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ヤマシタカンパニーコミュの小説 具のないカレー 未完成版

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深海の中を歩くような感覚、もうダメかもしれない。
一番素敵なものや、綺麗な夕焼け、涼しげな原色、靄のかかった野原、口数の少ない
黒髪の少女、校庭の桜吹雪、気持ちだけ通じたあの瞬間、世界は確実に存在した。
 
目を開けるとブラインドの間から微かな光を確認した。もう朝か。ベットの下に落ちた黒縁の眼鏡を右手で拾い、あらためて部屋の乱雑振りを確認した。微妙に香る酒臭さは、同期のシモヤマがどこかの国で買ってきた香料タップリの不味いウォッカだ。疲れは全くと言って良いほど抜けていないらしい。昨夜の酒は確実に愚酒だ。

渋谷から電車で20分程の駅ビルすらないしょぼくれた街、気が付けば住みはじめてもう二年が経とうとしている。新築の6畳トイレ、バス別で6万5千円はここら辺では大体平均相場らしい。無印良品で揃えたモノトーンの家具に初ボーナスの時、奮発して買ったイン・ザ・ルームの木目調のテレビデッキ、パソコンはマッキントッシュ、ベッドサイドにはターンテーブルとレコードの山、壁には外国人女性が不適な笑みで自分の性器をこれでもかと剥き出しにしている卑猥なカレンダー、クローゼットにはクリーニングから卸したばかりのシャツとビームスのロゴが入ったTシャツ、ジーンズはリーバイス、靴はABCマートで買ったナイキの新作、勿論色は白。髪型は短髪、ピアスの穴は薄皮一枚残してギリギリってとこだろう。
 実家は富山で自営を営み大学進学と共に上京、卒業後、中堅証券会社に入社。今年で四年目の27歳10ヶ月だ。まぁ世間で言う所の多感な年頃だ。
 普通というセオリーがあるなら僕は正しくそれにあたる。女性遊びも程々したし、風俗も浮気も万引きだってしたことがある。でもそれは好奇心からの行動というより、しておくべきスタンスの一種に過ぎない。そこには価値もへったくれもないただの虚無感の渦だ。でもそれは世間の若者がiPodを買うようシタホウが歩幅が均等になるいわば儀式。
出れば打たれ、出なければ相手にされない。そんなマイノリティに成る程とんがる必要もないし、熟成した先進国にそんなものは売ってない。
 「ただそれだけだ。」

吐き気を押し、会社に着くと、遅刻常習犯のシモヤマが珍しく机をふいていた。
「おはよう。昨夜はどうも。あのウォッカのおかげで最高の目覚めにだったよ。」
僕はしかめ面で言い放った。
「おはよう。スーギー。昨日はおつかれ。てかなんか寝ちゃったからさ、先に帰ったよ。ていうか、昨日さ凄いこと思い付いちゃったんだよ。昼飯食う時いうよ。まじすげぇ
からいつもの蕎麦屋に十一時四十分集合よろしく。」
「あっあぁ、そうなの。シモジマの凄いことは大体凄くないけど、わかった。その顔はなんかありそうだし、じゃあ昼飯楽しみにしてるわ。」
シモジマのむくみ顔は江ノ島に捨てられているネコみたいになんだか愛嬌があった。

証券会社の朝は早い。上司も部下も七時半には大体新聞を読み終え、机に座ってその日の相場状況を予測している。米国市場動向、国内市場動向、為替、原油価格、先物市場動向、金価格、言い出したらきりがないが、その日の天気から人気ドラマの視聴率でさえ、相場動向の理由になるのだから、情報は膨大だ。前場開始の九時までがその日一日の明暗を決める。そしてお客に売買相談という形で売買を推進し、手数料で稼ぐ。悪く言えば競馬の予想屋、良く言えば金融資産コンサルティング。一番大切なことはお客との信頼関係の確立で命の次に大切なお金で人は信じられないくらい豹変する。実際トラブルはない時の方が少ない。どの営業員も何かしらお客の理不尽なクレームで頭を悩ましている。一昔前の統計では一番早死にする職業一位が証券会社だったそうだ。僕もその早死候補の一人であることは仕事の厳しさからあながち分からなくもない。カッコよく言えばバリバリの社会人、悪く言えば会社の消耗品だ。

前場終了の鐘がなり、ほとんどの営業マンは外回り兼昼食の為、外出をする。殺伐としたフロアーが一見して静まりかえり、電話番を任された新人が一人パソコンで株価を調べていた。
「杉沢さん、外回り行かないんですか。」
新人の竹中がとぼけた顔して尋ねてきた。
「今日は特にアポもないし、シモヤマと飯食いに行く予定なんだよ。」
「あっそうなんすか。シモヤマさんすか。いいすね。楽しそうすね。」
「なんか面白い話があるんだってよ。」
僕は机の上にある手垢だらけの四季報をパラパラとめくった。
「あっあれっすか。あの巨大なイカを見たって。二子玉川の河川敷でバーべキュウしてたら、突然川から出てきて三時間の格闘の末、勝利してホイル焼きにして食ってやったって。」
「それ俺のときは、巨大なまずだったけど。あいつその話みんなにしてんだな。」
「それで俺そのイカの味はどんなんだったんです。って聞いたんですよ。そしたらなんて言ったと思います。」
「イカだけにイカスとかくだらない事どうせ言ったんだろ。」
「不正解です。正解はイカだけに遺憾です。」
竹中は得意げに言った。
「俺はそんなお前に遺憾だよ。じゃあ俺そろそろ行くから」
「そんな待ってくださいよ。今日電話ならないし、暇なんですよ。」
「じゃあ推奨銘柄でも研究してろよ。」
 そう言って手垢で汚い四季報を竹中に渡した。
「あと折り目の付いていた企業の殆どは良い会社かも知れないけど、お客は買ってくれないぞ。変なカタカナの会社名でIT関連とかは事業内容が理解しづらいから年寄りには無理だ。」去り際に付け加えた。
「あっはい。ありがとうございます。なんとなくそんな気がしてたんです。」
竹中は手で頭をかきながら、苦笑いをした。

竹中と会話をするとなんだか落ち着くが、三十分以上話すとこちらが飲み込まれてしまう。竹中は四歳下の後輩だが、本社の毎年新人採用を見送っていた為、僕にとっては唯一の後輩だ。実際のところは、僕も十年ぶりの新人ということで入社したし、先輩は十歳年上の課長だ。プライベートな話などもちろん合うわけが無い。カラオケの歌だって学生の頃好きだったアイドルの名前だって、酒のつまみにはならない。十人いた同期も今では三人、竹中も同期はもう二人しかいないと言っていた。最近は求人も増えていたし、IT企業のような若く勢いのある会社に憧れる若者も増えてきている。こんな泥臭い仕事は人気がないはずだ。そんなことを考えている内に、待ち合わせの店の前ではシモジマがちょうど自転車を止めていた。
「シモヤマ、お待たせ。」
「おうスーギー。間に合って良かったよ。お客のじいさんがなんか駄々こねてきてさ、戦争の話を三回も聞いちゃったよ。ていうか、戦争中は白米なんてろくに食べられなかったんだってよ。そんな話を俺にしてどうすんのって。俺だから言ってやったんだよ。今は飽食の時代。とうもろこしがガソリンの代用品に変わってるんだよ。それに白米が食べられなかったとか、そんな話飲み屋のねぇちゃんとかに言ってたらモテないよって。そしたらさ、コロっと態度変えてさ、真剣に俺の話聞きだしてんの。もう疲れたよ。なんだよ、あのエロじじい。いつまで現役だよ。」
シモジマはしかめっ面で暖簾をくぐった。
蕎麦屋の店内は意外にも空席が目立った。お昼時は結構繁盛しているらしいが、蕎麦の味は決して美味しいもんとは言えない。しかし、自称美食家のシモヤマはお気に入りのようだ。
「それはまた大変なお客だったな。でも実際そんな客ばっかりだよな。」
「そうだよ。日本のお金の殆どはそのような方々が握ってんだから、そんな方々のご機嫌をどれだけ取れるかが、営業マンの腕ってもんよ。」
「それで何かやってくれるって言ってたのか。」
「そうだな。今月のノルマはお蔭様で達成したかな。」
「さすがだな。シモジマのその営業トークは唯一褒めれる所だな。参考にはしないけど。」
「実際、証券会社は勝てば官軍の世界だ。手数料をとってくれば、どんな奴でも出世できるし、高給取りになれる。最近は金融法などで変わってきてはいるけど、大手以外は大体そんなもんだ。だから俺はとにかく稼げる間に稼いでやる。」
シモジマは満面の笑みでメニューに目を通しながら言った。
「とりあえず、先週までノルマ達成できないようって泣きそうになってたシモヤマ様の変わり身の早さとやる気と熱意は伝わったけど、今朝言っていた面白い話ってなんだよ。」
僕は水を一口飲み聞く体勢を取った。
「では、話の前に一言。これから言うことは壮大な計画だ。絶対に口外しないこと。そして笑わないこと。これらを約束してもらいたい。なんて言ったって人生が変わることだからな。いや、世界が変わるかもしれない、いや、宇宙規模かな。まぁそれでどうでも良いんだけど。」
シモジマの目は気持ち悪いくらい真剣染みていた。
「なんかマルチ商品とかねずみ講とか宗教系の話とかそんな話ならお断りだけど。」
杉沢は疑いながらも、興味深く探った。    
「シャラップ。俺をみくびるなよ。そんな話は嫌というほど聞いたことあるわ。そんな下世話な話じゃない。俺がこれから青年実業家になるって話だ。」
勢いづいた拍子にテーブルの上の醤油が少しこぼれた。
 「俺はこの仕事をやっていてうんざりするほど金持ちって奴を見てきた。それで感じた事は、俺はこのままじゃ、あちら側の世界、いわゆる金持ちには絶対になれない。お客側には一生立てない。一生こんなもんだ。俺のうっすら夢見てる将来像には決してなれない。現実を直視すれば誰だって分かることだろ。そんな中、俺は毎日なにやってんだって、ほんと切なくなっちゃってさ。大体この仕事をやって俺の理想の人生プランニングは貧相なもんになったし、それが現実なら真実はただ一つ。転職か起業だろ。それしかないし、それしか思い浮かばない自分に正直がっかりだ。確かに今の仕事を極めればまた違った世界が広がるし、視界も変わってくると思う。結婚もして子供もできれば責任感と喜びという大切なものも生まれるかもしれない。けどよ、同じ年した奴らが高級な車に乗って、六本木辺りでワイン飲んでる時に片一方では大衆居酒屋で安い焼酎飲んでる奴らがいる現実。それは確かにその分そいつらも苦労しただろうし、勉強も人一倍して掴んだのだろうからなんの文句も無い。いや公平な社会と言えばそうだろう。だから俺が何を言いたいかって言えば、じゃあ俺もそろそろ人生の勝負を仕掛け始めても良いんじゃないかって思ってさ。スーギーはどう思うよ。実際のところマジで、昼から本音トークや。」
シモジマはタバコを灰皿に激しくこすり付けた。
「なんか昼からどうしちゃったのって感じだけど、俺はどう思うって言われても、金持ちにはなりたいし、セレブに憧れることはあるけど現実を考えると多分無理なんじゃないかなって思うよ。考えただけでも難しそうだし、そんな簡単なことなら誰だってやれるし、楽して稼げる職業は悪いことしないとないよ。それにテレビの見すぎだと思うよ。現実はそんな甘くないし、そんなの無理だよ。ビジネスプランとか資本金とか現実にあるの。」
僕は子供の夢を引き潰す大人のように平然と言った。
「そんなものない。いや、まだ無いだけだ。けどそういう道に向かってこれからは生きるっていう宣言だよ。こんな使われるだけの人生もう嫌だ。」
「それは思春期の悩みみたいなもんだよ。そんなもの。俺だってそんなの思ったことあるし、テレビとかに出てるIT企業の成功者とかセレブとかそんなもん虚像だよ。現実は失敗してる人間はごまんといあるよ、無理だって。」
「そんなことは百も承知だよ。だからこそこの独身の内に体の動く内にやるんだろ。結婚したらそんなことできないし、そんな冒険できない。」
シモジマは水を一口で飲んだ。
「そこでだ。スーギーには力を借りたいんだ。俺はお前のその営業力と誠実さが欲しいんだ。」
「そんな事言ったってなぁ。今すぐはなんとも言えないよ。」
両手を広げ、僕は言った。
気が付けばお互い注文するのも忘れ、話し込んでいた。
「とりあえず、飯を食おう。」
シモジマはもう少し話たがっていた。

夏の始まりにそれは起こった。
僕は生温い夜風を浴びながら自転車で家路を急いでいた。帰宅中に彼女のサヤに電話をする事が毎日の習慣であり、愛情の確認になっていたが、その日の電話は上の空だった。正直、彼女の会社での愚痴に付き合うことにうんざりしていたのもあるが、その日はそれよりも場中に竹中が言っていた言葉の方が気になった。

その日は、後場の開始の鐘がなっても株価にろくな動きはなかった。月末ともあり、ノルマをクリアした営業マンは特に売買をさせる事も無く、パソコンで株価を調べえるフリをしながら、関係ない芸能サイトなど見ている者も少なくない。そんな最中、コピーを取りに来るフリをした竹中が話しかけてきた。
「杉沢さん、シモヤマさんの話聞きましたか。」
最近営業成績が上向いてきたせいか、竹中の顔は精悍としていた。
 「なんの話。聞いてないけど。」
パソコンから目を離し、上司が見てないか確認した。
 「あれ、知らないんですか。杉沢さんならとっくに知ってるかと思っていましたけど。」
 「最近、そういえばあいつから連絡ないからな。なんだかんだ忙しかったし。」
 「じゃあ、本人から聞いてください。」
 竹中はそう言うなり、コピー用紙に目をやり、自席に戻っていった。
竹中の意味深な素振りに多少気になるものの、再びパソコンに目をやった。
その時、社内電話で連絡することも可能だったが、先日の話以来、シモヤマとは疎遠になっていたのも事実だ。それはシモヤマが避けているというよりも、僕が面倒なことに逃げていたともいえる。それは僕の心の中を全て覗かれたような気恥ずかしさに感じたからかもしれない。将来に悩み、不安を覚えるのは僕らの世代だけの専売特許ではない。死ぬまで続く代物だろう。小学生だって老人だって人生に恐れを抱いているはずだ。だから正面に立ってそれらに立ち向かうことを避ける。流れを一端作ったらその流れからはみ出すことは労力がいる。それは暗闇を恐れるよう、目が慣れるまでそこに入り込むことはできない。ただ過ぎる日々が永遠なのだと思うしかない。僕はそういう人間だ。

彼女との電話も終わり、自転車に乗ろうとした時、電話が鳴った。相手はシモヤマだった。僕はでるかどうか正直悩んでいた。シモヤマからまたあの話を聞くのは正直つらいし、面倒だという気持ちがあったからだ。しかし、心のどこかで惹かれている気持ちもあった。人生が変わるかもしれない話に僕は夢を抱けるかもしれない。事実、シモヤマは誰もが無理だと思っていたことを平然とやりこなす時がある。だから怖いのだ。
着信音は六回目に切れた。僕は人ごみを避け、小さな公園のベンチに腰をかけ、電話をかけた。今日はとりあえず受け流そうと心に決めていた。
 「もしもし。」
シモヤマは三回目のコールで電話に出た。
 「もしもし、シモヤマか。久しぶりか。最近忙しくてよ。」
動揺のせいか少し早口気味だった。
 「あぁわりぃね。忙しいのに電話しちゃって。」
シモヤマは若干酔っていた。
 「あのさ、スーギーに話があるんだけど、もう誰かから聞いちゃったか。」
 「竹中が場中になんか言ってたけど、詳しくは聞かなかったよ。」
 「あぁそうか。さすが竹中は早いな。」
シモヤマはいつもとは違う大人びた口調だった。
 「なんかあったのか。」
僕は言った。
 「俺会社辞める事にしたよ。」
シモヤマはさらっと言った。それは営業で契約を獲得した時のふざけた声とは、程遠い精彩で爽やかな声だった。
 「俺やっぱり会社辞めて、先日言っていた件を真剣に考えてみるつもりなんだ。いきな   りだけど、もう決めたことだし、昨日上司には報告してきたよ。上司はなかなか納得してくれなさそうだけど、もう決めたし後には引かない。だからスーギーにはいちよう言っておこうと思ってさ。」
僕は驚愕し、話の内容の半分も理解できなかった。また一緒に起業しないかとか誘われるのだろうと言われると思っていただけに、会社を辞めるというのは理解の範疇を超えていた。
 「シモヤマ、うそだろ。その話。」
僕は言った。
 「うそじゃないよ。本当だ。明日には会社中に広まってると思うよ。」
シモヤマは基本的に嘘とわかる嘘しかつかない。いや、つけないのだ。それに入社時から知っている僕にはその位見抜ける。これは本当だ。
 「シ、シモヤマ、おまえ大変なことだぞ。というか何で上司に言う前に俺に相談しないんだよ。それになんでまた辞めるんだよ。おまえは同期の星とまで言われてるし、あんなに上司に可愛がられているのになんでだよ。次の仕事どうするんだよ。おまえ彼女のナナちゃんには言ったのかよ。あの子なんて言ってたんだよ。」
 僕は立て続けに問いかけた。蚊が来ようが人が見てようが関係なく捲くし立てた。
 「おいおい。そんな一遍に質問するなよ。とりあえず、いつもの居酒屋、今から来れるか。」シモヤマは落ち着いていた。
 「だっ大丈夫だけど。とりあえず今から行くよ。」
電話を切った後、僕は自転車に乗り強く漕いだ。
心の中は複雑で整理できなかった。川の流れが急に早くなったような、単調な日々の刺激がこんな形で訪れた。好きでもない子に告白されて断ったものの、逆に気になってしまうような、なんだか胸の鼓動がこだました。「辞めてどうなる。」「それに俺への誘いはどうなったんだ。」僕は急激に寂しくなった。
居酒屋はシモヤマと僕の家の丁度真ん中にある。僕らは週に三回はそこに行く。そしていつもの焼酎と季節の料理を必ず頼む。そこは決して安い店ではないが、料理の味は金額以上の物がでてくる。シモヤマが若いうちに良い物を食べておけば、将来恥をかかないという自論から良く行くようになったのだが、お陰で体重は学生時から十キロほど増えた。
店に着くと、カウンターでシモヤマが一人で焼酎を飲んでいた。
「よう。遅いぞ。」
シモヤマは白いシャツにコーディロイのパンツを履いていた。
「シモヤマ、びっくりしたぞ。本当かよ。」
「あぁ本当だ。」
真夏の夜のせいなのか、シモヤマからは何か妖艶な雰囲気が漂っていた。
 「とりあえず、立ち話もなんだから一杯頼めよ。」
 「そうだな。」
僕は生ビールを頼んだ。行きつけのせいか店員はみな顔見知りで、僕と分かると皆にっこり微笑んでくれる。サービスの行き届いた店はそうそう見つかるもんじゃないが、ここ
偶然見つけたいい店だ。シモヤマの嗅覚は伊達じゃない。
 シモヤマは終始無言だった。それは時間というものがこの世に存在しているのかとさえ疑う揺ったりと曲がりくねった空間だった。彼は時より人差し指でグラスの淵を優しく撫でていた。
 頭の後ろでは注文の声が飛び交う。客と店員のかけ声が二重奏をかもちだしている。ここが場末の居酒屋だろうが、銀座の高級キャバクラだろうが人声がその店の雰囲気を作り出す。今日は月末の金曜日。店が一番盛況なメロディをかもちだす時間だ。その中に無言の僕たちは確実に浮いた存在だった。

僕は躊躇いながらも口を開いた。
「辞めるのか」
精一杯の言葉にしてはあまりにも貧相だった。
「あぁ、さっき言っただろ」
シモヤマの視線はうつむきグラスの中の氷をじっと見ていた。
「随分突然だな。良く考えたのか。」
僕は探るように尋ねた。
するとシモヤマは突然身を乗り出し、充血した瞳で僕を見た。
「俺はこの件を一年前から考えていたし、スーギーにも何度も相談してきた。スーギーいつも真剣には聞いてなかっかし、俺も真剣には話してはいなかった。スーギーは一年に百回は辞めるって言っていたが、俺は今回初めて辞めると言った。それは何回も同じ言葉を放つと言葉自体が軽くなるからだ。だから俺は大事にとっておいた。好きな女にも愛してるとなかなか言わないように。大切な言葉は取っておく、それは俺にとっては生きる上でのルールであり、こんなちっぽけなプライドが俺には何よりも大切なんだ。だから俺は今とてつもなく興奮しているし、心臓の音が聞こえる位緊張している。でもそれが今すっげぇ気持ちいいんだ。」
そう言うとシモヤマは立ち上がり焼酎を一気に飲み干した。
僕は何も言わずそれを見ていた。
「今夜は祭りじゃ」
シモヤマは両手を広げ叫んだ。
僕はやっと笑顔になれた。
今夜は長くなりそうな気がした。

 シモヤマは緊張と緩和の使い分けが天才的に上手い。大体そのテクニックに心動かされる。だからこいつは誰からもモテるんだ。正直、僕は彼が羨ましい。学歴も営業成績も家柄だって特に変わる所はない。僕は真面目に生きてきたし、無難な毎日を送ってきたつもりだ。でもシモヤマはどうしょうもない位の女好きだし、貯金もないし、営業成績にはムラがある。とても真面目で誠実とは言えない。いつも明るく振る舞っているかと思えば、どうしょうもない位ネガティブな日もある。誰にでも優しい時もあれば背筋が冷たくなる程怖い時もある。
 彼はいつもバラバラになったパズルの状態で僕の前に現れる。僕はそのパズルの1ピースを手に取り、色々な組み合わせを考えて当てはめていく。決して完成する事のない不揃いなそのパズルを僕は子供のように無邪気にはしゃぐ。永遠にこの時間が続けば良いのにとさえ思う。そんな僕をシモヤマは子供をあやす大人のように、いつもも何処かで距離を置いて見ていた。僕が駄々を捏ねようが、泣こうが、わめこうが静かに微笑み離れていく。夏の終わりがいつの間にか過ぎていくように、ノスタルジックな情景を脳裏に漂わせた。
 
 
 
 

 

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