解しているかといえば、そうではないと思いますよ。
レスありがとうございます。
わたしも少しおおざっぱな言い方であったかと思います。

「パラダイス」と「よみ」については
調べてみるようにします。
ただ今までのところの理解では、
旧約聖書では基本的にはすべての者が死んだらよみに行く。
ただそれは「不死の魂」が行く、というのとは
ちょっと違う印象を持っています。

それとこの質問の一つのきっかけは、
ある牧師先生が葬儀の中で
「今○○さんの魂は身体を離れ、天国へと上っていきます」と
語っていらしたことです(正確な再現ではないかもしれません)。
この先生は「パラダイス」の意味で、「天国」と言っていらしたんだろうか。

わたしももう少し勉強しますが、
またアドバイスをよろしくお願いします。
このことについては「福音派」というよりは「改革派」の神学と言うべきでしょう。

ウェストミンスター信仰告白第32章1節
「義なる者たちの魂は、聖別されて完全なので、天の高みに受け入れられる。そこで彼らは光と栄光の中に神の御顔を仰ぎ見、身体の完全な贖いを待つ。悪しき者の魂は地獄に投げやられ、そこで彼らは責め苦とまったき闇の中に留まり、終わりの日の最後の審判までとどめ置かれるのである」

魂だけ先に天国に行って、終わりの日に身体が完全な身体となって追っかけてくるということです。
地獄は最後の審判までとどめ置かれる場所とされています。
出典を書き忘れました。

ヤン・ロールス著「改革教会信仰告白の神学」
芳賀 力訳 一麦出版社(2000年)
ウェストミンスターは改革派にとどまらず、福音派の多くの教会で用いられているものです。

で、引用された箇所ですが、
「天の高み」=天国ではないですよ。
こちらも義とされた者が再臨の時までおかれる。パラダイスに相当するところだと思います。

中間状態の神学

は改革派ももっているはずですから。身体だけあとから追っかけてくるなんていう理解はそもそもないはずです。
ウェストミンスターは偉大な信仰箇条ですが、結構深いんでそれの解説書もありますよ。
私自身の理解としてはSyakuraさんと同じです。

ただ、それは今日の神学的な理解でしょう。
ウェストミンスター信仰告白それ自体と
その後の諸教会における受容、特に一般信徒レベルの通俗的理解と
今日の神学的なウェストミンスター理解とは
区別した方が良かろうと思います。

「神学者」でない改革派系諸教会(ということは多くのプロテスタント教会)が、これを根拠に
「死んだら魂は天国(地獄)に行く」
と考えるのはむしろ当然ではありませんか?
のざるさんの質問の端緒となった牧師は、(たぶんキリスト教の知識のない人が多いであろう)葬儀で語ったのですから、「高み」と「天国」は異なるなどという議論はしないでしょう。それに終わりの日の復活の希望を全く語らなかったのかどうか?
死んですぐに魂が天国に行って終わりというのだったら、問題かもしれませんが、「体のよみがえりを信ず」ということが語られていたのだったら、「高み」を「天国」と言ったって、全然問題ないと思います。

のざるさんのポイントの2番目は、肉体と魂の分離という考え方が聖書ではなくギリシャに根拠があるのではないかとのことでした。
ウェストミンスターは、死んだら『魂』は天の高みで終わりの時に(墓場で朽ちた)肉体の贖いを待つと、明確に魂と肉体の分離を語っています。
私の考えでは、たぶん、ギリシャの思想に根拠があります。
しかし、この思想はキリスト教に非常に影響していたと思います。
<AGIOSさん、Syakuraさん
レスありがとうございます。
改革派神学の影響ということですね。
そちらも少し勉強してみます。

いろいろレスいただいて思うのは、
キリスト教における歴史的な教理の変遷を
どう受け止めるのか、という問題なのでしょうね。
例えばAGIOSさんの言われたように、
神学者の言っていることと一般信徒の受け止め方がずれたり、
一般信徒の中で土着の宗教との混交があったりした時もあるでしょう。
またキリスト教の歴史においては、
聖書には含まれていないギリシア思想の影響が
実際とても強い時期があったでしょう。
そのような場合、そのような「ずれ」「混交」「影響」を
どう受け止めるのか。
一概に廃して「聖書に帰れ」とすべきなのか。
それとも「ずれ」「混交」「影響」を
聖霊の働きの豊かさとして受容していくのか。

わたしとしては「聖書に帰れ」と言いたいところですが、
そう単純に割り切れるものでもないようですね。
マタイの13章は天国の章とよばれています。
31節では、天国はからし種のようだと書かれています。
また、パン種だとも書かれています。
ここで、注目するのは「種」ですよね。
なぜ、イエス様は「種」を天国であるといわれたのか。

ルカ8:11に、「種」とは神さまの御言葉だとあります。
すなわち、マタイの13章にあらわれる「種」とは神さまの御言葉のことなんです。
おなじく、畑とはひとの心であるとあります。(ルカ8:15)

マタイ13:31のからしだねは成長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作る。そのような木が天国だとおっしゃった。
その言葉通りなら、クリスチャンが死んで、天国に行くのならば、それは木であるということでしょうか??

ちがいますよね。「種」が御言葉で、「畑」が人の心であるように、
神さまの御言葉が、人の心に植えつけられ、信仰が芽生えること。
そして、空の鳥のような聖霊(マタイ3:16)がそのひとと共に住まれ、
信仰が大きく成長する。そのときに、その人は天国であるというのです。

主イエスは十字架の上で強盗の一人に
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)

これは、死んでから行かれる場所が天国(パラダイス)なのではなく、
イエスさまの御言葉を心に植え付け、認めた故に、神さまの聖霊がともにおられることで
強盗のひとりが天国にいるといわれたのです。

つまり、神さまの御言葉を心に植え付け、認めたひとがてんごくであるのだと
聖書には書かれているということです。



主イエスは十字架の上で強盗の一人に
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)

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