ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

かけはし学会コミュの雛見沢パンツ存在しない説

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
雛見沢パンツ存在しない説


No pants area, Hinamizawa.
Kabe

Hinamizawa niha pantu toka naiyo. Pantu toka tadano nunodayo. Iya sukika kiraika de iuto daisuki desuga. Musiro hontou no tokoro ha pantu haitenai yorimo haiteru houga suki desuga.
Datte marumie toka yume ga nai desyo. Kakusarete, kakusarete kakusarete, sorega tirari to mieta toki no yorokobi, kore ha marumie deha ajiwaenai totemo subarashii koto desu yo.
Demo yappari pantu mienai anime toka miruto haitenai toha omou yone. Tumari yappari rena ha pantu haite nai yo.

○序文
 雛見沢と呼ばれる場所がある。それは実在する場所ではない。「ひぐらしのなく頃に」というゲームに出てくる想像上の地域である。このひぐらしになく頃にがどのようなゲームであるかは、簡単なネット検索―通例的にググるとも言う―により分かることである為、ここでは詳細を語ることは止めておく。また、このゲームを未経験の方に関しては、非常に重大な内容についても触れる為、出来ることならばゲームを全て―これらの執筆時において鬼隠し編、綿流し編、祟殺し編、暇潰し編、目明かし編、罪滅し編、皆殺し編の計7編が発表されている―をやった後に、再び手に取っていただければ幸いである。
 さて、それではこの論文の主旨は何か。題名を見ていただければ一目瞭然であると思われるが、つまりは、雛見沢にはパンツが存在しないという事である。
 我々が人として歩み出す一歩に、服があった。それは最初はただの防寒具であったのかもしれないし、防具だったのかもしれない。だが、それが機能性だけでなく、羞恥を伴うようになったとき、我々は自己のみでなく、他者における意識の存在を始めて認知したのかもしれない。
 こうして見れば、人間の歴史とは服の歴史であったのかもしれない。始まりは腰蓑一つであったそれは、今ではパンツやシャツ、ジャケットなど多岐にわたり、そして多くの場合、下着にズボン或いはスカート、そしてシャツと、最低でも3つの部位から構成されている。そして、今問題なのは下着、つまりはパンツである。
 パンツは、我々にとって最後の砦とも言うべきものである。もし服をたった一枚しか着ることを許されないのならば、ほとんどの者がパンツを選ぶだろう。これは最早パンツが単に身体の中で最も性的な意味合いを持つ箇所を守る事のみが要因ではなく、一つの信仰であるとさえ言える。そして信仰には常に異端がつきまとう。
その異端の一つこそが、つまりは雛見沢なのだ、
 
○パンツ認知学
 ここまでで、多くの方がパンツ信仰に対して存在を疑問視しているかもしれない。そこで、まずはパンツについて話したい。
 貴方はパンツを信じますか?
 そう問われて、即答する方は少なく、まずもって問いかけの意味が分からないと言われるだろう。
 今貴方の目の前に一人の女性―女性の方には申し訳ないが、ここは話を進めやすくするため、どうか今だけは男性的な視点をもって挑んで貰いたい―がいるとしよう。年齢は貴方のお好みでかまわない。容姿もこの際、貴方の理想として貰いたい。安心して欲しい。貴方がここでおよそ人間性を疑うような想像をしたとしても、決してそれを誰かに報告する義務もなければ、他の誰にもそれを責める権利などないのだから。
 次にその女性は今、スカートを履いている、として欲しい。そして、ああ、何とも喜ばしい事に突然の突風がそのスカート捲り上げて…
 さて、貴方は今、スカートの下に何を思い浮かべただろうか?
 おそらくはほとんどの方が、種類は様々であれパンツを思い浮かべた事だろう。残念ながらブルマーやスパッツだった方は、実はその辺は少数派らしいので気をつけていただきたい。また、ここで何もなかったという方は、精神疾患の一種であり、感々俺々である。
 大多数がパンツを思い浮かべる事実は、つまり我々のパンツの存在に対する無意識の信頼を表している。我々は最早、そこにパンツがあるかどうかなど問題にさえしていないのだ。我々自身の中において、常にそこにはパンツは存在しているのである。我々は、常にパンツを認知して生きているのだ。

○パンツをはかざる者達。
 しかし、人類の持つこのパンツ認知に対し、真逆を行く者達が存在するのである。彼らは、パンツを、はいていないのだ。しかも、それは突然変異的な個人の趣味などではなく、ある地域の住民全員において起きている、空間的な事象なのである。その地域こそが雛見沢。異端の鬼神オヤシロ様を奉じる架空の世界である。
 では、雛見沢においてパンツが存在しないとするその根拠として、雛見沢における人物達の、パンツをはいていない様を説明しよう。
 まず最初に遭遇した実例、それは竜宮レナである。彼女の私服姿を見てみれば、まずその大胆なスリットに気がつくだろう。そして、次に気がつくはずだ、スリットがあまりに深すぎることに。その状態を見る限り、明らかにスリットは股間を上回った位置にまで届いており、そこにはただ肌色しかないのである。
 このレナがパンツを履いていない事を更に決定づける為に、より論理的に検証してみよう。まず、貴方の腕をまっすぐ伸ばして、身体の横につけてみてもらいたい。その際、多少の個人差はあるが、おおよそ手首の位置に股間があると思われる。この辺りの手と股間との位置関係は、例えばズボンのポケットが、やや肘を曲げた状態で丁度良い位置にある事からも分かり易い事だと思われる。またこれらの状況が雛見沢においても適用されることは、沙都子や魅音の手の位置と股間の位置を見ても明らかである。
 ではここで、もう一度竜宮レナの立ち絵を見てみよう。最早おわかりであろうが、多少肘が曲がっており、それを考慮して見ると、明らかにその手首の位置は、スリットよりも低いのである。
そしてそのスリットに見えるのは、タイツの黒と、肌色のみ。そう、画して私はまず第一の結論として、竜宮レナはパンツをはいていないと確信したのである。
 しかし、これでは全登場人物においてたったの一名であり、これが雛見沢における一般的な姿とは言い難い。そこで第二の人物の登場が必要となり、つまりは、北条沙都子の出番である。

○orz
 最も彼女について語るべき事はあまりにも少ない。ここまで読まれた読者の方なら、大半が彼女のパンツについて知っている事だろう。いや、これは決して読者諸氏が北条沙都子につきまとうストーカーであるといったことではないが。
 我々は北条沙都子のパンツについて、何ら小難しい理屈をこねる必要はないのだ。ただ一度、彼女の立ち絵を見れば、最早その事について語るべき事は、ただ一言しかない。
 すじ。
 そう、彼女はすじである。
 She is a Suji.
 これ以上に語るべき事はないが、蛇足として付け足すならば、つまりは祟殺し編である。かの話中において、クライマックスの寸前である、前原圭一の最後の北条宅訪問。そして、我々は確かに目にしたのだ。北条沙都子の全裸を。
 口にするのも馬鹿らしいことではあるが、全裸である以上、もちろんパンツなどはいてない。これにより雛見沢のパンツはいてない人口は一挙に二倍、全二名と相成ったわけである。ちなみにこの北条沙都子、この後にバスタオルは巻くが、決してパンツははいていない。まさしく生粋のパンツはいてないである。
 さて、そろそろ最初にこの説を聞いたとき「何をバカな」と思われていた方も、少し焦りを感じ始めてきた事であるだろう。しかし我々の追及の手はまだまだ休まることはない。雛見沢にパンツが存在するかどうか、全てを明らかにすることこそが我々の使命であるからだ。

○パンツなき死体
 その第三の生贄こそが、古手梨花である。多くの方はここで、彼女のパンツについて何らかの手がかりがあったかと首をひねるかもしれないので、喉をかきむしりたくなる前に首を戻していただこう。
 古手梨花に関しても、重要な証拠は祟殺し編にある。もはや祟殺し編はパンツはいてない編と呼んでも過言ではないだろう。では一体どこでパンツが現れたか、いや、現れなかったのかと言えば、それは古手梨花の惨殺死体発見の時のことだ。その変わり果てた姿となった彼女の腹は引き裂かれ、腸を引きずり出されていた。しかし真に我々が気づくべき事は、彼女がその時全裸であったことである。
またしても、裸である。ともすれば雛見沢ヌーディスト村説さえ脳裏をよぎりかねないが、さすがにそれは脳裏だけにしまっておこう。何はともあれ、そう、彼女は裸だったのであり、つまりはパンツをはいていなかったのである。これは、非常なる殺戮者が脱がしたのでろうか。いや、腸を引きずり出すだけならばパンツを脱がす必要など微塵もないのだ。
もう一度言おう、殺害犯がパンツを脱がす理由はなかったのだ。では何故パンツをはいていないのか。これはつまり、初めから彼女がパンツをはいていなかったことに他ならない。かの北条沙都子がパンツをはいていなかったのだ。その同居者であった古手梨花もまたパンツをはいていなかった事に、疑うよりなどないだろう。

○園崎家もはかない
 さて、ここにいたって、誠に恐ろしい限りだが、なんとメインヒロイン4名、竜宮レナ、園崎魅音、北条沙都子、古手梨花の内、実に3名がパンツをはいていない事が明らかになったのだ。これは最早、雛見沢にはパンツが存在しないという事を強く指し示していると言って過言ではないが、立ち絵のある女性登場人物中、つまり先の4名と、園崎詩音、知恵留美子、園崎茜、鷹野三四を加えた全8名でみれば、パンツをはいていないのは3/8とやや頼りない数字となる。ならば、更に新たな証拠を提示すべきだろう。果たしてこの中に、まだパンツをはいていないと断言できる人物はいるのだろうか。
いるのだ。それは園崎茜である。彼女がどのような出で立ちであったか思い返して貰いたい、それは和服である。そして、和服において下着を着けないことは、揺るぎない伝統である。特に伝統を重視する雛見沢の地において、よもや和服を着て下着を着けるなどと言う事態がまかり通るわけがなく、つまり彼女もまたパンツをはいていないのだ。
雛見沢地区において強い権限を持つ御三家、その一つである古手家頭首古手梨花に続き、園崎家頭首の血筋である園崎茜においてもパンツをはいていないと言う事実は、それだけで、雛見沢が総意としてパンツをはいていないと言う事さえ過言ではないのだ。

○パンツと死体と偽装と
 そして、我々が確認しえる中で、最後のノーパンツァー(パンツをはかざる者の意)が鷹野三四である。彼女がいつパンツをはいていないと明らかになったのか。それは他でもない、焼死体発見時である。この焼死体が鷹野三四本人ではないという説もあり、本編においてもある一つの真実が浮かび上がっているが、ここでは敢えて言及は控える。焼死体が鷹野三四本人であるかどうかはこの際においては重要ではないのだ。本人でないとしても、本人と見せようとしているモノにおいてパンツをはいていなければ、それはつまり本人もパンツをはいていないという逆説的な証拠になるからである。
さて、そしてその焼死体である。そう、焼死体は服が焼け、全裸だ。全裸。三度この言葉が我々の前に浮かび上がってくるのである。全裸。もはやこの作品が全年齢対象であることが信じがたいほどの出現率である。そして、最早言い飽きたが、全裸とはパンツをはいていないのである。
 焼死体であるならば、パンツをはいていて焼けたのかもしれないではないか、そう思う方もいらっしゃることだろう。しかし、私はそうは考えない。むしろ、パンツをはいていなかったからこそ焼死体にしたとさえ言えるだろう。焼死体にしたのは、果たして本人であるかの確認を困難にする為だけなのか、いや、それだけならば、もっと他の方法は幾らでもあったことだろう。ならば何故、その中から焼死体という手段を選んだのか。それはつまり、焼いてしまえば死者がパンツをはいていたのか、いなかったのか、その特定が困難になるからに他ならない。
そう、先ほど陥った焼死体ならパンツの有無は不明という考えは、まさしく思うつぼなのである。だが、焼死体にする理由がそれしかないと分かってしまえば、つまりそれはパンツをはいていない事を隠す為に焼死体にしたと言う結論に至るのである。そう、鷹野三四は、パンツをはいていないのだ。そしてこれは、立ち絵のある女性登場人物全8名において、半数を超える5名がパンツをはいていないという事実だけでなく、それら、パンツをはいていないという事実を押し隠そうとする何者かが存在することまでもを示しているのである。
 
○はかない、ではなく、存在しない
 雛見沢地区におけるパンツをはいていない率の異常さは理解して頂けた事だろう。メインキャラクターというものは、その世界を表現する重要な存在である。その中において、この異常なパンツ非普及率である。そして更に言うならば、それ以外のキャラクターについても決してパンツの存在を明言されていないのだ。これは最早、雛見沢の全ての人間がパンツをはいていないとしても大差のない状況である。
 そして、我々はこの状況から、一つの恐ろしい予測にたどり着いたのである。雛見沢では、パンツがはかれていないわけではないのではないだろうか。つまり、彼・彼女らはパンツをはかないのではない。そもそもパンツの事を知らないのではないだろうか。いや、正確には、雛見沢にパンツを在らせまいとする何者か、その人物・あるいは組織のみが、雛見沢において唯一、パンツを知る者なのだろう。
 そう、これこそが、私の提唱する雛見沢パンツ存在しない説の始まりである。読者諸氏にも覚悟していただきたい。これからあなた方が目の当たりにするのは、知り得る事のなかった、恐るべき現実なのである。

○雛見沢の歴史とパンツの歴史
 雛見沢の住人はパンツをはいていない、これは先で結論づけられた事である。では、果たしてそれが雛見沢にパンツが存在しない事に繋がるのであろうか。
 ここで重要になるのが、雛見沢の歴史である。雛見沢村の旧称である鬼ヶ淵村、その成立は室町時代よりも遡る。そして現代に残るオヤシロ様信仰もその古き時代より続いてきたのである。では、パンツはどうだろうか。実のところ、日本におけるパンツの歴史は非常に浅い。パンツの前身となるズロースでさえ伝承は18世紀であり、現在の形のパンツの流行の始まりに至っては、1950年代になってのことである。このパンツの流行の時期は、雛見沢にパンツが存在するかどうかにおいて、非常に有力な手がかりなのである。
 オヤシロ様の信仰において、重要な要素の一つがその閉鎖性、排他性である。鬼ヶ淵村に入る者を許さず、また鬼ヶ淵村を出る者も許さぬその在り方は、江戸時代後期まで鬼ヶ淵村を一種の秘境と化し、明治4年の廃藩置県までその不可侵性はほぼ絶対であった。しかし一旦薄れたこの不可侵性は1955年前後、雛見沢村民のある成功者が人肉による缶詰により財を成したとの流言が広まったことによる差別により、再び色濃くなったのである。そう、パンツの流行が始まり出したまさにその時、雛見沢は閉鎖的空間に立ち戻っていたのである。そして同時に、オヤシロ様信仰の熱も再び高まっていったのだ。

○パンツをはかないオヤシロ様
 オヤシロ様を信仰すると言うことは、オヤシロ様の様に在りたいと願うことでもある。そして、オヤシロ様は鬼とされている。鬼と言われて思い浮かべられるモノは、おおよそ虎縞の腰ミノをつけた角の生えた大男、である。では、果たして鬼はその下にパンツを履いているのだろうか?答えは迷うことなく否であろう。論理的に考えれば単純なことだが、パンツを履いているのならば、腰ミノをつけている意味はないのだ。彼らはパンツを持たぬが故に腰ミノで局所を覆っているのである。更に、小難しい理屈をこねる必要もなく、先に述べたように、パンツの始まりはオヤシロ様の始まりよりも遙か後のことである。つまり、まず信仰の対象であるオヤシロ様自身が既にパンツを履いていないのである。神はそれを信仰する人々にとって最高の理想であり、即ち雛見沢の人々にとって、パンツを履いていないオヤシロ様の姿こそが目指すモノである。そして大きな問題もなく実現可能な共通点の一つであるパンツを履かない姿、それを、オヤシロ様を信奉する彼らが行わないわけがないのである。
 パンツ流行との隔絶、そしてオヤシロ様への信仰が合わさった時、我々は遂にその真実にたどり着くのである。そう、雛見沢には、パンツが存在しないのだ。
 そして、パンツをはいていない事をひた隠す何者かの存在についても、我々は既に一つの推測を立てている。差別に対抗するために団結し、閉鎖した雛見沢において、絶対的な存在としてのオヤシロ様がいかに重要であるかは想像に難くない。そのオヤシロ様が持たざるパンツの存在を認めることは、つまりオヤシロ様を否定し、過去の遺物としてしまいかねないのだ。故に、オヤシロ様を、ひいては雛見沢の中心に居る何者かは、雛見沢住民にパンツの存在を、そして雛見沢外には、彼らがパンツの存在を知らないことを、ひた隠しにしているのである。
 この様な非人道的な事態が果たして近代社会においてまかり通るものかと思われる方もいるだろう。しかし雛見沢こそ、それが成立しえる唯一絶対的な条件を兼ね揃えている空間なのである。

○跋文
以上の事より、私は雛見沢パンツ存在しない説を強く確信し、世に広めるものである。しかし、このある種急進的であり、異端である学説が世に広まるには、多大な時間が必要となることだろう。しかし、私自身が雛見沢にパンツが存在しないと確信している以上、決して諦めることなく、生涯を捧げる。
果たして雛見沢におけるパンツの存在を、既存のパンツ認知学的思考により、検証すらなく盲進している方々がどれほど多い事だろうか。彼らはただパンツを信じ、パンツを求め、そこにパンツをあるとするのである。そして彼らは、パンツの存在する雛見沢を生み出し続けるのだ。
つまり、私はこう言いたいのである。
レナはパンツはいてないよ。

○参考文献
米澤沙織『国民の啓蒙と女性の性的羞恥心−日本と中国の場合−』
HYPERLINK "http://semi.miyazaki-mu.ac.jp/stamiya/soturon/15yonezawa/index.htm" http://semi.miyazaki-mu.ac.jp/stamiya/soturon/15yonezawa/index.htm

負け犬編・tamura著『雛見沢の伝承と実際の医療についての年表』
HYPERLINK "http://www.geocities.jp/loosedogtom/higurashi/nenpyou.html" http://www.geocities.jp/loosedogtom/higurashi/nenpyou.html


※この論文はフィクションです。実在する人物・事件・地名・団体・ゲームとは一切関係ありません。また実在するコレクト700 ひぐらしのなく頃に トレーディングフィギュアでレナがパンツをはいている事とはあんまり関係ありません。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

かけはし学会 更新情報

かけはし学会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング