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野田成人に社会問題学ばせるのだコミュの松岡自殺

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松岡前農水相自殺と子供いじめ問題


 死人にむち打つという意図ではない。私自身も考えたこともあるから、自殺する人の気持ちも分かるし、人ごとではない。と、断った上で、松岡前農水相の自殺について考察してみる。

 緑資源管理機構の問題にしろ、事務所経費問題にしろ、つつかれる問題が細かくなってきたな、という感がある。政治と金の問題に国民・マスコミがうるさくなってきた。同時に政治家の規模もどんどん小粒になっているな、と思うのだ。それに応じて世の中、ルールだ法律だ、とどんどん堅苦しくなっている。そのルールからはみだそうものなら、すぐにやり玉に挙がる。なんともせせこましい世の中だ。

 せせこましいと評価するのは、大きな流れでの地球環境問題、経済格差の問題、財政問題、少子化問題など、山積する大問題と比較してのこと。政治の世界がせせこましい問題の揚げ足取りに終始しているかに見える。細かい揚げ足取りを好む大衆へのアピールなんだろうけれど。国家のリーダーシップは本当にそれでよいのか?

 そう思っていたら、日経ビジネスで似たような記事が出ていた。以下引用。

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 それにつけても、思うのはマスコミの皮相的な波状攻撃である。とりわけテレビと週刊誌は、このところほとんど末梢的ですらある。憲法問題、アジア外交、少子高齢化対策、中央と地方の関係…。真正面から取り上げるべき骨太の問題がたくさんあるのに、揚げ足取りに似た問題を追って狂奔する。当人がたまりかねて自殺すると、カメラの前で、神妙な顔をして、アナウンサーやコメンテイターが「ご冥福をお祈り申し上げます」と頭を下げる。自殺する人間も人間だが、一方通行の全体主義的皮相攻撃を繰り返す側も、みなチマチマとして矮小だ。

 チマチマ問題を取り上げるのは、それを視聴者や読者、ひいては国民が喜ぶからである。ということは、国民全体がチマチマと矮小化したことになる。

 大悪をなす者は大善もなす。少なくとも、なす潜在性を有する。水清ければ魚棲まず―とも言う。清濁合わせて呑む―とも言う。他人のアラを追うことのみに熱心になり、重箱の隅を突くような攻撃を繰り返しているうちに、日本は国本来が有すべき男らしさを失っていくことだろう。
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 私は決して談合や不正な政治資金を良しと考えるわけでもない。しかしこれらを完全になくそうとすれば、極めてギスギスした堅苦しい政治になろう。同時に世の中一般も、非常に細かいルール・法律で縛られた堅苦しいものになろう。

 私は日本の社会において、うまく物事を進めようとすれば、ある程度個々の信頼関係・人脈・コネを使う必要もあると考える。そうするとどうしても、そのコネに便宜をはかってやる必要も出てくる。それら全てを公明正大にやれというと問題が出てくる。コネに与らない人が嫉妬するのは間違いない。だからある程度の秘密も仕方ないこともある。全体を方向付ける為の必要悪ということだ。

 しかし現代は、あらゆる価値観が混在していて、方向性がない。個人主義に陥り、各自が自分の立場で言いたい放題である。衆愚政治の様相も呈している。これでは到底大きな問題には取り組めない。そして小さな問題に汲々と縛られ攻撃にさらされる。そして小さな攻撃にもすぐにダメージを受けてしまう感がある。

 同じ事が子供の社会にも起こっていると感じる。それが「いじめ」だ。子供は大人の背中を見て育つが、同じ問題が投影されているのではないか。実際教育の現場でも随分とうるさくなった。ちょっと子供に手を挙げれば親・教育委員会が黙っちゃいない。教師そのものがせせこましくなっている。子供を傷つけないようにと神経をとがらせる。価値基準が均質化された状態で、ちょっとでもはみだすところで異端視されてしまう。子供も大人もそれを恐れている。要するにナイーブになりすぎて、簡単に傷つきやすくなっているのではないか。

(つづく)

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