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スピリチュアル ジョン平野コミュの粘土

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Play Doh(粘土)

ある朝、YMCAのロッカールームで二人の男の人が大声で話しているのを、何気なく聞いていました。

一人の人が友達に「どうだい?自制してるかい?」と、挨拶をしました。

もう一人の人は「出来る限りの事はしてるよ。」と言って応えました。

私は、サウナの中で座りながら、今聞いた会話について考えていました。

仲間に対して、「自制してるかい?」と言う尋ね方は、珍しい事です。

私たちは、自己確立するように育てられた社会の中にいます。私たちは、管理下の中にいるのが好き

です。私たちは、無秩序な事、変化、または妨害が入った時の対処は、あまり得意ではありません。

管理下にいる事の問題は、厳格で、柔軟性に欠け、そして変化に対して対応出来ないことです。

スイスの話を覚えてますか? スイスはかつて世界が誇るお金によって買えうる最高の時計を

作り出していました。スイスに、電子時計が紹介された時、彼らはそれを取り入れる事を拒否しました。

その為、日本が彼らに代わって世界で一番時計を作る国となり、そしてスイスは時計を作る

会社としては衰退して行きました。

私たち人間は、自分たちが自分の運命の支配権を持つ者と信じる傾向があります。

私たちは、神様が本当に私たちの人生に関わり、私たちを成長させてくれるのを

助けてくれているとは、信じてはいません。私たちは、神様の創造の手に委ねるよりも、

自分の人生は自分で管理しようとします。

チャールズ・W エリオット教授がハーバード大学の学長であった時、

彼は新しい哲学のホールの為に行事を行いました。彼は、入り口の所に飾るのにふさわしい

碑銘を探していました。彼は、職員を呼んで審議を重ねた結果、夏までは見合すという形で、

良く知られているギリシャの言葉「人は全ての物のものさしである。」にする事に同意しました。

秋に学校が再開された時、学長が他の碑銘に決めてしまった事に彼らは驚きました。

「人は全てのものさしである。」と言う人が中心である碑銘に代わって、彼はThe Psalms(旧約聖書の

一書)から、もっと遊び心のある碑銘を刻み付けました。彼は、「神様が心を留めてくださる人とは

何か?」と言う言葉を選びました。

エレミヤはイズラエルの民に言いました。「まるで陶工の手の中にある粘土の様に、

あなたもイズラエルの家である私の手の内にある。」言い換えると、神様は私たちの周りで起こる

変化に適応する為に、型取ったり、形成したり、やり直したりする過程において、まるで粘土の様に

私たちに柔軟で融通の利くものになって貰いたいのです。わたし達の本質は、神様の手の中にある

粘土なのです。しかし、私達はマスターである陶工に逆らっているのです。

そして、神様が何も無い所から何かが作れると言う事を、私たちが信じようとしない事で、

神様は私達に失望させられるのです。私達は、結果として神様がして欲しい事よりも、

わたし達がしたい事をするのです。

私は、砂漠地帯を運転している時、とても厳しい風の状況の中に立っている木々を見ました。

それらの木は、彼らの存在の状況、環境に任せる必要があるだろうにと考えたのを覚えています。

私の子供が小さい時、彼らにとって粘土で遊ぶ事はとても楽しい事でした。何時間もそれで遊んで

いました。彼らは、最初は少しだけ取って指でコロコロさせていました。少しすると、それはいも虫

になりました。それから、彼らは違う色の粘土を取り、同じ事をしました。

しかし、その内飽きてしまいました。私が知る前に、彼らは全ての色の粘土を取って、

全て一緒にしてしまいました。最後には、色んな色が混ざり合った大きな塊となり、

子供たちは自分が作り上げた物に満足していました。これは、単色で作った虫よりもずっと彼らに

とってはわくわくする物でした。私の子供たちは、私がエレミヤの解釈をしたよりも、

より良い仕事をしたと信じています。彼らの創造物を、単一、独創性の無い、面白みの無い粘土の

塊と見るより、彼らは色んな色の混ざった丸い塊を作り,それにとても満足しているように見えました。

私の一番下の子は混ぜた色を元に戻せないのを知った時、彼は泣き出したので、私たちはもっと

粘土を買いに行きました。

もしも、あなたが陶工の仕事を現場で見た事があるのであれば、彼は最初赤い粘土を取り、

平板の上に乗せ回転させ、彼の手を使ってその粘土を形付けて行きます。

その内それはおわんの様な形になり、やがてすぐに花瓶へと変化して行きます。陶工は、

全ての未完成と思われる所がなくなるまで、愛情を持ってそれを形付けていきます。

そして、最後に美しいデザインを締めくくりとして付け加えます。彼が作り出した全ての作品は、

粘土の塊から美しい芸術品となる為の過程を通ってきます。

最近、私はマクドナルドの宣伝が健康的メニューを奨励していると聞きました。マクドナルドが以前

ハンバーガーとポテトしか売っていなかったの覚えています。しかし、彼らは市場に合わせて

行かなければならない事、社会が求める物に合わせられる様に、彼らのメニューを常に変えて

行かなければならない事を学びました。やり方を変えなかったスイスの様ではなく、マクドナルドの

会社は流れに沿っているのです。

私が20代の頃、単位を取る為に大学で一生懸命勉強しました。大学を卒業した後、最初の10年は

全てのビジネスに関わる幾つかの違った部署につきました。しかしながら、神様は私に違う計画を

持っていました、しかし、私は神様が用意してくれた方向に行くのを少しの間拒否していました。

最終的にあきらめて、家族や社会的影響によって作られた道を行くのではなく、神様が私を

導いてくれるのに任せました。結果として、牧師としての経験の中でとても恵まれています。

現実を見て下さい。私たちの殆どが決まりきったやり方の中で生きています。私たちは、

慣習の産物であり、慣れ親しんだ伝統に帰し、知られたパラダイムに沿っています

。歴史は私たちに、新しい結果を生み出して来た冒険家や危険を冒してでもルールを曲げてきた

人々について語ってくれます。時として、それは故意的に、そして時としては偶然にそれは起こります。

ジョン・マクッスウエルは、イギリスの二つの学校の間で行われた本当に起こったサッカーゲームの

話をします。ゲームも終わりそうな時、経験よりもやる気がある男の子が、初めてゲームに

参加させてもらう事が出来ました。その男の子は、全てのルールを忘れてしまって、

特にプレーヤーはボールを手で触れてはならないと言うルールも、ボールを拾い上げるとゴールに

向かって走り出しました。審判は戸惑い、そこにいたほかの選手たちはただ呆然と立ち尽くすだけ

でした。しかし、観客は少年のやる気にと彼の行動によって楽しませてもらった事に、

立ち上がり拍手を送りました。この事は、完全にそのゲームの結果を駄目にしましたが、

結果として新しいゲーム:ラグビーが生まれました。時として、自発性は驚くべき結果を生み出します。(from something Else to smile about by Zig Zager)

陶工の手の中で、粘土になるのはそんなに簡単な事ではありません。変化は、私たちに恐れを

与え、私たちはいつだって何か新しい者や違う者へ自分たちが成長して行くとは見る事が出来ません。

親は、子供が巣を離れて行くのを調節しなければなりません。パートナーは、人生の違う場面を

お互いに調節して行かなければなりません。コミュにテーは、近隣の人たちの変化に合わせて

行かなければなりません。国は、彼らの文化の変化に合わせて行かなければなりません。

教会も変わって行かなければなりません。自分たちのやり方でいつもやろうとするのではなく、

神様に形作る人となってくれる様に。

沢山の人たちが、ある一定の状態になるようにとされているのは、私の経験でもあります。

彼らは、彼らの両親や社会などがイメージする様に生きなければいけないと信じています。

人類の殆どが常に「ジョーンズさんに追いつかなければ」と頑張っているのです。

不幸な事にこれは沢山の不幸せで満足の出来ない人々を作り出し、わざわざ言う必要は

無いですが、沢山の人を罪に陥れます。

ジョン・ウォルシュは、1945年にペンシルベニアのスクラントンと言う所で生まれました。

彼は、家族の中で初めての白化変種(アルビノ)として生まれました。幸運な事に、

彼の両親も友達も彼を普通の子と同じ様に接してくれました。誰一人として、彼に彼が変わっている

とか、劣っているとか言う印象を与えませんでした。学校では、少し違っていました。子供たちは

彼の事を「Whitey(白っちょ)」と呼びました。彼が、自分の事をちゃんと意識する事が出来るまで、

彼の成績は良くありませんでした。彼は、他にも問題がありました。例えば、彼は目が

あまり良くなく、黒板を見る為にはクラスの一番前の席に座らなければなりませんでした。

人々は、彼の事をじろじろと見ました。彼がアルビノの性で、歳よりも老けて見えました。その為、

映画を見に行くとしばしば大人の料金で払うようにと言われました。彼は、スポーツが大好きでした。

しかし、彼の視力が良くない為に上手にやることが出来ませんでした。彼は、頑張って、頑張って

やりました。それと同時に、勉強も一生懸命やりました。結果として、学校でよく出来るようになり、

彼はとても喜びました。彼が大学に行く頃になると、スポーツをするのではなく、書く事をする事に

決心しました。彼は又自分がアルビノである事に誇りを持ち、その事によって躊躇する事は

もうする事はありませんでした。ウォルシュは、自分がスポーツは出来ないけれども、

せめてそれについて書く事は出来る事に気が付きました。彼は、スポーツ編者になり

、多くの人が彼らの知る限りでたった一人の目の見えない編集である事をからかいました。

それらの意見は敬意の表れであり、彼が誰であるかと言う事を汚すような言葉ではありません。

ウォルシュは彼が誰であるかを知るために、幾つかの障害を乗り越え、

神様が彼にお与えになった物で彼が出来る事を学んだのでした。(スポ魂の為のチキンスープより)

私たちみんなが粘土です。未熟で、ごつごつで、不純な粘土なのです。最終的に最後の仕上がりを

決める事が出来る最上の陶工。私たちの役割は、神様に私たちの人生を形作って貰う事です。

多分、私たちが人生の段階を超えて行く上で、それらは形を修正していかなければなりませんが。

私たちが最大の可能性を生かし生きられる様になるように、神様がお仕事をされるのが私たちの願い

です。私たちが私たちの人生をコントロールするよりも、神様は私たちが形付けられるのを望んで

いて欲しいのです。私たちは柔軟でいる必要があるのです。私たち一人ひとりが、人生の最高の

陶工の手の中にいる、愛の労働者なのです。神様はいつも働いていて下さいます。そして、

神様の手はいつも私たちの上にあるのです。私たちが神様から離れるのであって、神様は私たちを

見放したりしません。私たちの人生は、私たちが望むようなものではないかもしれません。

しかしながら、神様は私たちを、神様の思う所の完璧な子供として作り上げてくれるだろうと言う事を、

私たちは信じる事が出来るのです。

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