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みんなにやさしい自作小説コミュの小説「記憶の海」後編

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おじさんもおばさんもとってもいい人。
学校の友達、「やっちゃん」も「りなちゃん」も、優しい。
今日行った「私の家」の「お父さん」も。

でも、今一番ほっとできるのは、こうして一人でお風呂に入っている時。みんなに優しくされているのに、これはひどい裏切りだと思う。

あったかいお湯にはだかでつかっていると、自分の体と心がしゅるしゅると赤ちゃんに戻ったみたいでほっとする。
赤ちゃんには、前世の記憶があるっていうけど本当かなあ?とりとめもなく考えて、お湯の中でゆらゆらと手を動かす。手でお湯をすくってはこぼす。

このままじゃいけないってことが、今日「私の家」に行ってみてわかった。

誰も昔の私を知らない時間をもっと作ったほうがいいのかもしれないな。
思い出せないまま、優しい人達の中にいたらいけないような気がする。裏切りだと思った。「そんなことないよ。」ってみんなは否定するだろうけど。うまく言い表せないけれどそれはフェアじゃない気がした。誰に対しても。

学校の帰り道、いつもと違う道を通ったら小さな喫茶店があった。

アルバイト募集。平日18:00〜ラスト。土日10:00〜ラスト。

時給一般800円。高校生750円。見習い期間はマイナス50円スタート。頑張り次第で時給アップ。
休憩時間においしいコーヒー付き。制服貸与。

私は高校三年生だった。
覚えていないけど、進路希望調査表には「進学希望」と書いてあったらしい。
けれど、私は大学生になりたいとは思っていなかった。前の私は思っていたのかもしれないけれど。

「ごめん」と、私は過去の自分に謝った。

目の前に淹れたてのコーヒーが置かれている。手付かずのまま。
さらに目線をあげると、白い半そでのワイシャツを来た店長が私の履歴書を見ていた。
店内をそっと見渡す。お店はL字型のカウンター席が六つと、四人掛けのテーブル席がいくつか。
窓から何本ものやわらかい光がさしこんでいる。神様とか仏様の頭のまわりに光っているあんな感じのぼわあっとした感じの光だ。

同じ町なのに、こんな場所があるなんて。

「現在は…高校三年生。アルバイトして大丈夫?」
「はい、進学はしないで働くつもりなので。」
「そう。今回はなんでアルバイトしてみようと思ったの?」
「それは…。」
私は言いよどむ。
「欲しいものがあったので。」
とっさに嘘をついた。あながち嘘でもないのだけれど。
わかりました、結果は後日連絡します。店長は、履歴書をテーブルに置くと言った。
「コーヒー、どうぞ。」
砂糖を入れなくてもコーヒーっておいしいんだなあと、私はぼんやりと思い、そう言ったら店長の目がかすかにほほえんだように見えた。ちょっと恥ずかしくてカップに顔をうずめてごくごくとコーヒーを飲み干し、あわてて帰ってしまった。
予感はあったけれど、採用の電話が三日後にかかってきたとき、それでも私は心底ほっとした。
お風呂に入っているときみたいに。

仕事を覚えるのは大変だったけれど、新鮮で楽しかった。余計なことを考える暇がないというのはとても楽なんだと知った。
トレイの持ち方、レジ打ち、オーダー取り、掃除、お皿洗い。小さなお店だったから、アルバイトは私ともう一人の女の人(名前は幸子さん)しかいない。私が入る日はその人―幸子さんーは休み、幸子さんが入る日は私が休み、土曜日は私が、日曜は幸子さんが出勤した。月に二回くらい、土日両方出るときもある。その時は幸子さんと店長と私三人で働く。
お店のお休みは月曜日。仕込みが七時半からで、営業が十時から夜の八時。仕込みは店長が一人でやる。私は平日の火曜日と木曜日の夕方から。
前勤めていたフリーターの男の人は就職が決まって辞めてしまったんだそうだ。今は、電力会社で働いているらしい。「気が利いて働き者でジョークが好きな子だったわ。」と幸子さんがあとで教えてくれた。その人が就職を決めなかったら、私はここにいられなかったんだ。その人に感謝状の手紙を送りたい気分だった。

店長は基本的にほとんどしゃべらない。白いワイシャツ、黒いズボン、黒い長い腰巻エプロン。磨かれたぴかぴかの黒い靴。顔立ちは整っていて憂いをおびた顔をしている。振る舞いが礼儀正しくてきびきびしている。黒い縁の眼鏡をかけている。
映画に出てくる執事みたい。何十年か経って素敵なしわと白髪になったら、そのまま外国の貴族のお屋敷に仕えていそうだ。

店長をそっと盗み見すると、グラスを磨きながらかすかだけれどほほえんでいる時がある。何か大切なものを思いだしてなつかしむような表情だった。年は若いようだったが、彼が三十代か四十代かはどうにも見分けがつかないのだ。
幸子さんのほうがとってもわかりやすい。結婚していて、子供はいない。二十代後半なんだけれど、制服を着せたら高校生でも通ってしまうくらい、かわいらしい外見をしている。本当の年齢なんて「とてもじゃないけど恥ずかしくて言えない。」と声はあげずにっこりとしていた。そのにっこりする時の顔は、なぜかとても潔い笑顔なのだ。ぴんとはりつめた意志。そのにっこりすることで、悪魔祓いしているんじゃないかと思うくらい力強い笑顔だ。悪魔ってっていっても、それは人生についての悪魔だ。それは時々やってきて私達を振り回す。それの存在を私は知っている。幸子さんはそんな時、その笑顔でその悪魔をやっつける。私はその力に、意志に、憧れた。
たまに三人で働く日があると、仕事の終わりに店長が「ちょっといい豆」でコーヒーを淹れてくれる。私と幸子さんはカウンター席でコーヒーを飲みながら、ぽつぽつと話す。    
店長は例によってほとんどしゃべらないので、もっぱら幸子さんと私が話すのを聞いてうなずいているだけなのだけれど。結婚生活というのは「奇妙キテレツ」なのだと幸子さんは言う。「結婚なんてするものかと心に誓っていたっていうのに悔しいわ。」とも。私は学校の花壇の世話をしていることや、お父さんの手料理の話をする。私が「ちょっとした事情」で実家に帰るたびに出る料理のこと。お父さんが新しいフライパンを買ったこと。 
ちょっとした事情のことは、店長も幸子さんも踏み込んで聞いてこなかった。ちょっとおじさん夫婦にお世話になっているんです、と言ったときも、「そう。」と幸子さんは言ってにっこりと笑った。「そういうこともあるわよね。」ちっとも驚いていない。店長に至ってはかすかにうなずいただけだった。必要以上に人の中に踏み込まないその二人の礼儀正しさが、とても居心地が良かった。

お店は常連さんと一見さんとがいて、すぐに区別がつくようになった。常連さんはお店に入ってくる時、かすかにほっとした顔をするから。足取りに迷いがないし。一方一見さんはお店に入ってくる時ちょっときょろきょろと店内を見回す。入っていいのか、少し躊躇する。その気持ちはちょっとわかる気がする。自分の知らない空間に踏み込む時の、あの緊張感とその小さな開拓精神。新しい場所を見つけるのは、いつだって勇気をーほんの少しの行動力と共にー使うものだと私は思うから。

 ゆらゆらとお風呂の中をただようような心地良さの中で私の生活は流れていき、すぐ夏が終わり秋になった。お店の中に差し込む光もどことなく紅葉しているんじゃないかな。
 ある日アルバイトのない日にわざと学校を早退した。時間は四時間目で、その日は六時間目まであった。ぼんやりと校庭の木の葉っぱを見ていたら、広いグラウンドを見ていたら、急にそうしたくなった。無遅刻。無欠勤。授業態度は、真面目。私が、頭痛がするので早退したいと申し出た時、先生はまったく疑わなかった。

 子猫を助けようとして溺れたあの川。
 そこに足が向いていた。
 私の生活を裏返してしまった場所。
 こわくて、ずっと行けなかった。溺れたからこわいということもある。だけど、もっともっと、違うなにかがこわかった。それを受け入れるには時間が必要だったんだと思う。
 貯金箱に、時間がいっぱいになりました。だから、もう大丈夫。

 川は結構大きな川。
 私は水のすぐ側に立ってその流れを見ている。

「お姉ちゃん。」
 その時、栗色のくりくりの天然パーマの小さな子が話しかけてきた。青い服を着ていて、もっと濃い青いズボンをはいている。くつは白い。白い肌、ほほは薔薇色。女の子にも男の子にも、見える。
「本を返しに行った?」
 その子はそう訊ねる。
「本?」
「ちゃんと返さないといけないよ。トクソクジョウが来てない?」
 返すも何も、本なんて借りていない。
「なんのことかな。本は、借りてないよ」
「お姉ちゃん。そうか。忘れちゃったんだね。あのね、図書館に本を返すんだよ。お姉ちゃん、本を持ってるんだ。」
 ふと、かばんに不思議な重みを感じた。今まではなかった重みだ。とてもささやかな重み。言われなければ気がつかないような。生まれたての小鳥くらいの、重み。鞄の底を探ると町の図書館の貸し出し用バーコードがついた文庫本が入っていた。タイトルを見て私はその場にしゃがみこんだ。

「第69巻 有川美也子 20※※年 6月28日〜10月3日」

 それは、私が記憶を失くした日から、今日までのすべてが書かれていた。私の記憶だった。
「この本を、返しに行かなきゃいけないの?」
 私はその子に聞く。その子はほっとしたようにうなずいた。
「うん、借りたら返さなきゃ。」

 もともと図書館にはよく通っていたのだけれど、記憶を失ってからは一度も行っていなかった。本を読むより、自分の混乱を押さえ込むことや、アルバイトの作業を覚えるほうに力を注いでいたから。
 少し重い扉に体重をかけて体で押すように開けて入る。小さなカウンターの司書のお姉さんの制服。いつもの人だ。人がいない時はちょっと読んだ本の話しをしたりする。メガネをかけた、おかっぱのお姉さん。
「あの…本を返しに来ました。」
 私がその本をカウンターに置くと、お姉さんはいつもどおりの笑顔で「返却ですね。」と言ってその本を受け取った。とても自然に。
「この本って一巻からこの巻まで全部あるんですか?」
「ありますよ。一般貸し出し用書棚の奥に、開放書庫っていう部屋があるでしょう。そこですよ。」
「ありがとうございます。」
「どういたしまして。」
 
 開放書庫は、本棚がずらりと並んでいて、私がさっき鞄で見つけたような文庫本ばかりが並べてある。

 あ行。
 あった。あり、かわ、み、やこ。

 私は、自分が溺れた日の書いてある本を見つけページをめくった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ずっと好きだった先輩にふられて、悲しくて、誰もいない川岸で泣いていると、あの青い服の子がやってきて、忘れたい記憶があるなら、川に流してしまえばいいと教えてもらう。
「忘れたい記憶の量を考えて、その量くらいだけ体のどこかを川にひたすの。そうすれば、辛い記憶を川が運んで、海が預かってくれるよ。たくさん忘れたければたくさんひたすの。ちょっとだけなら少しだけ。」
 私は、手のひらをちょっとだけ川につけて、目を閉じた。
 先輩の記憶。
 その時、向こう岸でじゃぼん、と不吉な音がした。目を開けると子猫が溺れている。私はあわてて子猫を助けようと川の中に向かった。川は深いところでは胸の高さまである。 
 子猫は川の真ん中辺りで私の手につかまった。あばれるその子をなんとか助けようとすると体中水にまみれた。足をすべらせて頭までつかってしまう。ようやくその子を抱き閉めて岸に上がると、私は視界がぼやけていくのを感じた。

 忘れたい記憶の量だけ、体の一部分をひたすんだよ。
 いっぱいひたせば、それだけ忘れてしまうから。ちょっとだけだよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 本を閉じると、横にその子が立っていた。
「本、返せた?」
「…うん。」
「よけいなこといった?」
「ううん。忘れたいって思ったのは本当だったもの。」
「でも、お姉ちゃんの記憶は、全部海が預かっているから、お姉ちゃんのものじゃなくなっちゃんだよ。一度預けたら、返ってこないよ。」 
「新しい記憶ができたら、それも返さないといけないんだよね。」
「そう。ここも、海なんだ。」
「記憶の海?」
「心の中をただよってる記憶を形にしたら本になったんだよ。」
 
 日が暮れるまで自分の記憶を読み漁った。
 生まれた頃のこと。お母さんが死んだときのこと。うれしいかなしいさみしいたのしいこわいくやしい。感情のすべて。
 たとえば、お父さんに料理を作ってあげた時。
 包丁がこわくて、ガスコンロもこわかったこと。でも、お父さんがおいしいと言って食べてくれたからうれしかったこと。

 書庫には、二人三人、人がいた。思い思いに手に取り、熱心に読んでいる。試しに他の人の記憶の本を手にとると、中身は普通の小説になっている。夏目漱石や、芥川龍の介や、村上春樹といったふうに。
「借りて返る?」
「ううん。今のほうが大事だもの。」
「そう。」
「また君に会える?」
「会いに来て。」
 その子はそう言ってほほえむ。太陽みたいな顔。
「ぼくの名前は、海。」
「うん。」
 私は、にっこりと笑った。幸子さんみたいに。

 図書館を出て、帰る道は暗かったけど街灯の明かりが楽しげだった。ハロウィンの飾りのかぼちゃみたい。ねえ、お父さん。私決めたよ。私は自分で記憶をー例えちょっとした事故があって予想に反して思ったよりたくさん失くしたとしてもー海に預けちゃったの。   
 辛いことから逃げたくて、ずるしようとしたの。でも、神様ってちゃんといるんだね。  
 逃げたらどこかで、もっともっとたくさんの力を使って向き合わなくていけないの。
 
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 美也子が高校を卒業したら、北国のとあるペンションの従業員として働くと言い出したのは、アルバイトを始めてしばらくしてからのことだった。
「店長の親友が、そこでペンションの経営をしていて、ちょうど住み込みでの従業員を募集しているの。」
「うん。」
「その親友の人は、旦那さんが亡くなって一人で切りもりしているんだって。」
「でも、電車で半日だぞ…。」
「大丈夫、ちょくちょく帰ってくるよ。だって用事もあるし。」
「用事?」
「返さなきゃいけない本があるの。」
「誰かに借りてるのか。」
「ううん。図書館に預けてある本の続巻なの。」

 反対していたお父さんがうんと言ったのは、高校の卒業式ぎりぎりだった。私はねばりにねばった。もし賛成されなくても、家出してでも行くつもりだった。ペンションを経営している店長の親友ー草実さんーと手紙のやりとりもして、すっかり意気投合していたし。
 でも、お父さんはうん、と言った。それはとてもよく晴れた日で、日曜に近所の公園を散歩していたときだ。例によってお父さんの手作りのお昼ご飯を二人で食べて、腹ごなしに散歩に行こうという話しになった。
 北風が冷たくて、はだかの木が寒そうに枝をゆらしている。それでもブランコやシーソーには子どもが遊んでいた。
「美也子はもう大人なんだよな。」
「え?」
「子どもが自分の力で自分の道を見つけたんだから、喜ばなくちゃいけないのに、寂しがって反対してはだめだよな。もっと美也子を信じなくちゃ。」
「急にどうしたの?誰かにそう言われたの?」
「…ん。どうかな。」
 お父さんは、ふざけるように肩をすくめる。
「ちょくちょく帰ってくるんだろう?」
「うん。」
 私は、おどろきながら答えた。お父さんの腰かけたベンチの後ろのほうで白い蝶がはためいていたような気がした。そっちをよく見ようとしたら、お父さんが立ち上がって言った。
「帰ろうか。あったかい紅茶をいれよう。」
「じゃあ、ケーキを買って帰ろうよ。」
「太るぞ。」
「いいの。力仕事もするんだから、エネルギーをたくわえないとね。」
「それもそうだな。」
「でしょう?」
「なかなか言うようになったのうお主。」
「いえいえ、お代官様ほどでは。」
 
 お父さんは恥ずかしがったけど、私は無理やり腕を組んで帰った。途中でケーキを買って家で食べて、そして、そのまま自分の家で出発の日まで過ごすことに決めた。
 もうお父さんは、無理するなとは言わなかった。私も、無理はしていなかった。

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 出発の日は曇り空だった。あらかた荷物を向こうに送ってしまったから、美也子の荷物は小さなボストンバッグ一つだけだ。長い髪をポニーテイルにして、あたたかそうなモスグリーンのハーフダウンジャケットを着ている。チェックのスカートにボアのついたキャラメル色のブーツをはいて。ホームはとても小さい。レールは、上りと下りが一本ずつしかない。私も会社に行く時に毎日使う駅だ。
 
 窓を開けて顔を見せてくれた美也子と最後の会話をする。美也子はあんなに行くと言い張っていたくせに、今にも泣きそうになっている。
 
 時間が来た。電車は、美也子を乗せて出発する。
小さくなる電車から美也子が私に向かって何かをさけんでいた。言葉はかすんで聞き取れなかったけれど、思いはしっかりと伝わった。
 
電車が見えなくなると、私は肩の力が抜けてベンチに座りこんだ。
ベンチの隣の席に弥生子が座っていた。
「行っちゃったわね。」
「…ああ。」
「大丈夫よ。あの子なら。」
「わかってるさ。」
「あなたもね。」
「え?」
「あなたも、もう大丈夫よ。」

 

 次の電車に乗ろうと初老の男性が杖をついて階段を下りてきた。その音のほうに目を向け、振り向いた時にはもう弥生子はいなかった。

 駅を出て家から帰るとちゅう、雪がふってきた。大きなぼたん雪だ。蝶の大きさくらいあるものたくさんある。頭に肩に雪が積もる。それは弥生子の口づけのようだ。
 
 あなたをずっと愛しているわ。

 女神のように、雲の上で弥生子が衣をひるがえしておどっているのだろうか。雪をふらせているのだろうか。それはなかなか楽しい空想だった。案外真実かもしれない。

 家のドアを開けると、部屋のあちこちに弥生子や美也子の濃厚な気配を感じた。記憶。思い出。色々な、よび方があるだろう。
 この家につまったたくさんの私達家族の愛しい日々が、私をそっと包み抱きしめている。

 よろめくように居間のソファに身を沈めると、実に半年ぶりに私は深い深い安堵のため息をもらし、幸福な眠りに落ちていった。

 目が覚めた時、きっと私の時間が始まる。それは新しくなつかしいものだ。おそろしくてわくわくするものだ。ちょっとめんどうくさくて、そして素晴らしいもの。
今度手紙を書くよ、美也子。
お父さんだってがんばってるんだってね。
それから、ありがとうと書くよ。
君がそう言って旅立ったようにね。

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