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マナーのABCコミュのテーブルマナーの歴史は???

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ワイングラステーブルマナーって何時出来たのかしっていますexclamation & question


案外知らない事が多いのではないでしょうか???

今日は、そんなフランス料理の頂き方の
始まりを少しだけ、お話をしてみましょう〜あせあせ(飛び散る汗) ネexclamation ×2






先ずテーブルマナーを考える上で、思い出さなくてはならないお人は・・・栗頭大五郎

王冠ルイ14世では無いのでしょうか!!
この人物は何かと話題の多い人でもあります。

若い頃から美食家の大食漢で在ったと言われていて、
若い頃には消化不良で悩み、後年は通風で苦しんだと言われています。

彼のせいでフランス革命が起こったのではないのか?などとも言われているのですよげっそり

何故なら、1705年〜1708年頃のフランスは飢饉であったのにもかかわらず、
毎夜10時頃からの晩餐に、パリからぴかぴか(新しい)宮殿まで料理を運ばせたのだそうです。
宮殿には調理の出来る部屋はなくて・・・

飢死する人も出る中、毎夜良いハンバーガーパンにおいを漂わす料理の行列が進み、庶民のぷっくっくな顔恨みをかったのだそうです。

 王冠ルイ14世
     ↓
  ルイ14世のもとで西ヨーロッパにおけるフランスの威信が高まった。
  また軍備を重視して積極的に拡大政策を取りフランスは東部へ領土の
  拡大を見た。しかしこれらの成功とは裏腹に、財政は破綻する。それ
  が元で、この後のフランス革命の引き金と成ってしまったと伝えられ
  ている。またベルサイユ宮殿の建設やラシーヌやボワローなどの詩人
  を優遇するなど文化的なことにも成果を残した人物。






★ レストランフォーク

又彼はフォークを使わずに料理を食べる名人としても記録が残る人物でもあります。
この頃の時代はフォークで食事を取ることは、神への冒涜と言われていました。
それで、彼はフォークで食事はしなかった。


「サン・シーモン」→(ベルサイユ宮殿に20年すんだ文人)が、
                 ↓
彼の汁を一滴もこぼさずに食べるさまを書き残しているのだそうです。


それでは、フォークがイギリスやフランスにおいて一般的に使われだしたのは何時頃からなのでしょうかexclamation & question

元々は中国から麺類がイタリアに伝わった時に、コンパスのような物が一緒に伝わってきたと言われています。

レストランフォークの発祥はイタリアと言われています。
それをイギリス人の「トーマス・コーヤット」が、イタリアからリゾート持ち帰ったのが最初のようです。

しかし、イギリス・フランスでもレストランフォークに対しての拒絶反応が強く、
人間の尊厳を傷つけると敬遠されました。

エリザベス1世もフォークを3本持ってはいたと言われていますが、指で食べる事が多かったと伝えられています。


教会も神から頂いた指で食べる事を進め。レストランフォークの使用は痛く嫌いましたexclamation ×2 えぇ〜〜〜〜ニコチャン家来雷って感じですね〜


その後、イギリスやフランスでもレストランフォ−クが一般に使われだしたのは、ルネッサンスの頃のようですよ〜

アメリカでのフォークの一般化は1733年に「ウインスロップ」と言う人物が
イギリスから持ち帰り伝えましたが、19世紀までは指で食べる事の方が一般的だったのだそうです。

17世紀に日本に渡来したジェイットの僧達は日本人は手で食べずに
二本の棒で食事をすると記録を残しています。

日本の箸を使う文化の方が、衛生的にも文化的にも進んでいたと言うことのようです手(チョキ)

その後少しずつ、手で食べずにフォークで食事を取るようになったとされています。







★ レストランナイフ

それ以外の道具である、スプーンやナイフもフォークが一般化してくる頃に
やっと発展をとげて、今の形に近づいてきました。

それと共に食事のマナーも今に近づいてきました。

ナイフは元々肉の塊を食卓で切り分けて食べる為の道具でした。
牛や豚・トナカイ等の食材を一頭丸のまま焼き食卓に出しました。
その時にそれぞれがナイフで肉を切り取って食べました。

なんとなく・・・ 野蛮ヤw〜ウンチくん

肉は、若い男や屈強な男性から食べ、その後の残り物を女、子供や年寄りが食べました。

まるで、動物猫犬の世界のままやないの・・・雷


それではあんまりヤバッド(下向き矢印)と言う事に成り、分配して皿に入れて出すようになりました。
しかし平等に盛り分けられた肉は食ることの出来ない程の量であったり
部位等もあって、その後自身で必要な量だけを取る方法が考えられました。
ですから、この方法は人類の歴史の中で育まれた知恵と言えるサービスなのです。

ヨーロッパでは、このような様式は時代と共に変わっていきましたが、
イギリス系の国々には、今もこの傾向が色濃く残ります。

アメリカ・カナダ・オーストラリア・南アフリカ等には七面鳥の丸焼きであったりローストビーフ等がその代表的な、お料理の名残です。。。

ナイフは肉を切ることが必要なので、元々切れ味の鋭い刃物であり

切れ味のよいナイフは時として武器にも成り得るので、時代と共に進化を進めてそれぞれのテーブルに切り分けてテーブルに運ばれるようになり、またナイフ自身も、刃をおとして切れ味の悪い物と形を変えていきました。

だから今回は歴史(ルーツ)についてのお話なので触れませんが、フランス料理やイタリア料理等を頂きますときには、決して手を膝の上には乗せてはいけないのです。
刃物が直ぐそばにあるのですから・・・ キャ〜アexclamation ×2 あぁ〜怖〜雷






★ 手(パー)手づかみOK

その昔は全ての食材を手(パー)手で食べていましたが、現在でも手で食べる事を例外的に認められている食材があります。

アスパラガスは手で食べても良いと本書かれている場合が多いですし〜。
カリカリのベーコンも同じように書かれているのです。
その他チキンの足やパンもOKなのです






★ 耳その他の面白ネタ!!

人間今でも食事の時に小指を伸ばしたままの人を時々見受けますが、
それは手づかみで食事をしていた時の名残であるとも言われているのです。
昔しは全ての指で食べるのは下品とされていて汚さない指を儲けていたそうです。
指は3本だけを使用するのです。今でも、スリランカやインド等では手(パー)手でカレーを食べていますが、その時は右手の指3本だけで食べるのです。(左手は用便を済ましたあと陰部を手で洗うので、不浄とされています)

テナ事で・・・
小指を立てて食事をする人の前世は中世ヨーロッパの貴族か、タダのキザなのか栗頭大五郎???






★オードブルとは???

1780年頃にロシアにザクスキーというドル袋金属商の男がいました。
彼があるとき晩餐会を催したある日の事、
主賓が中々到着しなかったので、パーティーが開く事ができずに困っていました。

その時、彼はぴかぴか(新しい)電球ぴかぴか(新しい)閃いたのです

彼は自宅に保管してあった燻製等を自らが切り分けて、ウオッカ等と共に振る舞い主客を待ちました。

その話が広まり、中々良い持て成しであると賞賛されました。

そしてそれは、料理人の作らない料理と言うことから、hors d‘oeuvre(オードブル)と言う名で呼ばれたのだそうです。

だから、この料理はどのような皿であっても、どのようなナイフやフォークを使おうが手(チョキ)何でも良いのです。






ワイングラス乾杯のグラスをカチッとならす秘密はexclamation & question

1 昔酒に毒を入れて人を殺す習慣がヨーロッパにはありました。

この疑心暗鬼を晴らすために人々は、それぞれのワイングラスグラスの酒を互いのグラスに分け合い混ぜて飲み合ったのだそうです。
だから、この音は毒の入っていないことを示す儀式の名残なのです。
その時の音だけが今も残っているのでするんるん

2 中世の人は酒に精霊(スピリット)が宿っていると信じていました。

今でも蒸留酒をスピリットと呼び、このスピリットが体内に入ると禍(わざわい)をすると言われていて。
その為に悪魔(demons)祓いに音を立てるのだともいわれます。
ちなみに、教会でチャペル鐘を鳴らすのはこのためなのです。






★ 日本で晩餐会などで旗を立てるときは、左からアルファベット順です。

もしくは当事国を中心にアルファベット順で、左右左右と順に並べる2通りがあります。
ただ〜順位づけの無い場合に限るのですが・・・

会議などで順位付けのある場合は、その順位に並べるのがプロトコール(国際外交儀礼)にのっとった方法です。







★ 日本でのコーヒーカップとソーサーの不思議げっそり

本来ヨーロッパやアメリカ等で紅茶やコーヒーを出される時は、とっては右に出されるのです。

しかし日本では、何故か左側に取っ手を配することがあるのですが???
これは誠に世界では驚きの目で見られる不思議なのです。


(客は砂糖を入れてかき回し、とってを持って180度グルグルとまわしてから頂く)


  スッパマン多田道太郎氏によると、
     ↓
  1970年代に京都大学人文学研究所西洋思想研究の教授

  明治30年代に下田歌子が上記のように説いたと言われている。
     ↓
  (明治5年)宮中女官に抜擢される。武家の子女としての礼儀作法や
  儒学者の祖父より教わった学識そして秀でた和歌の上手さにより、
  昭憲皇太后に寵愛され「歌子」の名を賜る。
  (明治17年)皇后の推薦で、創設された「華族女学校」の教授に迎え
  られる。
  その後、「華族女学校」は「学習院」と統合、生涯を女子教育に捧げ
  た。「実践女子学園」「順心女子学園」の基礎をきづいた。





★ ナプキン (正式なお席では中央に、略式は皿の左に四つ折が普通の置き方)

ギリシャ・ローマ時代は食べ物を手(パー)手で摘んで食べていたと言うことは、もう此処まで目お読みの方はお分かりの事ですよネexclamation ×2

食事の内容は、セロール(ソースの沢山掛かった蒸料理)なので、3〜4皿も食べると服は汚れるのが当たり前でした、
だから、着替えを用意していたとも言われていて・・・キスマークたらーっ(汗)汚い食べ方やね〜


又ローマ人は、それぞれがマッパと言う麻の袋を持ち、キスマーク口をそれでぬぐったり、美味しい物や残った物は持ち帰ったとも言われています。
またぁ〜 ナンカむかっ(怒り)!!野蛮雷


しかしその後、ルネッサンス時代には、テーブルクロス等が使用されるようになり。
手(パー)手で食べて汚れたその手はテーブルクロスで拭いたりしました、
又口もそれで拭いたのだそうです。
          ↓
     やがて、時代時計が進み

召使がそれぞれのところに銀や錫の容器に水を入れて持って行き、汚れた手を洗う習慣へと変化して行きました。召使の手には、タオルが掛けられています。
          ↓
現在では、手を使って食べる食事には、銀や錫のフィンガーボールを用意してその手はナプキンで拭く事に成っていますが・・・

高級なレストランでは、ウエーターが腕に白い布を掛けている姿を見る事もあると思うのですが、これがその名残なのです。
          ↓
そして、17世紀には、テーブルクロスやナプキンは食卓の重要な飾りえと形を変えていきました。







その様な幾多の変遷を得て、現在のような形へと成りましたexclamation ×2

そのうちに現在のテーブルマナーもえんぴつ書き込みたいと思っています。。。

チューリップお楽しみに〜ネアラレちゃんウチャグッド(上向き矢印)

コメント(2)

ご無沙汰です

乾杯なのですが グラスを当てないのが上品と思ってますが
当てるのが 正式なのですか?    ??? ???
いえいえ、そのとうりですよ。。。

古い古い昔々の、お話のことですから〜〜〜
それにしても何だか懐かしいです。

私も急がしかにかこつけてご無沙汰ばかりでした

貴方様が参戦してくださらないと
つまらないWa〜!!
又のお出でお待ちいたしております手(チョキ)

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