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みんなにやさしい自作小説コミュの小説「雨の行きつく場所」 最終章 −ローズマリーティーの雨−

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私の部屋には、先生が私に下さった絵が置いてある。
 あれから、十年経った。私は大学を卒業すると同時に尚と結婚してモデルのアルバイトを続けていたが、すぐそのアルバイトは終わった。
 そこで募集があった子ども絵画教室の講師の仕事を始め、やがてその仕事にのめりこんでいった。今は自宅で教室を開いている。自分の絵を誰かに認めてもらいたい。あの頃の思いが今は、誰かに表現の楽しさを伝えたい、というものにゆるやかに形を変えていった。

 一人一人の子どもの絵を見ていると、言葉にならない喜びや悲しみや怒りや、たくさんの夢が描かれている。その心の片鱗を絵の中に見つけるたびに、夢中で筆をにぎった幼い頃の自分が蘇る。
 ここにいるのは、きっと昔の私の欠片。そんな幻想を、ときどき追い払いながら。

 尚は中学の美術教師のかたわら、サッカー部の顧問もしていて忙しい毎日。ふいに尚の生徒が遊びに来るところを見ると、結構人気者のよう。
 このあいだは、野球部なのだろうか、丸刈りの男の子二人と、おさげの女の子3人連れがやってきた。学制服とセーラー服がとてもよく似合っている。彼らの前にあぐらをかいて座る尚のにこやかな表情。そこには彼が以前抱えていた孤独の姿は消え、本来持っていた性質をうまく活かせている様子がよく見えた。

 私は今先生の絵の前に座って、コーヒーを飲んでいる。飲み終わる頃にはちょうど教室が始まる時間。今日は誰が一番に来るだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 約束の日に行くと、先生は左頬に大きな痣を作っていた。私の視線に気付くと先生は「あとで話しますよ」と言って笑った。
 どことなくすがすがしい表情だったので、驚いたけれど心配はしなかった。
 アトリエで先生はイメージが固まったという絵を見せてくれた。
 
 大きな横長の絵に左から右へストーリーを感じさせる絵が描かれている。

 はだしで斜め前方を見つめている少女。身に付けているものと言えば、肩ひものついたワンピースとクローバーの花の冠だけ。骨格がしっかりとしていて、長い髪は腰まである。今にもどこかに歩き出しそうだ。
 少女は崖から海の上に飛び出し、天使と人魚両方の祝福を受けて虹の橋を歩いている。海にかかる虹の橋は水面が透けて見え、幻想的でありながらおそろしい。天使のラッパの音や人魚のふりまく歌声に包まれている。
 虹の橋を渡りきって、海の向こうの国についた彼女はその国の少年と向かい合い手をつないでいる。あたりはたくさんの花が咲き誇り、たくさんの人が少女と少年を囲み祭りを始めている。

 
 細かく描きこまれた線とおとぎ話しの挿絵のような絵。やわらかな黄色とピンク。水色に青。草原の緑。少女のほほの薔薇色。音や歌にはつぶつぶの細かな点描。色鉛筆で描かれたあふれるような色の洪水。

 これを見ているとどこまでもどこまでも歩いていきたくなる。虹の橋を渡って幸福のある場所まで、孤独から抜け出して、遠いあなたのいる場所へ。
 絵からストーリーが生まれ音や色が流れ込んで来る。そこには生きた何かが潜んでいて、見るものの心を強くゆさぶり目が離せなくなる。
 この絵の世界の少女はとても勇ましい。そしてこの絵の世界の住人はみんな幸福そうに見えた。

 顔をあげた時、先生に語る言葉は出てこなかった。先生は私の顔を見ると小さく頷く。
「父親に殴られました。」
 先生は絵の話しの代わりにそう言った。
「え。」
「父と母に心配だと言ったら、まだおいぼれてないとね。」
「…。」
「小夜の代わりだと言って、殴られました。」
 開け放した窓から風が入ってきた。髪が風にふわふわと舞い踊る。
「明日、イギリスに行きます。」
 先生は君のお陰です、と言ってにっこりと笑った。
 
 尚と一緒に空港に見送りに行った時、先生はとても緊張していた。銀色のトランク、灰色のズボン、白いワイシャツ。
 先生と私と尚は短く挨拶を交わした。

「プロポーズが成功したら、一旦帰ってきます。色々と手続きがいるので。」
「成功するといいですね。」
 尚はそう言って先生と握手した。尚を先生に紹介するやいな、彼らは不思議と気があっていろいろと話し込んでいた。
「ありがとう。」
 私はと言えば、二人の横でずっとぐずぐずと泣いていてハンカチが手放せないでいた。
「すいません。いつものことなんです。彩、ちょっと何か挨拶しろって。」
 私は鼻をすする。
「ぜ、ぜんぜい。」
「はい。」
「ざよざんを…ぼうがなじまぜないでくだはい。」
「ん?」
「小夜さんをもう悲しませないでください、だそうです。」
 尚が苦笑して私の代わりに話す。先生は真面目な顔で私と尚両方を見て頷くと
「約束します。」
と言った。
 時間は砂時計の砂が落ちるより早く過ぎ、先生はやがて人ごみの中にまぎれて小さくなり、見えなくなった。
 私は先生を乗せた飛行機が見えなくなったあともずっと空を見ていた。尚は、何も言わずに私の手を握っていた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ハーブガーデンはとても広く、迷路のようになっている。植物達の世話をしながら一日が終わる頃には、仲間のアナとお茶を飲むことになっている。かわりばんこにお茶の準備をしていて、今日は私が淹れる日。ガーデンに作られた小さな一軒家風の建物の中には、小さなキッチンやありとあらゆる道具が置かれている。建物の外には青銅色の丸いテーブルと椅子。アナはそこに座って夕日を眺めるのが好きだ。
 管理人としてガーデンを任せたいとミセスマリアが言ってくれた時、私はとても嬉しかった。そして、ようやくそこで諦めがついた。長い恋はもうおしまいにしよう。私も彼ももう、いつまでも若い頃のような恋を続けているわけにはいかない。お茶を淹れながら久しぶりに涙が出た。あの人と離れて最初の年は、こうやってよく泣いたけれど、いつしか離れていることが当たり前になって涙も枯れてしまった。あの時、なぜプロポーズを受けて日本に帰らなかったのだろう。とても嬉しかったのに。なぜ仕事を放り出してでも行かなかったんだろう。つまらない意地と彼に対しての怒りがあった。彼に絵があるように、私にはこの庭があると、小さな子どものように。信じてもらえないかもしれないけれど、こんな風に子どもじみて感情的になるのは、彼に関することに限られている。
 後悔しても、もうあまりにも時間が経ってしまった。涙がぽたぽたと落ちて麻の布巾に悲しいしみを作っている。
 いつも、感情が強すぎてまっすぐ道を歩けない。あの人はそんな私を遠くから辛抱強く呼び続けてくれた人だった。

 物静かなアナが珍しく大きな声で私を呼んでいる。アナの旦那様が彼女を迎えに来たのだろうか?(彼女の旦那様は仕事が早く終わると彼女を迎えに来て、一緒に帰ることがある)いったい何かと思って外に出ると、そこにはなつかしい姿が見えた。
「サヨ、キミヒコが来たわよ。早くいらっしゃい。」
 アナが目を輝かせて私を呼んでいる。公彦さんが?なぜ?
 手紙では大きな絵の仕事がまた入って当分アトリエにこもりっきりになると書いてあった。日本での仕事ではおそらく一番大きな仕事。彼の人生のチャンスだ。
 私は庭に出たものの、驚いてその場から動けない。公彦さんはゆっくり歩いてきて私の前に立った。
 仕事はどうしたの、まさか。とかなぜここにいるの。とか、たくさんの質問があったはずだった。けれどなんの言葉も出てこなかった。彼の表情を見れば、彼が何を捨て何を選んだかが、聞かなくてもわかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 先生が一旦日本に帰ってきて、さまざまな準備をしているかたわら、私と尚は卒業し、先生はイギリスに行くぎりぎりまで私をモデルにして絵を描き続けた。 私も最後までねばって絵を見てもらった。先生の言葉は絵に関する時は別人のように厳しく、何度けんかしたかわからない。

 そして、先生は日本での仕事をけって、イギリスに行った。その時に描いた絵は、公にはせずに私にくれた。
 しばらくしてから、英語で書かれた絵本が送られてきた。

 そこには、庭のお手入れが大好きな奥さんの一日「リエルふじんのにわ」というタイトルと、色鉛筆と水彩画が組み合わされた、美しい庭が描かれていた。  そこでは花と葉も茶色の小道も、小さな白い一軒家も猫も町の人もすべてがいきいきと描かれ、見るものをその小さな世界に迷い込ませて時間の感覚をうばってしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 チャイムが鳴り、私はふと現実に戻った。私は立ち上がり、もう一度だけ絵を見た。
 絵の横には、先生が送ってくれた絵本がそっと飾られてある。

『リエル夫人は庭が大好きです。

 ある日リエル夫人がハーブティーを作ろうとローズマリーの花をつんでいると、急いでいた通りすがりの風の妖精が花を雲まで巻き上げてしまいます。
 

 ローズマリーは雲の中で太陽の光に照らされて雲にいい香りをつけています。 リエル夫人は困ってしまい、風の妖精もローズマリーを返そうとしますが雲の中に散らばってしまってとれなくなっています。

 妖精もリエル夫人も困ってしまいます。その時雲がくしゃみをして雨が降り出しました。
 
 リエル夫人の庭にローズマリーティーの雨が降り注ぎます。なんておいしい味といい香り。
 
 その日は町の人はみんな傘とカップを持ってリエル夫人の庭に集まり、おいしいお茶を楽しんだのでした。』


 

 


 絵 大友公彦 
 文 大友小夜

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