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波照間島・照島荘のある風景コミュのムシャーマ その5【東組の道ズネー】

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写真
左=スッチョイ(2002年、東京都在住石丸さん撮影)
中=ウマムシャ(2004年、大阪府在住上田さん撮影)
右=マミドーマ(2005年、沖縄県在住西平さん撮影)
いずれも照島荘が参加している演目


波 東組(北部落+南部落)の道ズネー(仮想行列)
以下のパートに分かれて演じながら歩きます。
各組の出し物は微妙に異なっており、東組は以下の順での行列が基本パターンです。
「大旗」から「稲摺り」までは厳格に順番が決められているようで(理由は後述)、「六調」以降は年によっては前後しています。2001年は、「六調」がウマムシャーの後に来ています。また、2005、06は「久高節」がウマムシャーの前に来ています。

コメントに、各演目の写真を入れておきます。
東組以外のものも入っています。


双子座 大旗
「東」の文字と「太陽」の図柄あり、男子中学生くらいが持つ

双子座 ミルクナーリ
ミルクの実、竹に実ものをいっぱいつけている。男子児童が持つ

双子座 ミルクさまとミルクンタマー
男子児童が椅子持ち、女子児童は両手に粟、稲を入れたかごを持つ。後ろに白地に赤丸の小旗を持つ子供、親子たちが行列を作る。中にも、かごに入れた粟、キビ?を持つ童子が2人 。

双子座 「弥勒節」
構成はかすりをきた女性年配者(うち何人かはしめ太鼓を叩く)、地謡の男性年配者(9人が本式という)。ミルク節は9番まで謡う。

双子座 「かりゆし」
美しい衣装を付け扇を持つ女性2人と笠で踊る女児3人、男性地謡はかすりだったりワイシャツスラックスだったり。

双子座 「マミドーマ」
基本は16人、大人の男子2人が囃子を入れながら先導する。クワやビラを持って踊る。

*この周辺を、その時々のおもしろい格好をした狂言者役の男性1人が、一輪車、リヤカーに草花を詰んだものなどを動かしながら行列を前後する。「健康ど宝」などの立て札が立てられることも。

双子座 「稲すり節」
ひき臼を意味すう白い布持ち3人、稲1人、箕=ミジョーキー持ち2人、杵2人、俵枡持ち1人

双子座 「六調」
着物に花笠姿の女性4人。

*この周辺を「かつお釣り」1人がチョンダラーのように前後を動き回る。

双子座 「ウマムシャ(馬舞者)」
「崎枝節」にのせて、4ー8人が馬の型どりをつけて舞う。竹富町など沖縄各地で同様の踊りがある。照島荘のお客さんと地元の方の混合チームで出ることが多い。2002、2003年は、すべて照島荘のお客さんだった。地謡も照島荘。

双子座 「スッチョイ」
2000ー2003、2006年に出場。照島荘オリジナル。4人ー8人程度が、クバ笠を持って踊る。地謡も照島荘。盛り上げるため何かいい出し物がないかという打診があり、長野県出身のお客さんが「実は地元に秘伝の踊りがあるのですがー」といって始まった。地域のおばあちゃんが大喜びする。

*この周辺に「ブーブザー」といわれるミルクさんの夫がいて、ミルクさんの近くから後尾まで列の前後をあるきまわる。ししぶともいう。ミルクさんより前に出てはいけないらしい。

双子座 パーランク
パーランク踊りであったり、ポンポン踊りであったり、その時々による。親子で参加する場合が多いよう。

双子座 「久高節」
バソーかかすり姿の3人、エーク(櫂)を持って踊る。

双子座 「ボー(棒)」
ティンべー、なぎなた、鎌、なぎなた、なぎなた、なぎなた、六尺棒、なぎなた、六尺棒、ドラ、タイコ、ボラ、笛

双子座 「テーク(太鼓)」
道ズネーの最初と最後、午後の中庭では演舞がありますが、行列では笛の演奏と錬り歩きだけだったと思う。

双子座「 シーシー(獅子)」
獅子舞。草木をまとい獅子の面をかぶった獅子囃子も出る。

* 西組からは、仮面にツタの葉をつけた男女2人の神「フサマラー」が登場します。戦前は年3回行なわれるアミニゲーという雨乞いの行事で出て、木の枝で子供などをおっぱらったといいます。同じく西組から登場する「土神踊り」とは、雨乞いで関係があるのかもしれません。


 以上が原則ですが、前項で述べたように人口減や高齢化により、省略や簡素化されることも多くなっているようです。
 前半は農耕に関した豊作祈願です。北部落のばあちゃんは、この演目と順列は島の歴史を物語るストーリーなのだといっていました。ミルクのお供をする女の子が持つかごには粟と稲、童が持つかごには粟とキビが入っています。今はサトウキビが種たる生産物ですが、かつては島の民謡で謡われているように島では長らく米や粟など穀物が作られていました*。
 そのミルクさんからもたらされた種による豊穣をかりゆしで祝い、田畑を耕して(マミドーマ)米や粟が実り、それを稲すりで精米して餅や酒ができればれば六調で喜び、島は栄えて馬に乗った首里の役人に感謝する、というようなことを言われていました。
 後半のかつお釣りと久高節は、豊漁の祈念と感謝でしょうか。

*「沖縄八重山」校倉書房、1960では、当時は稲作、甘蔗栽培を中心として小麦・甘藷が栽培されていることと、明治36年に書かれた記録に輸出入貨物の種類として米、麦、粟、下大豆が掲げられていることが記されています。沖縄国際大学南島文化研究所「波照間島調査報告書」1982では、昭和46年の記録には田はないとされ、昭和40年前後にさとうきびに全面転換されたようです。豊年祭も米と粟の収穫祭です。かつて島では泡盛は米と粟で作っていたといい、アワモリの語源につながるのではないかと思われます。
 また、ミルクさんの後について太刀持ちのように少年が持つミルクナーリ(ミルクの実)は、五穀豊穣を乞い願う村びとたちの強い気持ちが肥大化したもので、他のの村落では見られぬ特異な行列(沖縄県立博物館「波照間総合調査報告書」1998)であるとか。

   

コメント(23)

2000年の照島荘道ズネー
この年から本格的な参加が始まった。
(大阪府在住、吉田さん撮影)
大旗(旗頭)
(2006年、大阪府在住杉山さん撮影)
ミルクさまとミルクンタマー
(2001年)
「かりゆし」
行列で最も華やかなので、3枚アップ。
左=2004年
中=2005年
右=2006年、踊り手は波照間小学校の先生です
「マミドーマ」
(2005年、沖縄県在住西平さん撮影)
キョンギー
道化役として行列の前後を歩き、盛り上げる
上=2003年
下=2005年
「六調」
(2002年、東京在住石丸さん撮影)
「スッチョイ」
左=2001年
右=2006年、部落の道ズネーに向かうところ
パーランク
子供たちで構成
(2006年)
「ボー」
演じ手に波照間駐在署の警察官・伊藤さんの姿も
(2005年)
「テーク」
演舞はせず、笛だけ鳴らされたはず
(2006年)
「シーシー」
(2002年、東京都在住石丸さん撮影)
西組「フサマラー」と土神踊り
左=2002年、東京都在住打矢さん撮影
右=2004年
2001年のムシャーマは私も参加しました。西組で「波照間のみんぴぃが」。沿道で見物するおばあたちの反応がとてもよかったのが印象的でした。照島チームの演目もみました。12番や13番の写真には見覚えのある人の姿もちらほら。
土神踊りは「南洋土人踊り」ですね。唄われているのは演歌師石田一松の1930年のヒット曲「酋長の娘」の1番の歌詞「私のラバさん、酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人」です。メロディもほとんど一緒。一方、土人たちの格好はフサマラーの雰囲気に近く、原型となった何かがあったようにも思えます。いつ、どのようなきっかけでこれがこのような形で演目に取り入れられたのか、以前から非常に興味があります。
終戦直後の沖縄芝居の劇団でどうもこの曲をやっていた劇団があったらしいという話をどこかで耳にしたことがあります。こういった劇団は離島も廻っていたので、もしかしたら劇団の離島興行などがあり、それをヒントにして演目に入れられたのか・・・
1960年頃の写真には彼らの姿がうつっていますので、少なくとも50年近く続いている演目であることは間違いありません。
yuduamiさん
もしかしたら、01年の西組みんぴぃがの写真、うちにあるかも。
土神踊りは、文字どおり「南洋土人踊り」だったんですね。僕も1960年ごろの資料で土人踊りを見ました。フサマラーとの関係か、戦前からの南洋移民と何か関係があるのか、劇団の巡業が定着したのか、興味深いですねー。初めてみたときは単なるアトラクションかと思ったものですが・・・

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