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熊本のまちづくりコミュの薩摩軍の敗走ルートと馬見原修景事業 

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薩摩軍の敗走ルートと馬見原修景事業 

 昨年夏から取り組んでいる、熊本県山都町馬見原地区の修景事業も、完成まで残すところ後半年になり、最後の12軒のまちづくり審議会への提出資料を準備しています。
 これまで、18軒の認可が下り、これから6棟の工事が進行しています。写真は、18年度の認可事業で手がけた、旅館「熊野屋」の外装の改修です。
 たまには、建築の話題もないと、ノグチは仕事してるのと言われるので、自前の仕事の話題です。


・薩摩軍の敗走ルート「霧立越え」

 最近、山都町馬見原地区は、西南戦争の薩摩軍の敗走ルートと言うことで、地元紙にその検証作業をやっている様子、シンポジム等々毎日載っていますが、維新後の武士たちの最後の抵抗ともとれる「西南戦争」から、130年が経ち、明治維新の評価を検証することが始まっているように思います。

 今年5月に、薩摩軍の敗走ルート「霧立越え」調査開始から10周年のシンポジムに参加したのですが、熊本の武士も沢山参加した史実もしり、西南戦争の一番の激戦地となった、田原坂、熊本城も含め、色々ところで戦闘が有ったことをあらためて知らされました。
 山都町の旧矢部地区には、「西郷隆盛を中心に軍議が開かれた」商家とか、途中の村々には、今だの亡くなって武士を祀る墓が点在しているとか知りました。
 当時の薩摩軍の熊本隊のリーダーの一人「佐々友房」の子孫で、現崇城大学(旧熊本工業大学)学長の中山峰夫氏(旧姓、佐々)と、数ヶ月前に西南戦争を語る機会があったのですが、敗走ルートのことは詳しくご存知でなく、「これから、検証が進んでいくのでは」と来たい寄せておられるようでした。

 維新の英雄、西郷隆盛の「西郷南州遺訓」に時々を通す中で、いかに「私利私欲」をすて、公のことに視点を全て向けて生きた人だと知らされます。維新回天の立役者で、悲運の最期を遂げた西郷隆盛は、やはり九州を代表する偉人の一人と思っています。 


・最近の馬見原地区
 馬見原地区は、九州山地の麓に位置し、かつては交通の要所として栄えた。今は、熊本ー延岡、阿蘇ー椎葉・人吉ルートの位置し、交通量の多い地区でもあります。冬は、最南端のスキー場「五ヶ瀬ハイランドスキー場」の入り口として、夏は登山客の宿泊地として脚光を浴びています。
 今回の町並み修景事業は、明治・大正期、昭和初期の風情を取り戻そうと、白壁づくりの町並みにと、10年前にまちづくり協議会を立ち上げ、100名近い町の有志が学び、他地区の見学等で育て構想して来たまちづくりです。
 昨夏から私も関わり、地区の歴史、文化にふれながら仕事続けています。

 かつて、若山牧水に「馬見原は、いとシャレタ街だ」と言わしめた風情に近づけるように、経験と人的ネットワークを使い、微力ながら完成へ奔走しています。
 来年3月には、30棟近い建物が、完成しますのでお近くにお越しの時は、ぜひ「馬見原」へお立ち寄り下さい。
 もう直ぐ紅葉季節です。完成間近の町並み路とすばらしい九州山地の自然を眺めに来てください。

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