余談ですが、殆どの教会員は、印刷されてある聖典を始め、Institute Text の解説にも疑いを持たないのが普通でしょう。教会の名前を冠した出版物であり、また「印刷されているものに間違いはない」と言う既成概念が支配しているからです。然し、事実は決してそうではありません。大して重大な問題ではないにしても、解説の間違いも、翻訳の間違いもあるのですが、前述の理由から間違っていても長年そのまま信じ続けているのが普通です。例えばポピュラーなところで、現在の1995年版D&C13章は正しく訳されていますが、「天使の働きの鍵」を以前は「天使の導きを受ける鍵」と誤訳されていて、T.D.C.に二度ほど是正を求めたものでした。勿論、現代版にもまだ些細な間違いはあります。例えば、ニーファイの最初の言葉「私は良い両親から生まれたので・・・」ではなく、ここは慣用句ですから「私は良家に生まれたので・・・」が正解なのです。Text Book は古文書であるため、古語が多用されている上に慣用句もある為、現代語に直訳したのでは意味が正しく通じない部分もあるのです。ですから、理解の仕方で難しいところでは、先のニーファイの物語でゾーラムとのやり取り中、「主は生きておられる」と言う言い回しですが、旧約聖書中にも度々登場するこの直訳、確かに間違いではありませんが、これは超絶慣用句でして、「私は自分の命に懸けて誓う」が正解なのです。