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歴代天皇と天皇陵コミュの畝傍山周辺天皇陵巡り

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 9月12日に名勝大和三山の一つで標高199.2mの畝傍山(ウネビヤマ)の周囲を一周する形で、合計6ヶ所の天皇陵を巡って来ました。
 『日本書紀』によれば西暦紀元前660年2月11日に即位した初代天皇神武天皇は畝傍山橿原宮を首都とし、畝傍山東北陵(ウネビヤマノウシトラノスミノミササギ)に葬られたとされ、宮内庁が陵墓を整備しています。これは周濠を巡らした巨大な方墳という異例の形態を持ちますが、この周濠は明治時代に宮内庁によって整備されたものに過ぎず、この地は、そもそも古墳ですらないとも言われています。但し、平安時代においても、この周辺に一辺100m四方の巨大方墳として神武天皇陵が存在したとの記録があるので、その伝承を元にして復元したものと言えます。
 神武天皇陵の北隣には、その子の第二代綏靖天皇(スイゼイテンノウ)の桃花鳥田丘上陵(ツキタノオカノウエノミササギ)、畝傍山の西側には第三代安寧天皇の畝傍山西南御陰井上陵(ウネビヤマノヒツジサルノミホトノイノエノミササギ)と第四代懿徳天皇(イトクテンノウ)の畝傍山南繊沙渓上陵(ウネビヤマノミナミノマサゴタニノエノミササギ)が並んでいます。
 また、畝傍山の南方には、第二十八代宣化天皇の身狭桃花鳥坂上陵(ムサノツキサカノエノミササギ)、西南方には第九代孝元天皇の剣池嶋上陵(ツルギイケノシマノウエノミササギ)があります。
 第十代崇神天皇より前の天皇は、天皇制を貶める意図を持った左翼史家によって形成された通説によれば、実在しなかった妄想の産物だとされています。ただ、『古事記』や『日本書紀』に記された各天皇の首都所在地を見ていくと、当初、大和盆地南部に置かれていたのが、第六代孝安天皇の代から大和盆地中部に進出、第九代開化天皇の代に至って現在の奈良市に首都が置かれています。即ち、大和盆地南部のみを領していた豪族家が、次第に大和盆地を統一していく過程が覗えるのです。
 日本列島の過半を支配したと考えられる崇神天皇は、豊臣秀吉の如く一代で成り上がったたとは考えにくく、何代も前から一定の勢力を持つ豪族であったと考えるのが妥当です。中国では王朝の初代皇帝の先祖に対して皇帝の名を追贈する習慣があるため、記紀でも、それに倣って大和盆地の一角を領していた天皇家先祖の豪族に天皇位を追贈している訳であり、架空の人物と決め付けるのは寧ろ不自然な話です。
 勿論、神武天皇が紀元前660年に即位したとか、127歳まで生きたなどと言う話は嘘に決まってますが、これも神武天皇即位の年とされる辛酉の年を、朝鮮半島諸国に対抗する上からも無理やり遠い昔に引き伸ばした事が原因であり、西暦紀元元年の辛酉の年あたりに設定すると、合理性が出て来るのです。

 写真は神武天皇陵です。

コメント(3)

左;綏靖天皇陵
中;安寧天皇陵
右;懿徳天皇陵
左・中;孝元天皇陵
右;宣化天皇陵
イトクの森古墳。橿原神宮境内にある全長30mの前方後円墳です。名前から懿徳天皇陵に比定された事もあり、懿徳天皇皇后の天豊津媛命(アマツトヨヒメノミコト)陵とする説もあったようです

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