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好きな人が死んじゃうコミュの俺のばあちゃん

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俺のばあちゃん、俺が2歳の時事故で母親が死んでしまって、その半年後に育児と仕事に疲れた父親が俺を置き去りにして家出をしてからずっと二人で暮してきた。

決して暮らしは楽じゃなくてゲームなんて当然買えない、ギリギリの生活が正直嫌だった。

授業参観や運動会では、一人汚い割烹着を着たまま汗を拭きつつ来るのも嫌だった。

小4の時、ばあちゃんが風邪を引いてしまい、父親の妹のおばさんが代わりに授業参観にきてくれた時は、普通のお母さんっぽい人だから皆に見られても恥ずかしくない!なんて思った。

家に帰って、風邪で寝ているばあちゃんに「これからはおばさんに来て欲しい」なんてめちゃくちゃ喜んではしゃいで報告してた。

ばあちゃんは、笑いながら「そっか。M子が用事が無かったらお願いしようね」なんて言ってた。

それ以来、俺の授業参観や運動会はおばが来てくれた。

入学式と卒業式は叔母とばあちゃんが来たけれど、記念撮影は俺と叔母が写真に。

いつもばあちゃんがカメラを持って「はい、チーズ」なんて言ってた。


俺が高校進学の時、面談にばあちゃんが来たんだけれど先生に頼んで一番最後にしてもらった。

叔母が来れないと言うので、ばあちゃんに予定の30分後の時間を言った。
それだけ遅ければ、クラスの誰にも見られなくて済むと思ったからだ。

ばあちゃん、予定の15分過ぎた頃に来て先生に「お待ちしていました」と言われて謝ってた。

俺が遅い時間指定した事なんて一言も言わないで、遅くなってごめんなさいと繰り返して。

そしてまず高校進学、どのくらいかかるかを聞いた。

ばあちゃんは先生の言葉、聞き漏らすまいと全部ノートに書いて真剣に聞いてた。

そして帰りには「この子をよろしくお願いします!本当にこの子は優しい良い子なんです」とペコペコ上半身90度位に曲げて頭下げてて。

俺はそれから公立の普通程度の学校に進み、また2年たって進路の話になると「大学に行け」って。

家は相変わらず貧乏だったし、適当に過ごしたかった俺は「いいよ」つってたんだけれど、いつになく真剣に土下座して俺に「大学に行ってくれ。落ちたら諦めるけれど大学は出ておいた方が絶対いいから」と言った。

結局俺は受験する事になり、やはりまぁまぁな大学になんとか受かった。

やはり遊びたい気持ちが勝って、何度か激しく危ない局面を迎えながらも留年することなく卒業。

就職も希望の会社に入る事が出来た。


その頃にはほとんど家に寄り付かず、一人暮らしなんかしちゃおうかなとか考えてばあちゃんの事忘れてた。

ある日、職場に叔母から電話が来た。

携帯の番号どころか、今住んでいる所の電話番号も教えていない事を怒られて、用件を聞くとばあちゃんが転んで骨折してしまった、今老人病院に入院しているけれど今後うちで一緒に暮らそうかと思ってる、とまくし立てられた。

叔母さんがそうしてくれるなら安心だ、と言ったら「一度位顔出しなさい!」と怒られた。

それから1ヵ月半して、今度はうちの留守電に叔母からの電話が入っていた。
「おばあちゃんを説得して欲しい」って。

次の休みの日、病院に行くと1つの小さい部屋に無理やりベッドを二つ入れて、ついたてで仕切った病室の壁しか見えないドアの入り口のベッドにばあちゃんがちょこんと座ってた。

俺を見ると、「おぅ、元気にしてたかよ」と言った。俺は今まで放っておいた事が凄く気まずくて、もごもごと返事した。

ばあちゃん、なんか干からびちゃった?って感じに小さくしょぼくれてたから。

叔母が後から来て、「ようやく来たね」と言った。

叔母とは前もって電話した時話したら、ばあちゃんおばの家に行かないと言う。

俺が何かあった時、帰れる家が無くなっちゃうから、と言うのだそうだ。

だから俺はばあちゃんに「大丈夫だよ。俺ちゃんとやってるし」って言った。

叔母も色々言ったけれど、ばあちゃん口を結んだまま、何も喋らなくなってた。

とにかくあの家を出るつもりは無いらしい。

叔母もそう度々家に行ける訳じゃないんだよ?と言ってたが無言。

結局、ばあちゃんが折れる事は無かった。

退院して、すぐにギプスも取れてないのに一人家に戻った。


その時、俺は本当馬鹿なことして借金を作ってしまい、家賃も滞納して借りていた部屋も追い出された。
結局ばあちゃんの所に戻る羽目に。

久々に戻った家は小さくてなんか暗い感じがした。

昔は綺麗好きだったのに、今では所々ホコリがあったりした。

俺が戻った事でばあちゃんは「これで夜も安心できる」と喜んだ。

防犯の意味もあったけれど、夜中に心臓がきゅーっと来て恐くなるそうだ。

久々に戻って生活していたら、ばあちゃんはまた元のように元気になった。

気がついたら、子供の時からばあちゃんがゆっくり寝ている姿を見た事が無いのに気がついた。

昔と同じ生活が来るんだろうなと思ったら、それはほんの数ヶ月だけだった。

最初は疲れて動きが止まるのかな?とか思った。

そして色々、途中で止めては別の事をするのも体が思うように動かないからだと思った。

でもそう気がついた時、どんどんばあちゃんがおかしくなっていった。

冷蔵庫に何でも入れてしまう。靴でも、トイレ掃除のモップでも。

急にいなくなって、携帯に電話するとちゃんと出る。でも何処にいるか判らないといいながらどんどん進む。

この時は警察にも連絡して市内中探し回った。

田舎でも無いのに、市役所で一斉放送もしてくれて一般の人から知らせが来て市の境ら辺で見つけてくれた。

ばあちゃん、自分が何か変な事をしてしまっているのは判るらしく、落ち込んで鬱っぽくなった

病院にまた入院して、仕事が忙しくなってきた俺と叔母で話して、やはり叔母の家でばあちゃんは暮すようになった。

狭い家に一人、でもここは家賃もかからないし大変だったここ最近からようやく静かに暮せると安心した。


そして叔母の家に行って、久々にばあちゃんに会うと、ばあちゃんは表情が無くなっていた。

叔母もげっそりとやつれていて、俺の言葉を悪いほうにとりがちになってヒステリー気味に。

ばあちゃん、タオルを丸めたものを大事そうに抱えて、歌をつぶやくように歌ってた。

これからヘルパーさんが来てくれるから、そしたら少しは楽になれると思う、という叔母に申し訳なくて財布に入っていた1万8千円を差し出すと、一瞬カッ!とした顔になって俺、一瞬身構えたんだけれど叔母は少し黙ったまま、無言でそれを受け取った。

その後、電話で話をしてて月に5万叔母に入れる事にした。

でもそれから半年後に、花がしおれて枯れるみたくばあちゃんはどんどん起き上がれなくなって死んだ。
叔母は物凄い自分を責めて泣いていた。

お通夜、近所の人が10人位しか来ない、葬式にいたっては叔母夫婦その子供達と俺だけの式。
それでも結構かかる葬儀代に驚いた。

叔母が落ち着いてから話してくれた事。

俺を引き取ろうか?とばあちゃんに言ったけれど、ばあちゃんは断ったと言う事。

それはまだ叔母が妊娠中だった為、気を使ってくれたと言う事。

俺が放置されているかも、とばあちゃんが最初に気がついて大家が鍵を持ってくるのを待ちきれず台所の窓を破って中に入って俺の無事をとにかく喜んだ事。

俺はその時2日間、真冬に暖房も無い中で夏かけ布団に包まっていたらしい。

そしてばあちゃんは苦しい生活の中で、
「この子は凄く頭の良い子でありがとうを言えるんだよ」
って凄く嬉しそうに話した事。

俺が物心ついてやはり両親がいたほうが、という話になって叔母の所に行った時俺がばあちゃん探して泣くのを聞いて耐えられずやっぱり一緒に暮そうと決心したと言う話。

俺が高校も大学も一発合格した事就職も決まった事を何よりも喜んで、近所の人に「あの子はやる時にびしっとやれる!」と褒めて回った事。


そして家に戻らなくなって、一人暮らしを始めた事を
「あの子はいっぱい苦労してきて一人立ちもさっさとして、決断の速さは頭が良いからだ」
と何度も何度も言っていたって。

会社で作って貰った俺の名刺を、俺はなんの気無しにあげたからきっと覚えていないんだけれど、その名刺を仏壇に供えて大事にしていた事。

そのお陰で骨折した時、叔母から連絡を貰うことが出来たんだけれど。

そしてボケてしまってから、抱きかかえていたタオルを親父の名前で呼んでいた事。

俺は正直、これには傷付いていた。

ばあちゃんには俺より、もう俺から離れて戻ってこない親父の方を覚えているんだ・・・って。

だけれど叔母は、ばあちゃんがあやしていたのは名前は違うけれどあんただったよって言ってくれた。

あやしている言葉の中の出来事は、あんたとの毎日の事だったよって。

目なんか数ミリしか開いて無いくらいのクセに。

顔真っ赤に腫れて人相変わるぐらい泣きながら。

でも多分、もう確かめようも無いけれど、親父が戻ってくるかもしれないって思っている所もあるんじゃないかな?
だから家、離れられなかったのあると思ってる。

それでもなんかいいやって思っている、今度は俺があの家で親父が来るかもしれないって待つのかなとか考える。

もうとうの昔に失踪して死亡者扱いになってしまっている親父。

俺、家に戻ってから一番最悪な事思い出した。
ばあちゃんに「ありがとう」って言っていない。

子供のとき言っていたらしいんだけれど、俺の記憶の中で「ありがとう」って言った記憶が無いんだ。

高校進学させるのも、大学行かせるのも、俺当然の事として受け取ってた。

全部ばあちゃんが朝昼夜働いて、学資ローン叔父に頭下げて組んでもらって全部自分で払ってて。

お陰で俺、会社入って同期のやつらよりちょっと多目に給料の差がついてて、そればあちゃんのお陰だ何て思ってなくて。

俺が家に戻って来た時、市役所の無料相談行って弁護士さんに相談して、完済させる為にって債務整理の手続き頑張ってやってくれて。

最後の最後まで苦労かけて、俺ばあちゃんに何もしてやれて無い。

彼女、会わせた事も無かった。

いや、それは家に戻って来た時に別れちゃっていたからなんだけれど。


結婚しててもおかしくない歳なのに、そういう安心もさせてやれなかった。

旅行の一つも連れて行っていないどころか、どこかに一緒に出かけてご馳走食べにも連れて行かなかった。

いつも安い服ヨレヨレになっても着てて、服の一着も買ってなかった。

俺、どうしよう、って思ったけれど一つだけしちゃいけない事判った。

俺は泣いたらいけない。泣く資格なんか無い。

泣くのは自分を悲しいって浸らせる為に、慰める為に涙を流して発散させる。

俺はばあちゃんにしてしまったことを受け止めなくちゃいけない。

ばあちゃんに伝えたい言葉、ここに書き込むのも甘えになるかな。

ごめん。ばあちゃんごめん。ありがとう。ごめん。

言葉ってちゃんと伝えられないと本当意味が無いのな。

すげぇ辛い。

本当ごめんね。。

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