ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

「いのちの風」通信コミュの妻子のこと/竜助さんの死

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

いのちの風 ?463−その1 
4月5日(水)発信 大圓(だいえん)


今回のテーマ 

妻子のこと/竜助さんの死/割れ窓理論/天理教の聖者/暗殺者・伊藤博文



いつもありがとうございます。 だんだん春めいて暖かくなって来て、もうお花見だと思っていたら花冷えの雨。 今年はどうもうっとうしい雨の多い春ですね。 皆様いかがおすごしですか。 

私は桜の時期には特別の感慨があります。 入院中の次男が一時退院して、長男の小学校入学式へ行ったときの思い出。 桜の下で式に参列している妻と長男を待っていました。 

治療の後遺症で坊主頭になってしまっていた次男のそのときの寂しそうな姿。 そして2度と小学校の門をくぐることはなかった。 長男はこの時に帰ってきた次男と、ベッドの上で遊んだ思い出は残っている、と言っていました。 



ある人のメールの中に「亡くなった子供の分まで、代わりにこの人生を体験していくのだ」といった文章がありました。 次の世界で待っている家族にいつか再会する。 その時には、その体験を面白おかしく話してあげる義務が、私たち生き残った者にはあるのです。 

その時まで高杉晋作の如く「面白きこともなき世をおもしろく」そんな波乱万丈な人生を送りたい。 自慢話の報告が終わったら、思いっきり2人を抱きしめたい。 そしてそれは私たち遺族だけでなくどんな人にもその義務はあるのです。 このかけがえのない「いのち」を天からいただいた限りは。

 
桜咲き散りにし後も香を残し


松本竜助さんが亡くなりました。 紳助さんとコンビを作って一世を風靡した時代もあったのに、脳出血で急死された。 

平成9年に妻の実家へ彼が来てびっくり。 小学校同級生の笑顔教室・野坂礼子さんからの紹介で、気功師の1人として来られた。 「難病を90%は治せると言っている人がいるよ」と彼女に教えてもらったのです。 その鈴木悠天さんに連絡して末期ガンで実家の自宅で闘病していた妻の元に、悠天さんの弟子の1人として来てくれました。 

鈴木悠天さん http://www.cosmon.jp/profile.html

治れば大圓さんの年収の3分の1をいただきます、という契約でした。 そしてそれから毎日10人ほどのメンバーが2〜3人交代で、奈良の自宅へ車や電車を乗り継いで無料で来てくれました。 

彼らは物部神道の「とほかみえひため」という呪文を心のなかで唱えながら忘我状態で、この言霊を患部に届けるという行法をされていました。 皆仕事を持っている方ばかりなのに、妻を救おうと毎日来てくれたのです。  



また鈴木悠天さんは妻にイメージコントロールを施していただいて、元気になって楽しく過ごしている未来の姿を思い浮かべるように、と指導していただきました。 妻も気合だけは元気を取り戻し、私たちも治していただけると信じて、末期の絶望的な思いから逃れられ心救われました。 

結局は末期すぎて治らないかもしれない、とは野坂さんには言っておられたようです。 そして1ヶ月後の平成9年5月1日に治療中に亡くなりました。 亡くなる当日も食事はしていましたし、痛みもなくあっという間に亡くなりました。 「帰って来い!」と当日治療していただいていた方の泣き叫んでいた声が、まだ耳の奥に残っています。 



私は天井の方に浮かんで行っている妻の魂をイメージして「また会おうな」と心のなかで静かに語っていました。 妻の母と私とで昼夜2交代で完璧なターミナルケアをさせてもらいました。 悔いもなく逝かせることができた。 それが心の支えでした。 

後に終末期医療の学習会をされている妻の親戚の南吉一先生のところに通い始めたのも、妻の導きであったと信じています。 先生の「在宅ホスピスあおぞら」が後の「いのちと出会う会」の母体となったのです。 



その南吉一先生が6月の「いのちと出会う会」に話題提供者として来られます。 第1回と第23回でお話があって以来の4年ぶりの登場です。 先生も昨年のその学習会で私たちの眼の前で脳溢血で倒れられ、命を失う一歩手前を体験されました。 リハビリでなんとか復帰されましたが、まだ足は少し不自由です。 それでも恒例の夏のアメリカ在宅ホスピス研修旅行に阪大の医学生中心に旅行団を結成される予定です。 一度は死んだ命をまた人々のために捧げようとされている姿は光り輝いています。   

                               (その2に続く)

コメント(5)

はじめまして。ユキと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

大圓さんの奥様とお子さまのお話を拝読させていただき、非常に感慨深く様々なことを感じさせていただきました。

これから出会っていく方々に、温かく真摯な気持ちで向き合いたいと思います。

どうもありがとうございました。
ユキさま、書き込みありがとうございました。

?347 千の風 くにくんにあいたいな        
?348 電池が切れるまで 天使の歌声(?143)
?351 6月11日 家族の霊的体験
?376 失われたものを数えるな/道は開かれる/妻子のこと/恨みと謝罪/赦し

上記のなか、などに家族のことを書いています。 私の通信は政治的に叫んでいるものが多いのですが、真面目に生と死について書いているものもあります。 絶叫調は読み飛ばしてください。

上記は下記にあるバックナンバーに載っています。 ご笑覧いただけたら幸いです。

「いのちの風」・「縁の花」さんの支縁サイト(通信の最初からのバックナンバーがあります)
 http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
ありがとうございました。「いのちの風」・「縁の花」さんの支縁サイトを拝見させていただきました。

私は、4人の子どもの母です。
今年から研究論文を書くため、大学院に進学しました。
昨年からグリーフケアについて学び、死の教育が大変重要であることを理解しました。とくに、子どものための死生学を確立していくことが、私の今後のテーマとなっていくと思います。

>釜が崎のリーダーの1人、本田神父は「聖書を読む必要はない。 聖書ばかり読んでいては頭の硬い人間になる。 イエスがされたように貧しく小さくされた人々に寄り添って生きることこそクリスチャンとしての資格がある。 洗礼を受けなくてもそのような行動をする人はクリスチャンである」といわれた。

この文章は、私に勇気をくださいました。
私は、お寺で生まれて育ちました。得度もしているので洗礼を受けることはできないのですが、とても嬉しい言葉でした。
ありがとうございました。
私にとっては仏教とキリスト教の違いは後世のものであり、元は一緒だと思っています。

ドイツの人智学のシュタイナーは、イエスの教えは釈迦の教えの発展したものと説いています。 イエスを後ろで常に守護していたのが霊的釈迦だったといいます。 それは私には衝撃的でした。 以前にイエスとインドとの関係は知っていましたから。 



イエスは彼が若いときの聖書に書かれていない10年ほどの空白の時期にインドへ行き、バラモン教や仏教を習ったらしいです。 インド人のインテリにはそれを信じている人が多いですし、インドのスリナガルにはイエスの墓といわれるものがあります。 一度死んで復活した後にインドへ戻って布教していたと言われています。

若きイエスはインドからユダヤの地へ戻ってユダヤ教仏教派というべき新興宗教を開いたという説を私は信じています。 のちのカトリックはそのような東洋的な内容のイエスの言行録を異端として外典にして隠してしまった。 トマス福音書などはその典型で、今その東洋的な香りのするものが復興し始めています。 



そしてキリスト教が逆にインドに布教されて仏像や大乗仏教が生まれたといわれる説。 先祖がえりです。 その影響で釈迦信仰が久遠仏、大日如来、阿弥陀仏といった宇宙創造神のような神信仰に変化した。 法華経には聖書とそっくりの逸話が載っていますし、数珠(ロザリオ)や修道院(僧院)など仏教とキリスト教が相互に影響しあったと見られる、数え切れないほどの交流もある。

古代日本では朝鮮経由で中東から渡来した秦氏という古代キリスト教徒から初期キリスト教を学び、聖徳太子はキリスト教的仏教を築かれた。 そして四天王寺に施薬院や悲田院をつくり貧しく小さくされた人々の世話をされました。 仏教はその当時の中国・朝鮮では国家鎮護の政府の宗教だったのを、聖徳太子は民衆救済のものとされた。 これは異端とされ追放されたネストリウス派のキリスト教の精神だったのです。(秦氏がもっていた信仰)



このような考えを荒唐無稽な作り話だと思われるかもしれませんが、それを信じることでその人の心にいのちが湧き上がるのです。 

私は炊き出しの精神をこの聖徳太子やイエスからも学んでいるつもりです。 困窮者や孤児、未亡人、ハンセン病の人、売春婦、穢れた仕事だと蔑まれた人々、そのような貧しく小さくされた人々の元にイエスは来られて慰めれた。 宗教は聖典を学ぶことではなく、よき行いを実践することだと思います。 

その嘆き悲しんでいる人々にこそ、神仏は涙を流しながら、温かい視線を向けておられ、いつでも助けあげようとされている。 たとえその人が哀れな姿で亡くなったとしても、神仏は真っ先に駆けつけ、その魂を天の一番高い所に運んでいただける、と信じているのです。
素晴らしいお話です。本当にありがとうございました。

大圓さん文章を読んでいて、子どもの頃に読んだ仏教説話を思い出しました。
仏教説話は、宗教の対立などの無い、人がよりよく生きるための教えであり、幸せな世界観を創るのもでした。

子どもの頃から本音と建前の世界で生きてきて、ずっと何かが違うと思っていました。
だから、 大圓さんのおっしゃることがよくわかり、とても納得できたのです。

人の苦しみを担ったり、代わりに背負ったりすることはできませんが、人の苦しみに寄り添う事ならば、わたしにもできるのではないかと思います。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

「いのちの風」通信 更新情報

「いのちの風」通信のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング