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末日聖徒イエスキリスト教会コミュの聖書は過激ですか??

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このような文章を見つけました。
聖書のこの文章は、そのまま真実ですか?

それとも、何かの喩えで
このような表現がされているのでしょうか?

ーーーーーー
ヤーヴェの共同体に災いが下ったではないか。直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」(民数記 31章)
ーーーーーー
マタイ福音書10/34〜38
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と
思ってはならない。
平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、
娘を母に、/嫁をしゅうとめに。
こうして、自分の家族の者が敵となる。
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。
わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしに
ふさわしくない。
ーーーーーー

これが神の姿なら幻滅なんですけど。

コメント(18)

神は人間では無いので、人間の常識を超えた残虐行為を平気でやる。
>>[1]

マジですか、、、Σ(・口・)

神はもっと愛があると思ってました。

ゲンメツ!!!
>>[002]

むしろ、人知を超えた愛を持つからこそ人を殺すこともありますw

その最たる例が、イエス・キリストの犠牲ですw

悪者を救うために、自分に忠実な一人息子を身代わりにして殺すんですから、常識的に考えて、これほど理不尽な神様は居ませんw
>>[3]

えー(´・ω・`)そうなんですか、、、

ではなんで、その神を信じるのですか?

それはモルモンだけでなく、全国キリスト教会でもこの文章は認めているのでしょうか
>>[004]

人間の常識の方が不完全だからですw

算数の知識しかない小学生にとっては

1−3

という数式は禁じ手であり成立しないわけですが、数学を学んだ中学生であれば正当な計算式として成立するわけですw

同様に、真の神に対する知識があれば、(神を知らない)常識を超えた部分で受け入れることが出来るわけですw
>>[5]

なるほど、、、。
じゃ、神が殺せといったら、目の前の人を
殺せるんですか?

だからテロが終わらないんですか?
テロは神の指示ですか?

それとも人間の勘違いですか?
>>[006]

モルモン書のニーファイは神の御使いにラバンを殺すよう命じられ、躊躇し抵抗しましたが、最終的には従いましたw

信仰が篤ければそのようにするわけですw

わたしにはそこまでの信仰はありませんし、神様は出来ないことは命じませんw

しかし、自分に命じられないからと言って、他人が命じられることを否定するもんでもありませんw

もし仮に、人間の勘違いで神の声が聞こえ、世の中を良くするためだと本気で信じて自爆テロを行ったテロリストが居たとして、神の裁きにおいて自業自得だとばかりに地獄で苦しみを受けるとするのは果たして道理に合うことでしょうか?
>>[7]

道理に合いませんし、
巻き込まれた人たちが大迷惑ですよね。

そんな神の声(幻聴)で死ぬなんて、、
>>[008]

この自爆テロを起こす前に彼を誰かが殺したら、別の人が殺人を犯したことにはなりますが、結果的にテロの犠牲者が居なくなるためテロリストひとりの最少の犠牲で済むわけです。

一人の犠牲を惜しんで全滅することと、一人が犠牲になることで全員が生きること。
人類を愛する者にとって、どちらが賢明かは問うまでもありません。
1人のテロリストにより、10人が殺されるのなら、1人のテロリストの死によって、10人の命が助かった方がマシ

と、いうことですね。
癌細胞一つで正常細胞までが癌化していくのなら、手遅れにならないうちに、癌を取り除く方が賢明だと思います。

体の一部を失う事になっても。
まさかまきおさん、
もみじさん、、、

ありがとうございます。
少し理解できた気がします。
ミシン好きさん

民数記 31章については、異教徒なら何でも殺すべき(傷つけていい)という意味ではなくて、殺されても仕方のない公正な理由(おそらくは世界に増え広がる可能性のある民であり、そのうえ子供を誘拐して生贄にする悪しき伝統があったため、ついに伝統ごと滅ぼすべきという神の鉄槌が下ったのかも知れません。)が存在したが、聖書にはそこまで詳しく書いてない(もしくは欠落したか)でしょう。 

>平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、/嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。

については、全文を読めば12使徒がこれから伝道を始める時用に語られた状況なのがわかります。   基本的にイエスは平和の君なのは間違いないのだけれども、12使徒が伝道した結果、改宗後はその人の価値観が変わることで、一時的にそのような悶着がおきるのは当たり前だから、伝道する者はそういう事態を見ても逃げ帰ったり躊躇をするな、といイエスなりの叱咤激励であると解釈するべきでしょう。 

No.7と10の説明に重複しますが、モルモン書中で、まだ十代の若者だったニーファイも、酒に酔ったラバンを御霊から殺すようにと指示され、何度か躊躇した挙句、ようやく納得して殺した場面でも分かる通り、神の永遠の展望とそれを理解できない人との大きな価値観の違いがここで浮き彫りにされていると思います。

 聖書を読み始めた15,6歳当時から、拙者も長年、「神と言う人物は極めてむごいことを平気でするものだ」と全く理解できず、納得のいかないまま唖然としていたものでした。

 私たちは人の霊が不滅の存在であることを知識として知っていますし、また肉体に在って経験し、学んだ記憶も不滅であることを知っています。
 そこで、一般のキリスト教では明確な教義として明らかにしてはいないものの、仏教の基本概念の中に「輪廻転生」と言う事象があることを御存知のことと思います。その説明は「回転する車輪がきわまりないように、衆生が死後、迷妄の世界である三界・六道の間で生死をくりかえすこと」で、「流転」とも言い、平たく言えば「生まれ替わり」です。私たちが手にしている全聖典中では、モルモン書アルマ書40章で僅かに言及されていますが、筆者が言うようにこのことは大して重要な問題ではありません。然し、理解の仕方としては、誰でも常識として、「住む家が古くなって人が住むには適さなくなったり、或いは壊れた場合、建て替えをする」ことと同じであると捉えれば分かりやすいでしょう。誰でも人が快適な暮らしをするためには居心地の良い家が必要なのです。然しながら、この事象を「復活」とは言いません。何故ならば、完全な肉体ではありませんし、記憶を置いて来るからです。ただ、霊としては新しい肉体で別の人生を経験するわけです。
 日本TV系列で「世界仰天ニュース」とか言う番組がありますが、その中で紹介された話の一つにも、この事象を理解するヒントがありました。ごらんになった方もおられるかと思いますが、アメリカのある家庭で、いくつだったでしょう、3,4歳の男児だったと思います。飛行機、特に戦闘機のプラモデルに関心ある彼が生前の経験を語るのでした。第二次世界大戦中、空軍のパイロットで、その当時の名前、仲間の名前、戦闘機の名前、乗船していた航空母艦の名前などを語り、そして自分は日本軍に撃ち落とされて死んだと語るので、あまりにも不思議に思った父親が史実かどうか調べたところ、全て事実であったことが判明したのでした。番組スタッフが、後年17歳だかになっていた本人を訪ねて、その幼児時代のことを聞き出そうとしましたが、「全く覚えていない」と言う返事でした。大変興味深いことですが、このような事例は他にもいくつか聞いたことがあります。然し、他の何よりも最も明確な事例は、エホヴァ自身が幼子イエスとして地球に誕生されたことです。それで「私はアブラハムが生まれる前から存在しているのです」と言われた意味も理解できるはずです。

 ですから、地球で生活する人にとってこの理論は、「その人の霊が別の人生を経験させた方が本人のためになる」と言う配慮もあることが解る訳です。
 そこで、一つ言及しておかなければならないこととして、「堕落」、即ち「堕ちる」と言う現象についてですが、これは「人の霊が肉体を得て罪を認識出来る」ところに鍵があります。霊のままでは「堕ちた」とは言わないからです。従って贖いとは、先ずその霊が肉体に在って経験した罪となる事柄を本人が認識して悔い改めた部分を買い取ることを意味しているのであり、それで、神殿での死者のための身代わりの儀式は人の霊が経験した人生一つ一つを洗い出すとでも言ったら分かりやすいかも知れません。。と言うのも、一人の霊の度重なる人生経験は次世界に引き継がれていないからです。それで、通常の教義では分かりやすく「忘却の幕」として説明しているわけです。
 そういうわけで、復活とは、本人が肉体に在って経験した全ての人生の記憶を本人の霊に帰属させることと、不死不滅の完全な肉体を得させることを意味しています。従って、その前に完全な悔い改めがされていなければ、苦しむのは本人自身なのです。何故ならば、心を隠す場所がないからです。それは、預言者が「山に向かって、自分の上に覆いかぶさってくれと泣き叫ぶ」云々と言っている通りです。「悔い改めなさい」と言う薦めは、至高者による親切心、愛以外の何物でもないのです。
森のふくろう様

実は私も長いことレーバンの殺害について、そんな結論でよいのかいまだに理解不能ではあります。

ただ、聖典を読んでおぼろげながら気づいたことは、当時は比較的に裕福そうに思える預言者のリーハイでさえ、聖書を持つことが適わなかった時代に、なぜかレーバンが聖書の所有者であったことが書かれており、それを考慮するともしかしたらレーバンが相当に高い地位の大神権者(もしかしたら預言者レベル)だった可能性が高いです。

無知な悪人ならいざ知らず、主と非常に高いレベルの誓約を交わした後、堕落してあんな態度を取ったら、命をとられてもしょうがないという意味かも知れません。
雇人が多いと言う事実、及び聖典を手元に置かず、蔵にしまってあったことから、彼は単なる成金氏族ですよ。
モルモン書に明確に書かれていないことをあれこれ言っても話にはならないと思いますが、人の傾向として長らく堕落していれば、聖典はほったらかしになるものですし、当時も今もですが、雇い人が多い神権者は珍しくないように思います。

インストの厚いほうの参考書には、レーバンは成金で聖典を粗末にする、どうしょうもない人物であると解説してあった記憶はあるのですが、「単なる」成金という説明はしていなかったようです。

金の剣を持っていたので、軍事関係の偉いさんかなとも思うのですが、例えばモーセの弟のヨシュアも、ある意味軍人なわけで、軍人でも誓約を交わすんじゃないかなと思っていました。

余談ですが、殆どの教会員は、印刷されてある聖典を始め、Institute Text の解説にも疑いを持たないのが普通でしょう。教会の名前を冠した出版物であり、また「印刷されているものに間違いはない」と言う既成概念が支配しているからです。然し、事実は決してそうではありません。大して重大な問題ではないにしても、解説の間違いも、翻訳の間違いもあるのですが、前述の理由から間違っていても長年そのまま信じ続けているのが普通です。例えばポピュラーなところで、現在の1995年版D&C13章は正しく訳されていますが、「天使の働きの鍵」を以前は「天使の導きを受ける鍵」と誤訳されていて、T.D.C.に二度ほど是正を求めたものでした。勿論、現代版にもまだ些細な間違いはあります。例えば、ニーファイの最初の言葉「私は良い両親から生まれたので・・・」ではなく、ここは慣用句ですから「私は良家に生まれたので・・・」が正解なのです。Text Book は古文書であるため、古語が多用されている上に慣用句もある為、現代語に直訳したのでは意味が正しく通じない部分もあるのです。ですから、理解の仕方で難しいところでは、先のニーファイの物語でゾーラムとのやり取り中、「主は生きておられる」と言う言い回しですが、旧約聖書中にも度々登場するこの直訳、確かに間違いではありませんが、これは超絶慣用句でして、「私は自分の命に懸けて誓う」が正解なのです。

 ところで、マタイ10章の「私は剣を・・・」投じるために世に来た話ですが、・・・・
拙者の場合を申し上げるならば、18歳でバプテスマを受けた時点で「お前のような者は家にいないでいい」と勘当され、一人暮らしを始めました。解りやすいでしょ?然し、その十年後に母がバプテスマを受け、またその一か月後には弟の一人がバプテスマを受けました。

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