ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

パリ・ヨーロッパを愛す会コミュのパリ人の思い出

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
パリっ子は冷たい、って言われませんか?
英語で話しかけたら、フランス語で返されたとか。

そこで、パリ人の思い出を。

1.地方都市から夜中近くにパリに到着。ホテルを
 探し、コロコロを引きながら街中をうろうろしてたら
 男の人に声をかけられた。怖いか?!と思いきや
 「あっちに安いホテルがあるよ」と教えてくれた。
 親切じゃん。でも、女としては私失格?

2.せっかくなのでおしゃれな街パリで髪を切ってみた。
 でも言葉が通じなかったので、こんな風に、という
 カンジでお店にあった雑誌の髪型を指してみた。
 前髪がものすごーーーく短いところも、分け目が私の
 今までとは正反対だったのも、ちゃーんと見事に
 忠実に再現してくれた。もちろん、めちゃくちゃ
 日本人顔の私には似合っていなかった。わりと正確?
 でも、似合うかどうかは問題にしてくれないのね。

みなさんはどんな思い出があるのだろう。

コメント(10)

私のパリ人の思い出は…

観光客が訪れることなどないような、
裏通りのカフェで昼食を頂くことにしました。
片言の私のフランス語を考慮してくれたのか、
カフェの年配のギャルソンは、
フランス語と英語を取り混ぜて喋ってくれました。
お料理が運ばれてきた後も、
食事が終わるまでほとんどお喋りしていました。
食後のデザートを奢っていただいたし、
とっても楽しい暖かい年配ギャルソンでした。
また行ってみたいけど…二度と辿り着けそうにありません…。

チュイルリー公園のベンチでボーっと休憩していたら、
どうみても10代の男の子グループがやってきて、
いわゆるナンパされました。
彼らは高校生で、バカロレア受験の勉強中だとのこと。
私がフランス語と英語を取り混ぜて話すと、
英語の部分だけわからないフリをするんです。
バカロレア受験しようとしている人が、
これくらいの英語をわからないわけないでしょ!!!

他にもいろいろと優しくされた思い出や、
冷た〜くあしらわれた思い出や…。
 あざらしさん、ようこそ。あざらしさんがパリにいたとは知りませんでした。
 あざらしさん、サラさん、ご感想ありがとうございました。私はパリに3年程住んでいましたので、沢山の思い出があります。
 パリっ子は英語を話したがらない。当時、私は主にアメリカ人を友達にもち、あまりパリっ子の友達はいませんでした。パリにはいやな人も素敵な人もいました。でも一般的にパリっ子は「冷たい」とは感じませんでした。問題はパリっ子と友人になれるかどうかで、友人になれたら、あまり冷たい扱いは感じませんでした(当然ですよね)。
 当時(今でもそうですけど)私のフランス語はひどいものだったので、主に英語でパリっ子と会話をしていました。その場合、私の英語に対してフランス語で話しかえされることもありました。「英語はしゃべりたくない!」ということだったのか、英語がしゃべれないからフランス語でしゃべっていたのかははっきり言って分かりませんでした。
 でも8月になると、急にパリでは英語の会話がやたらと耳に入りました。それも当然。8月になるとパリっ子の多くは地方や海外にバカンスに行きます。ですから英語圏からのパリへの観光客の英語の会話が耳み入ってきたのです。
 最も影響を受けた青春時代。今パリに戻っても当時が再現されないことは分かっていますが、また行ってみたいです。
いいなぁ。わたしは旅行でほんのちょこっと
滞在していただけなので、深部はまったくわからないのです。
saraさんのような素敵な出会いがあったらよかったのにな。
パリ屋さんみたいにお友達ができたらよかったのにな。
また行く機会ができるといいな〜
あの頃は私も若かったから…。
今だったら相手にもされないでしょうね。

またフランスへ行きたいです。
今度はもっと長く滞在したいです。
でも、長く滞在するならまた南仏がいいなぁ…。
パリは2週間くらいでいいかも…。
 ええと。まずSaraさんの「あの頃は私も若かったから…。今だったら相手にもされないでしょうね。」。そうかな?若いほど自分をアピールできることは認めますが、10年20年後どこで誰に会えるか分からないですよ。そしてあざらしさんの 「お友達ができたらよかったのにな」。そう。できない時もありますが、次回はどうなるか分かりませんよ。私の経験では出会い(恋愛に限らず、友達に関しても)を求めるほどその出会いがなく、無意識に出会いを求めなくなった瞬間どういう訳かその「出会い」に出会える。特にパリはそういうところじゃないかな?この哲学、夢だとは思いたくないです。
若きころ、思い出しますわ。写真はソルボン大学があるラテン・クオーターというパリで若者が集まる地域。当時あまりクラブへは行っていませでしたが、クラブへ足を運んだときは写真のように盛り上がっていました。あまりライブハウスはなかったけど、数少なかったせいか、訪れたライブハウスはいつも盛り上がっていました。フランス語があまり出来ない私でも、盛り上がっている雰囲気は把握できていました。
今気づいたんですけど、ラテンクオーターのクラブで踊っている皆様方、ちょっと年とっていませんか、若者としては。私がそういうことを言う資格ないけど。
大恐竜展さんの所感についての私の所感ですが、
こちらがフランス語を話そうとしているのを感じてくれると、
相手も一生懸命聞いてくれて、
英語に切り替えてくれることが多かったように思いました。

私はいきなり相手に英語で話し掛けたことはなかったけれど、
大学の寮で一緒だった日本人の女の子が、
「いきなり英語で話し掛けると無視されたりフランス語で返される」
と言っていたのを思い出しました。

で、大恐竜展の英語ですが、
私からすればあなたはかなり英語を話せると…。
フランス語に関しては、
同じように学んだはずなのに何故あなたはそんなに話せるの…?
書き込み遅れて申し訳ありません。私の場合はあまりフランス人の友達がいなかったので、フランス語を話す機会があまりなかったことを覚えてます。父に「もう少しフランス語を習え」と言われてパリのアリアンス・フランセーズに通ったことは通いましたが、全くといいほど気合が入らなくて、今になってもっとフランス語を学んでいたらと思います。この「やる気のなさ」は私の態度にも表れ、私のボロフランス語がちょっとピンチを迎えると私の方から「excusez-moi, vous parlez anglais?」(申し訳ありませんが、英語話せますか?」)と聞いてしまう悪い癖がありました。本当のパリっ子と付き合っていたら、違っていたかも・・・でもこんな考え方言い訳に過ぎません!今思い出せば非常に貴重な時間をあまり有効には使いませんでした。家では父と英語そして母とは英語と日本語。まあそのおかげで日本語忘れずにすみましたけど。でもパリのフランス人ってその当時あまりイギリスやアメリカを好んでいないかった感じがしましたが、私には非常に礼儀正しく可能な限り英語で会話をしてくれました。アメリカンスクールに通っていたこともフランス語が上達しなかった理由のひとつですが・・・でもこれも言い訳に過ぎない!

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

パリ・ヨーロッパを愛す会 更新情報

パリ・ヨーロッパを愛す会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング